STAGE:Ⅲ レーザー・ルール
1
潜入二日目。ゴールデンウイークの二日目でもある。
気持ちのいい朝だった。網戸の窓からは暖かい陽射し、小鳥がチュンチュンとさえずる声、爽やかな風も吹いていた。
できれば、こんな時に来たくなかった……。
まさしく休養地に最適の環境といえる。しかし、現実はゆとりを与えてくれない。
場所は本館の二階、保険室。二台のベッドとカーテンがあり、窓際の方で目を覚ました。
そして、反対側のイスに――ルームメイトの茂木が腰かけていた。
服装は体育着の半そで短パン、不満げに頬杖をついている。
「まったく、勝手に抜け出しやがって……さっさと終わらせるぞ」
茂木の目的は聴取だった。銀四郎はすでに昨夜の内容を報告してある。
「これまでの話をまとめると――お前は体育館の調査中、謎の不審者に襲われた。で、抵抗しているうちに……いきなり貧血で倒れ、ここに運ばれていたって?」
「そうだ」
「ふざけんな。何を隠してやがる」
茂木に睨まれても……黙秘をつらぬく。
『体育着』については自分の手で始末をつける。
はあ、と茂木がしかたなさそうにため息をつき……立ち上がる。
「とにかく、おとなしくしていろ。すべてが終わるまでな」
こちらの返事を待たずに出ていった。
嫌われたっていい。アリスたちを、あんなろくでもない話に巻き込みたくない。
保健室にはソファーとテーブルの応接セット、薬や消毒液などが保管された戸棚もある。
しばらくすると、今度は例のジャージ中年がやってきた。
いつものようにうさんくさい笑顔を浮かべ、朝食が載ったトレーをテーブルに置いた。
「見学も自由だから、好きに休むといい」
それだけ言い残し、去っていく。昨夜の件は知らないように見えた。
銀四郎はさっそく朝食を取ろうと、ベッドから起きてソファーに腰かけた。
献立は和食。味噌汁をすすりながら、あのフード少女について考える。
体育着の件で口封じに来たのか……なぜ、とどめを刺さなかったのか。
憶測にしかならない。中断して、朝食を一気に平らげた。
「……ふう」
食欲はちゃんとある。昨夜と比べて、体調も回復している。
実は『体育着』の他に、茂木に黙っていたことがあった。その点を除けば万全だ。
ふと、向かいの棚の上に――小型のテレビが置かれていることに気づく。
ニュースが見たくなってきた。リモコンもテーブルにある。
電源をつけると、ちょうどスタジオのキャスターが喋りだすところだった。
『ゴールデンウイーク最終日に、防犯を想定した『対処訓練』が……都内の『桜美駅』で行われることになりました』
ぱっと画面が切り替わり、誰もが知る駅の外観が映った。
『訓練には警察だけでなく、大手セキュリティ会社を筆頭に多くの団体も協力しています』
再び切り替わり、様々なロゴやマークが紹介されていく。
画面は最後にニューススタジオへと戻り、キャスターと解説者のトークが始まる。
『熊川さん、どう思います?』
『防犯の見直しは大切ですよ。駅の構内でも、物騒な事件は起きますからねえ……少し前だと、あの――――』
消した。駅のホーム襲撃も、父の暴走の一つだった。
シャワーを浴びることにした。
汗をかいた体やジャージが、昨夜から変わっていないのだ。
しかも体育館でイベント中の今なら、誰かと鉢合わせるリスクを回避できる。
トレー一式を食堂に返し、部屋に戻り、着替えとセットを持って『混浴』に向かう。
男湯でもいいが、教団の大人が入ってくるかもしれない。
これ以上のトラブルは避けたい。引き続き、敬遠されがちな方を利用させてもらった。
ところが、脱衣所に来た途端……ぎょっとする。カゴの一つに白のトートバッグと、真っ黒なパーカーが入っていたのだ。
