21頁 「天使祝司の天ちゃん」
客たちから距離をとり、何も無いひらけた空間に向けて目を閉じ、深呼吸を繰り返す。「はあああ……」という深い吸気の声に、客たちの期待がいやおうなしに高まっていく。
生物としてはドラゴンよりも人間をベースにした竜人にとって、この技術は進化の過程で退化したなごりのようなものである。したがって威力も低く、しかも肉体の構造上完全には扱えないために、注意しないとルビィアース自身が怪我をする。しかし、それなりにインパクトはあるはずだ。
とっさに使うと暴発するが、時間をかけて入念に準備すればまず失敗しない。そして、心技体を一つにした今のルビィアースに死角はない。胸いっぱいに空気を吸い込み、上体を後ろへとそらせる。
口を開く直前、ルビィアースとフレイムは強制的に瞬間移動をさせられた。しかし、そんなことは目を閉じて意識を研ぎ澄ましている彼女には分からない。
「きゃあああーーーーっ!?」
腰を前に折り、顔を突き出すような体勢のルビィアースの口から吐き出された火炎。その放射上に偶然立っていたホワイトアリスに直撃し、見事に炎上する。
「……ええっ!? ホ、ホワイトっ!? 何で、どうしてっ……!?」
頭を抱えて悲鳴を上げるルビィアースをよそに、機転を利かせたフレアが、燃えるさかるホワイトアリスを自然魔法で瞬時に氷漬けにする。
氷山のような氷塊を急いで叩いて砕き、その中のホワイトアリスを掘り当てたルビィアースは「ふう……」と額の汗を腕でぬぐうものの、氷の牢獄から自由になった彼女に胸ぐらをつかまれて顔の前へと引き寄せられる。
「喧嘩、売ってるの? そっちがその気なら、試練が始まる前にホワイトのわたしとブラックで総力をあげて潰してあげるわよ」
「ち、違う! 今ちょうど、わたしの務めてるお店で出し物の芸をしていて、いきなり召喚されたんだよーーっ!」
自動回復の作用で、ホワイトアリスの焼け焦げた髪や服、軽度の火傷が見る間に復元していく。ブラックアリスにゴシックドレスをもらった借りもあり、ぺこぺこと謝るルビィアースをホワイトアリスはいらただしげに解放する。
リキュール亭では今頃、ルビィアースとフレイムが突然目の前から消えたことでかなりの喝采と、ずっと消えたままことによる混乱が起きているだろう。強制召喚が隠し芸だと誤解されるのはなにか腑に落ちず、悔しいものがある。
「ここは、いったいどこ……? 前回の氷樹の森もすごかったけど、とてもこの世の光景とは思えないんだけど……」
ホワイトアリスといっしょに氷山から離れ、ルビィアースは不安げな面持ちで周囲を見やる。
空が赤い。夕暮れ時のオレンジ色とは比にならず、血を薄めたような鮮やかな赤色がどこまでもどこまでも広がっている。そして足元には一面の花畑だ。種々の花が咲いているが、全体的には赤色の花が目立ち、精神をささくれ立たせる色相である。そして、赤や緑、青や紫の各色にぼんやりと光る球体がそこら中に無数に浮かんでいる。大きさはせいぜい、人間の頭と同じくらいだ。
「まさか、ここは……」
察しがついたらしい鬼百合の固い声と表情に、一同の緊張度が増す。いつでもにこにこと上品な笑みを絶やさない彼女が、こんなにも冷静さを欠いている。ただそれだけで、現状が限り無く危険であることを暗に意味しているようだ。
「よくぞ集まった、過酷な試練をここまでくぐりぬけた勇者たち。先にこの地の観光案内といこう。ここは死後の世界だ。普通ならば生者が決して来られない領域である。たとえ世界中を旅行し尽くしても、ここにだけは死ぬまで来られないぞ。試練冥利に尽きるな、お前たち」
「死……? 死ーーーーっ!!? わたし、死んじゃったのーーーっ!?」
遅れてワープしてきた王の言葉に、ルビィアースをはじめとして、精神力の弱いホワイトアリスやロトリィが悲鳴を上げる。物事をよくわきまえている大魔女フレアが、やや怒ったような恐い顔で一歩前へ踏み出す。
「まさか、このまま死んだ状態ではないだろう? 試練が終われば現世へ帰れるんだろうね?」
「もちろんだ。勝者、敗者を問わずに試練が終われば全員を帰還させる。安心して臨むが良いぞ」
「やはりここは黄泉の国。現世で迷う亡者たちがいずれ昇天していく場所。妖怪で鬼の私には、どこか懐かしいはずですわ」
「……ふーん、ここが死んだ後の世界かー。死んだら無になるってロトリィちゃんは信じていたのに、死んだ後もまだ先があったんだねぇ。気が遠くなるよ」
「……ブラック、ごめん、タッチ……。ショックで気分が悪くて、倒れそう」
