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長宗我部元親 姫若子 初陣

 長宗我部元親(もとちか)は若い頃、家臣達に「姫若子(ひめわこ)」と呼ばれていた。「姫若子」という言葉は、現代語に訳せば、「姫ぼっちゃん」くらいが近いだろうか。

 もちろんこれは褒め言葉ではない。

 寡黙で、挨拶もろくに交わさず、いつも部屋に閉じこもってばかりで、生まれつき色が白く、眉目秀麗(びもくしゅうれい)であったというのだから、勇猛な男子の多い土佐という土地柄にあっては、美しい姫君のような若君と陰口をたたかれても仕方のないような青年期であった。

 父親であり長宗我部家の当主である長宗我部国親が、その嫡男、「姫若子」元親に対し、どのような方針であったかは定かでない。

 ただ、戦国の世であり、国親自身も周辺豪族の多くと臨戦態勢にあったにも関わらず、嫡男元親は22歳(説によれば20歳)まで、初陣を飾ったことがなかった。

「姫若子」元親に対して、武将としての能力を不安視していたのかもしれない。

 あるいは、満を持して、初陣を華やかに飾らせてやろうという父親らしい思惑があったのかもしれない。

 だが、現実はそうはならなかった。満を持してというのにはほど遠い、長宗我部家の存亡がかかるような危急の折での初陣となった。


 長宗我部家の仇敵(きゅうてき)といえば、同じ土佐の豪族の本山家であった。

 それは、国親の父、元親にとっては祖父である長宗我部兼序(かねつぐ)の代からの因縁であり、決して相容れぬ両家であった。

 永禄3年(1560年)の5月、国親は本山家の支城である長浜城を攻め落とした。

 長浜城は浦戸港に近く、本山家にとっての重要拠点であり、本山家の当主茂辰(しげとき)が一族の者を城主に据えていた城であった。

 それを長宗我部家にとられて黙っているはずがない。

 本山茂辰はすぐさま、居城朝倉城より兵3千を率いて、城を奪い返しに出陣した。

 対する長宗我部家が動員できる兵力はせいぜい1千、本山家の3分の1でしかなかった。

 攻め取ったばかりの城の防衛戦、兵力差は3倍。

 ただでさえ、厳しいいくさを前にして踏ん張らないといけないところに、不運、不幸にも、長宗我部家の内部でさらに困ったことが起こった。


 当主、長宗我部国親が病いを発して、出陣することができなくなったのである。


 直前には長浜城を元気に攻め落とした国親が、急に出陣できないほどの病気になったのである。おそらく、脳疾患や心臓疾患などの循環器系の病気が起こったのだと考えられる。

 そして、単刀直入に言うと、当主国親は死にかけていたのである。否、もう死んでいたのかもしれない。実際、その後10日ほどで亡くなっている、あるいは亡くなったことを明らかにしている。

 この当時の長宗我部家は大身ではない。土佐に多くひしめく豪族の中の一つの勢力にすぎなかった。率いる兵力もせいぜい1千ほどにすぎない。

 従って、当主の身に何かあった場合、それを隠すことはほぼ不可能であったはずである。病気が致命傷であったことも家臣達、兵達は全員もう知っていたはずである。

 それどころか、敵も知っていたかもしれない。

 それゆえ、本山茂辰もこの時が好機とばかり、総力を挙げて、すぐさま奪還戦を仕掛けてきたのだと考えられる。


 この状況にあって、兵達が動揺しないわけがない。

 当主国親は「野の虎」の異名をもって呼ばれたほどの猛将である。周辺の小豪族の中にはその勇猛に恐れをなして、降伏や従属をした例も少なくない。

 その国親が健在であればこそ、3倍の兵力差も恐るるに足らずだったのである。

 だが、その国親が病を得て、戦闘不能になってしまった。

 当てにしていた国親が離脱したことは、兵達にとっては精神的打撃となったはずである。

「どうするのだろう」

「本当に」

 雑兵達はささやきあっていたに違いない。

 ただ、動揺していたではあろうが、団結力、結束力は維持していた。

 国親は「一領具足」という軍事制度を考案し、その領地で導入していた。

 それは領民に対して、一種の皆兵制度を強いるもので、通常ならば、領民の反発も予想される制度であった。だが、国親は、年貢の賦課を下げたり、路頭に迷った者に住居を与えたりと領民に対して良政を施していたため、領民は国親を慕っていた。それ故、領民も領主のために戦うことをいとわず、その「一領具足」制度を受け入れていたのである。

