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第二十一話  梅雨明け

「……ん…」

 美琴は目を覚ますと、自分の周りから聞こえる呼吸音にここが自分の部屋じゃないことに気づいた。途端に昨日の琉花の言葉が胸に甦る。きゅっと胸が締め付けられるような感覚が起こったが、三匹三様の寝姿に思わず笑みがこぼれた。いつだってこの三匹は、美琴を優しい気持ちにしてくれる。

 いつかこの恩が返せるほど強くなれればいいのに。

「…ありがとうございました」

 まだ寝てる三匹に深々とお辞儀をして、美琴は部屋へ帰っていった。


『…なんだったんすかね、結局』

『さあな。訓練が終わって別れるまでは普通だったと思うが』

『ま、同室の子になんか言われたか、されたかだろうね』

『それって…』

『…想像はつくが、気分のいいものではないな』

『美琴ちゃんが話さない以上、僕らがしゃしゃり出るわけにいかないのが歯がゆいね』


 美琴が部屋に戻ると琉花も雅も自分と目を合わそうとはしなかった。部屋全体にたちこめる空気が重苦しい。学校の準備をしながら自分の首にかけているネックレスを指で弄ることによって、なんとか気持ちを立て直そうと試みる。いっそ実家に戻ろうかとも考えたが、両親に危険が及ぶのが怖くてそれもできない。


『…堪えなさい。これはあなたの安全の代償。言われてもめげない強い心を持つの』


 自分が強くなるために家を出てきたのではなかったのか。居心地が悪いだけで逃げ出してどうする。

 そう自分に言い聞かせて、制服を着て食堂に向かった。

 食堂ではいつものように須見たち三人が美琴を手招きしていた。周りを見ると誰もがひそひそとこちらを見て囁きあっていた。なんとも言えない空気の悪さの中をなんとか須見たちの待つテーブルへと辿りついた。

「ね、美琴ちゃんは水着持ってる?」

 突然中島から振られた言葉に、それまでの暗い気持ちがパッと薄らぐ。美琴が目を瞬かせると、中島が持っていた週刊誌のグラビアのページを見せた。

「もうすぐ夏休みだしさ。こんな水着、買いに行かない?」

「…そ、そういう水着は…ちょっと。スクール水着なら持ってますけど…」

「そもそも杜田は着ねぇだろ…そんな三角ビキニ」

 グラビアの中の女の子はやけに面積の小さい水着を着ている。美琴は須見に同意するかのように何度も頷いた。味噌汁をすする尾関は沈黙を貫いている。

「修吾もなんか言ってよ。年頃の可愛い娘さんがスクール水着しか持ってないなんて由々しき事態でしょ!」

 美琴は中島をたしなめてくれる尾関を期待したが、尾関は味噌汁のお椀を置くと美琴の方を向いた。

「わかった。放課後に買いに行こう」

「イエーイ!さっすが修吾!」

「尾関先輩!私、ビ、ビキニなんて…!」

「ただし、水着は美琴の好みでな」

 尾関の言葉に中島は肩を落としたが、須見は美琴の頭を撫でて、よかったなと微笑んだ。相変わらず色んな方向からの視線が痛いが、それらからも護ってくれているようで頼もしい。

 それを伝えたいけれど、きっと小さな声になってしまうから。

 いつかにそれはとっておこうと美琴は胸に誓った。




 美琴は学校で久しぶりに腹痛に見舞われた。石化コントロールの訓練を受け始めてから少なくなったと思っていたのに。誰かに連絡しようと携帯を持ったところで意識が朦朧としてくる。

 下腹部の一部が熱くなるような感覚がどんどん強くなり、立っていられなくなった。

「大丈夫?杜田さん」

 保健医の藤原が心配そうに声をかけた。美琴が大丈夫ですと答えても藤原は信じてはくれず、座り込む美琴を抱き上げた。

 うすぼんやりした意識の中で、綾が以前に教えてくれたことを思い出した。

『少しの体調不良なら保健室に行って休みなさい。病院と違って検査されるわけではないから』

 大丈夫、少し休むだけだ。もう一人の自分がそう囁く。その声を認めたら急に気持ちが楽になって、美琴は意識を手放した。

 

 カーテンに包まれたベッドの中で、美琴がスヤスヤと眠っていた。藤原はそんな美琴を見つめ起こさないようにそっと額にかかる前髪を左右に分けた。白いおでこが見えて、そのおでこに手を伸ばしかけた時、後ろから腕をつかまれる。

「…何してんだ、先生」

 須見がギラギラとした目つきで藤原を睨んでいる。藤原は驚いてその腕を払いのけた。須見の迫力に圧倒されたかのように、少し上ずった声を出す。

「お…驚いた、須見くんか」

「杜田に何をしようとした?」

「別に…熱がないかだけ確認しようと思って」

「……それだけか?」

「当たり前じゃないか。それより君はどうしたんだ?授業は?」

「……暑さで気持ち悪くなったんで休ませてもらいに」

「ああそうか。じゃあ向かい側のベッドにどうぞ」

 須見は藤原を睨んだままベッドに移動した。藤原は何事もなかったかのように保健室から出て行った。

気のせいかと思いつつも、須見はすぐに美琴のベッドへと歩み寄り、気持ち良さそうな寝顔に胸を撫で下ろす。

 移動教室から戻って次の時間になっても美琴が教室に戻らないので、須見はかなり焦った。目を離さないようにしていたのに。

 すぐに気分が悪いと言って教室を出て、美琴の匂いを辿った。途中から匂いが薄くなって、藤原の匂いと混じったのを確認すると、須見は一目散に保健室へと向かったのだ。

「須見くん」

 保健室に入ってきたのは藤原ではなく中島だった。長袖のワイシャツの袖をまくっている部分から銀色の光が見えた。おそらく鱗だろう。

「…ああ、あんたも来たのか。尾関先輩は?」

「たぶんもうすぐ来ると思うけど…美琴ちゃん、どう?」

「よく眠ってる」

「…たまにお腹痛くなるみたいなんだよね…寝ると治るみたいだけど。今度綾さんに聞いてみよう」

 心配そうな声で言いながら、中島は鱗がうっすら見える右腕を摩った。須見も先ほど危うく獣化しかけた。美琴の体調不良に関係しているのか、それとも…。

 中島のスマートフォンが揺れ、出てみると尾関からだった。中島が少し笑いながら通話を切る。

「…なんだって?」

「獣化してワイシャツ破ったから、何か持ってこいって」

「ズボンは」

「獣化しはじめたからすぐに脱いだんじゃない?」

「…でかい獣に変化するのも考えものだな」

 窓から入る空気はもうすっかり夏で、気温も35度を超えようとしている。もうすぐ夏休みだ。須見は美琴の頬を撫でて口元を緩めた。

 真面目な美琴のことだ。夏休みの間も訓練に勤しむだろう。出来ることならば何か夏らしい思い出を作ってやりたい。それが須見の希望だった。











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