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閑話  金剛石の乙女

 藤原家は長い間、金剛石の石人が生まれる家系であった。先祖が外国人だったらしいのだが、それを証明する資料は残されていない。少なくとも100年ほどは確実に日本にいた一族である。

 藤原家の血統がなぜ有名なのかというと、生まれる子供が必ず石人であるということ。

 美琴や他の石人のように、自分も会った事の無いような祖先が石人だったというわけでも、佳也子のように隔世遺伝でもない。綾の母も祖父も石人なのである。

 だからこそこの100年で藤原家は莫大な資産家にまでなったのだ。

 そしてもう一つ、藤原家は石人であることを隠してこなかった。かといって日本中の人間が知ってるわけではないが、各界の名だたる名士たちは周知の事実である。

 隠さないのは、護人が圧倒的に強いことにも関係している。護りきれるからだ。藤原家の資産力と護人の力があればどんな敵からも護れる。その自信からなのだろう。

 二十数年前、綾が生まれた時も沢山の政治家や資産家がお祝いに駆けつけた。

 まさに彼女は藤原家の跡取りとして、大切に大切に育てられたのである。


 彼女の少女時代はまさに活発。ともすれば我儘でもあった。小学校ではなく家庭教師によって教育をうけていたので、同じ世代の子供との接触は皆無。それがまた彼女の不満でもあった。他の子供と同じように公園で遊んでみたかった。

 そんな時、家に来たのが幸也だった。綾より5つ年上で、彼は綾が7歳の冬にやってきた。祖父に連れられ、綾を遠慮がちに見るその瞳には、恐怖と警戒が浮かんでいた。

「綾、今日からうちの子になる幸也だ」

「私の…お兄様?」

「そうだね。幸也の方が年上だからそうなるね」

「はじめまして、綾です」

「……」

 幸也はひどく困惑していた。自分が護人だとわかった時、幸也は自分を殴る父親に抵抗しようと思わず獣化した。彼の父親は重傷を負い、彼は養護施設に預けられた。獣化を制御できないでいた半年間の間に移動した施設は三軒。彼の心に暗い影を落した。

 綾は幸也となるべく話そうとしていたが、母親がそれをよしとしなかった。彼女は自分の父親が綾の護人の『予備』を用意したことにいたく嫌悪を示していた。

 綾は母の目を盗んでは幸也の部屋に行って話していた。綾は幸也が護人であることも、予備であることも知らなかった。



 幸也が来て半年、綾は8歳の夏に綾にとってチャンスが訪れた。祖父も母も外出していて警備が少なく、乳母が夏風邪を引いて休んだ日。綾はそっと屋敷を抜け出した。念願の外に出られたのだ。

 何度か車で通って見ていた公園に向かって走る。夏の日差しは強かったが、帽子もかぶらず汗をかいてもそのままに走る感覚は自由で楽しかった。

 公園につくとブランコで遊ぶ子、砂場で遊ぶ子、ベンチで本を読む子、様々な子供がいた。綾は好奇心のまま色々な遊具で遊びはじめた。見知らぬ子供でも『一緒に遊ぼう』と言うと一緒に遊んでくれる。楽しくて時間を忘れて遊んでいたらあっという間に夕方になってしまった。家を抜け出して一時間、そろそろ家の使用人たちが自分を見つけてしまうかもしれない。遊んでいた子供たちもいなくなった砂場で泣きそうになった綾に近づいてきたのは、本を読んでいた子供だった。

 同じくらいの年齢の男の子で、着ているシャツもみすぼらしく腕や足に傷や痣が多い。彼は綾の前にしゃがむと綾の小さな手を握った。


「一緒にいてあげるから泣かないで」

 

 それがユキ、こと立花幸隆との出会いだった。

 ユキの境遇は幸也と非常に似ていた。母親は毎日酔っ払い、男を連れ込む。男はユキを殴り、追い出すことが多かった。ユキは図書館で本を借りて日が暮れるまで公園で読むのが日課だった。

 ユキは綾が公園に入って来た時、これだと思った。彼女だけが特別に見えて、彼女から目が離せなかった。そして彼女から離れてはいけないと強く思った。

 綾はこの不思議な少年と離れがたく、迎えにきた警備の男たちに彼と一緒でなければ帰らないと大泣きした。それは誰もが見たこともないような号泣で、綾の背中を必死にさする彼に男たちは同行を許したのである。