 従って、徴兵に応じている雑兵達にとっては、自分達が慕っている領主が病いに倒れて動揺しつつも、長宗我部家が本山家に3倍の勢力で攻められようとしているこの危機をどう乗り切るかという立場で心配していたのである。

 長宗我部家を見限るなどということは決してなかった。


 家老の秦泉寺豊後(じんぜんじぶんご)をはじめとする重臣達は、当主国親が出陣できないとなると、当然、嫡男元親に出陣願うしかないと判断した。

「あい、わかった。」元親は二つ返事で引き受けた。

 だが、嫡男元親はこれが、「初陣」であり、しかも「姫若子」、姫ぼっちゃんである。

 元親だけでは心許なかった。

 そこで、失礼ではあるが、次男の親貞(ちかさだ)にも出陣を願うことにした。

 もちろん、「初陣」である。

 しかし、ここはお家の一大事。これも承諾を得た。

 雑兵達に対しても、領主の長宗我部家の嫡男と次男がそろって初陣での出陣となれば、当主の国親が出陣できないにしても、長宗我部家としての責任と意気込みを示すことができる。

 こうして、異例ではあるが、兄弟そろっての「初陣」ということになった。 


 時間はなかった。本山軍3千はすぐさま押し寄せてくる。

 その3分の1の長宗我部軍1千が、本山軍と互角に渡り合うためには、地の利が必要となる。

 広々とした平野部での戦いよりも、谷などの狭間での戦いを選択するべきである。

 本山軍が長浜城に向かってくるには、朝倉城と長浜城の間にある鷲尾山を越えることになる。

 その山間部での戦闘に持ち込むことができれば、兵力差の不利を軽減することができる。

 長宗我部軍はすぐさま物見を張り巡らし、敵の動きをつかむ手配をした。

 敵の動きが速い場合は、長浜城を拠点としなければならない、敵の別働隊に備える必要もある、兄弟そろって敵に討たれることを避けなければならない、様々なことを想定し、次男の親貞は後詰めとした。