灰色のスポブラとショーツも一緒。パーカーは間違いなく、あのシステマ使いの服だ。
「……マジかよ」
引き戸からシャワーの水音が聞こえる。つまり、正体を拝めるチャンス。
しかし、銀四郎は迷っていた。襲撃者は女子、混浴とはいえ覗きはよくない。
だったら――顔のみを確認して、すぐ脱衣所を出る。
シャワーは後だ。着替えとセットを抱えて、ゆっくりと引き戸に忍び寄った。
指を伸ばし、ギリギリの隙間をこっそり作る。
後ろめたさを殺しつつ、ついに覗きこんでしまう。
彼女は温泉のシャワーを浴びており、程よく日焼けした裸身を濡らしている。
あいつは……昨日のバスケで活躍していた、小麦肌の『ナナ』という少女。
確認は終わった。だが、離れようとした時に――――異様な現象が起きる。
「え?」
どろり……と、小麦肌の色が落ちていくのだ。髪の黒色も、シャワーが流していく。
その上から、真っ白な素肌と透き通った銀髪が露わになった。
何もかもが、偽装。理解が追いつかないまま、少女の容姿に魅入られる。
髪はボーイッシュなショートカット。勝ち気な瞳も銀色で、鋭く研ぎ澄まされていた。
そして、生命力に満ちた野性的なプロポーション。
すっかり見惚れていた。ゆえに、撤退すべきタイミングを逸した。
「あ」
彼女がシャワーを止め、こちらに歩いてくる。脱衣所に入るつもりだ。
慌てて後ろに下がっても、すでに手遅れ。ガラガラガラ、と引き戸が開く。
素っ裸の銀髪少女と目が合った。
「…………」
「…………」
無言で見つめ合う中――――銀四郎は両手を上げる。
同時に、抱えていた着替えとセットが……どさりと落ちた。
それを皮切りにシステマ使いが動きだす。一気に距離を詰め、得意のストライクで腹部を狙ってくる。
やはり来るか。すかさず迎撃しようとした瞬間――――ふっ、と少女の姿が消えた。
ストライクはフェイント。本命は滑らかなローリングからの足払い。
「ぐっ⁉」
まったく違和感のない動作に、釣られた。
がくん、とバランスが崩される。体が、後ろに倒れていく。
まだだ。銀四郎は上半身を捻り、右肩から床につけ、後ろ向きに回転。
さらに両手を、肩越しに持ってきていた。重心も同じサイドに移していく。
回転とともに立ち上がり、ファイティングスタンスを取る。
バックワードロール。後ろに倒された際、すばやく立て直すためのテクニック。
「こいよ、バトルジャンキー」
しかし、少女はじっとしたまま。なぜか不機嫌そうに顔をしかめていた。
「戦闘バカ扱いすんな。あたしにも気分ってものがある」
「仕掛けてきたのはそっちだろ」
「いきなり裸を見られて、かっとしない女がこの世にいるか?」
「あー、たしかに……」
システマ使いに常識を諭され、おとなしく背中を向ける。
――――数分後。
「もういいぜ」
言われた通りに振り返った。
そこには……白のTシャツと黒のショートパンツに着替えた銀髪少女。
機嫌は直っていない様子で、ギロリと銀四郎を睨んでくる。
「こっちはお前のせいで大変だったんだ。少し、付き合ってもらうからな」
2
結果として、シャワーが後回しになる事態は避けられた。
その代償にまた、面倒なトラブルに巻き込まれたわけだが。
銀四郎は露天の浴場で汗を流しながら、離れた位置に目をやる。
アレはいったい……Tシャツ短パンの銀髪少女が床にマットを敷き、妙なことをしていた。
逆立ち、である。カモシカのようにほっそりとした生脚を伸ばしている。
シャツの裾もずり落ち、へそや脇腹はもちろん下着までちらつく。
いろいろと目に毒な奇行にたまりかねて、声をかけた。
「おい、何してるんだよ?」
「風呂上がりのストレッチ」
無愛想に応えつつ、少女は体勢を変えていく。
