41頁 「天使と魔王」
王との距離がゼロになった瞬間、飛翔速度と体重を竜人の腕力に上乗せし、全力で腹を殴りつける。その苛烈極まる威力で宙を吹っ飛んだ王は森へと激突し、樹々をへし折りながら臓物色の森へと消える。
「やりすぎた……? ……そんなことないわよね」
老体の王をぶん殴ったことへの懸念も、魔界の森から舞い戻る王の姿でたちまち消え去った。豪華絢爛なローブはぼろぼろに傷ついているが、王自身は大したダメージを負っておらず、薄笑いを浮かべている。
「竜人の力で思いっきり殴ったのにその程度で済むなんて……本当に王様は人間を辞めちゃってるんですね……」
「手ぬるいぞ、ルビィアース。もっと来い。遠慮など無用。もっと余を楽しませろ」
魔界の瘴気よりもなお濃いどす黒い魔力が全身に充溢したかと思いきや、王は両手に光球を浮かべ、それをルビィアースめがけて放つ。
逃げ場が無いほどに広範囲を爆撃する飽和攻撃。反撃を許さない魔法の弾幕にルビィアースはたまらず天使祝司の防護結界でしのぎ、攻撃中の王の背後へと瞬間移動を果たす。これはかつて王が天使祝司を利用していた方法の一つをまねたものだ。
肩をつかんで強引に振り向かせ、王の顔面に拳をたたき込む。猛獣の咆哮じみた叫び声とともに顔を、胸を、腹を、連続でめった打ちにする。逃げられないように腹に馬乗りになり、光弾の弾幕ならぬ拳の弾幕である。小細工に頼らず、力技で圧倒してこそ竜人の本領を発揮できるのだ。
息もつかせぬ連続強打に、さすがの魔王も手も足も出せない。竜人の剛力で王の背中側の地面にひびが入り、クレーター状に陥没していく。
「……あれ!?」
突然、またの下の王が消えた。あわてて見上げてみれば、クレーターの縁に背の低い何者かが立っている。ルビィアースは後ろへ跳び、穴から脱出する。
「楽しいな。今のは少しこたえたぞ。こうでなくては面白くない」
「……まさか、王様……!?」
白い華やかなドレスをまとった、ルビィアースよりも年下の少女。長髪をティアラで飾った王女が腕を組み、微笑みながらルビィアースを見上げている。老人の時にあれほど痛めつけたというのに、まったくの無傷である。
「そ、その姿は一体……!?」
「この形態でなければ、先ほどの怒濤の攻撃からは抜け出せなかったのだ。まあ気にするな。魔物と化した余にとっては、肉体の形など大した意味をもたない形骸にすぎぬ」
「女の子に変わるだなんて、王様って、変態……?」
「お前も天使祝司を使って男になってみると良い。男女の身体など、どちらもそう使い心地が変わるものではないぞ。それに、この姿になったのは余の好みではなく、ただこの姿が最適であるという理由ゆえだ」
「最適……?」
少女形態の王が消えたかと思った次の瞬間、ルビィアースは顔面への強烈な衝撃ではね飛ばされ、地面を転がり、うつぶせに倒れた。
「ず、頭突き……!?」
「ほう、見えたかね? さすがの動体視力だな」
身体のみならず、声までもがかん高い少女のものとなった王が、ルビィアースの後頭部を踏みにじる。
「お前は知らぬかもしれんが、生物体の構造で基礎となるものは雄ではなく、雌の身体なのだ。それゆえに派生的な男よりも基礎的な女の方が改造もたやすく、しかも魔力との相性が良い。世の魔法使いの大部分を占める魔女とは女がなるものだろうが」
力任せに頭を起こし、王の土足の下から抜け出したルビィアースだったが、目にも留まらぬ速度で全身を殴られ続け、回避も反撃もできない。先ほどの老体の王とは段違いのスピードである。
「ぐぐっ……!! このっ、ちょろちょろとっ……!」
王の意趣返しにより、拳の弾幕で身動きを封じられたルビィアースは、たまらず天使祝司の力で空中へと瞬間移動して離脱。しかし、そこへ王が弾丸のごとく突っ込み、腹への頭突きによって宙を飛ばされる。
異常に頑丈なルビィアースでさえ吐き気を覚えるほどの重く速い一撃である。とんでもなく素早い上に子どもの身体は小さく、攻撃が当てづらい。そして王にとっては小さく身軽で、魔力の運用が容易な少女の形態は、スピードに特化する上では必然であり最適だろう。
「どうした? その身一つで闘っていては争奪戦に勝ち残った意味が無いぞ。新たに得た天使祝司をもっと活用し、余と張り合って見せよ、ルビィアース」
王が右手を向けてきたと思いきや、手から光弾が連続発射される。ルビィアースは小さな悲鳴を上げて宙を舞い、「飛翔」を強化して魔界の空を高速飛行する。
そんなルビィアースへ王が追いすがり、後方から光弾を雨あられと降り注ぐ。ルビィアースは左右へ揺れ動き、下手な回避行動を取る以外にすべがない。
