対処は速やかでした
「ヘレン、貴方が先日持ってきてくれた本なのだけれど……」
「どうでしたかお嬢様、最近市井で流行っている娯楽小説なんですよ」
「えぇ、そうね……面白くはあったわ。現実離れしすぎていたように思うけれど」
「えっ、そうなんですか!? 似たような話もあったからいけるかなって思ったのですけれど……」
ルチアナはお嬢様のお眼鏡にはかないませんでしたか……としょんぼりする侍女のヘレンに、彼女が持ってきた本を返した。
「確かに少し前に大勢の前で婚約破棄を叫んで家から除籍されて平民落ちした方がいたから、こういうのもあるかも、と思ったのよね? あくまでも大衆向けの娯楽小説だもの、荒唐無稽なストーリー展開で無茶を突き進めたとしても、それはそれでいいと思うの」
「はい……」
「それに貴方には少しの間お使いを頼んでいたから屋敷から離れていたものね。知らなくても無理はないわ」
「あの……?」
「わたくしの婚約者だったジョルジュ・コルネリーという名の男はもういないもの」
「えっ!?」
ルチアナから本を受け取ったヘレンは驚きのあまり本を落としていた。
最近になってヘレンの仕えているルチアナに、市井で流行ってる娯楽小説をいくつか見繕ってほしい、と言われたヘレンは言われるままに何冊かを見繕った。
婚約破棄。悪役令嬢。聖女。そういった内容が主であるが、話の内容は貴族社会の事を知らない者が想像で書いたのかというような荒唐無稽なものから、実は貴族が書いたのではないだろうかと思わせるようなものまで。実に様々な内容の娯楽小説が溢れていたのである。
流行りではある。
あるのだが、ルチアナが望んだ本は明確にこういう内容、というものではなかったみたいでヘレンはお嬢様にお勧めする本をかなり吟味した。
正直現実離れした内容の方が難しく考える必要もないし、嘲笑であれなんであれ、笑えればいいかなと思ってのことだ。
中身もわからないものをお嬢様に渡して「何これとてもつまらないわ」なんて言われるのもヘレンの見る目がないと思われるだろうし……と思ったので、事前にある程度内容はチェックした。
あまり過激すぎる内容なのは避けたし、ちょっとどこぞの家に流れてた噂と似てるな……と思ったのもそっと除外した。
あくまでも創作は創作で、現実の出来事を彷彿とさせるようなものは省いたのだ。
あまり現実味がある内容ばかりだと、お嬢様もそこから色々と考え込んでしまうかもしれないと考えたので。
だがどれもこれもそういった――現実離れしていそうな話ばかりだと、それもそれで駄目かもしれないと考えたから。
二冊だけ、実際に身近で起きた、もしくはこれから起こりそうな内容の本を紛れ込ませたのである。
そのうちの一冊は先程ルチアナが言った大勢の前で婚約破棄を宣言したというシーンが含まれている本で、本の内容も先程ルチアナが口にしたように婚約破棄を叫んだ男はその後転落した人生を送るようになっている。
そしてもう一冊の方はというと――
「それからね、リリアナもこの屋敷にはいないわ」
「えっ!?」
「……あら。薄々想像していたのではなくて? この本、そのつもりだったのではないの?」
「いえ、その……えっ!? いや確かにそれは現実離れしすぎた内容の中に紛れ込ませて、このままだとこうなるかもしれないなーとお嬢様に危機感を持ってほしいかなって思った結果ですけれども」
「そうなのね。でも、わたくしが何かをする必要ってないのよ」
「そうなんですか?」
「それはそうでしょう」
ヘレンの回りくどいルチアナへの心配は、ルチアナに届く事はないのではないか。
そう思っていたけれど、どうやらお見通しであったらしい。
いずれ家を継ぐ女。そこに婿入りする予定の男。
そして、そんな男と恋に落ちるのは跡継ぎの女の妹。
恋に落ちた男女は告げる。
駄目だと思いながらも、どうしても惹かれてしまった――と。
そこで妹の方を溺愛していた両親は、想いあう二人を引き裂くのも忍びないとして姉と婚約者の関係を解消し、妹との縁を結ぶ。
本の中の姉は祖父母の元へと身を寄せて、そうしてそちらで得た縁を繋ぎ結婚し幸せになるけれど、しかし後継者として育てられていなかった妹と婿入りする予定だった男とでは家を盛り立てるには至らず――家は没落の一途をたどっていく。
姉を切り捨て妹を選んだ両親も共に落ちぶれて、最後はロクな死に方をしない。
