03頁 「夜だけの訪問者、猫人」
「な、何見てるんです、ルビィさま……? まさか、あの変な人に関わるつもりですか?」
「……うん……、でも、何だか気になるしなぁ」
「よしましょうよ! 馬鹿と煙は高いところが好き、って言うじゃないですか! 下手に関わってもろくなことにはなりませんってば!」
フレイムが止めるのも聞かず、好奇心を抑えきれなくなったルビィアースは「飛翔」を使ってふわりと浮かび上がる。「飛翔」は数ある魔法の中でも初歩レベルであり、肉体派で魔法がさっぱりのルビィアースでも、魔法学をかじった程度で扱える貴重な魔法だ。
「(うわぁ……! すっごく綺麗な髪……!)」
同じ高度まで昇り、背中までかかる艶やかな黒髪にルビィアースは目を奪われた。濃い茶色のブルネットとはまったく違う、夜空の色を濃縮したような真正の黒色。髪と同じように瞳まで黒い。
そして東方の民族衣装を思わせる、白い長袖の着物にだぶだぶの紺色のズボンをはいている。それはルビィアースが以前に本で読んだ東方国の神官助手……巫女と呼ばれる乙女の衣装に酷似していた。
「お祭りの見物ですか? なるほど。この高さからならよく見えますね。わたしはルビィアースといって、竜人族のしがない一人でして……」
「私は、神です」
「ええっ!?」
端正な顔を糸ほども動かさず、黒髪の巫女はきっぱりと言い切った。フレイムが危ぶんだ通り、やはり頭のネジが緩んだ危険人物なのだろうか。どう話を続けたものかと、ルビィアースは汗を浮かべて苦笑いするしかない。
「神といっても大した者ではありません。遙か昔の天地創造に立ち会ったというだけの、八百万の神の一人に過ぎませんからね。神々の中でも、いわゆるしたっぱです」
「ああーー……。そ、そうなんですか……。ふぅーん、へぇーー……」
「お疑いの様子ですね。ならば、論より証拠と参りましょう」
巫女はルビィアースの左手をつかみ、自身の右胸へと近づけていく。いきなり胸を触らせようとする乱行にぎょっとしたが、左手が胸に触れ、煙に手を突っ込んだかのように抵抗なく背中まで腕が突き抜けたことに、ルビィアースはさらに驚いた。
「なっ、何コレ……!? あなた、ゴースト!?」
「だから、神です。この身はあなたたちのように肉の器に縛られない、純粋な精神体なのですから」
胸から手を引き抜いたルビィアースに巫女姿の神は慈愛の笑みを向ける。まさしく神の愛とでも表すべき、太陽の光のように暖かな笑顔だった。
死霊や怨霊のモンスターとなれば、もっと存在状態と思考力が不安定で、冷たくまがまがしい雰囲気のはずだ。普通人と見間違うほどの、この異様な安定感とはっきりとした意識は、彼女が神霊レベルの尊い存在であることを指し示している。
「か、神様でもお祭りを見に来るんですね……。わたしはてっきり、神様は空の上とか神木の中でこの世界を見守っているものだとばかり……」
「なんでも、十年ぶりに天使祝司なる神妙な道具が見られるというものですからね。興味ついでの物見遊山ですよ」
「さっき、天地創造って言ってましたよね? それって、一体何年前なんですか? 神様はどのくらい昔から生きてるんです……?」
その質問を受けた神ははたと止まり、唇に人差し指を当てて首をかしげ、うーんとうなって返答に詰まる。
「忘れてしまいました。長生きしすぎるせいで、神にとっての時間経過はあまり意味を為さないものになりますから」
「す、すげぇ……!」
実感できないほどの膨大な時間スケールに、若年のルビィアースはただただ感嘆するしかない。
「か、神様。失礼ですが、出会えた記念に、お名前を教えてくれませんか?」
「月詠です。たまに思い出して、拝んでもらえれば嬉しいものです」
月詠という名の古代の神は最後に優しく笑いかけて、宙をすべるように街並みの彼方へと飛んでいった。あんなに美しく、なめらかな飛行は、翼をもたず地にはう者を空に無理矢理押し上げる「飛翔」の魔法では実現しえない。神だけあって、もともと空に浮かぶ性質をもっているらしい。
「飛翔」の魔法を解除して地面に降り立つと、やきもきして待っていたフレイムが口を開く前に、感動の激情に任せて抱きしめてしまう。
「うぐっ……!? く、苦しいですよ……! いきなり何をするんです、ルビィさま!」
「すごい! すごいよ、フレイム! わたし、やっぱりこの旅を続けて良かったわ! なにしろ、大昔の神様の一人に出会えたんだから!」
丈夫な小竜のフレイムが窒息するほどに締め上げ、ほおずりをして、その場でくるくると踊るようにターンする。鱗のざらざらとした固い感触も、ひんやりとした冷たさも、極度の興奮でまったく気にはならなかった。