 嫡男元親は本隊として、兵をまとめ、長浜城から出陣し、北へと向かった。


「豊後。」元親は馬に乗って、戦場へ向かう道すがら、後ろに控えていた家老、秦泉寺豊後を呼びかけた。

「は、若、いかがなされましたか。」泰泉寺豊後はそれに応じ、馬を前に進めた。

 元親は脇にいる近習が持っていた槍を手に取って、豊後に指し示し、こう言った。

「この槍の使い方を教えてくれ。」

「はぁ?」豊後は戸惑った。「槍の使い方、でございますか。」

「そうだ。」元親は答えた。「今日が初陣ゆえ、まだ槍を使ったことがない。だから、使い方がわからないのだ。」

「…」豊後は困惑した。

 このやりとりを聞いていた周りの兵士達もお互いに顔を見合わせ、それぞれが「今の聞いたか?」「ああ、聞いたとも。」と表情だけで会話しているようだった。

「は、さすれば、」豊後は気を取り直し、時間がないため、手短にこう説明した。「敵の目と腹をねらって突けばよいのみ。おおよそ、このようなものかと。」

「うむ、なるほど。」元親はそれを聞いて、自分の槍を操り、納得した。

「大儀、礼を言うぞ。」元親がねぎらった。

「はは。」豊後はかしこまった。

 豊後は後ろに下がろうとすると、元親がさらに呼び止めた。

「豊後、あと、もう一つ教えてほしいのだが。」

「は、なんでございましょうか。」

「今日が初陣ゆえ、わからぬのだが、いくさ場で、最も大事なこととはなんぞや。」

「そうでございますなぁ。」豊後は少し考えた。そして、元親の父、当主国親のことを連想した。

「『出過ぎぬこと、そして、決して、退かぬこと』でございましょうか。」

「決して、退かぬこと、か。」元親は繰り返した。

 そして、豊後に向かって微笑んでみせた。

「うむ、あいわかった、豊後、ためになったぞ。礼を言う。」

「礼には及びませぬ。」豊後は後ろに下がろうと馬を戻した。

 馬を戻すときに周囲の雑兵達全員が自分の顔を不安そうに見ていることに気づいた。

 豊後はその雑兵たちの顔を一回り見返した。

 すると、皆、豊後から顔をそらし、うつむいた。

「…」豊後は兵達の気持ちが何となく理解できたが、声をかけることはできなかった。掛けるべき言葉が思いつかなかったのである。

 そして、病床の当主、長宗我部国親のことを思い、城のある方を眺めた。

『豊後、頼むぞ。』国親の姿が、空に浮かんだような気がした。


「伝令、伝令。」物見が慌てふためきながら、こちらの陣へ走ってきた。

「どうした。」豊後が伝令に尋ねた。

「は、本山隊が宇津野山から下って来ております。」敵は朝倉城と長浜城の間にある鷲尾山から尾根伝いに東側の宇津野山に移動し、長浜の方へ出てこようという作戦のようだった。

「なんと。」

「しかも、早い。」豊後は思わず口走った。「若、急ぎませぬと敵が山を越えきってしまいます。」

「うむ。」元親は豊後の言わんとするところをすぐに理解した。

「全軍、宇津野山の山道口に急ぐのだ。」

「おお。」兵達も命令の意図をすぐさま理解した。


 長浜城から十八町ほど北に出張ったあたりに宇津野山がある。

 長宗我部の軍勢が、その宇津野山の山道口の見えるところにさしかかった時に、本山軍がすでに山道から軍勢を展開し始めているのが見えた。

「しまった。遅かった。」

 兵達も味方の意図するところは理解していたので、本山軍が山道口から出てきているのを見て、当初の戦略が間に合わなかったことを見て取った。

「まずい。ここは退くぞ。」

「こうなっては、長浜城を拠点に戦うしかない。」

「急いで、城に戻って態勢を立てなおすぞ。」

 兵達はおのおのがそう判断して、誰の命令でもなく、急いで、長浜城へ引き返し始めた。

「おお、」家老の豊後も味方の雑兵達の引き返す動きを見て、『やむを得ぬ』と判断した。

「長浜城に引き返すぞ。」豊後が叫んだ。

 その時であった。


「ならぬ!」

 

 別の声が軍勢に響いた。

 豊後をはじめとして、兵達の全員がその声の主の方へと目を向けた。

 それは馬上の嫡男、元親であった。

 元親は左手で手綱を操りながら、右手の槍を本山軍の方へさした。

「見よ。敵はまだ、先発の隊が山道口から出てきたにすぎぬ。まだ、小勢。敵の大半はいまだ、山の中で山道を進んでおる。今ならまだ間に合う。山道口を我らが押さえて、敵を山道に閉じ込めて戦うのだ。敵と戦いもせず、決して退いてはならぬ!敵の先発隊を押し返すのだ。」

 そして、直属の譜代衆に向かって、「行くぞ!」と命じた。

 元親が山道口に向けて駆けようとするので、元親の率いる譜代衆は命令通り、山道口に向かって駆けて行くしかなかった。


 元親本隊が山道口に向かって進んで行った。

 それを、秦泉寺豊後をはじめとする家老や重臣の隊、長浜城に引き返そうとした雑兵達は取り残された状態で、ぽかんと見送っていた。

 真っ先に我に返ったのは、家老の秦泉寺豊後であった。

 豊後は、はっと気づいた。

「若、もしかして。」豊後はつぶやいた。そして、先ほど、戦場での心構えを説いたあとに、「決して、退かぬこと、か。」と、独り言のように繰り返していた元親の姿を思い出した。

