27話 11月15日 ◎◎小学校
涼子は小学校の正面入り口を押そうとして鍵がかかっていることに気づいた。
あたりを見回すと『ご用の方はインターホンを』と書いてある。
涼子がまだ教員だったときは自由に出入りできたはず。きっとマスコミ対策もあるのだろう。
インターホンを押すと、すぐに応答があった。
「はい。◎◎小学校事務室です」
「すみません。伊勢と申します。いつもお世話になっております」
「お世話になります」
「学校心理士の石島先生にお渡ししていただきたい書類があるのですが」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
同時に通話が切られ、ガラス窓越しに、事務室から人が出てきて1階廊下を渡って近づいてくるのがわかる。
「失礼しました」
首から事務員と札を下げた女性が解錠し、涼子に頭を下げた。ついでに眉を下げる。
「いろんな問題があって……。開けっ放しにできないもので」
「当然です。なんの問題もありません。あの、こちらを石島先生に。石島先生はご存じですので、このままお渡しいただければ大丈夫です」
涼子は肩から下げていたビジネスバッグからA4サイズの封筒を取り出した。
「承知しました。伊勢様ですね」
「はい。よろしくお願いいたします」
「佐野が承りました」
礼儀正しく事務員が頭を下げるので、涼子もそれにあわせた。
背中を向け、歩き出すと事務員が施錠する音が聞こえてくる。
かすかに振り返ると目が合い、互いにまた会釈をした。
涼子は一旦道路に出て、学校関係者専用の駐車場に向かう。
(大変だなぁ)
涼子は事務員に同情する。遅刻してくる児童や、相談に訪れる保護者。教材販売の業者に対してもこのような対応をしているのだろう。彼女は一体何度、事務室と正面玄関を行き来するのだろう。
(私なら、玄関横にデスクを置くな)
苦笑いを漏らし、ポケットから車のキーを取り出す。
このあとの予定は特にない。
買い物のためにスーパーに寄り、そのあと帰宅して……。今日は天気もよさそうだから庭の草を引こうか。そんなことを考えていたら。
ぽん、と。
腰のあたりを叩かれた。
驚いて振り返る。
そこにいたのは、小さな女の子だった。
「え……っと」
つい涼子の動きが止まったのは、「なぜ授業中に児童が駐車場にいるのか」ということと、この女児の服装についてだった。
◎◎小学校は3年前まで制服があった。上着はブレザーで男女共通だが、男児は半ズボン。女児はプリーツスカートだ。
だがジェンダーの関係で制服を強制することが難しくなり、いまは服装自由になっている。
目の前の女児も、いわゆる私服だ。
だが、あきらかに身体のサイズにあっていない。
大人用なのかもしれない。
Tシャツを着ているのだが、裾は膝まであり、袖は手首近くまであった。襟ぐりが大きすぎて肩から抜けそうだ。
Tシャツの下にちゃんとズボンをはいているようだが、こちらは逆に小さすぎて、ホットパンツ状態になっている。
「あそぼ?」
くったくなく女児は笑い、涼子を見上げて首を傾けた。
伸ばしっぱなしの髪が揺れ、顔にかかる。女児はその前髪を無造作に手で払う。
その手に握られているのは、ビニール袋。中に入っているのは、いわゆるスティックパンだ。野菜ジュースが練りこまれているのか、若干オレンジ色をしていた。
(……低学年に見えるけど幼稚園児?)