本の内容はそういったものだ。
そしてヘレンはもしかしたら、こういう展開になるかもしれないな……と最悪の想像をしてしまっていたのだ。
何故なら、ルチアナの婚約者であるジョルジュとルチアナの妹であるリリアナとが恋に落ちていたから。
お姉さまの夫になるという事は、いずれ私のお義兄様になるという事ね、そう言ってリリアナはジョルジュが来るたびに二人の間に割り込むようになっていった。
ジョルジュにとってルチアナよりはリリアナの方が魅力的に見えたのかもしれない。彼は拒まなかった。
リリアナの行動を周囲は咎めていたけれど、しかしリリアナはそこまで本気にしていなかったのか、それともこれくらいなら怒られると思っていなかったのか……どちらにしてもルチアナからジョルジュを奪おうとしているようにヘレンには見えていた。
だが自分がリリアナに何かを言える立場ではなかったし、言える立場の相手に言われてもリリアナはへこたれなかった。
このままだと本当に娯楽小説あるあるな展開になるのかもしれない……そうなるとお嬢様は……!
どうにか手を打ってほしい、という気持ちがなかったとは言わない。
ヘレンが仕えているのはルチアナであってリリアナではないので。
このまま本当にあんな荒唐無稽な娯楽小説みたいな展開になったなら、ヘレンはこの本の作者に怒鳴り込む気持ちが芽生えていたかもしれない。
けれどもそうはならなかったと聞いて。
ルチアナが何らかの手を打ったのだと思ったのだが。
「お父様とお母様が終わらせたわよ」
「……まぁそうですよね普通は!」
先を見通す目もないようなポンコツ両親であれば小説の展開のようになっていたかもしれないが、現実のルチアナの両親――公爵夫妻がそんなポンコツであるはずもない。
娯楽小説みたいな展開に近いものが目の前で繰り広げられていた事もあって、そこまで目が向いていなかったというのをヘレンは今更ながらに自覚したのである。
「そもそもの話、ジョルジュ・コルネリーは婿入りするだけで我が家の跡継ぎはわたくしですもの。婚約者を入れ替えたところでリリアナが家を継げるわけないじゃない」
「ごもっともです」
小説の中では軽率にじゃあ妹に家を継ぐ立場もあげちゃおう、とかなりがちだが、実際にそんな事をすればどうなるかなんて火を見るより明らかではないか。
妹が希代の天才で学ばなくてもなんか勝手に把握して一を知る前から百を知ってた、みたいなものならいざ知らず、その手の話に出てくる妹は大体お勉強が苦手で、それ故にいざ姉の立場を奪って貴方がこれからは当主としての自覚をもっていくのですよ、となったところでわかりました! とはならない。大抵そこまでは考えていないので。
だからすぐにこんなはずじゃなかった、なんて泣き言を漏らすし、一緒に苦労し始める奪った婚約者もそこまで役に立たない場合、真実の愛だのと言ってたとしても急速に仲が冷え込んでいくし、挙句に家族を見限って家を出た姉に戻ってきて! なんて臆面もなく言えるのだ。
跡取りの座を返すつもりがあるならまだ可愛い方で、最悪の場合跡取りは自分がやるけれど面倒な仕事は全部お姉さまがお願いねとなる。姉と書いて奴隷と読むが如しの扱いを強いようとしてくるのである。普通の神経をしていたら姉が戻ってくるわけがないとわかるだろうに、何故だかわからないのだ。
権力を持つ家の娘がここまで頭悪いとか正気か!? と言いたくなるが、そこまで愚かだからこそ最後に破滅していく様は読者に仄暗い喜びを与えるのかもしれない。
だがヘレンはこんな展開になってしまうかもしれない、と割と本気で懸念していたのである。
リリアナが遠慮も何もなくジョルジュと距離を縮めようとしていたので。
リリアナの容姿は確かに愛らしく美しいものではある。それは姉のルチアナもそうであるのだけれど。
だがしかしルチアナはリリアナと比べると愛嬌といったものはなかった。いずれ公爵家を継いで女公爵となるのだから、周囲に意味もなく愛想を振りまく必要はないのだが、家を継ぐ事のないリリアナが近くにいるとどうしたってルチアナは不愛想というか、ややとっつきにくい雰囲気があると思われても仕方のないものだった。
それにジョルジュだって婿という立場であって、自分が公爵になれるわけではないと頭で理解していてもやはり思う部分はあったのかもしれない。夫という立場ではあってもルチアナは優秀で、支える必要があるかもわからない。だがリリアナであれば。自分を頼ってくれるかもしれない。
