15頁 「氷樹海に巣食う、わたし……?」
寒さで動きがにぶるフレイムを右肩に留まらせ、ルビィアース一人で森の先へと進む。氷の樹が無数に生えていて、そのうちでも人間入りの樹はほとんど無い。自身の姿が周囲の氷の幹に映し出され、氷が張った光沢をもつ地面にも己の鏡像が浮かび、幻想的で美しくてもすぐに方向感覚が狂う異様な森である。
目を閉じたまま安らかに眠る、男性の遺体。氷の幹の中をのぞき込んでいると、幹表面に水鏡のように映ったルビィアースの顔が……歪んだ。にっこりと可愛らしく微笑みかけてきたのである。
直後、耳元を疾風のような何かが通り過ぎ、あとはもう何の変化も起こらない。何か変だとは思いつつも、気のせいだと思い直すことにした。
進んでも進んでも氷の樹海が単調に続くばかりであり、遭難を恐れたルビィアースは素直に引き返した。
「おーい、みんなー! ここはたしかに綺麗だけど、何もないよぉー!」
そんな当たり前のことを言いながら、皆へと笑いながら歩み寄る。ルビィアースへと向けられる視線が妙に厳しく、どこか険悪な空気が漂っていた。
「……あ、あれ……? みんな、どうしたの? そんな恐い顔をして……」
「はーあ、開き直りって奴ー? さっき、ここでさんざん暴れてみんなを襲ったくせに。ま、ロトリィちゃんは運良く襲われなかったんだけどさ」
「ええーっ!? そんなの嘘だよ! わたし、さっきまでずっと向こうの方を探検してたんだから!」
「嘘はいけないと思うわ。悪ふざけが過ぎると、あなたのお口にお菓子を死ぬほど突っ込むわよ」
もともと寒さで不機嫌なホワイトアリスに詰め寄られ、悪くもないのに後ずさるルビィアースは本物の犯人であるかのようである。
その時、樹上から一人の女の子がルビィアースの背後へと飛び降り、陽気に肩を組んでみせる。
「みんな、こいつは真っ赤な偽物だよ。わたしが本物のルビィアース」
強引に肩を組まれたルビィアースは、その人ならざる低体温に驚きつつも、さらなる怪事に言葉を失った。自分と同じ顔、同じ身体、同じ声の、ルビィアースとうり二つの人物がすぐ隣に立っていたからだ。
もう一人のルビィアースは肩を飛び越え、森の中へと逃げていく。ルビィアースが二人に分裂したかのような現象に、誰もが驚きを隠せなかった。
「偽物は、あんたでしょうがぁーっ!!」
フレイムを肩に乗せたまま、本物のルビィアースが全速力で偽物を追う。偽物だけあって、竜人のルビィアースよりもはるかに足が遅い。すぐに追いつき、観念したのかどうなのか、偽物ルビィアースは開けた場所で立ち止まって振り返る。
本物との違いは肩にフレイムが留まっているか、いないかのみ。それ以外は完璧な再現である。鏡の向こうに見える己がそのまま三次元の立体で現れるというのは不気味だ。
「お前は誰だ?」
「…………はあ? 竜人の元気娘、ルビィアースだよ。偽物のくせに、偉そうに何言ってるのよ」
「もう一度、問うよ。お前は誰だ?」
「な、何を言って……」
自分と同じ顔と声の少女に問いかけられ、もう一人の自分の声が何だか変な声だと感じつつも、ルビィアースは奇妙な胸騒ぎに眉をひそめる。
「お前は誰だ? ルビィアースはこのわたし。お前は、ルビィアースという名の竜人じゃない。世界でただ一人のルビィアースだという証明があるの? ないでしょ? 本物はこのわたし。自分で気づいていないだけで、お前はルビィアースとは別人。お前は誰だ?」
「え……? ……あ……? わ、わたしは……?」
目の前の、自分と寸分たがわぬルビィアースに、わたしがルビィアースだというアイデンティティーを否定される。足元の地面が揺らぎ、崩れ落ちていくような不安を覚える。
目の前の少女の姿は完璧にルビィアースだ。ならば完璧なルビィアースに否定された自分は何者なのか? 名前がない、ルビィアースとは別人の誰かではないのか? わたしは誰だ? わたしは誰だ?
