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29頁 「真夜中の空中散歩」

「ええっ!?」


がっくりとうなだれるリフレェンにルビィアースは「きゃはははっ」と腹を抱えて大笑いし、噴水の縁からぶら下げた両脚をじたばたと揺らす。


「あーあ。なんだか、気を()がれちゃったよ。もう帰ろうっと」


リフレェンは腰掛けていた縁から立ち上がると、どこからともなく取り出した黒い布をひるがえし、それで我が身を包み隠す。中から現れたのは、布をマントにした、長身壮麗の美男子である。


「で、出たっ……! 正体をあらわしたわねっ、この女の敵!」


あわてて地面に降り立ち、身構えるルビィアースにも、リフレェンは優しい笑みを浮かべて片ひざを突き、ひざまづいて臣下(しんか)の礼をとる。


「な、何のつもり……? だまそうったって、同じ手は二度とくわないんだから」


「めっそうもない。可憐なレディーを独り残していとまを乞う非礼を、どうか許していただきたいだけのこと。ごきげんよう、小さなルビィアースお嬢様」


リフレェンはルビィアースの右手を取り、手の甲に軽く口づけをする。おどろいたルビィアースが手を引いた次の瞬間には、リフレェンの身体は小さなコウモリの集合体と化し、その群れがいっせいに夜空へと羽ばたいていった。


「おおっ……! すごいすごいっ、見てよフレイム! あいつ、ばらばらになって飛んでいっちゃった!」


「ルビィさまを喜ばせるための、身体を張った見せ物だったのかもしれませんね」


ルビィアースとフレイムは、吸血鬼のリフレェンが消えた満月の夜空を見上げ続けていた。



千年王国の技術力と富を象徴する、城下町を一望できるほどに高い尖塔(せんとう)。外観のデザインにも趣向をこらし、国の名所の一つとして数えられる塔の縁に、ホワイトアリスはブラックの人形を胸に抱いたまま腰掛けていた。風が吹き、目もくらむ高度でありながら、「飛翔」の魔法が使える彼女は平気な顔で夜の街を見下ろしている。

ある時、夜空の向こう側から、誰かが浮遊して近づいてくるのにホワイトアリスは気がついた。


「こんばんわ。良い眺めですわね、アリスさん」


鬼百合である。紙で出来た紅い傘の、柄であるはじきの部分を左肩に添えて差し、周囲に青白い人魂を複数浮かべたまま、ふわふわと宙を上下している。「飛翔」の魔法を使っている様子でもなく、どうも周りの人魂が何らかの機構で鬼百合を支えているらしかった。


「……わたしに何の用?」


「夜空を散歩しておりましたら、近くにアリスさんの気配を感じたもので、寄ってみましたの。お邪魔だったかしら」


「ええ。今はブラックと二人で、静かに街を見ていたい気分だったわ。あなたのおかげで気分がぶち壊しよ」


傷心(しょうしん)の小旅行、とお見受けいたしますが、いかがでしょう」


「あなた、見た目は綺麗で、うわべは優しく上品に振る舞っているけれど、本当の性根(しょうね)外道(げどう)でしょ。そういうの、分かる子にはちゃんと分かるわよ」


「ふふ。鬼とは、人倫の道に背いた人間のなれの果てとも言われております。わたくしは生まれついての鬼族ですが、心が清らかな鬼など聞いたこともありませんわ」


食えない女だ。ホワイトアリスが塔の上で過ごす理由を見すかし、心の傷口をつつくようでいながら、こちらの反撃はするりとかわしてしまう。ホワイトアリスはいらだちを隠しきれず、不機嫌な表情で鬼百合をにらむ。


「争奪戦で負けたわたしに、勝ったあなたが自慢しにきたってわけ?」


「いいえ。貴女の敗退をあざけることも、わたくしの勝ちを誇ることもいたしませんわ。わたくしは、川に浮かぶ木の葉のように、ただ流れのままに身をゆだねて進んでいくまで」


金色の髪のコロネを微風に揺らせ、フリルとレースで華やかに飾られた白いドレスをまとうホワイトアリス。人魂たちに青白く染められ、闇の中にぼうっと浮かぶ紅い着物姿の鬼百合。洋と和の正反対のいでたちでありながら、両者は奇妙に似通った空気をそなえていた。その理由は、アリスも鬼百合も、ともにただの人間とはまったくの別物だからである。


「アリスさん。貴女は何のために、王のもつ天使祝司を求めたのでしょう。同じ人外のよしみとして、ひとつ教えてくださらない?」


「いいわ、ホワイト。私が代わる」


答えづらそうにうつむいていたホワイトが黒い霧に包まれ、瞬時にブラックアリスへと切り替わる。赤紫色の魔性の目で鬼百合を見つめても、彼女は傘を差して浮遊したままにこにこと笑うだけである。


