16頁 「戦争の原因とは」
「人に化ける魔物……仮に、氷樹の意思とでも名付けようか。氷樹の意思が暴れている時に、この森全体の気が活性化し、あいつと連動していることに気がついた。氷樹の意思は、動くことができない氷樹の森の願望が人の形に具現化した存在だ。
森の近くを通りかかった者、観光にやって来た者に化け、肉体と精神を乗っ取って殺す。そこらの幹の中で凍っている者たちは、食虫植物に捕まった虫のように樹の養分にされたのさ。ここは人食いの森だよ」
「ひっ、人食い……!? あわわわ……」
細緻で美しい氷の葉と枝で出来た、芸術品のような氷樹。物言わぬ幻想的な森が、じつはルビィアースたちをエサにしようと四方から見下ろしている。氷樹の森への好意的な感情が百八十度反転した瞬間だった。
「ううっ……。ルビィ、さま……。すみません、私はもう駄目です……。寒すぎて、冬眠に入りそうです……」
「なっ、何言ってるのよ、フレイム! 最強種のドラゴンのくせに、そんな情けないこと言わないで!」
「ドラゴンだって、は虫類……変温動物なんですよ……」
肩からころんと転がり落ちたフレイムを両腕に抱え、ちゃんと呼吸が続いていることを確認し、ルビィアースは白い煙のようなため息をつく。ルビィアースだって寒いが、眠くなるほどじゃない。
みんなでじっと固まり、脱落者を待っているが、ここに居るのはすでに王の選別によってふるいにかけられた強者ばかりだ。ただの寒さ程度ではいつまで経っても終わりが見えてこない。
「……飽きた。この八人で適当につぶし合いをして、脱落者を二人出そう。それで終わりにできる」
可愛らしいあくびを漏らしつつ、そんな恐ろしいことを言いながら、フレアの気配が変わった。彼女の周りに、ブリザードのような吹雪の竜巻が生まれたのだ。
誰もが考えていて、それでいて言い出せなかったことをいとも簡単にやり始める。それが大魔女フレアの格だった。始めにバトルを仕掛けた者は高い確率で集中的に狙われる。しかし、フレアにとってはそんなことは問題にならないらしい。
「もう寒いのいやーーっ!! よーしブラック、殺るわよー!」
「ええ、攻撃が得意な私で一気にかたをつけましょう」
ホワイトアリスからブラックアリスへと瞬時に交代し、黒ずくめのゴシック風ドレスとなった彼女は、全身から黒い霧を放出し始める。
その霧に包まれたルビィアースは身体が重く、手足が痺れるような嫌な脱力感を味わった。本能的に危険だと感じ、後ろへ跳んで黒い霧の外へと脱出する。
「自動回復型の白色とは違って、黒い方は自動で周囲の生命力を略奪するのか。なかなかエグい能力だね」
黒い霧は氷の森を侵蝕するように空間中へと広がり、天地を赤黒い光に覆われた場は地獄のようなまがまがしい気配に満ちている。広範囲への影響攻撃にも、フレアは身にまとった回復魔法で侵蝕ダメージを相殺し、涼しい顔である。
「ああーっ!? ブラックアリスが、二人!」
体力を吸収され始め、ついでに空間に満ちる邪悪な瘴気に窒息していたルビィアースの叫びで、ブラックアリスは驚いたように振り返る。そこにはブラックアリスと同じ姿の少女が薄笑いを浮かべて立っていた。
今まで息をひそめていた氷樹の意思が、ブラックアリスの黒い霧を煙幕代わりにして現れたのである。
「あーっ、もうめんどくさーいっ! 偽物も、本物も、二人まとめてぶっ潰す!」
ロトリィが足元の巨大サイコロを放り投げ、ドクロの目や星の目をさらしながら転がり、トランプのダイヤマークのようなひし形の目を出す。
宝石のように輝くこぶし大の氷塊がサイコロから無数に飛び出し、二人のアリスへと殺到する。
自身の前方に液体状の闇を壁のように盛り上げ、飛んできた氷を闇の中に呑み込み続けていたブラックアリスだったが、もう片方のブラックアリスが背後から服をつかみ、そのまま横へ跳んだ。
盾にされたブラックアリスに残りの氷塊弾が集中し、着弾した箇所から瞬時に凍りつき、ブラックアリスの全身が氷の中へと閉じ込められる。
「よくも……やったわね……」
内側のアリスが見えなくなるほどに濃い闇が満たされたかと思いきや、氷に亀裂が入って粉々に砕け、ブラックアリスが黒い霧をまとって脱出する。
その赤紫の瞳に隠しようのない怒りをにじませながらも、彼女の顔や手足には痛々しいあざが浮かんでいる。さっきの氷塊が着弾した時の威力によるものだろう。
ホワイトアリスに交代すると、自動回復の作用でみるみるうちに身体中のあざが治ってしまう。同時に、場に展開していた地獄じみた影響攻撃も解除された。ホワイトアリスでは使えないらしい。