 豊後は、自分がそのように講釈しておきながら、その己が安易に撤退しようとしたことを恥じた。

「ふふふ、なるほど、『決して、退かぬこと』で、ござるな、若。」

 先に進んでいる元親の後ろ姿を見た。

「おもしろい!」今度は大きな声を張り上げた。

「皆の者、若の言うとおり、まだ間に合う!若を一人で行かしてはならぬ。我らも続くぞ!」

「おお。」

 豊後の隊が元親隊に続いた。


 秦泉寺豊後の軍も山道口の敵に向かって駆けて行った。

「おおい、皆の衆!」雑兵達の頭領格の男が他の雑兵達に呼びかけた。

「俺たちは今まで、若を『姫若子、姫若子』と馬鹿にしてきたな。その若を行かして、俺たちが城に逃げかえっていいのか。」

 別の男もそれに応じた。

「そうだ。若が死んで、俺たちが逃げたら、格好がつかないぜ。俺たちの方が腰抜けってことになってしまうぞ。」

「それに、若が言うことももっともだ。まだ間に合う。」

「俺達が『姫若子』と馬鹿にしていた若ががんばっているんだ。」

「若を死なせちゃならねぇ。」

「そうだ。」

「一領具足の底力見せてやるぜ!」

「おうさ。」

「ようし!行くぞ!」

「おお!」

 雑兵達が一斉に元親隊を追いかけて来た。

「若につづけぇ!」

「若を守るんだ!」


 他の隊もそれに続き、長宗我部軍が一団となって、宇津野山の山道口にいる本山軍に襲いかかった。

 本山軍の前線の部隊は、態勢を整えつつあったが、長宗我部軍が勢いに乗って攻撃してきたため、持ちこたえることはできず、山道へ押し戻された。

 長宗我部軍は前線において、本山軍と接する面ができる限り狭くなるように山道口に兵を配置した。

 本山軍は続々と宇津野山を下って、長宗我部軍の押さえる山道口の方へ押し寄せてきた。

 地の利を得たとはいえ、3倍の兵力差、その戦闘は数時間に及び、壮絶を極めた。

 その中で、嫡男、元親も槍を振り、敵将2人を討ち取る活躍まで見せた。

「若、やるじゃねぇか。」一領具足の荒くれ達は、元親を見直した。

「俺たちも負けてられねぇ。」雑兵達の士気はあがった。

 数では劣っていても、一丸となった兵は強いものである。

 本山軍は徐々にではあるが、数の優勢にも係わらず長宗我部軍に押されていった。

 本山軍はもともと数でも優勢であった上に、敵の猛将、長宗我部国親が病いに倒れたと聞いて、心に緩みがあった。このいくさを勝ちいくさと思い込んでいたのである。

 敵の嫡男元親の率いる長宗我部軍に、実際に接して、思った以上に敵が強いので、気合いを入れ直したであろうが、もともと緩んでいた心を、そうそう簡単には引き締めることはできない。

