02頁 「天使祝司を見よう」
恐くて近寄れない人の輪から飛び出し、酔っぱらいにすたすたと歩み寄る少女がいた。喧嘩ならば恐いものなしの、ルビィアースである。
「おじさん、止めときなよ。このお姉さん、強いよ。分からないの? ブッ飛ばされるのがオチだってば」
「女子供はすっこんでろ!」
「あっ……!?」
せっかくの忠告を無視され、勢いよく胸を突き飛ばされた。ドラゴン級の耐久力をもつ頑丈極まりない彼女にとっては痛くも何ともなく、ただよろめいただけだったが、手のひらで胸を触られたという許しがたい事実がルビィアースの純情を傷つけたのだ。
「このォ……エロ親父っ……!!」
問答無用で大男のえり首を掴み、激怒のままにぶん投げる。二階建ての人家よりも高く舞った酔っぱらいは飛びに飛び、最後はルビィアースが狙った通りに水をたたえた噴水の中へと突っ込んだ。
たとえ女騎士と喧嘩をしても巨大な扇の剣で小虫のようにはたき飛ばされるだろう。結局、男の運命は変わらなかったのだ。
投げた後になって己のしでかしたことにようやく気づき、フレイムといっしょに「あわわ……どうしよう」と青い顔で震えていたルビィアースだったが、人の輪から拍手と歓声が上がり、「いいぞ、赤髪のお嬢ちゃん!」とか「怪力世界一!」といった褒め言葉まで向けられている。どうも上々のパフォーマンスとして受け入れられたらしい。
「すまない。おかげで助かった」
横に薄く広がった鞘を元の形に戻す女騎士に微笑みかけられ、ルビィアースは恐縮して頭を下げる。見せ場の決闘を邪魔されたというのに逆に礼をいう清廉潔白さは、彼女の気高い心根を表している。
「強いな。私の名はヴァルキリー。お前は?」
「ルビィアース。その剣、変わってますね?」
「ああ、コレは生きているのだ」
腰に装備し直し、今は沈黙している剣に青い目を向け、ヴァルキリーと名乗った騎士は背を向ける。
「では、私は失礼する。縁があればまた会おう、ルビィアース、強き少女よ」
熱く、四方八方から放射されるような人々の好奇と情熱の目にもまったく取り合わず、ヴァルキリーは人の輪を通り抜けて道の先へと消えた。
「話しているこっちの身が引き締まるような、まるで刃物みたいな雰囲気の人だったね、フレイム。生きている武器、かあ」
「それはそうと、さっさとこの場を離れた方が良いと思いますが」
今度はルビィアースの方へと観衆の視線が集まりつつあった。厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだったので、フレイムの助言通りにそそくさと人の輪を越えて観光を続ける。
白い雲が浮かぶ青空の下、ルビィアースとフレイムはのんびりと歩を進めていく。美味しそうな匂いに釣られてつい買ってしまった焼き菓子の甘みが口いっぱいに広がる。半分をフレイムに分け与え、「うまーい!」と感想を交わしながら笑顔で祭りの中を見て回ると、ふとそこに一人の異物を見つけ出した。
光の粒の海にまぎれこんだ一点の闇。そんな印象の男だった。身体にぴったりと張り付き折り目がはっきりとした、ルビィアースが見たこともない真っ黒の上下服をまとっている。その異国風の服装のせいで身体がすっと細く端正に見えた。彼は騒ぎに加わらず、道の端で一人、煙草をふかしている。灰色の髪と黒色の瞳もあいまって、彼の周りだけがどこか暗く、月の無い夜のように寒々しい。すべてを見通すかのような聡明な目で、陽気な空気の祭りを無感情に眺めていた。
「あの人、どうしてこんなに楽しいお祭りに参加しないんだろ? 恥ずかしいのかな?」
「この世には色々な人がいるんですよ、ルビィさま。そんなにじろじろ見たらこちらが田舎者みたいで恥ずかしいですから、お止め下さい」
横から髪をフレイムに引っ張られて止められ、底が見えない深淵のような男への興味を引きずったまま、ルビィアースはしかたなく道の先へと進んだ。
そのうちに、なぜか道の両脇にずらっと人が分かれて並んでいるのが見えてきた。そこにはお祭りのざわめきとは別種の緊張感と、英雄の凱旋を祝うかのような熱狂的な歓声が入り交じっている。
「来た! 来たぞ!」
「大魔女フレアだ!」
そんな観衆の声に迎えられ、広々と開けられた道の真ん中を堂々と、美しき大魔女と、そのお付きの召使いたちが通る。
赤、青、黄、白、といった様々な色の布地を組み合わせた極彩色のドレスをまとい、輝くばかりの宝石たちに彩られ、金色の長髪と金色の瞳をした黄金の大魔女が、エールを送る人々に向けて顔の前で軽く手を振っていく。一種のファンサービスである。
「なんて華やかな人なんだろ……」
