08頁 「罰ゲームの時せまる……」
「もっとじっくりお話したいけど、今はあの気持ち悪い化け物がいるからね。次のお楽しみにとっておくよ」
それまで凍ったようにじっとしていたデスイーターの球体が、ぶるぶると細かく震え始めていた。時間経過で封印がとけかかっているらしい。それを涼しい顔で流し見しながら、リフレェンは「これかな?」と扉の一つを開ける。
扉の向こうの闇から、大小様々な大量の刃物が飛び出した。刃物の嵐に全身を串刺しにされたリフレェンが、背中から絨毯の上に倒れる。
「うわあっ……!? し、死んだっ……!?」
壁を殴る腕を止めて両手で頭を抱え、敗者の悲惨な末路に青ざめていたルビィアースだったが、倒れたままのリフレェンが瞬時に蒸発し、身体に突き立っていた複数の刃物が床に倒れ、その横に無傷のリフレェンが新たに現れる。
「ちぇっ。ハズレかぁ。あーあ。みんなにかっこ悪いとこ、見せちゃった」
「……あなた、一体……何者? わたしが放り投げたときも、そうやって消えたり、また現れたり……」
「ただの吸血鬼だよ。吸血鬼は身体を霧に変えられるし、そもそも並たいていのことでは死なないんだ。ほとんど、不死身だからね。お姉ちゃんだって、人間じゃないでしょ? 僕たち、似たもの同士だね」
引きつった笑みを浮かべるルビィアースに向けてリフレェンはにっこり笑って白く輝く長い犬歯を見せ、手当たり次第に扉を開いていく。
ハズレを引き、そのたびに扉の向こうから飛んでくる刃物に全身を蹂躙されるが、立て続けの不運も何のその、まったく応えていない。死なない身体の吸血鬼には致命的なトラップも意味を為さないのである。六回目に扉を開いたとき、そこは外の廊下へと続いていた。
自らの醜態をちゃかすように肩をすくめ、向かい側のルビィアースにウィンクを送り、リフレェンは部屋から脱出して送還された。
「ルビィアース。困っている様子ですね?」
「ああっ、月詠様……! まずいんですよ! わたしのドラゴンの力でも壁を破れないし、みんなどんどんクリアしていくし、後ろの人喰いデスイーターは今にも目覚めそうだし!」
「頑張りなさい。天上の神は自ら努力する者にこそ救いをもたらしますよ」
自分も神でありながら、月詠は目を閉じ片手の人差し指を立てて、そんな訓辞のようなアドバイスをするだけだ。
宙に浮かんでいた月詠はすべるように壁際へと移動し、右手で壁へ触れる。長方形の何かが書かれた紙が月詠の目の前にいくつも浮かび上がり、それが彼女が面する壁へと隙間無く張り付いた。
「月詠様、その紙って、何なんです?」
「神代の護符ですよ。私の意思をこの世界に実現させる、特殊装置です」
張り付いた護符が消失し、代わりに人間一人がくぐれるだけの大きさをした、朱色の縁の奇妙な門が壁に出来た。
「ええっ……!? これは、壁抜けの魔法か何かですか!?」
「違いますよ。部分的に世界の構成を書き換えて、壁に小さな鳥居を創ってみました」
神の月詠は「死なないように、命の限り頑張って下さいね」とルビィアースに微笑みかけ、鳥居をくぐって壁を抜け、部屋を脱出したことで送還された。
はるか古代に、この世界を創った神々の一人だけのことはある。月詠にかかれば空間を好きなように改変するのも思いのままらしい。
「巫女装束のあのお方には、同郷の薫りを感じておりましたが、わたくしたち現世の者とは根本的な造りが異なるようですわね」
かりそめの鳥居が消去され、外へ続く穴がふさがって壁が修復されるのをながめながら、鬼百合がため息まじりにつぶやく。これまでルビィアースと同じように両手で壁を押し、突破を試みていた鬼百合だが、力技では無理だと諦めたらしい。
「ああ、気張ったせいで暑い暑い。少々、お部屋を涼しくいたしましょうか」
かたわらに立て掛けていた唐傘を手に取り、それを開く。傘の内側から半透明の人間が何人も飛び出してきたせいでルビィアースは目を丸くする。
「お、鬼百合さん……? それ、何なんです……?」
「これは鬼族に伝わる鬼蓄という武器。武器であり、同時に収納道具なのですわ。この中で、たくさんの妖怪を飼っておりますの」
鬼蓄という名の紅い傘から解放された男女の亡霊たちが、それぞれ扉の前へと飛んでいく。部屋中に亡霊が飛び交うせいで霊気と冷気が満ち、気味が悪いほどに部屋の温度が下がる。
亡霊たちが扉を開け、その大半はハズレを引くが、実体を持たない亡霊相手では大量の刃物も素通りするだけである。
正解の扉を開けた亡霊へと歩み寄り、傘の中に亡霊たちを戻しながら、「ごきげんよう」と残存者に向けて薄く笑い、鬼百合も脱出を果たす。廊下の真ん中で傘を閉じた瞬間、彼女も元の場所へと転送された。