ヨガのポーズに柔軟運動と、徹底的に全身をほぐす。
ストイックな姿勢は認めるが、そろそろ本題に入らなければならない。
「なあ、お前はいったい――――」
「とっくに察してるだろ。言ってみろよ」
……『金鵄』は、合宿イベント中の『紅桜』を測定すると説明していた。
しかし、アリスたちにその素振りはなかった。
「つまり『測定係』なのか?」
「それだけじゃない。あたしの役割は『エージェントの監視』だ。任務の動向をチェックするために、八咫烏から秘密裏に派遣される」
「アリスたちが『実行役』で、お前が『見張り役』……趣味が悪いな」
「そっちも、ひどい嘘つきじゃねえか」
少女が再び、逆立ちを始めた。
銀四郎を見上げる格好で、ニヤニヤと狡猾な笑みを浮かべる。
「『紅桜』が悪化したことを、報告しなかった」
「…………」
彼女の言う通りだった。
シャワーに濡れた『紅桜』は今や、二の腕を越えて肩まで侵食している。
「そう硬い顔すんなよ。チクったりはしない」
「黙っていてくれるって?」
「あたしの役割は『干渉』じゃないからな。けど、無条件はダメだ」
「……従うしかない、か。何をすればいい?」
エージェントは逆立ちしたまま、とんでもない要求を口にしてきた。
「マッサージだ」
「――――は?」
「マッサージ。何度も言わせんな、こっちはお前のせいでヘトヘトなんだよ」
「ちょっと、待つんだ」
いったん落ち着きたい。
まずは、引っかかっていた件を問いただす。
「さっきから出てくる『俺のせい』って、どういう意味?」
「昨夜のことだ。あたしはぶっ倒れたバカを運んで、痕跡も消して回った」
たしかに、いろいろと迷惑をかけていた。
「それが納得いかない、と?」
「違う。ここまで来て、まだ思い出せねえのかよ?」
「うーん……」
何かを忘れている気はするものの、具体的な形を掴めない。
そんな姿に少女が、とうとう限界を迎えたらしい。
ビキッ、とこめかみに青筋を浮かべ――感情を爆発させる。
「体・育・館だよ! お前、床にアレをぶちまけただろ!」
「あ」
すっかり忘れていた。ストライクによる衝撃で、吐いてしまったのだ。
彼女は容赦なく不満をまくしたてる。
「ふざけやがって。なんで汚れ仕事のエージェントが、汚物の掃除までしなくちゃいけねえんだよ!」
「なんというか、ごめん……ん? 最初に攻撃してきたのは、そっちだよな?」
「とにかく退屈だったんだ。エージェント同士の私闘も禁じられてるし。だから昨夜、お前と遊ぶことにした」
「え、なら被害者は俺――――」
「あたしだ! 勝手に吐いて、勝手にぶっ倒れやがったお前が悪い!」
少女の顔が赤くなり、ヒートアップしていく。
逆立ちをやめた方がいいのでは、と指摘する余裕もなかった。
「この白鷺吹雪サマを汚辱した罪、その身体できっちり償ってもらうぜ」
エージェント、白鷺吹雪は『システマ式マッサージ』をご所望だった。
吹雪はマットの上でうつ伏せになり、銀四郎は彼女の筋肉を足で踏み、ほぐしていく。
最初は足の裏。軽く踏みつけながら、コミュニケーションを取る。
「どうだ?」
「もっと強く」
ぎゅっと力を加えた途端、少女から……ふう、と満足げな吐息が漏れる。
銀四郎はまんべんなく圧をかけつつ、不平を唱えた。
「おい、吹雪」
「あん?」
「この格好でやるのは、ちょっと……」
「うるせえ。口じゃなくて、足を動かせ」
「はいはい」
しかたなく、マッサージを続ける。
現在の自分は、腰にタオルを巻いただけの状態。
こんな姿の少年がTシャツ短パンの少女を踏んでいるのだ。誰かに見られたらアウトだ。
早く終わらせたい。とはいえ手、いや足を抜くわけにもいかない。
次は、ふくらはぎ。緊張しやすい部位のため、慎重に踏んでいく。