日が落ち、夜になっても、変わらずにお祭り騒ぎは続く。夜になれば街の人口が増える分、夜の方がにぎやかなくらいだった。
人間が店主の出店に混じって、猫人のお店がちらほらと見え、彼女らの売る一風変わったアイテムを買い求めて、人々が楽しげに長い行列をなしている。王国の建国祭に合わせて品ぞろえもいちだんと趣向をこらし、人の欲望をくすぐる記念品のような期間限定モデルの道具も売っているのだから、猫人という種族は商売上手だ。
興味を惹かれ、ルビィアースも猫人のお店をのぞいてみる。茶色の髪から大きな猫の耳を生やし、おしりから長いしっぽをくねくねと揺らす猫人の女の子が、お客のルビィアースににっこりと笑いかけてくる。猫人という種族は、頭の猫耳としっぽ以外の外見は人間と変わらない。
三十分だけ猫人の耳としっぽが身につく飲み薬。猫人のしっぽの毛で編んだ特製ブレスレット。猫人族の歴史白書。一時間だけ猫人の素早さと体力が身につく魔法の丸薬。大人気の猫人民族衣装。このあたりは猫人の出店ではおなじみの品で珍しくもないが、千年王国建国記念祭のレアメタル製記念メダルや、恋愛成就のための猫人製強力惚れ薬や、猫人認可の獣並になれる夜用精力剤など、なにやらいかがわしい商品も並んでいる。レアなアイテムはやはり値段が高い。
周りを見てみれば、まるで仮装でもしているように道行く人々が猫人のかっこうをしている。猫人の出店で買った、猫人になりきるための飲み薬の効用だろう。本当は期間限定のアイテムが欲しかったが、悲しいことにあまり資金に余裕はない。ここは安い猫人化飲み薬で祭りの波に乗って遊ぶのが賢明か。
お金を払い、三十分だけ猫人の耳としっぽが身につく飲み薬を買うと、出店から離れてさっそく口へ放り込む。むずむずとしたかゆいような感触が頭とおしりの上に走り、その直後にルビィアースに猫人の耳としっぽが生えてきた。
「来た来た! にゃはははっ! ほらほら、耳もしっぽも自分の意思で動かせるよ! どう、フレイム? 猫人みたく可愛らしい?」
「……固くて巨大なドラゴンと柔らかくて小さな猫はあんまり合いませんね……。イメージが正反対の生き物同士ですし」
「生まれつき、まんまドラゴン姿のフレイムにはこのしなやかな可愛らしさが理解できないのよ! つまんない子ね!」
猫耳としっぽを逆立てて激怒するルビィアースに、フレイムは何をか言わんやとばかりに無言で首を横に振る。
「猫人って、ずるいよね。もともとこの猫耳としっぽがついていて、生まれつき可愛いんだもの。みんなに可愛がられる天性のアイドルなんだもん。ま、強さでは竜人のわたしには到底およばないけど。竜人の強さと猫人の可愛さをかねそなえた今のわたしって、もしかして最強じゃないかしら?」
猫人のマネをした人間たちと、出店で商品を売る本物の猫人たちを、ルビィアースは両腕を組みつつかりそめのしっぽを揺らしながらながめ渡す。
限られた夜の間だけ、この世界と猫人の住む異世界の位相が重なり合う。朝になれば二つの世界の重複が解けて猫人たちは消え去り、夜になれば猫人たちの世界からルビィアースの生まれ育った世界へと彼らは再びやってくる。昼間の千年王国に猫人が一人もいなかったのは時間帯がずれていて二つの世界が隔絶していたせいだ。ルビィアースたちにとって、猫人とは夜の間しか触れ合えない異界の隣人なのである。猫人には侵略の意図など無く、無害で友好的な種族のため、その愛らしい姿もあいまって人々に好意的に受け入れられている。
猫人の世界は環境も、その環境で育まれた技術も思想も違う。夜の間だけ売りに出される猫人製のアイテムは人間達にとって物珍しく、少数の超貴重なアイテムも時に出回ることから、夜の間だけ開店する猫人の屋台は人の興味を惹いてやまないのだ。
「かわいい耳としっぽだね、お姉さん。あんまりよく似合ってるから、本物の猫人かと思っちゃった」
「……お?」
あんぽんたんのフレイムと違い、少しは見る目のある者もいる。突然の褒め言葉に気をよくして声の主をよく見れば、なんとまだ子どもである。
整えられた茶色の髪に、不可思議な紫色の瞳をしており、幼いながら顔立ちも良い。ベストの上に白いジュストコール、脚にはキュロットをはき、かなり身なりが良い、貴族のおぼっちゃんかと思うような男の子だった。成長すればさぞかし美男子になるだろう。十歳前後の容姿で、ルビィアースよりも頭二つ分は背が低い。後ろには五人もの大人の女性を引き連れている。
「僕はリフレェン。お姉さんも僕といっしょに夜を楽しもうよ!」
「あ、あのね……。楽しむっていっても、わたしはそこまで年下趣味じゃないからさ……」