 長時間の戦闘であったが、ついに本山軍の一隊が耐えきれず、撤退し始めた。

 そうなると、堤が崩れたように本山軍は総崩れとなった。

「敵が崩れたぞ!」一領具足の雑兵が叫んだ。

 本山軍側が合図を送り、全軍が撤退し始めた。


 敵が退くのを見た、その時、兵達の全員が、嫡男、元親の方を向いた。

 敵を追うのか、追わないのか、の判断を仰ぐためである。それは一瞬の呼吸であり、兵達の全員が元親の方へ顔を向けた。

「若、いかがいたしますか。」豊後が促した。

 元親は頷き、そして、こう叫んだ。

「皆の者、このまま本山軍を追う!」

 元親は続けた。

「山中で、態勢を立て直せぬよう敵を追い立て、この宇津野山から本山軍を追い払うのだ!」

 兵達は全員『なるほど』と納得した。確かにこのままで敵を放置すれば、山中で態勢を立て直すかもしれなかった。

「おお!」

「いくぞ!」


 長宗我部軍は本山軍を宇津野山中に追い立てながら、宇津野山を登り、本山軍が山の向こう側に逃げ去るまで、追撃の手を緩めなかった。本山軍には抵抗するすべもなく、長宗我部軍に追われるままに逃げ、逃げ遅れた者は長宗我部軍に囲まれながら、討ち取られていった。

 こうして、本山軍が宇津野山を抜け出て、長宗我部軍は宇津野山の向こう側、潮江の堤まで敵を追い払った。

 敵は這々の体で逃げていった。


「勝った。」

 長宗我部軍は、宇津野山から潮江の堤に抜け出て、本山軍を追い払ったことを確信した。

 家老、秦泉寺豊後がここぞとばかりに、叫んだ。

「皆の者!我が軍の勝利だ!勝ち鬨をあげるぞ!」

「おお!」雑兵達も豊後の言葉に反応した。

 だが、その時であった。


「まだだ!勝ち鬨には、まだ早い!早まるでない!」と叫んだ者がいた。


 兵達は、もう、それが誰だか、わかるようになっていた。

 嫡男、元親の声であった。

 兵達は全員、元親を注目した。

 元親は兵達を見渡した。

 兵達には、元親が勝ち鬨を制する理由がわからなかった。

「若!いかがされたのです。」豊後も元親の意図を分かりかね、兵達を代表して叫んで尋ねた。

「あれを見よ!」元親が、槍を北西の方へ指した。

 その延長上には、敵の、本山軍側の城、潮江城があった。


「今からあの潮江城を攻める!」


「な、何を、仰せられるか。」豊後は動揺した。

 元親には豊後の声が聞こえなかったのか、「この勢いに乗じ、時をおいてはならぬ。いくぞ!」と譜代衆に向かって叫んだ。

「はは。」譜代衆はわけがわからないが、ここまでの本山軍との戦いぶりから、元親に対して感服はしていたので、ここは黙って命令に従うといった様子で応じた。

「お待ちくだされ!」豊後が今度は慌てて元親の前に立ちはだかって両手を広げ、止めた。

「『勝って兜の緒を締めよ』との言葉もございます!若の気持ちもわかりますが、ここは兵を収め、長浜城へご帰還くだされ!」

 元親は馬上から豊後の顔をじっと見詰めた。

 そして、豊後に向かって微笑んだ。

「豊後、お主の申しておることはよくわかる。」

「はは。」豊後は、嫡男元親が興奮せずに、いたって冷静に話しているのを意外に感じた。それゆえ、豊後自身も自分の動揺していた心が静まっていくのを自覚した。

「だが、止めても無駄だ。豊後、試してみたいことがあるのだ。」元親はやさしく話しかけた。

「試してみたいことですか。」豊後は尋ねた。

「そうだ。この元親、思うところがある。それが正しいのか、誤っているのか。是非とも見定めてみたいのだ。」

 そう語る元親の目は輝いていた。

 豊後はその目を見詰め返した。

 元親は目を反らさなかった。

 豊後はその元親の目に魅せられた。

「若、わかり申した。」豊後は元親隊の道をあけた。

「うむ。」

 元親が再び自らが率いる譜代衆に命じた。

「行くぞ!」

「はは。」元親の譜代衆は今度は家老、豊後のお墨付きをもらっていたので、応じる声に迷いがなかった。


 元親隊が潮江城に向かって行った。

 家老、秦泉寺豊後はこれは明らかに深追いだと判断していた。

 このまま、元親を行かせるのか、それとも、元親を止めるのか、で言えば、止めるべきであった。

 しかし、これは元親の初陣、しかも、本山軍に対しての大勝利は動かない。敵は散々に逃げ去っている。

 この潮江城攻めの深追いは失敗するだろう。

 だが、「それも、経験ではなかろうか。」と豊後は思った。

 そして元親本人も「試してみたい」と言っている。

 豊後は、この日の元親の活躍ぶりから、この嫡男元親の可能性を大いに評価した。並の武将なら、この深追いを止めたであろうが、この嫡男元親はそんな小さな器ではない。そして、いくさの経験を積み、いろいろな場数を重ねることによって、その器は大きく成長していくはずである。