受ける側の吹雪もブリージングで、常に身体をリラックスさせる。システマ式の基本だ。
ほぐしていると、彼女の機嫌もだいぶ良くなってきた。
「んっ……ずいぶん、慣れてるじゃねえか……」
「まあ、たまに『先生』が頼んでくるからな」
「あん?」
「いや、なんでもない」
うっかり口を滑らせたが幸い、少女はリラクゼーションに夢中のようだった。
そして今度は――お尻。まず丈夫な部位である太腿に、両足を乗せた。
緊張はケガに繋がる。ゆっくりとした呼吸を心がけながら、臀部へと移った。
「んんっ……あたしが言うのも何だけど、いいのか? 『紅桜』の件を隠さなければ、元の生活に戻れるのに」
「ああ。ここで引いたら、きっと後悔する」
「例のストレス軽減?」
「それだけじゃない。教団はもちろん、アリスたちのことも放っておけないんだ」
銀四郎は、体を横向きに切り替える。左足をお尻に乗せたまま、右足を胸の裏側に置く。
軽めに力を加えつつ、全体にバランスよく負荷をかけていった。
ぴくん、と吹雪の身が微動する。
「ん、くっ……甘いな。その程度の覚悟だと、いずれ地獄を見るぜ」
「まるで予言者だな。お前も、八咫烏も、何らかの結末を知っているみたいだ」
「だとしたら、どうする? この場で強引に聞き出すか?」
「やらないよ」
吹雪は強い。今の状況から攻撃される展開も、見越しているだろう。
銀四郎は再び正面を向き、両足を肩甲骨の辺りに移した。
周囲の筋肉をほぐしていくと、少女がくすぐったげに身じろぐ。
「ん、ふっ……テクニシャンめ、こういう搦め手で屈服させようってか……」
「おい、俺は真面目にやってるんだぞ……」
最後に、背中から降りた。仕上げは――だらりと下がっている彼女の腕。
肩、上腕、前腕、手の平、と順番に踏みほぐして終了。
「まあ、これで勘弁しといてやる。ただし、あたしの存在はアリスたちにも秘密だ。共犯者の立場を忘れんじゃねえぞ」
「わかったよ」
やっと、解放される……そう思った時だった。
「じゃあ、次はあたしの『システマ式マッサージ』だな」
「――――え?」
「システマでは、同志とのスキンシップも重要だ。ほら、さっさと交代しようぜ」
「いや、お、俺は……」
「よろしくな――――シロウ」
3
普通に気持ちよかった。昨夜からの疲れがすっかり取れた。
新しいジャージに着替えて『混浴』を出る。吹雪は『ナナ』の偽装を体に施すらしい。
あのどろりとした迷彩だ。手伝わされそうになったので逃げてきた。
「ふう……」
部屋に戻り、ベッドの下段に倒れこむ。
時刻は午前の十時。アリスたちもまだ活動中だろう。
こちらものんびりしていられない。さっそく起き上がり、見学へ向かうことにした。
体育館では、『室内ホッケー』が行われていた。
網により区切られた二面のコートで、生徒たちはスティックを持ち、ボールを取り合う。
銀四郎は舞台の縁に腰かけた。しばらくすると、タカキが近づいてくる。
「よう、シロウ。試合に不参加なのが残念でならないぜ」
もう立ち直ったのか。オールバックの少年はふてぶてしい態度で、隣の縁に寄りかかった。
むろん、話をしたい相手ではない。無愛想に先を促す。
「何の用だ?」
「これから楽しいショーが始まる。一緒に観戦しようじゃないか」
「ショー?」
意味を聞いても、タカキは何も言わずにニヤニヤ笑うのみ。
また、バカなことを企んでいるようだ。とりあえず放っておき、コートに目をやる。
こちら側に立つのは貞乃のチーム。対する相手には、かなりの巨漢がいた。
たしか、昨日はいなかった。
肉食獣を思わせる荒々しい顔立ち、盛り上がった筋肉が暴力的な威圧感を放つ。
半そでの名札に『ガリュウ』と記されている。
