14話 11月4日 5:00 伊勢+御子柴邸
「おはよー。今朝も早いね。もうお仕事?」
リビングの扉が開き、もっさりした動きで陽太が入ってきた。
「おはよう」
ダイニングテーブルのいつもの席で涼子は応じ、読んでいた新聞を閉じた。
「陽太くんの知り合いで小学校の教員いたよね。なんか変わった苗字の」
「ん? 膳所のこと?」
洗面所に向かう足を止め、陽太はもさもさの頭を掻いた。
「そう。ちょっとさ、話聞くこととかできる? それとももう疎遠になった?」
「そんなことないよ。なに? お仕事のインタビュー?」
あくびをひとつ噛み殺すと、陽太は洗面所に向かった。
涼子は新聞を持って立ち上がる。
「仕事じゃない。けどインタビュー」
「いまは仕事にならないけど、将来は仕事につながるってこと?」
ざぁざぁと水の流れる音に陽太の声が混じる。
「わかんない。だけど、ほら、あの『なおこちゃんの手紙』の件」
「えええええええ?」
心底嫌そうな陽太の声が聞こえてきた。涼子は新聞をつかんだまま、洗面所に向かう。
「新聞に載ってるこの記事、これがなんか『なおこちゃんの手紙』に関係してそうなんや。近況ノートにもまた書き込みがあったしさ」
「三沢さんとか言う人はどうなったの」
「連絡ない」
「ゆんちゃんは? 昨日、LINE来てたでしょ」
「お子ちゃんが通っているのは、該当の小学校じゃないみたい」
「膳所も違うかもよ」
「だけど横のつながりあるやん。PTAより断然教員に聞く方が早い」
「そうなんだろうけど……」
タオルで顔を拭くと、途端にこざっぱりした美青年だ。同じ水、同じタオルを使っているというのに、どうして彼だけ魔法がかかるのだろう。
「じゃあ、膳所に連絡してみるよ。でも守秘義務あるだろうし、知っているかどうかはわかんないよ」
「だったら『なおこちゃんの手紙』を知っているかどうかだけ聞いて」
「それが一番聞きたくないことなんだけどなぁ」
「気にならない? この手紙」
「全く。全然。これっぽっちも」
断言する陽太に、涼子は新聞を開いて記事の部分を指さした。陽太はしぶしぶと言った風に受け取り、記事に目を走らせてからきょとんとした。
「え。これだけ? なにが起こったのかはわかんないな。この10月30日に起こった事件ってのは別件で新聞に報道されてるの?」
「検索したけど出てこない。まあ……教育委員会に通報したのがその日なんだろうし」
「それに児童に関わることは……詳細出せないだろうねぇ」
新聞を畳み、リビングに戻る陽太のあとをついて行きながら、涼子は続けた。
「記事内にある、『精神的に追い詰められたことによるパニック行動である』っていうのが気になるねん。これさ、『なおこちゃんの手紙』がらやと思わん?」
「なんで? あ、お湯を沸かすけど」
「沸いてる。あの手紙、期日が決まってたやろ?」
「じゃあ、これでコーヒー淹れるけど、涼ちゃんは? このカップに注ぐの?」
「うん」
キッチンに入り、電気ケトルをつかんだ陽太は、コーヒー豆に湯を注ぎながら唸った。
「そういえばあったねぇ。何日以内に、何人に回す、って」
「それがプレッシャーになってなんか事件が起こったんじゃないかな、と」
「かもね」
「そのあたりを聞いても守秘義務があるから教えてくれんやろ?」
「たぶんね。君だって、教員だったら教えないでしょう?」
「言わない。だから、『なおこちゃんの手紙』を知っているかどうかだけ聞きたい」
「それなら……いいよ。『知らない』って言ったらそこでおしまい。『知っている』って言ったら、詳細をぼくのスイートハニーが聞きたがっている、って言えばいいんだよね」
「ぼくの同居人が、って言って」
「まあ、その辺の表現はぼくに任せてよ」
「非常に心配」
「だけど、そんなに気になるんだ。その『なおこちゃんの手紙』」
陽太がわずかに小首をかしげる。その動作に合わせてコーヒーの香りが涼子の鼻先をくすぐった。
「んー……。このさ、名前からしてなんか変じゃない?」
「なおこちゃん、が?」
「いまどき、こんな名前の子、おる? 教員してたとき、おったか?」
問うと、陽太はしばらく宙に視線をさまよわせ、真面目な顔で言った。
「いない。きらら、あみ、ひな、じぇいどってのもいたな」
「でしょ? さっき検索したけど、2025年の名前ナンバーワンは、翠と書いて、すいだった」
「わー……。みどりでいいのに……」
「ちなみに明治安田生命の名前ランキングで検索したら、なおこはどこにも入ってなかった。同時に、昭和60年ごろから平成全般で子がつく名前は上位にない」
「じゃあ、この手紙は昭和のころに作られた都市伝説的ななにかってこと? それが復活して、みたいな」
言いながら、良太は目をまたたかせた。
「ああ、学校の怪談とか小さい頃はやったよね。それと一緒かな。あれもトイレの花子さんで、子がつくし」
「いまの子にとってトイレの花子さんは怪談話というより妖怪の域に達してるよ。身近な……なんていうんかな、息をしている怪異じゃない」
「息をしてる怪異?」
「うまい表現が見当たらないけど……。いまの児童にトイレの花子さんの話をしても、怖がらない気がする。実際、いまの学校のトイレはきれいだし洋式。照明だって明るい。なんていうのかな」
涼子は腕を組み、唸る。
「昭和の怪異をいまの子は怖がらない。トイレの花子さん、口裂け女、カールばあさん。そういったのはすでにもう笑いのネタ。代わりにあの子たちは、猿夢とかキサラギ駅、かしまさん、くねくね、八尺様なんかを怖がる。その違いは何か。身近かどうかやと思う」
「身近?」
「トイレの花子さんも、口裂け女も……。設定自体が時代とあわない。昔話の怖い話を聞いても『へー、怖いね』ぐらいやろ? 雪女ってリアルにイメージできるか? こんな温暖化の社会で」
「まあ……そう、かな」
「このチェーンメールだって、本来は『回さなかった□□さんは、△△して亡くなったそうです』って文言が普通は入ってる。そのほうがリアルに思えるからや。『あ、やっぱり回さなかった人、おるんや。ほんで死ぬんや』って」
「確かに……」
「だけど、この『なおこちゃんの手紙』には、そんなことはなにも書かれていない。しかも、たとえば『ありさちゃんからの手紙』とか、『けんと君からの手紙』とかなら、もっとリアルじゃないか? なおこちゃんって……。この子たちからすれば、お母さん、おばあちゃんの名前じゃないのかなぁ。それなのに、児童は信じてリアルにパニックを起こした」
ため息交じりに涼子は吐いた。
「そもそも、どこで『なおこちゃんの手紙』なんて昭和っぽい怪異に触れたんやろう」




