初頁 「なんでも叶う天使祝司」
「やっと着いた! ここが今度の国……千年王国かあ!」
「ずいぶんと立派な国ですね、ルビィさま」
野を越え山を越え、緑の平原を歩きに歩いて、旅の少女ルビィアースはついに次なる目的地へとたどり着いた。ルビィアースはその赤い瞳に喜びをあふれさせ、彼女の背後を飛ぶお供の小さな赤竜フレイムも、達成感で翼の羽ばたきに力がこもる。
人の基準に照らせばルビィアースの姿は十五才前後。背中にかかる長髪は血のように赤く、くせ毛のせいでところどころがカールしている。生活用品を詰めて丸くふくらんだずだ袋を背中にひっさげ、半そでの汚れた上着とももがむきだしのホットパンツを着て、彼女はフレイムといっしょに気ままに世界を見て回ってきた。
一見すれば人と同じ大きさ、姿形……しかし、実はルビィアースは人間でない。その正体は世にも稀少な竜人の血族だった。その細身には人をはるかに超えたドラゴンの力を秘めている。大地の広さも、持ち前の怪物的な体力でなんのそのだ。
額に手を添えてまぶしい日差しをさえぎり、前かがみになって地平にぼうと浮かぶ国境を眺めれば、わくわくとした好奇心でルビィアースの胸ははずむ。草原を揺らせるそよ風も、これまでのルビィアースの旅をねぎらっているかのように涼しく、心地良い。
「行くよっ、フレイム!」
「あっ!? 待って下さいよ、ルビィさまーっ!」
「あはははっ、早く早くーっ!」
フレイムを置き去りにするほどに速く、ルビィアースは野を駆け抜けて千年王国の国境を目指す。未知なるモノと出会った時の、血の流れが加速するような高揚感はいつもたまらない。この楽しみを求めて彼女はたいくつな故郷を飛び出してきたのだ。
国をかこう石積みの塀の前にたどり着き、どこか浮かれた様子の門兵に入国の理由を観光だと告げると、すぐにルビィアースたちは門の先へと通された。
門をくぐってすぐに耳に飛び込んできたのは、数々の軽快な音楽と人々の楽しげな騒ぎ声。大通りの両端にずらりと出店が並び、道の真ん中でたくさんの国民が歌い、踊り、飲み食いをしてどんちゃん騒ぎをしているのが見て取れた。
「な、なんじゃこりゃ……」
「どうやらお祭りのようですよ。何かの記念日ですかね?」
「お祭り!? わたし達、ツイてるわね!」
人語をしゃべる赤竜フレイムに耳打ちされて、ルビィアースはぴょんと飛び上がる。彼女はお祭り騒ぎが大好きなのだ。
長旅でくたびれたルビィアースの衣服はみすぼらしくても、竜人の証である燃えるような目と髪の色、そして誰にでも可愛がられる少女時代という特権、おまけにすぐ後ろを飛ぶ大ぶりのメロンくらいの大きさの赤竜は、国を問わずに人々の関心を引いた。お祭りを見物して歩くうちに酔っぱらいの一団に声を掛けられ、皿いっぱいの骨付き肉とコップ数杯分の赤ワインを気前よくごちそうしてもらった。
「良い国ねぇ! みんな優しいし、身なりも綺麗だし! きっと国そのものが豊かなんだね」
「たしかに、今まで見て回ってきた国々の中でもここが一番人家が密集しています。良い所に来ましたね」
美味しいワインのおかげでうっすらと酔い、ほのかに赤らんだ顔で大手を振って道を歩くルビィアース。酒盛りに付き合い、調子に乗ってレンガを両手ではさみ潰して粉にして剛力を披露し、ウケをとったついでに何のための祭りなのかも聞き出すことができた。
今日は建国記念日らしい。それも毎年訪れる普通の記念日とは一線を画す、十年ぶりの特別なお祭りなのだ。今日が記念日当日で、これから数日祭りの熱気が続くようだ。
十年周期のこの建国祭では、国の礎を築いた万能の神器、千年王国の富の源、あらゆる願いを叶えるといわれる「天使祝司」を国王自らがパレードで開帳するらしい。それを目当てに国外からの観光客も多いのだとか。
しかも選ばれた数名が、奇跡の具現である天使祝司を間近でおがむことが許されるらしい。その数名は明かされておらず、国の使いからこっそりと声がかかるので、そのくじ引きのような抽選の趣向も人々の期待感をあおっているようだ。
「世界は広いですね。どんな願いも叶えてくれる、夢のようなアイテムがあっただなんて。びっくりですよ、ルビィさま」
「天使祝司かあ。いったいどんな形の道具なんだろ?」
屋台で買った棒付きのキャンディーをなめながら、ルビィアースは空想する。もしもどんな願いも叶うのだとしたら、自分は何を望むのか?
