25頁 「真ギャンブラーの条件」
一対の巨大な翼を羽ばたかせるフレイム。その風圧で草花を紙細工のように吹き飛ばしながら、前方を飛ぶ麒麟に猛追する。最強種のドラゴンはすべてを焼き尽くす火炎ブレスの威力もさることながら、他を寄せ付けない巨体と金属のような頑強さ、背中の翼による高速飛行も、最強を支える要因となっている。
「わははははーーーっ、速いぞーーー! かっこいいぞーーー!」
身体が縮んだせいでぶかぶかになった上着とホットパンツが風で飛ばされないように腕と脚ではさみながら、頭の中身まで幼児と化したルビィアースはフレイムの頭をばしばしと叩いて大笑する。
「まあ。これはげに見事な……」
驚きのあまりにはしたなく開いた口を着物の袖で隠す鬼百合と、彼女を背中に乗せる駿馬の麒麟を追い越し、ルビィアースひきいるフレイムは怒濤の勢いで天国の空を飛んでいった。
そして、先頭を独走する者の背中が見えてきた。神の加護を受けた騎士ヴァルキリーである。隣に守護天使の天ちゃんをはべらせ、ワルキューレの鎧を全身装備した彼女は、突然追いついてきた赤ドラゴンとその首に乗った小さなルビィアースに目を丸くした。
「ルビィアース、か……!? そんなとんでもないことができたとはな。やはりお前はただ者ではないな」
「ヴァルキリーさんだって、なんだかすごいよ。女神様みたい」
総身をくまなく覆い隠す防御主体の甲冑状ではなく、今のワルキューレの形状はヴァルキリーの頭を保護するぼうしのような兜、胸当てと小手、それに加えてミニスカートを思わせる草摺と臑当のみという、前例にない軽装である。あの世めぐりのレースに際し、堅牢性よりも機動性を重視した変形であることがよく分かる。右手にワルキューレの剣をもち、それがまたヴァルキリーが戦乙女であることを印象付けている。
青空の色を濃くしたような濃紺の気を発し、神聖なオーラをまとうヴァルキリー自身もさることながら、そばに静止する天使の天ちゃんの存在感も加わり、まるで一葉の宗教画でも見ているようである。
「造り物とはいえ、この子はまぎれもなく天使だ。高貴なる使徒だ。私は天使祝司がますます欲しくなった。ぜがひでも負けられないな」
ルビィアースに向けて好戦的に笑い、ヴァルキリーは「飛翔」の魔法で鷹のように鋭く迅く空を飛んでいく。ただの「飛翔」があんなに速いわけがない。機動形態のワルキューレは移動力の増強をするらしい。
「よーしっ、負っけないぞぉーーっ!」
大空に向かって「うおおーっ!」とおたけびを上げたルビィアースにフレイムが反応し、前方を飛ぶ聖なる騎士へと巨大な赤竜が肉薄していく。レースはいよいよ終盤を迎えつつあった。
「いいかげん、しつこいぞーーっ! この白黒ニコイチ女ーー!」
らちの明かない攻防にすっかり頭に来ているロトリィが、怒り任せに巨大サイコロを振る。ハズレのドクロマークの目は六面のうちの三面を占める。それなのに、これまでの十回におよぶダイスロールで一度もドクロの目は出ていなかった。
ハートマークの目が出たサイコロから、こぶし大をした赤いハートが大量に飛び出す。シャボン玉のようにふわふわと飛び、ブラックアリスをすき間無く取り囲んだハートの群れがいっせいに破裂する。ハートの中からは真紅の粘液が飛び出し、それが豪雨のようにブラックアリスへ降り注ぐ。
ブラックアリスは自身の周囲のみに限定したドーム状の闇を展開。降り注ぐ粘液をすべて闇の中に呑み込み、攻撃を無効化する。赤い粘液をあびた草花は瞬時にがちがちに固まり、微動だにしない。
「あなたこそ、本当にあきれたしぶとさだわ! よくその悪運が続くものね!」
全てを溶解する死の闇。激怒するブラックアリスは惜しげもなく闇の液弾を飛ばすものの、どろどろとした粘性の高い闇は移動が遅く、すばしこいロトリィには当たらない。当たったとしか思えない時でも、ロトリィは神がかった運の良さでかわし、事なきを得てしまう。
「……もういい。さすがに悪いと今まで自粛していたけれど、もう我慢しない。この天国を地獄に変えてあげる」
ブラックアリスの全身から黒い霧が噴出し、周囲を赤黒い侵蝕領域へと染め上げていく。美しい花々が枯れ、土が干上がり、空気が汚れ、空まで暗くなっていく。
「うがっ……。く、苦しいっ! 息が詰まるーー! やめろーっ、天国を環境汚染する気かーーっ!」
「こんな場所、どうなろうと知った事じゃないわ。どうせ私も、あなたも、死んだら地獄行きで天国に来る事なんてないでしょう?」
