20頁 「危ない橋だけど……このまま進む? 引き返す?」
「……その髪と目の色は、ルビィアースか。思い切って服の宗旨変えをしたのか」
「えへへ、可愛いでしょ、これ。 さっき、ブラックアリスにもらったのよ」
赤竜のフレイムを連れ、にこにこと笑顔で歩み寄ってくるルビィアースにも、チェスフォッグは冷めた表情を緩めない。彼女を警戒しているわけでも、わざわざクールな態度を演出しているわけでもない。生来、チェスフォッグという男は感情が希薄で、冷酷で、むやみに騒ぐようなことはしなかった。
「それで、俺に何の用事だ。俺は争奪戦から脱落して、もうお前とは無関係のはずだが?」
「用ってほどの用でも無いんだけど……。あんたに、ちょっと聞きたいことがあって、それで歩いていたら偶然チェスフォッグを見かけたからさ」
「これから俺は店に入る。外で長話をするつもりはない。付いてきたければ好きにしろ」
重々しい木の扉を押し開け、チェスフォッグがさっさとバーへと入る。それにやや遅れて、ルビィアースが一人で入ってきた。お供のドラゴンは外で待たせるつもりらしい。
「うわっ……!? つい、付いてきちゃったけど、高そうなお店……! お金、足りるかな……?」
酒のボトルが壁一面に並べられ、くすんだ色合いの木のフローリングで内装にも気を遣い、壁には油絵などを飾っている。わざと光量を落としたほの暗い店内はムードが漂っており、高級感を上手くかもしだしていた。チェスフォッグの経験で言えば並の店でしかないが、若いルビィアースは不慣れなようできょろきょろとせわしなく見回していた。
バーカウンターにチェスフォッグが着くと、その隣にルビィアースも座る。馬鹿なのか、それとも物怖じしない度胸があるのか、本気で腰を据えて話し合いたいらしい。
チェスフォッグがバーテンダーに好みのカクテルとそのオプションの仕様を注文すると、隣のゴスロリ姿のルビィアースは「あの、ええと……」と困った顔で口ごもるばかりである。こういう店でどうすればいいのかがまったく分からないらしい。見かねたチェスフォッグが「こちらの女性にも、同じものを」と助け船を出し、事なきを得る。
「あ、ありがと。思っていたより、優しいのね」
「戦闘以外で、不必要に誰かをなぶる趣味はない。こういう店では、男が女性をエスコートするものだ」
「ねえねえ、この服、どう思う? 可愛いと思わない!?」
「まるで観賞用のビスクドールだな。そういう服を好む層もあるのだろうが、あいにくと俺の趣味じゃない」
良い女……だとは思わない。それなりに器量が優れてはいても、あまりに若く、世間知らずで、洗練されておらず、なによりも魅惑される汚れが足りない。
「どうぞ。ゆっくりとお楽しみ下さい」
「うわーっ! 美味しそう!」
丁寧に、品良くカクテルが差し出され、ルビィアースは目を輝かせてグラスを手に取る。こういった大人びた店では店員のみならず、客側の品格も問われることになる。実質、おてんばのルビィアースでは五年は早い店である。
「くううぅーーっ、美味い! 甘くて、飲みやすい良いお酒ね!」
「そうか」
その振る舞いにあきれることも、親切に注意することもせず、チェスフォッグは隣ではしゃぐルビィアースを放置してグラスをあおる。口をひたし、喉を通り、胃の中でじんわりと熱を放つ酒。それを飲んだ時、静止していた感情が少しだけ揺らぎ、生き返るような心地がするのだ。
「ねえねえ、最初の試練で拾った古代の石、とんでもないお金になったでしょ? 本当に全部使っちゃったの?」
「ああ。余計な金を蓄えておくと、それに縛られて心が腐るからな。ぱあっと使った」
「いいなあ。でも、ものすごい豪遊したわりには、ちっとも楽しそうじゃないわね。それって、天使祝司の争奪戦から降りちゃったから?」
「聞きたいことというのは、俺が退いた理由か」
「……うん。あれから一生懸命考えても、氷樹の森で聞いた言葉の意味が分からなかったから。あれじゃ説明不十分でしょ?」
「考えたというのなら、俺が退いた仮説を言ってみろ」
「は? 仮説……? 労力と得られるものが釣り合わないとかなんとか言ってたことから、あのまま戦い続けても危険だから退いたってことじゃないの? フレアさんとか、ヴァルキリーさんとか、わたしとか、強豪ぞろいだし」
「間違ってはいるが、本当に考えた努力は買ってやろう。俺は考えない愚者が嫌いだ。思考の力量に関わらず、頭を使う者を好む」
チェスフォッグがカウンターの向こうを眺めたまま薄く笑ったので、ルビィアースはびくりと肩を震わせた。この男の笑みは異様に不安をかき立てられる。腹の底で何を考えているのかがまったく読めないせいだ。
