不正卒業を暴くかどうか悩んだ末に出した結論は?
1.
安藤詩織は私学最難関・花籠大学教育学部の2年である。
栗色の髪は肩にかかる長さで整えられている。
透き通るような白い肌が、彼女の艶やかな印象を引き立てていた。
花籠大学は黒江馬に本部校舎があり、学生数1万を超えるマンモス大学である。
彼女は勧誘されて英語会に入った。
英語会の部員数は総勢200人を超える。
1・2年は路線別に7つのホームミーティングに分かれて4活動を行い、3年はデベート、ディスカッション、スピーチ、ドラマの4活動別のセクションに所属する。
彼女は中古線沿線の三島ホームミーティングに所属していた。
英語会のメンバーは大抵は学生会館にたむろしている。
学生会館は古い2階建てで、壁も天井もタバコの煙で煤けている。
一階のソファの半分くらいは英語会の領分で、ホームミーティングごとに分散して座っている。
3年は別の場所に座っている。
4年には特に決まった場所がない。
活動がないから当然と言えば当然で、たまに来てタバコをふかしたり、紙コップでコーヒーを飲みに来る程度である。
ある日、三好智子という、詩織と同じ三島ホームミーティングの2年女子が笑いながら、変なことを言ってるのが聞こえた。
「わたし、塚原なの」
「あなたは三好じゃない」と詩織が怪訝そうに訊いた。
「体育のバスケでは塚原なの」
「どういうこと?」
「4年に塚原さんているでしょ」
塚原靖子とは三島ホームミーティングのOBの4年生で、3年のときはデベートセクションに所属していた。
「それがどうかした?」と詩織は聞いた。
「塚原さんは1・2年で体育の単位を落として、3年のときはスキーの集中講義で単位を取ったのよ。だけど、この大学の決まりでは、集中講義は1回だけしか取れないことになっているでしょ。それで塚原さんはバスケを選択し、わたしに代わりに出ろと言ってるのよ」
「見返りは何よ?」
「わたしが選択したスキーに代わりに出るって言ってるわ」
智子というのは、北陸の高校から現役で文学部に合格した詩織の親友で、東京生まれの詩織に比べて、脇の甘いところがある。
「スキーは12月じゃない。そんなこと信用しているの?」
詩織は笑いながら言った。
「甘いかしら?」
智子は不安げな表情を浮かべた。
「甘いわね。スキーもあなたに出ろというに決まっているでしょ。あの人が信用できるわけないじゃない。ゼミを辞めさせられたことを隠していたじゃない、あの人は」
塚原靖子は政治学のゼミにいて、デベートで選挙制度をやったときにもすでにゼミを辞めさせられたことを隠していたことがある。
智子は不安になったようだ。
「じゃあ、どうすればいいかしら?」
詩織は少し考えてから言った。
「バスケの出席を取るときに録音したらどうかしら?声が塚原さんの声じゃないとバレたら、塚原さんの単位は認められないわ。たとえ就職の内定が決まっていても、留年すれば取り消しになるわ」
「なるほど。ありがとう、詩織」
智子はそれ以来、バスケの時間のときに代返の証拠を残すために小型のICレコーダーを服の中に潜ませることにした。
2.
その年の10月。
塚原靖子はデベートセクションでの全国大会優勝の活躍に加え、花籠大学の看板・政経学部であることが買われ、あっさり都市銀行2位の富士桜銀行に内定が決まった。
12月になりスキーの授業が近づいてくると、やはり塚原靖子は智子が選択したスキーの合宿にも自分が出ろと言い出した。
智子は詩織に相談した。
「やっぱりあなたの言ったとおりになったわ」
智子は慌てていた。
詩織は笑いながら言った。
「じゃあ、あなたが出なさいよ」
「それじゃあ、話が違うじゃない!」
「これには深いわけがあるのよ」
智子は興味を惹かれた。
「なによ、その理由って」
「あなたは3年の幹事長・神山智久さんと親しいでしょ」
「それがどうかした?」
「わたしが見たところ、塚原さんも神山さんを狙っているみたいよ」
「ええ?」
智子は驚いたようだ。
「このままあなたがスキーに出て、塚原さんが卒業したらどうなるかしら?」と詩織は訊いた。
「ええと……塚原さんは単位不足になるわね。ばれれば卒業取り消しじゃないかしら」
「その通り。だからあなたは録音を大事にしまっておくのよ。あなたは自分の単位を自分で取ってるけど、塚原さんは卒業しても単位不足のままじゃない」
詩織は笑いながら言い、言葉を続けた。
「もし塚原さんが神山さんに手を出したら、大学当局に洗いざらいぶちまけるのよ。あなたは塚原さんに騙されて代わりにバスケに出ただけだから、卒業までは取り消されないわ。でも塚原さんは単位不足で卒業取り消しになるというわけ」
「なるほどね」
智子は感心したようだ。
3.
やがて送別会を経て塚原靖子は卒業した。
4月も過ぎ、桜が散る季節になった。
智子が3年になると、なぜかそれまで付き合っていた神山智久の態度がおかしくなった。
マクドで向かい合ってアイスコーヒーを啜っていると、突然、神山が切り出した。
「俺達、もう別れないか」
「え?わたしが嫌になったの」
「はっきり言えばそうだな」
「他の人が好きになったの?」
「そうだ。じゃあ、これで」
神山はそっけなく席を立った。
それからしばらくしてからのことである。
智子が新宿の名画座で古い映画を見ていたら、前の席に見覚えがあるカップルがいた。
目を凝らして顔をみると、それは塚原靖子と神山智久であった。
やはり詩織の言ったとおり、塚原康子は神山を狙っていたのだ。
智子は詩織の言ったとおりに、大学当局に録音をぶちまけて塚原靖子の卒業を取り消させるかどうか迷った。
だがそうすれば、神山の人生も狂わせることになってしまう。
智子は迷った挙句、神山まで巻き込む権利は自分にはないと想い定めた。
彼女は家に帰ると、代返の録音を静かに消した。
さようなら、神山君、塚原さん。
彼女は自分に言うかのように、静かに呟いた。




