終頁 「竜少女ルビィアースの冒険!!」
天ちゃんは素直で真面目な良い子だ。ルビィアースは天ちゃんが好きで気に入っているが、天使祝司の管理人格という作り物である以上、徹底して無私の彼女がどうにもいたましく思えた。
世の中が便利になればなるほど人間はダメになるという。自分の力で為さなければならなかった事を誰かや何かが肩代わりしてくれる分、体力は衰え、知力はにぶり、精神は堕落する。天使祝司の力で魔王となり、世界を生け贄にしようとしたエルドラド王という前例を見ている以上、天使祝司に頼っていてはルビィアースも歯車が狂うという直感が、いつの間にか胸に芽生えていた。そしておそらく、その直感は間違ってはいないだろう。
「地図を使って世界を飛び回るのもいいんだけどさ、それじゃあっという間に世界を見終わっちゃうよね……」
「しかし、その方法が最も合理的だと思われます」
「うーーん……。どう言ったらいいのかな……。ただ早く結果にたどりつけば良いってものでもなくて、結果にいたるまでの過程をじっくり楽しみたいんだよぉ」
天ちゃんが勧める最短の方法で世界中を見て回れば、おそらくたった半年ほどでめぼしい場所は制覇してしまうだろう。世界を見物するという旅の目標を達成した後は、何をすればいいというのだろう。目的を失った虚無感を少し想像するだけで胸が冷たくなるような不安を覚える。
「天ちゃんもさ、見たことのない国とか山とか海とか、そういう景色を見てわくわくしてこない? 普通に旅を続ければ、ここまで苦労して歩いてきて良かったー、ってきっと思える時が来るよ。今までずっと王様に使われるだけだったんでしょ?」
「私は天使祝司を管理し、主の要求に応えるだけの人工存在です。何かを楽しむようにはできていません」
「じゃあわたしが天ちゃんを、楽しめるような身体にしてあげる! 天使祝司に願えば叶うよね?」
「可能ですが……天使祝司の構造の改変は危険です。最も重要な、願いを叶える機能が壊れてしまいます」
「ううっ……!」
美味しい食べ物。素敵な服に、まだ見ぬ猫人グッズ。美容アイテムに、一生生活に困らないだけの金銀財宝。ぱっと思いつくだけでも、欲しいものはたくさんある。しかし、今こうしてルビィアースの胸に満ちる、苦もなく何でも手に入ることの空しさは天使祝司を手に入れる前から予想していたものだ。
ならば、いつか絶対にどうにかしなければならない問題である。今この場で解決するか、それとも後に先送りするか。
虹色の光彩を放つ乳白色の天使祝司を手に取り、じっと見つめ、ルビィアースはふうと小さなため息をつく。
掛け値なしに美しい。この世ならざる、まさに天上の輝きである。そして、万能という特性はルビィアースの想像の限界を超えた、値段を付けられない価値がある。しかし、あまりに大きな力というものは往々にして人を狂わせるものだ。残念、残念だなあという思いを抱き、目を閉じ、天使祝司を握りしめて苦笑する。
「ルビィさま、どうしたんです?」
「天ちゃんの心をもっと人間らしくしてあげようと思ってさ。まあ、代わりに天使祝司の力は失われるみたいだけど」
小屋の扉を押して飛んできたフレイムは、その言葉に悲鳴のごとき驚き声を上げてルビィアースの右肩に留まった。
「何をバカなことを考えてるんです!? あんなに苦労して手に入れた、何でも叶う天使祝司をどぶに捨てるつもりですか!?」
「だって、天使祝司に頼ってたらわたしもいつか王様みたいになっちゃう。天使祝司を手に入れてよく分かったよ。願い事は、自分の力で苦労して叶えてこそありがたみもあるんだって」
「ルビィアース、本当に決心に変わりはありませんか? いちど私の機能を組み替えてしまえば、もう二度と元に戻せませんよ」
「うん。腹が固まった今この時にやらなきゃ、これから先、ずっと天使祝司の魅力に振り回されちゃうもん。天ちゃんが悪いんじゃないよ、悪いのは欲望に弱いわたしの心」