「試練に、悪意が感じられたから。それが俺が退いた理由だ。あの王は、試練と称して俺たちをおもちゃにして遊んでいた」
「悪、意……?」
ルビィアースの目が滑稽なほど大きく見開かれる。瞳は血のように赤く、人ならざる魔性を備えていても、他人を疑うことすら知らない愚かな純真さを浮かべた目だ。
「試練なんだから、少しは厳しくなるのが当たり前じゃないの? その厳しさを悪意といえば悪意なんだろうけどさ」
「最初の脱出ゲームも、古代の遺跡も、氷樹の森も、どの試練もが死人が出ても不思議でないものだった。お前の言う通り、そういう難しい試練なのだからと流してしまう考え方もある。
しかし、俺は召喚を受けた当初からおかしいと感じていた。決定的だったのは人間の死体を取り込んだ氷の樹だ。そんなものがいくつも生えた森をわざわざ試練の場に選んだ悪辣さに、あの王の隠れた本性がにじんでいると俺は感じ取った。
王の本性を考えるに、仮に最後の一人まで勝ち残ったとしても、約束通り天使祝司をもらえるという保証はない。すべては万能の天使祝司をもつ王の掌中だ。不確実な結果を求めて労力をつぎ込み続けるのは気に入らない」
「でも……それって根拠はただの印象じゃない。なんとなくそう感じるから退くって、そんなことで天使祝司をあきらめちゃっていいの……? 本当に王様が天使祝司をくれる可能性だってあるじゃない」
「この世は一寸先は闇だ。先々に安全を約束してくれる偉大な神など、俺たちの住む地上にはいない。月詠のような木端役人みたいな神はいるがな。
行動の結果、生きるのも死ぬのもすべてはそいつの自己責任だ。だからこそ、今現在の気配や雰囲気や風向きといったあいまいな先触れから、先の展開の流れを読む力が必要になってくる。先の可能性をいさぎよく見限ること。希望的観測の夢を見ないこと。それも生き残るためには必要だ」
「……ふぅん。難しくてよく分からないけど、利口なあんたらしい理由だわ。じゃあいち早く抜けたあんたは、まだ戦い続けてるわたしたちを先の読めない馬鹿だと思ってるんでしょ?」
カクテルの酔いのせいか、目つきや声色が少々きついものになっている。チェスフォッグは鼻で笑い、一杯目とは別種の赤いカクテルをあおる。
「俺とお前たちはただ選んだ道が違うだけだ。両者の立場に上も下も無い。俺の読みが外れ、最後の勝者に天使祝司が与えられる未来もあり得る。そうなれば面白いな」
「あんたが天使祝司で叶えたかった願いって、いったい……?」
「これから先もお前が勝ち残れたら、健闘をたたえて教えてやるよ」
話は終わった。チェスフォッグは椅子を立ち、「お金、お金……」と急いで服をまさぐるルビィアースに見向きもせず、二人分の酒代を支払う。
「何も言わずにおごってくれるなんて、なかなか良い男じゃない。ありがとう。美味しいお酒だったよ」
店の外へと出たチェスフォッグに追いついたルビィアースが、嬉しそうに笑いかけた。それを遠目に見ていると、彼女の元気にあてられたような妙な気分になる。生気に満ちあふれる赤髪のルビィアースと戦って、どちらが上かを競いたくなるような、そんな青臭くて馬鹿な衝動に駆られる。胸の内が冷たく凍り付いたチェスフォッグには久しく見られなかった思いだった。
「今回、俺は争奪戦から身を退いた。だが、根本的に向こう見ずなのは俺もお前も変わらないな。俺は自身の命をチップにして、バカなギャンブルを繰り返してきた。死ぬなよ、ルビィアース」
フレイムを肩に乗せるルビィアースがこちらを見てぽかんと口を半開きにしている。そんなにも意外な言葉だったらしい。
チェスフォッグは別れの言葉も言わず、ルビィアースたちに背を向けて夜の街へと消えた。
翌日の夜。リキュール亭でウェートレス仕事をし、そのあいまに客をわかせるような芸を求められる。リキュール亭は常連の多い店で、すでに二度三度と繰り返しルビィアースを見た客も多く、看板娘か珍種の名物のようにされている彼女は、何か新しい出し物はないかと酔っぱらいたちからしきりに求められていた。
目に見えて分かりやすい竜人の長所は怪力だけだし、それで何かを壊して見せてもどうしても似たり寄ったりになってしまう。しゃべる赤竜のフレイムはたしかに印象的だが、その存在以外に見所が何も無いというのが出し物としては致命的だった。
ルビィアースの身に秘められたドラゴンの力をフレイムに貸し与え、幼児化して巨大な赤竜を出してみせるのは、たしかにこの上なくウケるだろう。しかし、街中に突然大型ドラゴンが現れたとなれば国家存亡レベルの事件となるから、やりたくてもできない。
「……こうなったら、しかたない。あまり使いたくない、竜人とっておきの技をお見せしましょう」