何者だろう……銀四郎の疑問に答えるように、タカキがしゃべりだす。
「あいつはオレの懐刀ってやつさ。単細胞だが、強いパワーと広いコネを持つ。飛び入り参加で来てもらったんだ。当然、ラフプレーもできるぜ」
見え透いた魂胆だった。
「貞乃を痛めつけるつもりか。これはホッケーだぞ。スティックで殴りかかれば、さすがに退場させられる。そんなこともわからなくなったか?」
「言ったはずだ、あいつのコネはでかい」
タカキが体育館の壁際を指さす。
ジャージ姿の信者たちが待機している。その一角に、異質な存在がいた。
ガリュウと似た顔、体格は本人より一回り大きい。きっと偶然ではない。
「お察しの通り、ヤツはガリュウの親父さん。裏で不祥事を重ねてきた、元教師だ。バレてクビになったところを、教団が拾ったらしい」
ガリュウの父は下品な笑みを浮かべながら、ブルマ姿の女子にちょっかいをかけていた。
アリスや姫子がいくつか防いではいるものの、彼は離れた場所で何度も繰り返す。
息子にも受け継がれた獰猛な迫力に、誰もが委縮してしまっていた。
不祥事の内容は一目瞭然だ。タカキが得意げに語り続ける。
「利口で生意気な女は力ずくでねじ伏せる。さあ、屈辱のショーが始ま――――」
「黙ってろクソ野郎」
怒りを通り越して、冷めきっていた。
ピーッ! と、開始のホイッスルが鳴り響く。
先攻はガリュウ。彼がスティックでボールを転がし、一気に突っ切る。
パスをするタイプではないのだろう。仲間の二人は距離を取っていた。
ガリュウはゴールに向かわず、貞乃の方へ突進していく。彼女のチームメイトも蜘蛛の子を散らすように、逃げ去った。
無理もない。銀四郎の時と同じだった。結局、自分の身は自分で守るしかない。
巨漢が重戦車のごとき勢いで来ようと、黒髪の少女は後退しなかった。
静かにスティックを構え、冷ややかな目で敵を見据える。
そして、両者が間合いに入った。
まず動いたのはガリュウ。シュートを打とうと、両腕を大きく振り上げる。
そこに貞乃を巻きこんで、事故を装うつもりだろう。ブンッ! とここまで風切り音が聞こえてきた。
しかし、少女は同じスティックでバシッ! と簡単に逸らす。
以降もガリュウのラフプレーが続くが、貞乃は涼しげに捌いていく。
思うような展開にならず苛立ってきたのか、タカキが声を張り上げる。
「おい、チマチマやってんじゃねえよ! さっさとぶちのめせ!」
ガリュウも焦っていたらしい。スティック勝負を諦め、強引に右のキックを繰り出す。
悪手だった。貞乃がスティックのグリップを右手、先端より少し下を左の逆手で握る。
そのまま先端の付近を使い、下から相手の蹴りをすくい捕り、左手で前方に押す。
「ぬおっ⁉」
ガリュウはバランスを取るために、貞乃に尻を向けつつ右足を着地させた。
――――スティックの形状はゴルフクラブのようになっている。つまり、先端を足にひっかけることが可能。
貞乃はそこから内股に入れ、頂点まで跳ね上げる。
頂点とは……金的。
その瞬間――――声にならない絶叫が、体育館を震わせた。
試合はいったん中断となった。
白目を剥き、泡を吹いたガリュウが信者たちに運ばれていく。
父親もいた。彼は貞乃を睨みつけながら体育館を出た。
……感心せざるを得ない。彼女はガリュウの巨体を巧みに利用し――審判や観客、信者のカメラから動作を隠したのだ。
そしてガリュウの性格上、女子に負けた事実は話せない。
まさに完全犯罪。オールバックの少年があんぐり口を開け、ぽかんとしている。
おそらく、今の棒術を目にできたのは彼と銀四郎だけ。そこも計算済みだろう。
読めていた結末だった。タカキにあれこれ聞かれる前に、こちらも退散する。
試合の再開とともに舞台から降り、体育館の出入り口へと向かう。