小学校に隣接しているのは幼稚園だ。
そこから出てきたのだろうか。いや、だが幼稚園にはまだ制服が存在している。あちらは男児女児とも同じデザインだからだ。
「いまは授業中じゃないの?」
試しにそう尋ねてみた。
女児は目をぱちぱちさせると、にっと笑う。乳歯が抜けていて上の前歯が三本、ない。
「知らない。みんないないから、おばちゃん。あそぼ?」
「そっか。みんな授業受けてるからね。君は授業にいかなくていいのかな?」
ひょっとしたら特別支援学級か通級の児童かもしれない。
あそこは慢性的に人が足らず、学校支援ボランティアに見守りをお願いしていても、多動衝動のある児童が飛び出しをしてしまうのだ。
「食べる?」
女児は袋を掲げて見せた。涼子は笑って首を振った。
「朝ごはんなの?」
「ん? わかんない。ごはん。これじゃくて、チョコの入ってるやつのほうが好き」
「おばちゃんはねー、レーズン入っててネジネジになってるやつ」
「うえー。レーズン嫌い!」
「大人の味だった?」
苦笑すると、女児はうれしそうに笑った。
まるで会話に飢えているように、涼子にさらに近づく。
「あのさ、あのさ。見てて」
「ん?」
「いい?」
女児はビニール袋からスティックパンを取り出すと、それを縦に半分にちぎった。なにをするのかと思えば、いー、と奥歯を噛んだまま、前歯が抜けた間からそのパンを押し込んだ。
「口を閉じてても食べられる」
得意そうに言うから、涼子は爆笑した。
「なるほど、便利だね」
「ふっふっふ」
もごもごさせながらも、漫画の悪役のように胸をそらせて女児は誇らしげだ。
「面白いものを見せてくれてありがとう」
「ふっふっふ」
「おばちゃん、もうご用が終わったから今から帰るんだけど……。君は学校に戻ったほうがいいんじゃない?」
そう促すと、ごくんとパンを飲み込んだ。
「あのさ、あのさ」
「うん?」
「すっごいジャンプできる。見てて」
言うなり、膝を曲げる。そしてジャンプをしてみせた。着地の拍子に靴が脱げ、アスファルトを転がる。
「あらあら」
涼子は急いで手を伸ばして靴をふたつとも拾ってやる。
手に取って気づいた。
随分と古びている。マジックテープで留めるタイプなのだが、粘着性が失われて意味をなさない。おまけに、踵を踏みっぱなしだ。
「踵は踏んじゃ駄目よ。しっかりはかないと」
そういって踵を伸ばすのだが。
ずっと踏みっぱなしなのだろう。上がらない。
「それ、踏まないと履けない」
「ん?」
それでも踵を広げ、女児の前にかがんで靴を差し出してやる。
女児は涼子の肩に手を置き、靴に足を突っ込むのだが。
「あ……」
思わず声が漏れた。
小さすぎるのだ。
「ね?」
女児は可笑しそうに笑う。
確かにこの靴を「履く」ためには、サンダルのように踵を踏んで使用するしかない。
それに靴下もはいていないこの子の足指。
いわゆるハンマートゥだ。
合わないサイズの靴をずっと履き続けているので、指が曲がってしまっている。そのうえ、爪が不揃いだった。爪切りややすりを使っているのではなく、勝手に折れたり千切れたりしているのだろう。
(虐待? ネグレクト?)
放置子の可能性もある。だとしたらそもそも「登校」してない可能性すら出て来た。
「とりあえず、靴を履こうか」
「うん」
女児は踵を踏んで靴をひっかけた。
涼子は背を伸ばし、女児に言う。
「学校、行こうか」
「入れないよ?」
女児が不思議そうに言う。
施錠だ、とすぐに気づいた。
あのインターホンはこの子が押すには高すぎる。なるほど、それでウロウロしているのか。
「じゃあ、おばちゃんが入れるようにしてあげる。ついてきて」
「うん」
涼子は正面玄関に向かって歩き出した。
背後からは、女児の足音が聞こえてくる。
ずる、ぺた。
ずる、ぺた。
あの靴ではそんな歩き方しかできないだろうと気の毒になる。
涼子は中学校教諭だったが、中学校でも同じように身体に合わないサイズの靴や服の子がいた。金銭的に厳しい家庭の子だった。
教員だけではなく、PTAも心を痛めていた。
そこで「衣服ボックス」や「体操服ボックス」を作って学校の廊下に設置。
保護者が身体に合わなくなった生徒の服をそこに入れ、必要な生徒がそれを持ち帰るようにしたのだ。
状況が改善されたことを思い出し、「石島先生を通じて言ってみようか」と考えていたころには、正面玄関に到着した。
インターホンを押すと、さっきと同じ事務員の声が聞こえて来た。
「たびたびすみません。伊勢ですが」
「ああ、はい。どうされました?」
「そちらの児童さんが入れないようで……」
「あら大変! お待ちくださいね」
事務員が廊下を走って来るのを見て、涼子はホッとして振り返る。
「え……」
目を見開いた。
女児がいないのだ。
(え? どっか行ってもた⁉)
確かに足音は聞こえていたが、しっかり姿を確認していたわけじゃない。
狼狽えていると、扉が解錠されて事務員が顔をのぞかせる。
「あ、あの……。さっきまでいたんです。駐車場で出会って……」
「あら。どうしたのかしら。どんな子でした?」
事務員に言われ、気づく。
あそこまで目立つ格好の子だ。きっと学校でも把握しているに違いない。
「低学年ぐらいの子で、前髪も後ろの髪ものびっぱなしの女児です。ピンクの大人もののTシャツを着ていて、サイズの合わない靴を履いて……。スティックパンを持ってて……」
説明をしたのだが、事務員は眉根を寄せた。
「うー……ん。うちの小学校の児童ではないような……気もしますが」
「え。かなり目立ち……ますよね」
「ええ、もちろん」
事務員は頷いた。
「もし、うちの小学校に在籍していたらね?」