むっとした顔のホワイトアリスが攻撃したロトリィその人ではなく、なぜか自分の方へとくるりと振り返ったので、ルビィアースは困惑した。はっと気づき、恐る恐る横を見てみれば、そこにはルビィアースと同じ姿をした少女が立っていて、こちらへ向けてにこやかに手を振っている。ご丁寧にも腕の中のフレイムまできちんと再現し、そのせいではた目にはまったく見分けが付かないだろう。
ホワイトアリスが背後の宙空に円錐状の巨大な飴と、それに負けず劣らず大きな球体の飴を二つずつ浮かび上げる。そしてそれらを、ルビィアースが止める暇もなく射出してきた。
「わたしは本物! 落ち着いて! 冷静になれってばーーっ!」
「本物はわたし! こいつは偽物だよー!」
飛来する飴を避け、あるいは拳で砕き、遠くから説得を試みるものの、ホワイトアリスは構わずに次々と飴を飛ばしてくる。二分の一の確率で標的の偽物に当たるから、攻撃をやめるつもりがないらしい。
隣でちょこまか動き回る偽物に妨害されるせいで、避けきれない飴が本物のルビィアースにがんがん当たる。すっかり頭にきたルビィアースがホワイトアリスに突っ込もうと身構えたとき、耳をつんざく破壊音に身を縮こまらせた。
氷樹の幹が粉砕され、その中の凍結しきった遺体も粉雪のように散る。他の樹の枝を巻き込みながら倒壊し、何千という繊細な氷の葉がいっせいに砕け散る様は、息を呑むほどに美しい特級のダイヤモンドダスト現象を思わせた。
「お二方。少し、頭を冷やした方が宜しいのではなくて? このままでは術中にはまるばかりですわよ」
金棒へと形態を変えた鬼蓄を鬼百合は笑顔で振り下ろし、氷の地面が放射状に割れる。鬼蓄で氷の樹を砕き、続けて厚い氷の地面を薄ガラスのように叩き割る鬼百合のパフォーマンスにより、混乱しきっていた場はしんと静まりかえってしまった。
「その偽物の目的は、俺たちの同士討ちと、それによる死者の増加だ。今回の試練は脱落者が二名出た時点で終了するが、このままもてあそばれていては二名で済まなくなるぞ」
淡々と現況を説明したチェスフォッグが、二人のルビィアースへと歩み寄る。片方が身構えるが、チェスフォッグは糸ほども表情を崩さない。
「全員聞け。二人のルビィアースのうち、逃げた方をいっせいに攻撃しろ。もちろん俺も攻撃する。偽物に告ぐ。逃げれば死ぬ。それをよく頭にたたき込め」
切れる男だ。こういう条件を備えれば、もう偽物の氷樹の意思は逃げたり化けたりすることができなくなる。
しかし、頭が切れる以上にキレている。イカれている。本物のルビィアースが死ぬ可能性があるというのに、それを少しも嫌がったり恐れたりしていない。ルビィアースの命をギャンブルのチップか何かのように扱っている。
「俺が恐いか? からっぽの、森の操り人形。逃げたかったら目をそらし、耳をふさいで逃げてもいい。ただし、その前に怯えろ。ただ、心の芯から怯えて見せろ。それとも怯えた醜態をさらすのが嫌か?」
「…………?」
二人のルビィアースに向けて、淡々と話しかけるチェスフォッグ。ルビィアースは意味深な言葉に首をかしげるだけだったが、偽物の方は様子が違ってきていた。全身が震え、ルビィアースの顔で怒りと恐怖を表している。
「俺にはお前の心が手に取るように読める。恐怖と不安と敵意が混ざっているな。これまで人を喰い続けてせっせと築いた自信が崩れかかっているぞ。自信を取り戻す方法を教えてやろう。それは俺を強く憎悪し、怒りによってあらゆる不安を塗りつぶすことだ。怒り以外は何も意識するな」
はじめは区別のつかない二人のルビィアースに向けてしゃべっていたが、途中からは異常をきたした偽物一人にだけ言葉を注いでいる。
怒りをあおるような言葉でありながら、チェスフォッグの声は静かで、表情も穏やかだ。ただ、彼の目はどこまでもどこまでも暗い。
彼の口からつむがれる言葉は明瞭で聞き取りやすく、胸の底へとすとんと抵抗なく沈み込むような、どこか嫌なものを感じさせた。心の奥底で、受け取った言葉がじわじわと毒を放つ。そんな不吉な印象をルビィアースは受けていたからだ。
「お前は今怒っているが、その怒りはいったい何に向けてのものだ? 怒って守るべきほどのものなど、お前は何も持ち合わせていない。そう、お前は人に化けて心のうわべをかきまわし、だますだけが能の、悲しい幻だ。ならばお前の心も意思も誇りも、すべては幻想にすぎない。お前の怒りも、憎しみも、悲しみも、すべて意味はない。お前は、虚無だ」
最後にそう宣言され、氷樹の意思はでく人形のようにたたずんだまま動かなくなってしまった。
「……呪文か。これは面白い。珍しいものを見た」