ただ主の命令に従うだけの道具であるから、これから己の精神を改造しようとする天ちゃんに恐怖の色は見られない。いつも通りの無感情さで、その灰色の目でじっとルビィアースの決断を待っている。
「天ちゃんに、温かい心を」
最後に大きくため息をついて覚悟を極めると、ルビィアースはチェーンを首から外し、右手に天使祝司をもって空高くかかげる。
天ちゃんがまばゆい光の柱に包まれ、柱はどんどん太くなり、轟音を上げながら天まで光が届いていく。ルビィアースは左腕で顔を覆い、強すぎる純白の光から目を守る以外にない。
万能の天使祝司に内包された膨大な力が宝玉から解放され、天上へと還っていく。そんな光景だった。
ある街の一角に在る、うち捨てられた廃屋に両ひざを突き、その家を自身の信徒を招くための社に改装すべく熱心にぞうきんがけをしていた月詠が、どこか遠くで上がる光の柱に気がついた。天の白雲を貫く光の柱を、ぼろぼろの窓の内側からのぞき、その荘厳なながめにぽかんと口を開く。
人家の屋根に腰掛け、甘いお菓子をほおばっていたホワイトアリスは、遠くから響く不可思議な音と、その発生源の巨大な光の柱を見つめ、驚きのあまりに手からぽろりと菓子を落とす。ホワイトの懐に大事に抱えられたブラックアリスの人形も、その聖光には言葉を失うほどだった。
何人もの裸の美女がキングサイズのベッドですやすやと寝息を立てる、高級ホテルの一室。絨毯敷きの床に置かれた黒い棺の蓋が中から押し開けられ、少年姿のリフレェンが寝ぼけまなこをこすりつつ、窓の外へと顔を向ける。ガラス窓の向こう側では神々しい光の柱が空へと昇っている最中だった。
金貨が詰まった袋と飲みかけの酒のボトル、それに脱ぎ散らかした服やばらけたトランプカード、その他もろもろで汚れた宿屋の一室で、ベッドに全裸姿でいびきをかいていたロトリィのうさぎ耳がぴくんと反応する。裸のままベッドから降り、ふらふらと窓際へと歩み寄り、天まで続く巨大な光の柱をぼけっと見上げた。
国から離れた森の中でワルキューレの剣を握り、素振りの鍛錬を積んでいたヴァルキリーは、神の加護を受けた身としてはなじみ深い聖光の気配にかなたの空を見上げる。白く輝く光の柱を見つめ、先日の争奪戦でかたわらに立たせた守護天使と同じモノを感じ、「天使祝司、か……!?」とつぶやいた。
ギャンブル用のチップと高価な宝石、カードが積まれた円卓を囲み、切れ者、悪者、荒くれ者とともに非合法の賭博を続けていたチェスフォッグは、尋常でない異変で他のメンバーがあ然として席を立つ中、独り椅子に座ったまま窓の外の光の柱を眺めていた。「天使祝司であんな馬鹿な真似をするのは、あいつだけだな」と小さくつぶやき、薄笑いを浮かべ、新しい煙草に火をつける。
冷たい潮風が吹きすさぶ、寂しい海岸線。そこへ健気に咲く小さなリンドウの花を見つけ、紅い鬼蓄を差したままひざを折り、いじらしい青い花を指先で愛でていた鬼百合は、ずっと向こうの空に立つ光の柱に気がついた。立ち上がり、海の風になびく黒髪をこめかみに左手を添えて押さえつつ、美しい柱に見入った。
千年王国。遠くに立ち上る超常の光の柱にざわつく国中と、城の兵や役人、使用人や料理人たち。誰もがぼう然とし、あるいはあわてふためく者たちの中で、国王であるエルドラドのみが城のテラスに悠然と構えていた。後ろ手に両手を組み、かつて所有していた万能の天使祝司の破壊と再生の一部始終を、その目で見届けた。
視察を終えた千年王国から次の国へと移動する途中、フレアとその使用人たちを乗せた豪奢な馬車は、空の異変に動きを止めた。フレアが降車し、後ろに使用人たちが続く。強風が吹く平原に立つフレアは背後に執事とメイドを控えさせたまま、そう遠くない場所から立つ光の柱を使用人たちとそろって見上げた。地上から天空へと還っていく力の奔流を見取り、発生源の天使祝司に何が起きているのかを察したフレアは「君にはかなわないな、ルビィアース」と微笑み、ふわふわで金色の髪を力の余波の風になびかせる。