「『深追いは禁物』という教訓を、実際に深追いし、痛い目に合うことによって、知ることも、若ならそれをよい経験となさるだろう。」


 豊後は先ほど、元親の迷いなき目を見てそう確信したのである。

 ただし、元親に万が一のことがあっては決してならぬ。

「皆の者!この豊後、ここは若に従い、潮江城を攻める。無益と思う者もおろうが、まずは、なにより、我らが長宗我部家の嫡男、元親様をお守りすることが一大事!」

「いくぞ。」

「はは。」

 豊後は一隊を引き連れて、嫡男元親に続いた。

 一両具足の雑兵達も豊後の意図は読み取れた。

「俺たちもいくぞ!」

「おお!」

 一両具足も豊後に続いた。


 当然のことながら、元親も敵の潮江城に突撃するような無謀な攻め方をしようとしていたわけではない。敵城の動静を探りながら、兵を進めていたので、豊後隊やその他の雑兵達はすぐさま元親に追いついた。

 豊後は元親の後ろに従った。

 元親はじっと潮江城の様子を見詰めていた。


「?」豊後は潮江城の様子を見て、疑問に思った。「動きがないな。」


 元親本隊のみの、小勢が城に近づいただけなら、敵がそれに気づかないというのも充分考えられることだった。だが、今や、豊後隊と雑兵達の大勢が城下に押し寄せてきているというのに、敵の潮江城はそれに気づいた様子がなかった。