少し考えてみても分からない。頭の中に浮かんだ願望はもやもやの不定形で、はっきりとした形にまとまらなかった。大人でも子どもでもない年頃の彼女は自分が何者で、何ができて、何が欲しいのかがまだ分からない。
「……はあ。まあ、いいや。難しいことは後回しで。……お?」
通りの反対側でルビィアースのように屋台のお菓子を買っていた女の子が、往来で男とぶつかってはでに転び、手に持っていた何かが道に放り出されたのが目に入ったのだ。道が埋め尽くされるほどの混雑具合からある程度の接触は仕方ないとはいえ、転んだ女の子へ振り向きもせずに歩き去る男の品性の無さにルビィアースはむっとする。
女の子の方へと駆け寄り、まずは誰かに踏まれる前に道に転がった何かを拾い上げる。何かと思えばそれは黒ずくめの人形だった。ゴシック調の丁寧な作りをした黒いドレスをまとい、美しくも怪しい雰囲気のアンティークドールだ。
「だいじょうぶ? 立てる? はい、これ。落としたよ」
「いてて……。……ああっ!? ブラック! 平気!? 怪我はない!?」
よほど大切なものなのか、顔の前に差し出された黒い人形を女の子はひったくるように受け取り、「投げたりしてごめんね、ブラック」とつぶやきながら胸に抱きしめる。ブラックというのは人形の名前らしかった。
女の子の手を引いて立たせれば、息を呑むほどに可愛らしい女の子だった。陽の光を思わせる金色の長髪を何房ものくるくる巻きのコロネにし、つぶらな瞳はエメラルドのように澄んだ緑色をしている。
無数のフリルとレースで彩られた華やかな白いドレスに身を包み、足元の赤いストラップシューズが良いアクセントとなっている。両手で抱えたブラックという人形に負けず劣らずの、ドールショップのショーウィンドーから飛びだしてきたような服装だった。野宿を繰り返し、所々が破れたボロ服を着るルビィアースとは天と地の差だ。
「ブラックを助けてくれてありがとう。この子はかけがえのない存在だもの。もしも踏まれて、ドロで汚されでもしたらとても耐えられないわ」
「……一応、私からもお礼は言っておくわ」
女の子のふんわりとした笑顔に心温まる思いでいたルビィアースだったが、腕の中の黒ずくめの人形が突然顔を上げ、そんなことをぽつりとしゃべったせいで、驚きに赤い目を見開いた。
「わたしの名前はホワイトアリスよ。またどこかで会えたら良いわね。優しいお姉さん」
上品に微笑んで軽く手を振り、ホワイトアリスと名乗った女の子は往来の中へと消えた。まるで白昼夢のような可愛くて不思議な白い女の子の後ろ姿を、ルビィアースはぽかんと口を半開きにしたまま見送るしかない。
「……変な人形。観賞用の人形なのにわたし達みたいにしゃべるなんて。ねえ、フレイム。あれ、いったいどうなってるんだろ?」
「魔法仕掛けのからくり人形ということでしたら説明はつきますけど。それでもよく分からないシロモノです」
フレイムと共に首をひねりながらお祭り騒ぎの道を行き、ほどなくして、何かを囲むような人だかりを見つけた。興味につられて輪に加わり、のぞき込んでみると、祭りにつきものの喧嘩らしい。向かい合っている人間同士のただならぬ組み合わせが注目を集める理由らしかった。
「すまないと私が最初に謝っただろう。だいたい、よく前を見ていないそっちに非があると思うが?」
「うるせえ! 女にぶつかって転ばされたとあっちゃ男の面目丸つぶれなんだよ!」
かたや長身壮麗な金髪碧眼の女性。しかも珍しいことに騎士らしい。瀟洒な旅装束の腰に、いかつい造りの鞘にこめた剣を提げている。その深く落ち着いたたたずまいと、磨かれた品位から、相当な実力者であることをルビィアースは見抜いていた。
かたや酔っぱらった大男。それは偶然にも、さっきホワイトアリスにぶつかって転ばせたろくでなしだった。前方不注意をまたもやらかし、今度はぶつかった自分の方が吹き飛ばされたらしい。つまり、男のくせに女騎士の力に負けたということだ。男にとってはそれが我慢ならないらしい。強そうな剣士に較べて、こっちはただ大きいだけの問題外の雑魚である。
あくまで誠意のこもった謝罪を求め、酔いの勢いで乱暴に拳を振り回す男に、女騎士は小さくため息をついて剣の柄に手を掛けた。白刃をさらすともなれば流血事件に発展する。それを予感し、人混みから小さな悲鳴が上がった。
しかし大方の予想を裏切り、どういうわけか彼女は腰にくくりつけていた剣を鞘ごと抜いたのである。女騎士は鞘にこめられたままの剣柄を握り、鞘の先端を酔っぱらいへと向ける。
ガシャガシャというにぶい金属音を立てながら鞘が変形し、東方の納涼道具の扇子を思わせる扇型へと変化をとげる。まるで剣と鞘に意思が宿っているかのような不可思議な武器だった。
見物人の視線とヤジを受ける以上、もはや当事者の酔っぱらいも後には退けない様子だった。自身の上半身ほどもある、鉄塊のような扇形の剣を右手一本で支える女騎士に、やけくその怒り任せでにじり寄っていく。