天ちゃんを中心にして森一帯を包んだ光の柱も消え去り、あとには薄目を開けてまどろんだような顔の天ちゃんが残されるのみである。
「こんなことして何になるっていうんです! ばかばか、ルビィ様のばか! 願いが叶う天使祝司を自分で壊すなんて、はっきり言って大ばかですよ!」
「へへっ、へへへっ……。やっちゃった……、ああ、やっちゃった……。これからどうしよう……。どうせなら山ほどの食料を出してからやれば良かったかも」
主の愚行をなげき、フレイムはルビィアースの肩をがくがくと揺さぶる。ルビィアースはうつろな顔で笑いながら涙を流し、まさに放心状態である。
管理人格である天ちゃんの構造を組み替え、人間らしい感情を与えてみたものの、目に見えてわかりやすい変化は無い。銀色の髪も灰色の瞳も、薄黄色のワンピースもそのままである。だが、鉄仮面のように変わらなかった彼女の無表情がかすかに乱れ、不安げに己の身体を見回すしぐさは、明らかにとまどいである。それまでの硬質な雰囲気の天ちゃんには見られなかった「揺らぎ」だった。
「主、ルビィアース……」
「は、はい……」
「私はこれから何をすればいいですか? 天使祝司には、もう願いを実現させる機能がありません。天使祝司は、ただ私が宿るだけの無価値な白い石となりました」
悲しみの感情が、天ちゃんの顔に浮かんでいた。左手で胸を押さえ、痛みに耐えているように見える。胸の痛みなど、それまで感情が欠落していた天ちゃんには初めての体験だろう。そして、死や破滅から逃れるための危険信号である痛みこそ、生きる者の最大の証である。
悲しませたり、苦しませたりするために天ちゃんに感情を与えたわけじゃないのに。ルビィアースは腕を組んでうなり、生まれ変わった天ちゃんを困り顔で見つめた。人生において何をしていいのか分からない悩みは、ルビィアースもたまに襲われる呪いじみたやっかいな問題だ。
ぴんとひらめいたルビィアースは寝床にした小屋へと走り、その中に置いておいた旅の荷物を持って天ちゃんの前へと戻る。
隣に立って肩を抱き寄せ、ほおずりして「いひひ」と笑うルビィアースに、「な、何ですか?」と天ちゃんは困惑してみせる。そんな天ちゃんの腕の中へ、持ってきた荷物をどさりと手渡した。
「とりあえず、天ちゃんは荷物係。わたしの荷物を持って」
「……はい!」
「わたしといっしょに、世界を見て回ろうよ」
片腕を引いて笑うルビィアースに、これまでとは違う新たな役目を得た天ちゃんは可愛らしい笑顔でうなずいた。感情をもっても道具に変わりない天ちゃんにとっては、主に愛用されることこそが至福の喜びなのである。
生気と水の香りに満ちた、みずみずしい緑の森を抜け、ルビィアースとフレイムは荷物を抱えて後ろに浮遊する天ちゃんを連れて丘の上へと出た。
ここから地平の果てまで一望できた。まるで緑色をした海原のような草原と、それを見えない手でなでるように揺らす風。ルビィアースの真紅の髪も風にそよぎ、胸や肩に触れる髪の感触が心地良い。濃紺の空にいくつも浮かぶ雲は手でつかめそうな程に低く見え、太陽の光はそれらの雲にさえぎられ、緑の大地は光と影でまだら模様に彩られる。
深呼吸し、すがすがしい空気を胸いっぱいに味わった後には、天使祝司の効果を失ったことを惜しむ気持ちは空気に洗い流されるかのようにして胸中から消えていた。なぜなら、自力でたどりついた美しい景色こそが、ルビィアースが世界旅行で本当に求めているものだから。
「よーしっ、次の場所に向けて! しゅっぱーつ!」
笑顔のままたかだかと右手を上げ、フレイムと天ちゃんを連れてルビィアースは歩み出す。ルビィアースの冒険は、まだまだ終わらない。
これにて完結です。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