 反応がなかったのである。


「『罠』ということもある。」元親が豊後の考えを読んだのか、静かに言った。


 豊後はそう言う元親を見て、頷いた。そして、同時に元親を末恐ろしくも感じた。「これが本当に初陣なのか。」

 元親は、自分の隊の譜代衆と、雑兵達に合図を送り、ゆっくり攻め上がるように命じた。

「とくかく、警戒しながら、進むぞ。」

「はは。」豊後は答えた。

 長宗我部軍は徐々に潮江城に攻め上がっていったが、敵が迎撃してくる気配は一向になかった。

「若、わしらが行きますぜ。」威勢のいい一領具足の一隊が、業を煮やしたのか、我慢できず、一気に攻め上がりたいと申し出てきた。

「よし。いいだろう。ただし、敵に策があった場合は、むきになるでないぞ。すぐに引き返すのだ。よいな。」

「はは。」

「ようし、若の許しを得たぞ。行くぞ。」

「おお!」

 結局、それを聞いた他の一領具足の大半も一気に攻め上がっていった。

「わぁわぁ」と長宗我部軍は勢いよく駈け上がっていった。

「豊後。」元親が呼びかけた。

「は。」

「伏兵に気をつけよ。我らの隊は周囲に気を配るのだ。」

「仰せの通り。」豊後は、ただちに自分の隊の兵を散開し、敵の伏兵を察知できるように配置した。

 だが、それは元親の杞憂であることがすぐさま判明した。


 ドンドンと城門を押し壊す音が、何回か聞こえ、一領具足達の気勢を上げる声が聞こえた。

「若!若!おいでくだされ!」一領具足の雑兵達が城から元親を呼びかけた。

 その声には敵と戦っている気配はなかった。

 元親と豊後が潮江城に登ると、一領具足達が中にいるだけだった。


「ご覧くだされ!この城に敵はいませぬ。もぬけのからです。」

「ハハハハ」一領具足達は大笑いした。「から城だったんです。ハハハハ」

「この城は俺たちのもんだぞ。」

「潮江城を取ったぞ!」

「おお!」雑兵達は大いに喜んだ。

「若!やりましたな!」一領具足の頭領格の荒くれ達は元親をたたえた。

 元親はその言葉に静かに頷いて応えた。


「若!お待ちくだされ!」この時、秦泉寺豊後がただならぬと言った様子で元親の前にひざまづいた。

「若!畏れ入りましてございます。」

 周りの雑兵達も豊後に注目した。

「先ほど、若の潮江城に攻め入るとの仰せがなければ、我らはこの城をから城とも知らずに、折角の好機を逃しておりましたはず。」

 更に豊後は元親に迫り寄った。

「そこで、お聞きしたいのです。若は、何ゆえ、この城に敵がおらぬとお気づきあそばしたのですか。」

「そうだ。そうだ。」一領具足達も素直に同調した。「若、お教えくだされ!」

 元親は豊後と周りの一領具足達を見渡し、微笑んで言った。

「なに、初めから、から城だとわかっていたわけではない。」

「ほう」誰からとなく、声があがった。

 全員が元親の説明に集中していた。

「本山軍が我らに追われて逃げるとき、誰一人として、この潮江城に逃げ込む者がいなかったのだ。」

「へぇ、」雑兵達は声をあげた。逃げる敵への追撃戦だったとは言え、戦場の中で敵の動きを冷静に見ていたことに対しての感心であった。

 元親は続けた。

「そこで、これは潮江城に二心あり、と考えたのだ。潮江城が信用ならないために、逃げ込むことができなかった。さらに、それは本山軍の兵、全体に知れ渡っていることと見た。」

 雑兵達は元親の話にいちいち頷いた。

「ならば、こちらは攻める振りでもしてみようと考えた。もともと二心があるならば、こちらが攻めかかれば、すぐに降伏するのに決まっている。」

 豊後が質問した。

「若は、先ほど『試したいことがある』と仰せでありましたが。」

「うむ。それが、確かめたかったことだ。この元親の見立て通り、潮江城に二心があり、たやすくこちらに取り込むことができるのか、それともこちらの見立て違いなのか、もし、そうでないのなら、そうではないと確かめたかったのだ。」

 元親は笑顔で、潮江城を見渡して続けた。

「だが、敵に二心があって、こちらに寝返るどころか、我らが攻めかかると、この潮江城を捨てて逃げ去ってしまったようだ。結局、見立ては間違っていたのだな。まさか、労せずに城が得られるとは、はははは」と元親は大きく笑った。

 豊後は跪いていた姿勢を更に低くして、

「おそれいりましてございます。」と平伏した。

 雑兵達の頭領格が声をあげた。

「おうい、皆の衆!今度こそは勝ち鬨をあげるぞ!」

「おお!」兵達の皆が応えた。

「若、よろしいですな。」

「うむ。」元親は微笑んで答えた。

「若の、初陣の大勝利を祝って、勝ち鬨だ!」

「えい、えい、おお」

「えい、えい、おおう。」

 一体となった長宗我部軍の、高らかな勝ち鬨が、潮江の空に大きく、強く、こだました


 こうして、長宗我部元親の、四国統一への快進撃が、始まったのである。


 長宗我部元親、父親の長宗我部国親は「野の虎」と呼ばれ、恐れられた。

 嫡男の長宗我部元親は、虎のような「獣」ではない、「人」である。勇猛に戦うだけの「獣」ではなく、知性を兼ね備えた「人」、それもただの「人」ではない、出来る男、抜きんでた人物、「出来人(できびと)」。

 いつしか、元親は、人々から「土佐の出来人」と呼ばれるようになった。

※「姫若子」は「ひめわこ」のほか「ひめわかご」と読むこともあります。

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[良い点] 引き込まれて一気に拝読させていただきました。 面白い! こういう小説は大好きです。
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