ルビィアースとフレイムはわきたつ観衆にまぎれ、前を通り過ぎるフレアのきらめく姿に魅了され、見入っていた。
大魔女オーロ・ラ・フレア。その名は諸国を渡り歩く間に、ルビィアースが何度も噂で耳にした偉名だ。魔法使いとしては規格外の大魔力と、世にも稀少な魔法属性を生まれもつ、世界各地に破壊と再生をもたらす生き神のごとき魔女。実際にフレアを目にするのはこれが初めてだった。
人は力あるもの、強きものに惹かれる。己の意思にのみ従う自由奔放なフレアのやり方は物議をかもすものの、その類いまれな力と美貌で、ひとたび人前に姿を現せば英雄か王族のようにもてはやされるらしい。
フレアが噂以上の大人物であることはルビィアースにも一目で伝わった。存在の芯である魂から血肉まで黄金で出来ているかのような、隠しようのない高貴な気配がありありと発せられているからだ。生まれながらに人を惹きつける華をもった人間というものはまれにいるが、そんなカリスマ的な人間の極致がオーロ・ラ・フレアという黄金の大魔女であるかのようだった。
「……すっごい、かっこよかったよね、フレイム! どうしてあのフレアがこのお祭りに来てるんだろ!?」
「それはやはり、国外でも有名な天使祝司を見るためでしょうね」
道の先へと去っていったフレアの一団を追い、ちょうど光に魅せられた羽虫のように、ぞろぞろと観衆たちが付いていく。異国の地でも、早くも多数の心酔者を生み出し続けているらしい。
「わたしもあのフレアみたいに気高く、美しく、かっこいい女になりたいわ! どうよ? この美貌、この若さ!」
胸や腰、脚線美を強調するポーズをとり、投げキッスをして見せるルビィアースに、フレイムはげっそりとした表情を返す。
「どうって言われましても……。ルビィさまは竜人で、もともとドラゴンの眷属ですから、基本的に筋肉質で、あんな線の細い優美さは望むべくもないかと……」
「何よ! 失礼しちゃうわね。脚だって髪だって長いし、胸だって、けっこうあるんだから! わたし、美の種類がこの世でたった一つだとは思えないわ。フレアの王女みたいな方向の綺麗さには敵わないかもしれないけれど、野性味ある美しさならわたしだってきっと負けないわ!」
両腕を上げてそんなことをわめき散らしていると、フレアが向かった先へたくさんの人たちが走っていくことにルビィアースは気がついた。またもフレアの追っかけかと一瞬思ったが、どうも違うらしい。「パレード」と「天使祝司」の二つの言葉が、すれ違う人々の口に上っていたからだ。
ピンと来たルビィアースはフレイムを連れて、フレアが消えた先を目指して走る。思った通り、そこには大通りを埋め尽くすほどの人であふれていた。先ほどの大魔女フレアの行進の時の熱狂的な空気とは違う、おごそかで張り詰めるような雰囲気が場を支配していた。
人の海をかき分け、ときには一気に跳び越えて、ルビィアースたちは最前列へ出る。
剣や槍や弓で武装した幾人もの兵士に守られ、老王エルドラドと、その横を歩く可憐な少女が、通りの向こうから粛々と進んでくる。この国の王様と、奇跡の顕現である「天使祝司」を目にし、ルビィアースの赤い瞳は釘付けとなった。
王冠とローブを身につけ、いかめしい顔でパレードの中央を歩くエルドラド王は、老年にもかかわらず肩までかかる長髪で、肩幅が広く、がっしりとした体格である。この千年帝国の豊かさと尽きることのない体力を象徴するかのような力強い王だ。
そしてこの建国祭の目玉である至宝、「天使祝司」。薄黄色のワンピースをまとい、銀色の髪をした色の薄い少女が、胸の前で化粧箱を両手でうやうやしく持っている。箱に納められた大粒の宝石が、あらゆる願いを叶えるという天使祝司だろう。乳白色に輝くそれは特大の真珠を思わせる。
ルビィアースが息を呑んで見つめるうちに、国王と天使祝司を運ぶパレードは何事も無く通り過ぎていった。
国王が見えなくなったことでそれまでの厳粛な空気は緩み、万能の天使祝司をうらやむ声や、謎の天使祝司の正体をあれこれ推定する声がそこかしこで交わされる。
「うぅーん、良いもの見たなぁ。……んん……?」
心地よい満足感が総身に満ち、ルビィアースが両手を上げて猫のように背筋を伸ばすと、頭上に一人の女性が浮いているのが見えた。
羽ばたきもせずに宙に静止していることから「飛翔」の魔法を行使中らしい。しかもその服装が、またも見たこともない奇妙奇天烈なものだった。国を挙げてのパレード中に魔法を使って国王の頭上から俯瞰するなど、よほどの大物か、さもなくば馬鹿でなければできないことだ。「頭が高い!」としょっぴかれなかったのが不思議なくらいである。