 家に帰ってもまだユキの側を離れない綾、帰ろうともしないユキに祖父も母も驚いていた。もしかしたら綾の本能が彼を、彼の本能が綾を選んだのではないだろうか。彼が護人でなければ幸也と契約させればいい。そう2人の意見が一致し、ユキは藤原家に住むことになった。養子として引き取ることにユキ自身が頑なに反対したので、里子として引き取った。ユキの母は大喜びで大金を受け取り、姿を消したらしい。

 ユキにとって母の今後はさほど重要な情報ではなかった。

 ユキは賢く、教えたことは全て翌日には完璧にこなせるようになった。綾と一緒に家庭教師について学び、夜は綾が寝ついた後に書庫でさらに勉強をしていた。


 そして綾とユキが10歳、幸也が15歳の春。

 綾の石化が初めて現れた時、ユキもまた獣化した。その頃はまだ大型犬ほどの大きさだったが、立派な竜の姿に祖父は病床でとても喜んだという。

 同時にそれは幸也の存在を微妙にした。ユキが強い護人であることが証明されたことで、ユキより弱い幸也は契約されることはないだろう。このまま綾の力をおこぼれのように分けてもらって生きていくしかないのか。

 名前だって似ている、育った環境も似ているのに何故。


 ユキは綾の側を片時も離れなかった。中学生になって、綾が世間を知りたいと藤原家が経営する学校に入ってもユキは休み時間のたびに綾の姿を見に行っていた。

 そのころユキの身長は170センチを超えはじめ、大人の男に体格に近づいていった。眼鏡をかけ、勉強もできるが運動も得意という漫画の登場人物のような条件に、女子の多くがファンになった。

 綾は性格がキツイところもあったが、ユーモアがあり、卑屈なところもなく明るいため友達に事欠かなかった。しかし綾はモテなかった。正しくいうと告白をしてくるような相手がいなかったのである。

 送り迎えをされ、学校ではいつもユキと一緒にいる状態では告白のチャンスなど訪れようはずもない。 そもそも綾もユキも自分に人気があるのを別に嬉しいとも思ってはいなかった。

「…お嬢様」

「ユキ、どうしたの?」

「本日の会食は中止になったそうです。先方の都合らしいのですが」

「そう…。じゃあ二人でどこかで食べない?ね?」

 この頃にはユキがいれば安心だと、警備を断ることが増えた。警備の人間も自分達よりユキ一人のほうが十分に綾を護れることをわかっていたし、自分達が大勢貼りついているとかえって注目を集めてしまうからだ。

「…どこで食べますか?」

「あのね、ファミレス!ファミレスに行きたい!」

「……随分お気に召されたようですね」

 先日綾にねだられてファミレスに連れて行ったところ、ドリンクバーや店の雑多な雰囲気を綾が大層気に入った。ユキ自身もあまり行ったことはないのだが、綾が祖父に連れられて海外に行った時に数回利用した。その時は祖父の護人がいるからユキは不要と言われ、連れて行ってもらえなかったのだ。


「…ユキ、告白されてたんだって?」

「………いつの話ですか?」

「今日」

「………ああ、そんなこともありましたね」

 カレーを食べるユキに、ミートドリアを食べながら尋ねると、ユキは全くの無関心の表情で綾の手についたミートソースをおしぼりで拭った。

「返事はなんてしたの?」

「いつも通りです。『私にはお嬢様より大切なものなどありません』」

「…いつ聞いても恥ずかしい台詞ね」

「ご希望とあらばもっとお聞かせいたしましょうか?『私はお嬢様なしでは生きていけません』『お嬢様しか見えておりません』」

「あーいい、いい。そんな爬虫類みたいな目で言われても嬉しくない」

「……この目は生まれつきですが」

「…ユキがもし本当に好きな子ができたら、私より大切にしていいんだからね」

「くだらないことを言ってないで、ドリアが温かいうちに食べたらいかがですか?」

「くだらないことって…!」

「くだらない。私のことなんてくだらないです。ありえないことを心配するぐらいならそのドリアが冷めて食べられなくなること心配なさってください」

 ユキのこの言い方に慣れている綾にとって、先ほどの白々しい台詞よりよっぽど愛の告白に聞こえる。しかし綾は悔しいので黙ってドリアを食べた。

「はー…楽しかった…」

 綾が胃袋のあたりをさすりながら歩く後ろで、ユキが苦笑していた。まさかかき氷にあんなにはしゃぐとは。考えてみたらパティシェの作ったソルベは食べても、ああいうかき氷はあまり食べたことがなかったのかもしれない。綾は学校に通いはじめてから格段に楽しそうだった。

