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第十話  距離感

 護らせてほしいと須見は言ったが、具体的に何からというのはない。強いていうならば「秘密を護る」という部分が大きいのではないだろうか。

 美琴の秘密が誰かに知られた場合はその誰かから護る、ということになるが。

「杜田さん、ちょっといい?」

 クラスの男子が美琴に声をかけようとすると、須見がその少し後ろにいる。男に免疫のない美琴が動揺して石化しないようにという配慮。須見にできるのはせいぜいこのぐらいだ。

 どちらかと言えば須見のほうが獣化しそうになることが多く、その度に美琴に自分を隠してもらったり、服を拾ってもらったりしている。

「情けねぇ…」

 須見は窓際で独り呟いて制服のネクタイを緩めた。須見の隣に立った女子がお菓子を須見の口元に差し出す。須見にとってはクラスで仲がいい方の女子・立花だ。

「…くれんのか?」

「うん。須見っち元気ないね。どしたの?」

「いやー…まあ…修行が足らねぇなと思ってさ」

「修行?空手部のこと?」

「…そんなとこ」

 立花は可愛いと思う。流行りの女子、という形容詞がよく合う。それに加えて明るいし、とっつきやすいし、気取らない。須見の好みの『大柄な美人』からはかけ離れているが、須見には好印象だった。

「須見っち今度の日曜日ヒマ?」

「日曜?」

「部活午前中までなんでしょ?みんなでカラオケでも行こうよ」

 日曜は美琴が出かけるというので付き合う約束をしていた。立花よりも美琴の方が先に約束している。

厳密に言うと一緒に出掛けることに美琴は恐縮していた。悪いからついてこなくていいと何度も言っていた。しかしそれを須見が押し通したのだ。

 自分が一緒にいなかった時間に事故にでもあったらと思うと、気が気じゃない。黒犬としての自分は役には立たないが、人間である時の須見知正は空手有段者だし、美琴を護ることに申し分ないはずだ。だから一緒に行かせてくれと。

 ショコラである自分が非力で何の役にも立ててないようで嫌だったのだ。

「…悪い、先約があんだ」

「…そっか。わかった」

 立花は変に粘らない。そこがさっぱりしてて須見は気に入っていた。

 立ち去ろうと立花が席を立った時、立花の視線が美琴に向いている。やけにじっと見るので須見もつられて美琴を見てしまう。世界史のノートと格闘している美琴はその視線には気づいていないようだった。

 少しの違和感に胸騒ぎを覚えて、須見が立花に声をかけた。

「…立花?どうした?」

「……世界史のノートって今日提出だっけ?」

「いや…杜田、そうだっけか?」

「う、ううん、来週提出。私書くの遅いから今から始めないと…」

「そうなんだ。杜田さんてエライねー」

 そう言って立花は自分の席に帰って行く。先ほどの違和感は気のせいだったのだろうか。いつもの立花にしか見えない。視線を立花から美琴に向けると、必死な顔でノートを進める美琴に頬が緩んだ。


 4時間目は体育。基本的に男女は別だ。男子が野球のように校庭の大半を占める時は女子は体育館になることが多い。安全のために上下ジャージで防備しろと言ってはあるが、美琴の転び易さは生半可なものではない。

 これは須見も美琴も知らぬことなのだが、石人というのは石化が制御できない思春期にはよく体内が石化していることがある。先日の腹痛はその産物なのだが、症状が出づらいことがほとんどだ。

 身体の内部が本人のあずかり知らない時に石化した場合、身体のバランスがとりづらくなる。わかりやすく言えば、走ってる最中に突然右太ももの筋肉内部が石化すると、急に右足が重くなり転んでしまう。

 制御できるようになればこういったことも減るのかもしれないが。

 須見は美琴の匂いを辿って誰もいない部室棟の方へと向かった。


「…杜田」

「須見くん…」

「また怪我したのか」

 見ると手首のあたりから血が出ていた。どうやら石化していないらしく、ただうっすらと血が滲んでるだけだが美琴の顔色は悪い。

「ほら、とりあえず傷を洗うぞ」

「…うん」

 須見が優しく水で洗ってやると、美琴は目に涙を浮かべていた。痛さからではない。怪我をするたびに誰かに知られるかもしれないとドキドキするからだ。

「泣いたら涙も石になんだろ」

「…なるかも」

 美琴は慌てて目元を拭って上を向いた。必死で心を落ち着けようとしている。

「…大丈夫だ。落ち着け。俺が隠しててやるから」

 須見は美琴の頭を大きな手で自分の胸元に押しやった。美琴の身体が一瞬強張ったが、すぐに力がぬけたようだ。この後に何を言うかは解っている。

「…ショコラの匂い…」

 美琴はいつもの自分には信じられないほど、須見相手に安らいでいた。

 少なくともこの匂いに包まれている時だけは安心できる。そう覚えたからだ。須見もそう思うようにすると、心が安らいで獣化が早く解けるような気がする。

 これが石人と護人のあるべき姿なのだ。

「…さ、傷洗ったら教室帰るぞ。昼休みに入ったらこの辺にも生徒が歩き始めるからな」

「…うん」

 この時の二人は気づかなかった。抱き合う二人を見つめる視線があったことを。








「…はい、そうです…多分間違いないようです」


 茜色に染まる校舎裏でその人物は携帯端末で話しながらニッと笑った。


「杜田美琴、おそらく…石人ですね」




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