混乱し、自我の境界があいまいになり、そのせいでクリスタル状の冷たい地面に両ひざを突いた時、偽物のルビィアースへと斬りかかるヴァルキリーの姿ではっと我に返る。
偽ルビィアースは紙一重で剣をかわし、ヴァルキリーとすれ違いざまに小さな吹雪に包まれた。そして、次の瞬間には二人のヴァルキリーが向かい合っていた。
片方のヴァルキリーが斬りかかり、もう片方が剣で受ける。たった一太刀合わせただけで、片方の剣が崩れて消えてしまった。
「私の姿は似せることができても、この唯一無二のワルキューレまでは複製不能のようだな。卑しい猿真似はやめろ。むしずが走る」
「お前の存在証明はその長剣だけか? ずいぶんとつまらない、哀れな女だ。どうした? だいぶ生に飽きている様子じゃないか。もう疲れたというのなら、私がヴァルキリーを引き継いでやってもいいぞ。代わりにお前は、この森で安らかに凍っていけ」
ヴァルキリーと同じ顔、同じ声、同じ口調でしゃべる偽ヴァルキリー。偽ヴァルキリーはみんなが固まっている場所へと走っていってしまう。これではまたルビィアースの時のような混乱が起きるだろう。
ぼう然とひざを突くルビィアースに、ヴァルキリーが駆け寄って肩を抱く。
「しっかりしろ。自分を強く持て、ルビィアース。この氷の大自然に対して、私たち個人はあまりにもちっぽけで無力だ。自分の無意味さ、はかなさを嫌でも味わうことになる。アレはそんな心の弱みにつけ込むたぐいの化け物だぞ」
その凛としたかけ声で、白い霧がかかったようになっていた思考がクリアになる。もしもヴァルキリーが来てくれなかったら、自分こそが本物だと宣言するあの偽物にそのまま取って代わられていたかもしれない。空から降る幻の雪とはまた別物の悪寒で、ルビィアースは肩をぶるっと震わせる。
ヴァルキリーと共に、みんなが固まる場所に走って戻る。そこでは案の定、偽物のヴァルキリーが剣を振るい、血のみを求める狂戦士のごとくホワイトアリスや鬼百合へと斬りかかっていた。
怒りに駆られたヴァルキリーが飛びかかると、偽物はヴァルキリーの姿と声のまま挑発するように高笑いを上げ、林立する氷樹の中へと逃げていった。
「い、いったい何なのよ、アレ……!? モンスター? それとも人間?」
偽物が消えた先の樹々を見つめながらぽかんと口を半開きにするルビィアースに、ヴァルキリーは「気味が悪いな」と同意し、鞘へと剣を納める。
「みんな。見ての通り、あいつは私やルビィアースに化けた。ここにいる誰にでも化ける可能性がある。下手にばらけると、本物と偽物が入り交じって大変なことになるだろう。動かず、全員で固まっているのが賢明だと思うが、どうだ?」
「さ、賛成……。あさはかでごめんなさい……」
ルビィアースは弱々しく片手を上げて苦笑し、賢明でない自身に対してため息をつく。
八人全員でその場に固まり、偽物の来襲に備える。これならば偽物が出現しても誰かが二人に増えるのが一目瞭然だ。陣形を崩さない限り、本物と偽物の区別は簡単につく。
奇しくもエルドラド王が望んだとおり、雪と氷の寒さに耐える我慢大会の状態になってしまっていた。
その場から離れれば、本物と偽物の区別がつかなくなるために誰も動けない。運動しなければ身体は冷える一方である。
ホワイトアリスは特に寒さが苦手なようで、きらきらと光る白い粒子を全身にまとい、体力が低下したそばから自動で完全回復を続けている。しかし、体力の残量と感覚的な寒さは無関係らしく、見ていて哀れになるほどにがたがたと震えている。
「ああ……。温かい血が飲みたい……。この際、処女の血なんてぜいたくは言わない。男でも女でも何でも良い……」
もともとどこか青白い色の肌をしたリフレェンはさらに真っ青になっていた。不死身の吸血鬼でも寒さはダメージを受けるらしい。
鬼百合は唐傘の「鬼蓄」から鬼火という小さな火の玉を四つ呼び出し、それを身の周りにふわふわと浮かべて暖を取っている。ろくに魔法も使えず、ただ耐える以外に方法をもたないルビィアースにとっては涙が出るほど羨ましい。
ロトリィは大きなサイコロを地面に置き、それを椅子代わりにしてのんびりと鼻歌を歌っている。頭のうさぎ耳から察するに、自然環境への動物的な耐性をもつらしい。
ヴァルキリーは我慢較べが始まってから両腕を組み、堂々と幻の雪と森の低温度に身をさらしていたが、しばらく経つと無言でワルキューレの鎧を展開し、全身を覆う甲冑で寒さをしのいでいた。うっすらと青い光をまとっていることから、あの神聖なオーラには寒さへの抵抗性もあるらしい。
チェスフォッグは腕を組み、人の骸で青く光る樹々をにらみつつ、たまにぶつぶつと独り言をつぶやいている。氷樹の森の亡霊にでも憑かれたのかとルビィアースは驚いたが、そうではなかった。彼が言葉を発するたびに、チェスフォッグの周りの気流に変化が起こるのである。魔法の効果なのか、一種の気温調節を行っているらしい。
「……フレアさん。さっきの、わたしやヴァルキリーさんに化けた奴っていったい何者なんでしょう?」
「食虫植物という、匂いや甘い蜜で虫を誘って取り込み、養分にする植物を知っているか? 多分、アレはそんなたぐいの魔物だろうさ」
フレアは腕を組んだまま、退屈そうな目で氷の樹を見た。フレアの周りだけが春のように暖かく、心地良い。自然に干渉し、空気と気流を操って雪と寒さをシャットアウトしているようだ。