「…お嬢様、学校は楽しいですか?」

「うん。ユキのおかげよ。ユキが同い年だったから、お母様も入学を許してくれたし。ユキが強い護人だからこうして外も出歩けるようになったし」

「……そうですか」

「だから私もユキに何か返したい。ユキがしたいことは何でもさせてあげたいの」

「…それでさっき好きな子だのなんだの言ってたわけですか」

「なによ。間違ったことは言ってないでしょう」

「…私の願いなら一つです。契約していただき、一生お傍においてくださればそれで」

「それって…ユキに得はあるの?」

「ございます。お嬢様から力を吸収させていただいて生きておりますので」

「…酸素供給みたいな感じ?」

「そうですね」

「でも…一生結婚もしないで私の傍にいるわけ?」

「…ではお聞きしますが、結婚の定義とは?」

「一緒に暮らして、子供を育てて…とか」

「現在一緒に暮らしておりますし、もしお嬢様が出産されましたら、お世話するのは私でしょう?」

「…そうかも、しれないけど…」

「ではいいではありませんか」

 ユキはそう言って、また歩きはじめた。綾はそういう意味ではないと言い返したかったのだが、あえてやめておいた。自分もユキがいない生活は考えられないし、自分以外の誰かにユキが心を捧げるのも想像できなかった。

「ユキ……」

 少し前を歩くユキに声をかけようとした時、振り返ったユキが目を見開いた。


「お嬢様…!」


 後方から綾のいる場所に突っ込んでくるワゴン車に、周囲の人間が悲鳴を上げた。綾の前に素早く躍り出たユキが素手で止めて見せる。大きな音がしたがユキの身体がブレることなく、車の前部がひしゃげる形で止まっている。事故にあった時のようなクラクションと、白い煙が場を騒然とさせた。

「…ユキ…」

「ご無事ですか」

 車を止めたユキの左手は黒い鱗に覆われて、ツメが鋭く板金部分に食い込んでいる。運転手はどこかに逃げたようだ。ユキはそれを追うこともせず、綾を抱きしめる。正確に言えばその抱擁は愛情の現れというよりは、周囲の安全を確認するまでは自分の腕の中が一番安全だという本能なのだが、綾はそれが嬉しかった。自分はこれほどまでにユキを男性として見ていたのかと、再確認させられたのである。

「運転手を逃がしてしまいましたね…とりあえず事後処理をしなくてはなりません。家の者を呼びましょう」

「…うん」

 ユキは通行人が呼んだパトカーの警察官に質問攻めにあったが、すぐに来た藤原家の弁護士や警備の者に交代し、綾と屋敷へ戻った。

 綾は中学生にして恋心に気づいた。そしてそれをも凌駕する独占欲。そんな自分に、どうしたらいいかわからないでいた。

「…お嬢様?」

 ベッドに腰かけたまま俯く綾に、ユキは跪いて顔を覗き込んだ。

「いかがされました?」

「…ユキ…本当にずっと私と一緒でいいの?」

「はい」

「他に好きな子ができても離してあげないって言ったら?」

「そんなもの絶対にできません」

「私が大人になってすごく性格悪くなったり、すごいブスになっても?」

「それは見てみたいですね」

「みんなに嫌われるような大人になっても一生離れられないのよ?」

「それはこちらも同じことです」

 そう言ってユキは綾を抱きしめた。壊れないようにそっとそっと抱き寄せる。


「私の一生は貴女のものです」


 暖かい声音だった。胸の奥に沁みいるような優しい声。

 綾は頭の先から足の先まで満たされた幸福感で、苦しくなるほどだった。 

 嬉しい。愛おしい。

 その気持ちを伝えたくて、自分がブレスレットにしていたダイヤのヘッドを外して、ユキに差し出す。

 ユキがそれを恭しく受け取り、飲み込む。

 綾の部屋の高い天井に届かんばかりの、大きな黒い竜が現れた。そして大きな咆哮を上げる。竜の左目はダイヤのように複雑で繊細な輝きを放っていた。



「…ついにユキと契約をしたんだね、綾」

 咆哮に驚いて駆けつけた幸也が、笑みを浮かべて部屋に入ってきた。大学に入ったばかりの幸也は以前のもの静かさはなくなり、社交的な優しい男性へと変わっていた。

「お兄様」

「…おめでとう」

 幸也はそう優しげに言うと、綾にハグをしようと身を近づけた。途端にユキの大きい黒い手がそれを阻む。ギラギラと滾るような瞳が幸也を見下ろした。

『…申し訳ございませんが、今は私も気が立っております。今だけはお嬢様に触れないようお願いいたします』

「ああ…そうだね。悪かった」

 その時微笑んだ幸也の瞳の向こうに、あの時誰かが気づいていれば未来は違っていたのかもしれない。

 この藤原幸也という男の未来は。














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