「ここが死後の世界……神の国……だと……。バカな! 私が幼い頃から薫陶を受けてきた宗教の教義とまるで別物の世界ではないか!」
両手で頭を抱えて絶望の声を張り上げるヴァルキリーをよそに、フレアは超然と腕を組んでまがまがしい花畑を眺めている。
「死んだら終わりだね。いくら現世で徳を積もうが何をしようが、結局は無意味の気休めに過ぎない。こんな何も無い場所に放り込まれたら退屈で死にそうだ。悔いを残さないように、今まで以上に死ぬまで現世を楽しむことにするか」
「し、死後の世界ですよ、ルビィさま……。恐い、恐いです……。知能をもち死を恐れる動物に対する、最悪の責め苦ですよ、これは……」
「ちゃんと帰してもらえるし、生きてるうちに死後の世界に遊びに来られるなんて、お得じゃん。空は気持ち悪いけど、お花畑は綺麗だし、そこらに浮いてる球もきらきらしてるし」
「ええっ!?」
お供のフレイムが思わず主人の正気を疑ってしまうほど、ルビィアースは「はぁー! ふぅーん! へぇー!」と感嘆のうなり声を上げながら死後の世界を見回していた。旅行者の彼女にとっては、珍しい場所、知られざる秘境に来られることこそが何よりの喜びなのだ。
「今回の試練は脱落者を二名出す。この光の道すじの終点に先着した四名を合格者とする」
エルドラド王が掲げた天使祝司から、直径が人間一人ぶんほどもある極太の光線が飛び出した。白い光は花畑のかなたに向けて一直線に続いている。どうやら、この光線がゴールへの道しるべの役割らしい。
「それでは各自、死後の世界めぐりを存分に楽しむが良い。試練、開始」
道すじの光線だけはそのままに、王とお付きの少女は消えてしまった。それを合図に魔法で空を飛ぶ者、足頼みに花畑を走る者、その二種類に分かれて光の道をたどっていく。
「よーしっ! 足の速さとそれを支え続けるスタミナじゃ、竜人のわたしは誰にも負けないわよーっ!」
平和な街暮らしでは忘れていた、久々の全力疾走。追いつかずに引き離されるフレイムを途中で肩につかませ、通った後には土煙が上がる猛スピードで花畑を駆けていく。大魔力にものをいわせた高速飛翔を続けるフレアには先行されてしまっているが、ルビィアースが第二位という健闘ぶりだった。
「……!? なに、これっ……」
ある時、そばを通り抜けた赤い光の球が、ルビィアースの胸に吸い寄せられるように張り付いた。胸の中でぼうと光る球は走り続けるうえでめざわりだという感覚しかなかったが、走り続けるうちに黄色や白色の球が右腕や左脚にぽつぽつと付着し、明らかに運動の邪魔となる障害物である。
「と、取れないっ……! このっ、このおっ……! 何なのよ、このふわふわした変な球はーーっ!!」
「それは死者の魂です」
いつの間にか、ルビィアースのすぐ横を銀髪の少女が飛んでいた。エルドラド王の隣に控えている、名も知れぬ子だ。髪や衣服の乱れもなく、宙空をすべるように並走している。月詠の飛翔を思わせる不思議な飛び方だった。
銀をそのまま糸へと伸ばしたようにきらめく髪と、降雨直前の曇り空を思わせる灰色の瞳。薄黄色のワンピース服をまとい、軽装ながら惹きつけられる雰囲気の少女である。
「あなた、何者……!? 王様はっ……!?」
「今回、王の代わりに私が死後の世界の案内役を務めます。私は天使祝司に宿る、自己管理用の人格存在。人工の守護天使です」
「名前はっ……?」
「特別、名前という名前はもっていません。私は主に使われるだけの道具ですから。所有者の王は、私を天使とだけ呼びます」
「じゃあわたしは天ちゃんと呼ぶことにする! 名前が無いなんてつまらないし、かわいそうだもの」
「天ちゃん……?」
天ちゃんと名付けられた守護天使は首をかしげ、困ったような顔をする。彼女が表情を崩すのをルビィアースは今初めて目にした。
「天ちゃん、この光る球……死者の魂だっけ……? こいつらはどうしてわたしにくっついて邪魔をするのっ……!?」
「この花畑に浮いているのは死者の国にも入ることができない、最下級の魂です。邪魔をしているのではなく、ただ救いを求めて無意味にすがりついているだけです。
生きている間に背負った業が多い者、罪深い者ほど、ここではたくさんの亡魂にまとわりつかれます」
先行しているフレアは今や全身をくまなく色とりどりの魂でおおわれ、ルビィアースの比ではなかった。明らかに失速し、苦しげに宙でもがいている。そしてフレアのそばには、もう一人の、天ちゃんとまったく同じ姿形をした守護天使が飛んでいた。