「ブラックの私と、ホワイトは、二人で一人。どちらが欠けても、きっと私たちは壊れてしまう。世界に二つのとない、かけがえのない存在なの」


ブラックアリスはすっと目を閉じ、ホワイトの人形を抱く手に力をこめる。決して離すまいというかたくなな意思が、その両腕に表れていた。


「でも、私たちはとても不安定な存在。二人が自由に切り替われるということは、個として安定していないということだから。何かの奇跡か、たぐいまれな偶然でやっと生きながらえているようなものなの。だから万能の天使祝司が欲しかった。私とホワイトの絆を、永遠に不滅のものとするために」


「黒い服の貴女と、白い服のアリスさんと、どちらが主役でいるかをもめることがないのですか? お人形の状態でいるよりも、自由に活動できる方が望ましいかと思われますが」


「いかにも凡俗(ぼんぞく)な、あさましい考え方ね。どちらに主導権があるかなんて、私たちにとっては些末(さまつ)な問題。私たちは、ただ相手がいればそれでいい。世間並みの下らない常識で私たちを裁かないでほしいものだわ」


そこまで言ったところでブラックは引っ込み、元のホワイトへと切り替わった。エメラルドのように美しく澄んだ翠緑色(すいりょくいろ)の瞳をまっすぐと鬼百合に向け、怒りにも似た強い信念を目に浮かべていた。


「わたしたちのことはわたしたちだけが理解していればそれでいいのよ。あなたの意見も、指図(さしず)も、何も要らないわ」


「強いんですのね、アリスさんは。もしも今戦えば、負けてしまいそう。わたくしには、貴女たちのように強く信じられるものなど、何一つございませんもの」


かすかな(うれ)いをこめた鬼百合の笑みに、ホワイトアリスは少し意外な思いだった。典雅(てんが)な振る舞いという化粧で内面を隠し、人を小馬鹿にしたような澄まし顔以外の、そんな顔をする彼女を見たのはこれが初めてだったからだ。


「お互い、普通でないと苦労しますわね。わたくし、同じ匂いのするアリスさんのことが好きになりましたわ。ごきげんよう」


ホワイトアリスに向けて会釈をし、鬼百合は背中を向けて闇の中へふらふらと進み、だんだんと消えていく。その正体は東方の化け物だけあって、消える様子には、心に見えない氷水を差されるような不安を抱かせる不気味さがあった。


「変なやつね。東方の国って、あんなのばっかりなのかしら。だとしたらとんだ蛮国(ばんこく)だわ」


ホワイトアリスは胸の中のブラック人形に「ねえ」と笑いかけ、立ち上がると、塔の縁から飛び降りた。

川の急流に逆らって泳いでいるかのような猛烈な空気抵抗と、みるみるうちに迫る石畳の地面。ホワイトアリス自慢のくるくるコロネが、風にあおられていっせいに逆立つ。

「飛翔」の魔法でぴたりと宙に静止したホワイトアリスは、そのまま斜め上へ向けて高度を上げていき、天から地上を俯瞰する白鳥のように夜の街上空を飛んでいった。



かつて、これほどの長時間、小さいままの姿でいたことはない。翌日の昼間も幼児姿でウェートレスの仕事をしていたルビィアースは、胸を薄暗くおおう影のような焦燥感を抱いていた。

フレイムに消費されてしまった竜の力。欠けたモノが身体の内側で少しずつ埋まり、補填(ほてん)されていくようなばく然とした感覚はしているが、なにしろこんなことは前例がない。いつになれば元の姿に戻るのか見当もつかず、さらに能力が下がったままの姿で王の試練に引き込まれるのはいかにもまずい。ただでさえ争奪者の人数もしぼられ、ますます試練も難しくなってきているというのに。

ちょうど客の入店とオーダーがとだえたつかの間の休み時間、ルビィアースはカウンターの前にひかえ、「あー、おもしろくねぇ」と小声でつぶやき、不満顔で床をこするように繰り返し蹴っていた。


「おーい、ルビィちゃん、こっちこっちー」


「はーい、ただいまー!」


空になった酒のグラスを頭上にかかげ、客の一人が注文のためにルビィアースを呼び寄せる。小走りで店の中を進む途中、瞬間的に景色が切り替わった。

乳白色のこの世ならざる空に、巨大な球体がいくつも浮かんでいる。あまりに大きすぎて、それが国家の城ほどのスケールなのか、それとも夏の青空に君臨する入道雲(にゅうどうぐも)ほどのスケールなのか、目測が効かない。

足元の地面は平坦だが、赤色からオレンジ色、オレンジ色から黄色、黄色から緑色と(にじ)の七色を不規則に行きかっていて、まるで生きているかのようだ。


「うぎゃーーっ!? やっぱり来ちゃったよ! 子どものまま試練に呼ばれちゃったよーーっ! もしもこれで負けたらあんたのせいだからね、フレイムーっ!」


ウェートレス姿のまま、そばで飛んでいたフレイムの首をつかんでがくがくと揺さぶるルビィアース。彼女の近くにはここまで勝ち残った強豪たちの大魔女フレア、聖騎士ヴァルキリー、東方のあらゆる(あやかし)を従える鬼百合が集まり、不可思議なモノが浮かぶ白い空や七色の地面を警戒していた。

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