第一部第一話
第一部
初めて会った時、こんなにも綺麗な人は見たことがない、って思った。
女性であったなら、きっと、その身分の高さと美しさで求婚者が後を絶たなかっただろう。
かくゆう私も陰の求婚者だった。
普通の人の寿命が千年に対し、高貴なあの人はその二倍の時を生きることができる。私のように。
あの人に初めて会った時からもう百年。
いつか、あの人の傍にいられる時が来るって――思ってた。
それなのに。
それなのに、私はあなたの傍いることが永遠に叶わない夢であると、思い知らされることになるとは、露ほども思わなかった。
想いはどんどん強くなる。その度に、どんどん遠ざかっていく。
私の望みはただ傍にいたいだけなのに……。
私がなぜ苦しまなくてはならないの?あの人の傍にいるべきは私なのに。
私は今日もあの人を見る。気付かれることを願いながら、気付かれないことを願って。
私は今日も夢を見る。
叶う夢を、叶わない夢を。
幸福に微笑みが零れる時を願って。
第1話『事の始まり』
幼い頃、ふと、今の自分は何なのかと考えた。幼く、人生というものに、何の見通しも無い無邪気な頃のことだ。
特異な力を生まれ持ち、常に他者を冷めた目で見つめる少女の姿は、どこか不気味で、誰もが腫物に触るような態度で接した。
その頃のことを思い出そうとしても、あまり思い出せない。ひどく重く、身じろぎさえままならない窮屈さと、おぼろげな、靄にかかったかすかな記憶しかない。
ただひとつ鮮明に憶えているのは、ある人との出会いだった。
見た目は、所々白髪が交ざっていたが、若々しく、力に溢れていた。
後の人生ががらりと変わるきっかけとなったその人は、常に、ある気配を連れて少女のもとを訪れた。
その気配の正体を知ったのは、その時からずいぶんと過ぎた日の午後のことだった。
少女は生まれてすぐ、神殿に連れてこられ、その日その時から、自由も意志も奪われた状態で暮らしていた。
半ば幽閉されていたのである。
そうして暮らすことに、少女は何も感じなかった。悲しみも、寂しさも。
その特異な力のために、少女は人に、優しさも愛情も、何も与えられなかったからだ。
ただ、一人、あの人を残して。
なぜ、この人はこんな顔をするのだろう。なぜ、この人は私に話し掛けるのだろう。
幼かった少女には、その人が与えた笑みの意味も、他愛もない話を楽しそうに話す様子も理解できなかった。
少女がその意味を、本当の意味で理解できるようになるには、とても長い年月を要した。
ある日の午後、その人は、初めて他の人を連れてきた。
艶やかな長い黒髪、伸びやかな四肢、欠点を見いだせない顔の造作。
青年期に入りかかった少年は、あの人の息子だという。
少女は何も言葉にできず、半ば茫然と少年を見つめた。
ふいに、少年が差しだした手に無意識に触れるまでは。
指先から伝わる痺れるような感覚と熱い何か。熱いのは自分の手なのか、それとも。と、少女は初めての感覚に戸惑いながらも懸命に考えた。頭がぼーっとし、思考を濃い霞が覆っていくような怠さを感じた。
どれほどの時が過ぎたかわからなくなり、少女の体は少しずつ傾いだ。
少年もまた、その熱さを感じていた。触れる肌と肌から伝わってくるものは、少女の感情なのか。少しずつ腕のなかに埋もれてくる少女をしっかり抱き留め、そっと、近くにあった大きなクッションの上に横たえた。つないだ手を離さずに。
あの人は、その様子を予想してでもいたようで、近くでじっと二人を見つめた。
霞む意識のなか、少女は確かにあの人の声を聞いた。
「そう遠くない未来、お前達は運命ゆえに、世界のなか、互いのことしか信じられない状況に陥るだろう。その時、どの道を選びとるかは、お前達の決断を信じよう。」
言っていることは、冷たく思えたが、声はとても優しかった。
でも、まさかこの言葉が本当になるとは思いもよらなかった。
裏切り、策略、陰謀。あらゆる人の集まる宮殿の中、権謀術数に長けた老齢な者達を統べるのは容易ではない。
現在、四人の王と、それを統べる皇帝は、三対二に水面下で争っていた。四人の王のうち北を治める瑛渓と、西を治める蒼志が皇帝側についた。残虐な行いを好む、苛烈な皇帝に対し、南を治める彩佳、東を治める榮は、あまり良い感情は抱いていなかった。
斯くして、一見勝敗はついているように見えるが、実際のところ、まだ誰もわからなかった。
先代の皇帝、上皇の意見がはっきりしないからであった。
しかし、上皇の側近たちには、皇帝の座を任せるに値する男とは思えぬ、と洩らしていた。
皇帝も上皇の意志を知っていたのだろう。二人の仲は険悪になり、老後を過ごしている父に自分から会いに行くことはなかった。
二人が険悪であることは、皇帝にとって、あまり重要な点ではなかったが、自分の兄弟達を従わせることは重要だと考え、三人の内二人は臣下に下った。しかし、末の弟・香蘭のみが、皇帝の命を退け、掟に従い、父である上皇と伴に、成人するまで神殿で暮らすことになった。
皇帝が、それを面白く思わないのは、当然のことだったが、臣下の進言を聞き、一先ず香蘭が成人するのを待つことになった。
香蘭十七歳、皇帝・玲苑三百三十六歳の時のことだった。
この時から約百年後、成人して何年も経つのに臣下に下らない弟にとうとう痺れを切らし、二人の間で争いが起こった。
後に、この争いのことを『五貴族の戦い』とも、『民の救済のための戦い』とも呼ばれた。
どちらにせよ、この時にはもう全てが始まっていた。
あらゆる人の思惑を乗せて。