「このままじゃやられちゃう! 天ちゃん、わたしも王様みたいに攻撃魔法、撃てる……!?」
「はい。天使祝司を利用して扱える魔法の限界は、使用者のルビィアースの知識や想像力の上限に制限されますが、それでも可能です」
「よ、よーし……!」
隣に並行して飛ぶ天ちゃんの解説により、ルビィアースは宙を大きく旋回して王の背後を取る。そしてそのまま両手を王に向け、天使祝司に向けて願いを思い描く。
胸に下げた天使祝司が白く輝き、手のひらから魔法の弾丸が飛び出した。魔法にうといルビィアースはこの世にどんな種類の攻撃魔法があるのかをよく知らない。そのために王の攻撃手段をそのまま模倣した光弾である。
人生初の攻撃魔法。それに感動し喜ぶのもつかの間、ルビィアースの放った光弾はあさっての方向へと飛んでいき、荒野へ着弾して小爆発を起こす。
「ははは。そんなザマで、今の余を仕留められるのか?」
「……ムカーッ!」
威厳たっぷりの老人姿をした王に言われるならまだしも、今の王は少女のルビィアースよりも小さな王女姿である。そんな王にからかわれると怒りが倍増する。
王が上下左右から撃ち、それをルビィアースが飛翔と瞬間移動を駆使してどうにかかわす。流れ弾が魔界の森や山に降り、掃射されたような直線状の傷跡が大地に刻まれる。
「動きが……速いっ……! 全然、当たらないっ……!」
未経験の空中機動戦に、ルビィアースは明らかに分が悪い。魔界の汚れた風が全身に吹き付けるだけでも気力と体力が削られるが、なにより問題なのはめまぐるしく流れ過ぎる天地の景色と異常な疾走感で空間認識の感覚が狂うこと。しかも前方の王めがけて撃った魔法光弾は風の流れや飛翔するルビィアースにかかる慣性により大幅に軌道がずれ、照準通りには当たらない。
ルビィアースと王の通り過ぎた後は双方が放った大量の流れ弾に蹂躙され、荒野は穴だらけになり、森は炎上し、魔界の魔物や悪魔たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「……やった! 命中!!」
少女形態をとって高速機動を続ける王も、天使祝司の圧倒的な火力に物を言わせてとにかく下手な鉄砲を撃ちまくるルビィアースの前では、その物量に被弾を喫した。弾幕の一つが偶然右足に当たり、飛行速度が鈍ったと同時、ルビィアースはすばしこい王を捕らえる方法を思いついた。
「これは……!」
飛行中の王を囲む、宙に静止する小さな檻。その壁である鉄柵に激突し、王は鉄格子越しに両手を構えるルビィアースをにらむ。
「これでもう、逃げられないでしょーが!」
王を閉じ込め、しかも宙空に固定された檻。それをとっさにイメージし、胸元の天使祝司に願ったのである。願いは受理され、望み通りに王を囲む檻が具現化された。
王が入った檻に向けて突貫しつつ、両手から光弾を撃ちまくる。王の実力ならばあっさり破って脱出するだろうが、わずか二秒間程度の足止めが機動戦では致命的な隙となる。逃げ場の無い檻の中で被弾を続けた王に狙いを定め、ルビィアースは渾身の右ストレートを見舞う。
王の腹に拳が見事に命中し、拳で王を押したまま地面へと急降下する。背中の岩盤とルビィアースの馬鹿力のはさみ撃ちにされた王は目をむき、口から血を吐いて大の字に倒れ込んだ。
「いってーー……」
いくら固い竜人といえど、その耐久力には限度がある。陥没した岩の内部に立ち、ルビィアースは痛んだ右拳を左手でさする。
「……どう? 大人しく降参して、そのエネルギー事業とか何とかっていうのを止めるなら、もうこれ以上は殴らないわよ」
「……見事だ。いかに万能の天使祝司を持つとはいえ、ここまで余とやり合える手合いとは思わなかったわ。褒めてつかわすぞ、ルビィアース」
「瀕死のくせに何だか偉そうねー。まだやる気なの……?」
老人姿のエルドラド王をずっと見てきたが、クレーターの中央で血を吐き、うつろな目で空を見上げるのは王女姿の王である。中身は外見と別物とはいえ、子どもを痛めつけるのはどうにも心が痛み、ルビィアースは嫌な気分になる。
「もう余に勝った気でいるのか。青い奴だ。余の本当の力は、人型の器を捨ててこそ解放できるというのにな」
倒れたまま「くくく」と薄気味悪く笑う王の身体がびくんと震え、見る間に少女の手足が崩れ、膨れあがっていく。ルビィアースは「ぎゃーっ!?」と悲鳴を上げて岩の穴から外へと抜け出す。
王が埋まっていた岩が割れ、大地が震撼する。その身よりあふれ出る邪悪な魔力は、抵抗力のない生物の命を奪い尽くし、瞬時に絶命させるほどだ。




