31話 11月15日 21:30 三沢邸
三沢久美は、照明もつけずに階段を上った。
足音を忍ばせ、ゆっくりと、慎重に2階に進む。次女の真花から聞いたところによると、この時間帯は「お姉ちゃん、よく誰かと話している」という。
二階廊下を見る。
薄暗いそこに並ぶのは3部屋。
一番手前の真花の部屋は真っ暗だ。寝ているのだろう。
奥の夫婦の寝室も同じく暗い。夫は毎晩、23:00過ぎに帰宅だ。
真花の部屋と並ぶのが長女の佳花の部屋。
扉の下から薄い、レモン色の光が漏れていた。
まだ起きている。
久美はゆっくりと進む。
扉の前で足を止めた。
確かに。
声が聞こえる。
佳花の声だ。
「ふぅん。えー、そうなんだ」
ごくり、と久美は息をのんだ。真花から聞いてはいたが、まさか本当に誰かと話をしているとは……。
「私は別に友達とか別にいらないな。……そう? うん、よく言われる。お母さんにも『変な子ね』って」
屈託なく笑うが、「お母さん」という単語にドキリとした。
「好きだねぇー、ママのこと。……私? 私は特に。たぶん、向こうも思っているよ。『長女? 別に』って」
心臓が爆音を立てる。なだめるように胸の上から押さえつけた。
「妹? 妹はいいこだから。私も大好きだよ。はは、ありがとう。……うん、勉強は好きなんだー。だから、教えてあげられるよ? うん、いいよ。わからないところはね、どんどんさかのぼっていくほうがいいから。……笑わないよ。だって苦手な教科は私もあるもん」
うずくまって聞き耳を立てながら。
久美は冷や汗が止まらない。
さらりとした汗ではない。
じっとりとした。
粘着性の汗が額から噴き出し、こめかみを眺める。
いったい。
長女は誰と話しているのか。
どれだけ集中しても、娘の話し相手の声が聞こえない。
「大丈夫だよ。そんなに怖がらなくても。……うん。うちのお父さん、帰宅遅いから。顔なんて忘れそうなぐらい見てない」
確かに、夫は帰宅も出社も遅い。休日出勤もあるため、子どもたちと顔を合わせるのは月数回だろうか。
次女の真花は、ピアノやバレエを習っているため、その発表会には必ず顔を出し、コミュニケーションをとろうとしているし、真花自身もパパに褒めてもらうのを喜ぶ子だ。
一方の佳花は、いつも部屋にこもって勉強をしているか、本を読んでいる。
習い事をいくつかさせてみたが、本人は乗り気ではないようだ。その様子を見て、久美は辞めさせた。
そのせいで次女の真花のように「発表」という場がない。
せっかく夫が在宅しても、本人が部屋から出てこないので、接点はどんどんなくなっていった。
「ん? うん。私でよければいつでも。うん。……へぇ。遊んでくれそうな大人をみつけたんだ。女の人? そう。うん。今度はお母さんになってくれるといいね。……じゃあ、私はこっちのプリント解くね。じゃあ、15分、集中―、はじめ」
そこからは声が聞こえなくなり、時折消しゴムのけしかすを払う音がするだけ。
久美は額の汗をぬぐいながら、そっと階段を降りて行った。