「…………」
それまで部屋の中央に立ち、あごに片手を添えたまま黙考していたチェスフォッグが、無言で壁際へと進み、一つの扉を選ぶ。何の能力も使っていない彼がなぜその扉を選んだのか、ルビィアースは気になってしまう。
「どうしてその扉を……? 何であなたに分かるの? チェスフォッグ」
「これまでに出て行った者たちが引いた、当たりの扉とハズレの扉の位置をずっと見ていた。バラバラに見えて、実は当たりの扉の位置には法則がある。これは当たりの扉のはずだ」
「でもっ、絶対に確実ってわけじゃないんでしょ? もしも考えが外れて、ハズレを引いちゃったら……」
「死ぬだけだな。それは読みを外した俺の責任だ。仮に死んでも、俺はそれで構わない」
他人事のような声だった。自分の命に固執していない、一度死んだ亡者のような声色。チェスフォッグは無表情で扉を引き、その先の明るい廊下へと歩み出す。彼は自慢することも、振り返ることもしなかった。
いよいよ部屋に残されたのはルビィアースとホワイトアリスだけである。大威力の自然魔法が扱えるフレア、魔法で護られた壁さえも貫く剣技をもつヴァルキリー、そして圧倒的不利の低確率をものともしない超強運のロトリィから順々に脱出にしていることから、直接的な力がある者、特異な能力をもつ者が優先されていることが分かる。肉体の力と体力ならば竜人のルビィアースが集団でトップに立つだろうが、ただそれだけではこの部屋から抜け出せない。
「だめだぁーー……、わたしの力じゃ、歯が立たない」
部屋の端で一人、円錐状をしたパステルカラーの物体をいくつも浮かべ、ドリルのように回転させて壁にぶつけていたホワイトアリスだったが、気力が尽きたのか床に座り込んで両足を前に伸ばす。
「ブラック。ホワイトじゃ無理だから、タッチ」
「ええ、よく頑張ったわね、ホワイト」
左腕の中の、黒いロリータドレスをまとう生き人形がしゃべったかと思いきや、ホワイトアリスの全身が黒い霧に包まれる。
黒い霧の中から現れたのは、黒髪の少女だった。可愛らしい金髪のコロネは消え失せて、リボン状のヘッドドレスで飾った直毛の長髪となり、髪のみならず緑色の瞳まで赤紫に変色している。ドレスの意匠もがらりと変わり、黒地のワンピースをベースに、白のレースとフリルをアクセントとしたゴシック的なデザインである。両脚をおおうニーソックスも、靴も真っ黒だった。
「さてと、ぐずぐずしていられないわ」
デスイーターの球体が崩れ始め、その内側から無数の触手が飛び出し、悪夢のようにおぞましくうねっている。それを遠目で冷たく見据え、白いドレスをまとった人形を胸に抱き、黒い少女は壁へと向き直る。
「あなた、誰……? ホワイトアリスは、どこいっちゃったの……?」
「私はブラックアリス。ホワイトと交代して、壊し専門の私が出てきたってわけ」
ブラックアリスの足元に、影よりも夜よりも濃い真性の闇が浮かび上がる。それがまるで津波のようにブラックアリスの前へと盛り上がり、液状の闇が壁へとなだれ込む。ただそれだけで、あれだけ頑強だった壁をたやすく侵蝕し、溶かして飲み込んでしまった。超高熱の溶岩のような破壊力である。
可愛らしいホワイトアリスと違い、ブラックアリスは愛想も何も無く、溶かした壁の穴からさっさと外へ歩み出し、脱出を果たして送還された。
「とうとうルビィさまだけになっちゃいましたよ! どうするんです!?」
「うーむ……。こうなったら、嫌だけど……奥の手を使うしか……」
両腕を組み、この危機的状況と切り札のデメリットを頭の中で天秤にかけていたルビィアースだったが、足首に何かが絡みつく感触で思考の世界から現実へと引き戻された。
「ぎゃあああーっ!? もう……動き出してるーっ!?」
球体が横に割れ、人の二、三人は入り込めそうな大口を開くデスイーターが、紫色の触手をルビィアースに伸ばしてくる。紫色の球に横に裂けた口だけという醜悪な姿は、見るだけで鳥肌がたつような化け物そのものだ。
二の腕やもも、腹や胸に次々と触手が巻き付き、ぎりぎりと締め上げ、よだれがしたたる凶悪な口元へ引き寄せようとしてくる。相手は食欲に支配され、言葉が通じるような相手ではない。
くすぐったく、気味の悪い触手の冷たい感触に顔をしかめていたルビィアースだったが、偶然首に巻き付いた触手に呼吸を封じられたことで、急に苦しい立場におちいった。しかも、身動きを封じたルビィアースに向かって、デスイーター本体が複数の触手を脚のように使い、まるで巨大な蜘蛛のずりずりと近寄ってくる。