両手でのどを押さえ、苦しげに身を折るロトリィをよそに、ロトリィを含めた周囲すべてから無差別に生命力を略奪するブラックアリスは元気そのものだ。ホワイトアリスの人形の頭部で口元を隠し、「くくく」と小さく笑いながらロトリィが力尽きるのを待ち構えている。
「そっちが短期決戦をお望みとあらば、ロトリィちゃんもとっておきのお宝を見せてあげようじゃないか! 死んでも後悔するんじゃねーぞ!」
天へとかざした右手に落ちてきたのは、六面が真っ黒なサイコロ。大きさはロトリィが常用する不思議なサイコロと同程度だが、手にした瞬間、彼女は「おうっ……」とうめき声を上げて片ひざを突く。
「へへへっ。やっぱ、コイツはいいねぇ……。使うときはめずらしく気持ちがぴりぴりして楽しいよ」
六面のうち、五面がドクロマークの黒いサイコロ。それを両手で抱え、ロトリィは息を切らしながら立ち上がる。その両脚は重圧に耐えているかのようにぶるぶると震えていた。
「……そのサイコロ、前に聞いたことがあるわ。使用者の負う危険度をそのまま攻撃力に変えるたぐいの、特殊な魔法武器でしょう。一面、二面がハズレの比較的ローリスクで低威力のサイコロなら少しは使い手もいるでしょうけど、その黒いサイコロはほとんど全面ハズレじゃない。そんなもの、聞いたこともないわ」
「こいつはただ呼び出して、一回振るだけでも、ごっそり体力をもっていかれるのさ……。まったく困ったじゃじゃ馬なんだよ……」
「ハズレの面が出たときに負うペナルティーは呪いだったり、気絶だったり、病気になったりするって聞くけれど、そのサイコロはそんな生やさしいシロモノじゃなさそうね。あなた、もしもはずしたら死ぬわよ……」
「いっつも言ってんじゃん。ロトリィちゃんはギャンブルで、死ぬまで負けない。死ぬときは、ギャンブルで負けた時なのさ……」
常軌を逸した笑みを浮かべて黒いサイコロを頭上に構えるロトリィに、ブラックアリスは顔を引きつらせながら後ずさる。
「あなた、普通じゃないわね……。はっきり言ってイカれてる。狂ってる」
「良いこと、教えてやるよ。真のギャンブラーはなー、安全や保身なんて考えない。そんなものを追うような普通の奴には本当のばくち打ちは務まらない。ロトリィちゃんにとっちゃ、自分の命さえ掛け金の一つにすぎねーのさ!」
サイコロから手を離し、落下する。サイは投げられた。もう誰にも止められない。使用者を死に至らしめるドクロの目。転がるサイコロは構造上、その死の目ばかりをのぞかせる。ブラックアリスの目は転がるサイコロにくぎづけだったが、ロトリィは最後まで敵の少女の顔しか見ていなかった。
ロトリィの清廉な覚悟と死ぬまで負けないという信念。その二つに、たゆたっていた運気が引き寄せられるようにして死の運命がねじ曲がる。出た目は、六面中ただ一つの黒を背景に星空を描いた目だった。
ブラックアリスの侵蝕領域に体力を奪われ続け、切り札のサイコロを転がすためにさらに体力を差し出してしまったロトリィはすっかり息が上がっていた。しかし、薄笑いを浮かべる彼女の頭上には赤や青、茶色や灰色といった色とりどりの球体が大量に浮かんでいた。
「流星攻撃だーっ! さあ食らえーーっ!」
ガッツポーズをとった右腕を振り下ろし、それを合図にして天球の星々を模した小さな星がブラックアリスへと降り注ぐ。その一つ一つが、人家一軒ほどもある巨大さである。
ブラックアリスは展開していた黒い霧を瞬時に回収し、攻撃から防御へと行動を切り替える。しかし、全能力を解放して闇の防壁を築いても、呑み込むことが可能な体積には限度がある。あの星々は、ブラックアリスの限界をあきらかに超える物量だ。
「わたしに任せて、ブラック!」
何の前ぶれもなく強引にブラックと入れ替わったホワイトアリスは、目の前にありったけの飴を具現化する。城を模した飴の建物の中にこもり、ホワイトアリスはブラックの人形を胸の中に抱きかかえて四つん這いになり、必死で頭を抱える。
「うわーーーっ! 死ぬっ!? 死んじゃうかもーーーっ!!」
飴をめきめきと砕きながら星々が落下し、天国の地面と樹々をめちゃくちゃに押し潰しながら、ついに攻撃が終わる。
ホワイトアリスは星と飴のがれきの下敷きになり、たまらずに意識を失った。自動回復を続けながら、傷だらけのホワイトアリスと無傷のブラックアリスの人形が強制送還される。意識を失えば敗者とみなされるためだ。
「黒い方で受ければ黒い方が死ぬ。だから自己回復が得意で、生き残る確率の高い白い方が助けに入って身代わりになったのか……。あんたたちの考え方だって、ロトリィちゃんに負けず劣らず十分おかしいよ……」
ロトリィはくすくすと笑い、そのまま後ろへぐらりと大の字に倒れた。