もしリリアナが家を継ぐ立場であったなら、頼られる自分がいずれ実権を握る事も可能なのではないか。
そんな風に、見てはならない夢を見てしまったのかもしれなかった。
常識ないんですか、とヘレンは何度だって頭の中だけであの二人をギッタギタにしていたのだけれど、流石に現実でやるわけにはいかなかったので、実はそれなりにストレスが溜まっていた。
ルチアナが特に困っている風でもなかったから、危機感がないのかそれとも何か打つ手があるのかとやきもきしていたのだが……
どうやら後者であったらしい。
一応危機感を促すべく、ルチアナに頼まれた時に娯楽小説を見繕ってもしかしたらこうなるかもしれませんよ、の意でそういった話を渡したが実は必要なかったのではないか?
今更のようにヘレンはそう思っていた。
「継ぐための勉強も何もしていないリリアナが家を継ぐなんてお父様が言い出すわけもないし」
「そうなんですけど」
「血迷った結果言うかもしれない、って思ったのよね?」
「旦那様には内密に……」
「えぇ、いいわよ。ヘレンは一応心配していたのだものね」
にこりと微笑まれたが、やはりお見通しだったな……と思うと逆に居た堪れなくなってくる。
「婚約者に不満があったとしても、結婚して役目を果たした後で愛人を作るのならまだいいのだけれど。
でもあの二人はそうしなかった。もっとも、結婚後に愛人として結ばれるのも無理でしょうけれど。
だってわたくしと結婚する頃にはリリアナだってどこかに嫁ぐ事になっているもの。今までのように簡単に会えるものではなくなるわ」
「だから急いだのではないのですか? そうなる前に結ばれようと」
「でもそれって、地獄への道を全速力で突き進む行為よ」
一人は跡取り、もう一人は他家へ嫁に出して縁を繋ぐ。
そのための娘だというのに、跡取りと結婚した後その妹を愛人にするとなれば、妹の教育は無駄に終わるも同然で。それ以前に、婿入りする男に家の娘を二人も宛がう程の価値が果たしてあるのかという話である。
「そこまでして彼をこの家に迎え入れたい、とかそういう思惑があったのならまだしもそうではない。家格が近くてとりあえず都合が良いから結んだだけの婚約で、別に何が何でも結ばれなければならない王命だとかでもない。
言ってしまえばジョルジュ・コルネリー……もうコルネリーの家名さえも名乗れないのだったかしら……まぁいいわ。ともあれジョルジュにそこまでの価値はなかった。
今まではそれでも婿としての立場はあった。でもリリアナを選ぼうとした彼がした事って、淑女として育ててきたリリアナの純潔を疑われるような行為なのよね。
まだ手を出していないと言ったところで、二人きりで部屋にこもったのは事実だもの。
何もない、の言葉がどこまで信用されるかもわからないわね」
「……信じる人はいないかと」
部屋で二人きりで何もない、はないだろうとヘレンだって思っている。
というか部屋の外に声が漏れていたしそれをヘレンは聞いてしまった。ルチアナに聞かせるわけにはいかないと咄嗟にルチアナの耳を塞ごうとしたが、ルチアナはひょいと身を躱したのでヘレンの気遣いは無駄に終わったが。
「えぇ、だからお父様は相当お怒りだったわ。折角育ててきた娘を傷物にされて、挙句その男はこの家の権利を握ろうとしている。許せるわけがない。当然あちらの有責でこの婚約は破棄。
そしてリリアナだけれど。自分が跡取りとしての教育を受けていないのだから、なれるはずがないとわかっていたでしょうにそれすら理解できていない頭の持ち主だったと明らかになったせいで、お母様にも見捨てられたの。
だっていくら可愛くても、結婚前に失ってはいけない純潔を失うような貞操観念の持ち主だと宣言したも同然ですからね。
最低限、そういった淑女としての常識は理解していると思っていただけにリリアナがやらかした事でお母様もとてもお怒りでした。だって折角隣国のボルテッタ家と縁が繋がるかもしれなかったのに。第三王子が臣籍降下するという話だったし、もしかしたらそこに嫁入りできたかもしれなかったのに。
その話も台無しになったのだから、怒るのも無理はありませんわ」
「思った以上に良縁らしきものが潰れていたのですね……」
「えぇ、でも純潔を失ったら無理でしょう?
