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なおこちゃんの手紙【モキュメンタリー】  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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41話 11月18日 20:00 居酒屋美喜治③

「なおこちゃん、というのは、私、という意味で使っているんですか?」


「ええ。いまでは、高校生でも自分のことを「真奈美はね」みたいに、名前で言うようですが……。私が教壇に立っていたころは、自他の区別がついていない、と言われていたと思います。自分のことを客観視できず、他人からの視点を想像することもできていない幼児が使いがちだ、と」


「……言われてましたねぇ」

 膳所が息を吐く。まあ、涼子もそのように習ったような気がした。


「直子ちゃんは、自分のことを『なおこちゃんはね』と私にいつも言っていました」

「この、かくれんぼというのは?」


 もぐもぐと口を動かしながら、陽太が尋ねる。白樺は重い息を吐いた。


「直子ちゃんの家には、お母さんの内縁の夫がいまして……。この方が、酔えばもう……。手に負えず、何度も警察にお世話になっているようで。直子ちゃんはだから、その男からいつも隠れるようにして生活していました」


 どきり、と涼子の心臓が拍動する。

 お父さん。

 内縁の夫というのが、このお父さんか?


「その内縁の夫のことを……母親はなんて言ってたんですか」

 白樺は力なく首を横に振った。


「かくれんぼだよ、って。お父さんの機嫌が悪いときは、かくれんぼしていなさい、って」

 涼子はつい舌打ちする。


「児相はなにをしてるんです。こんなの緊急案件でしょう」


 涼子が眉根を寄せるが、小学校教員と元小学校教員たちはあきらめたように吐息をついた。


「性的虐待なら問答無用だけど、それ以外は……腰が重い」

 代表して膳所が言う。


「ぼくがまだ小学校教員だったころにも、親の代わりに弟妹を小学校に送り迎えしている中学生のお兄ちゃん、いたよ。彼、そのせいで毎日中学校は遅刻と早退。料理や掃除も全部やってて……。でも児相はなんにもしない。中学校を卒業して、そのあとはバイトで弟妹の面倒を見だしたら、美談になった」


 あはは、と陽太は笑う。涼子は何か言おうとしたが、いったん口を閉じ、咳ばらいをしてから白樺を見た。


「それで……。ここからどうして『なおこちゃんの手紙』になるのでしょうか」

「クラスメイトの手紙が相当嬉しかったようです。直子ちゃんだけでなく、お母さんも心を打たれたようで、直子ちゃんを学校に行かせようと頑張りました」


「登校できたんですか?」

 膳所がジョッキを傾けながら尋ねる。頬がすでに酔いで赤くなっていた。あまり強くないらしい。


「できました。手紙を持参した次の週ぐらいだったと思います。制服もランドセルもない状態でしたが……」


 白樺は肩を落とす。涼子は残ったビールを飲み干し、そっと声をかけた。


「クラスメイトの様子はどうでしたか?」

「喜んだのは最初の1時間ぐらいだったでしょうか。だんだん、直子ちゃんを持て余しはじめました」


 なんとなくその様子が想像できたのは、涼子だけではない。膳所も陽太も同じのようだ。

 膳所は腕を組んでうなり、陽太は冷めた様子で「だろうねぇ」とつぶやいた。


 ずっと学校に来ていなかった直子ちゃんにとって、「45分座って、黙ったまま教師の話を聞く」ことは理解しにくいことだろう。


 教師の話をみんなが黙って聞く、というのは普通にできそうだが、普通なことではない。

 保育園、幼稚園。あるいはなんらかの教育的場で、「いまからお話をするので、みんなは座って黙ってね」ということを繰り返ししていって違和感をなくす。


 例えば「絵本の読み聞かせ」がそうだ。

 あれは絵本というツールを使って、みなが話者に集中し、黙ってじっとしている練習でもある。

 そして、「語り言葉から物語を想像する」「前回の話を覚えていて、次の話が理解できる」という訓練でもある。


 おもうに、直子ちゃんはそういった経験がなかったのだろう。


「授業中に立ち歩きが始まり、だれかれ構わず話しかけ、注意をしても聞いてくれない。むしろ構ってくれたと思って、ベタベタとくっついてくる」


 白樺が淡々と話す。


「お気持ち、わかります。直子ちゃんに加配が必要だったのに、それができない」


 片頬を吊り上げるようにして笑う陽太を見て、涼子はやはり彼を連れてくるべきではなかったと後悔した。


 陽太がうつになった原因。それは学級運営にかかわることだった。

 担当クラスに、未診断だが多動傾向のある児童がいたのだ。

 学年主任が中心となって保護者に受診を勧めたのだが、断固拒否。


 というのも、当該児童は運動神経に長けており、サッカーではユースに声がかかるほどだという。

 それなのにどうして障がいがあるなどと言われねばならないのか、と保護者は憤慨した。

 だがサッカーのクラブチームでも教室でも問題行動はおさまらない。それどころか、悪乗りしたほかの児童まで彼の行動を真似始め、通常授業が立ちいかなくなった。


 ほかの保護者からも突き上げをくらい、真面目に授業をうけたい児童からは冷たい視線を向けられ、陽太は2学期の半ばで起きられなくなった。


 それも当然だ。当時、体重は10キロ近く落ちており、涼子が彼を車に押し込んで病院に運び込まなければ、摂食障害で死んでいた可能性があった。


「授業にはまったくついていけていませんでしたが、『黙っていようね』というと、ノートに落書きをしたり、窓の外をずっと眺めていたりして、時間がつぶせる子でした。だから、問題は他者との距離感の方でした」


 白樺がうめくように、とつとつと続ける。


「ネグレクト気味の子には多いですよね。やたらとくっついてきて、腕を組んだり抱き着いたり……」


 涼子が中学教員だったころにも、そういう生徒はいた。

 大きな幼稚園児みたいだと思うのと同時に、涼子は不意の身体的接触が苦手だった。恋人であり、夫である陽太に対してもそうだ。

 手をつながれるのもいやなほうなので、振り払いたい衝動を抑えるのに困った覚えがある。


「直子ちゃんは『みんななおこちゃんのお友達だよね』とにこにこして遊びに誘うのですが……。次第に、クラスの児童たちは彼女を避けるようになりました」


 可哀そうで、守ってやらないといけない子から、面倒で邪魔な子にレッテルを張り替えられたということか。


「直子ちゃんはその後、ずっと学校に?」

 膳所が、タブレットでなにやら注文をしながら言う。白樺は首を横に振った。


「親の努力が続きませんでした。結局、直子ちゃんが登校できたのは、10日程度でしたでしょうか。来なくなってから、クラスはどこかホッとしたような雰囲気になったんですが」


「なにか、あったんですか?」


 涼子が尋ねると同時に、店員がビールの追加を持ってきた。涼子と膳所の空きジョッキを交換して立ち去る。


「下校時間に待ち伏せするようになったんです。クラスメイトを」


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