誰が為の拍手
短編です
オーケストラが、最後の音を奏で、私の腕の動きで、力を抜いた。
私は腕を下し、振り向いて頭を下げる。しかし本来あるはずの拍手が無い。ただの一人も拍手をしない。
今までにない状況に、私の心臓は早鐘を打っていた。
顔を上げると、満員の客席から向けられる視線のすべてが、こちらを射貫いていた。その目に貫かれて、私の心臓は痛いくらいに飛び跳ねる。私は逃げるように下手にはけた。途端に、拍手が巻き起こる。何事かと振り向くと、楽器を持った皆を称賛するような大きな拍手だった。
「なんで・・・」
私の口からは、そんな言葉しか漏れ出てこなかった。
目を開けると、そこは見慣れた風景の我が家。ベッドと机、譜面を入れるための棚。それだけの簡素な部屋。ムクリと起き上がると、ベッドがじっとりと湿っているような感じがした。服も髪も張り付くようにベタベタしている。夢の中で感じた動悸と同じくらいの速さで心臓が走っていた。
もうずいぶん前の記憶。指揮を終えた瞬間に拍手がもらえるはずだった。その拍手に向かって頭を下げる。そういうルーティーンだと認識していたのに、あの日は、何故かそれがなかった。あの時もドキドキと高鳴る胸を抑え、笑顔を作ることに必死だった。
「はは・・・懐かしいな」
なんて言って気持ちを誤魔化すように布団から出た。この手の夢の対処法は知っている。コーヒーでも淹れて飲んでいれば誤魔化せるんだ。あれから一体どのくらい時間が経っていると思ってるんだ。落ち着け、落ち着け。
コーヒーを淹れるため、湯を沸かし、その間に粉をドリッパーにふるう。そうやって朝のルーティーンをこなせば、少しずつ気持ちは和らいでいく。あぁ、大丈夫だ。今日もいつもと同じだ。コーヒーを飲んで、ニュースでもみれば気持ちも落ち着く。
粉に湯を注げば、カフェのような心地よい香りが充満する。その匂いも、私を落ち着かせてくれる。
ゆっくりと滴るコーヒーを眺めながら、マグカップに溜まるのを待つ。
それなりの時間をかけて入ったコーヒーを口に含めば、鼻からも口からも、満たされていく。
ふぅ、と一息ついて、私は棚を開けた。
棚の一番上、今日の日付の書かれたファイルを取り出して、中を確認する。
今日の演奏に使う譜面を、もう一度頭から確認する。無意識に指がリズムを刻む。
「んー、んん~。ふん・・ふふん・・・」
鼻歌が漏れる。うん、大丈夫だ。私は今日もやれる。
譜面から目を離すことなく、コーヒーをすすって、鼻歌を続ける。私の頭の中には、今日のオーケストラの面々と、楽器、ステージ上の情景がすべてうかんでいる。さながら小さなコンサートだ。
頭の中だけの、コンサート。
コーヒーの香りと、私のためのコンサート、気分の上がる鼻歌。
私の朝のルーティーンは完璧だ。
沢山の拍手の音がどこからともなく聞こえる気がする。
——誰が為の拍手——
オーケストラ!