かといって家を追い出すわけにもいかない。純潔を奪った相手に責任を取らせようにも、既に除籍されて平民に落ちていますからね。あと何日生きていられるかしら。
流石に一緒に死なせるのも……そこまでは非道になれなかったようで、リリアナは修道院に行く事になったみたいよ」
「生きてはいられるけれど……今までのような生活は無理でしょうね」
「えぇ、恐らくもう出てこられないでしょうね」
「……お嬢様、ちなみにどこから把握していたのですか?」
「どこから、も何も。わたくしが把握した時点でお父様もお母様も動いたわ」
「わかっていたのに事前に止めなかったのですか? あ、いえ、奥様も旦那様も咎める意図はないのですが」
「以前から釘を刺してはいたようだけど、それを全て無視してやらかしたのはリリアナと元婚約者だもの。お父様とお母様を敵に回す覚悟があった、と受け取ったのではないのかしら? 本人にそのつもりがなかったとしても」
そう考えると、実はもっと早い段階であの二人は見限る準備をされていたのかもしれない。
「だからしばらくわたくしにはゆっくりするように、と言われていたもの。そうじゃなきゃ娯楽小説を読む暇だってなかったでしょうね」
「あっ……」
「ヘレンは優秀なのに変なところ抜けてるわよねぇ……」
「うっ、申し訳ございません……」
「いいのよ。面白いから」
くすくすと笑うルチアナにヘレンは居た堪れなくなって視線をうろつかせた。
「あの、もしかしなくても数日屋敷を空けて次の娯楽小説を見繕うように言ったのって」
「えぇ、戻ってきたらわたくしの元婚約者が消えていたことも、妹がいなくなっていた事実も後から知る事になって驚くかしらって」
「驚きました。凄く。とても」
やっぱりな、と思った。
一体どこからどこまでが想定の範囲なのかヘレンにはわからなかったが、ルチアナはそんな事を気にするでもなくころころと笑っている。
「それでね、姉の婚約者を奪ってその後どん底の人生を歩む事になる感じの本を纏めてリリアナの向かった修道院に差し入れしてあげようと思うのだけど」
うわぁ、という声が漏れなかったのはヘレンなりの意地だった。
娯楽小説ですら婚約者を奪い、一応当主の座を得るくらいはしているのに現実ではそこに至る前に早々に処分されてしまったリリアナに対して、決してそれは善意であるはずもなく。
むしろ貴族間の契約の意味もわかっていない平民が書いたであろう空想の妹よりも上手くできなかった本物の貴族令嬢に対する煽りでしかない。
ねぇどんな気持ち? 娯楽小説の彼女の方がまだうまくやれてたと思うのだけれど。
もしその手の娯楽小説をリリアナが読んだとして。
そうしたらきっと脳内でルチアナのそんな声が聞こえるのかもしれない。
いや、煽るというよりはそれはむしろ――
「お嬢様、流石にそれはオーバーキルが過ぎますよ……」
多分怒り過ぎて頭の血管とか切れるかもしれないのでやめてさしあげて。
そんな気持ちで、ヘレンはそっと修道院に娯楽小説の差し入れはちょっと……と言うので精一杯だった。
次回短編予告
クソガキメンタルの婚約者との婚約を阻止したいために、ミモザはまず父親と話し合う事にした。
次回 価値観は近い方がいい
長い人生を共に歩むなら、その方がよろしいでしょう?