その途中、もう一つの試合が気になって足を止める。
江野だ。茶髪サイドテールの後輩は……転んでいた。いや、正確には転ばされていた。
相手チームの男子たちがスティックで足を引っかけているのだ。
昨日、貞乃がコテンパンにした不良グループ。パーマ、金髪、スキンヘッドの三人組。
彼らは江野が転ぶ様子を楽しげに観察する。ブルマ姿に興奮しているのか、ひたすら鼻息を荒げていた。
チームメイトたちは何もせず、ただバツが悪そうに距離を取るのみ。誰も逆らえずにいた。
再び、不良たちが仕掛けた時――――ふいに、江野の動きが切り替わる。
彼女はスティックでバシッ! バシッ! と、攻撃を捌き始めた。
見覚えのある動作だった。スキンヘッドがしびれを切らし、右キックを繰り出す瞬間まで。
「あ」
江野はスティックのグリップを右手で握り、先端より少し下を左の逆手で握った。
そして――――さきほどの『金的潰し』が再現された。
哀れな不良は絶叫すらできず、ゆっくりと前に倒れこむ。
残る二人は顔を青ざめて後退し……逆に、江野が迫真の演技でスキンヘッドに歩み寄る。
もう十分だった。銀四郎は背を向けて、体育館を後にした。
身の守り方は人それぞれである。
4
ホッケーも、ちょうどお昼ごろに終わった。すぐに腹をすかせた生徒たちが食堂に殺到するだろう。
それを見越して、一足先にランチを済ませた。体の調子は良くなってきている。
午後には復帰できる。昼の自由時間……銀四郎は暇を持て余し、本館の二階を歩いていた。
だが、途中で足を止める。あの保健室の前だった。学校のものと同じ引き戸の窓に、人影がぼんやりと 映っている。色は赤、女子のジャージである。
顔はわからないものの、戸棚を漁っているのは間違いない。目的も察しがつく。
迷わず開け放つ。中にいた少女――貞乃がびくりと身を震わせる。彼女は錠剤を詰めた瓶を手にしたまま、呆然と立ち尽くしていた。
その間に近づき、瓶を取り上げる。
はっ、と少女が我に返った。
「ちょっと――――」
「『ニトログリセリン』だな。心臓でも悪いのか?」
貞乃はむっとした顔で睨んでくる。
「とぼけないで。知識があるから気づけたんでしょ」
彼女の言う通りだった。
ニトログリセリンは心臓病の薬だけでなく火薬にも用いられる。むろん、医薬品の方は爆発しないよう厳重に加工されている。
けれど『八咫烏』のことだ。どうせロックを解除する裏技も、細かい計算も教えている。
教団は生徒のスマホを没収し、荷物のチェックにも目を光らせていた。
武器は茂木や貞乃のように、工夫して作るしかない。
「戦う手段としては正しい。でも、火薬はやり過ぎだ」
「奴らが祭りで何をしようとしたのか、もう忘れたの? 生半可な火力じゃ、返り討ちにされる」
「だからって……」
「コントロールくらいできるわ。爆弾魔やテロリストと一緒にしないで」
「……信用できない」
八咫烏は何か、重要な情報を隠している。エージェントも口止めされていた。
彼女もこちらをじっと見つめ、返せと圧をかけるのみ。
銀四郎も引かない。互いに視線をぶつけ合うこと数分――――根負けしたのは貞乃だった。
「じゃあ、ヒントをあげる。それなら命令に抵触しないし」
「どうしても言えないのか?」
ええ、と少女がうなずく。
「これは、あなた自身が気づかなくちゃいけない問題よ」
「俺、が?」
彼女はそこについては触れずに話しだした。
「まずはおさらい。シロウくんは教団の企みを暴くために、私たちと潜入している。けれど『紅桜』の都合上、暗殺を止めなければならない」
「自己責任による妨害はオッケー、だしな」
「どう考えても変でしょ」
ばっさりと、貞乃が切り捨てる。
「『金鵄』の言い分は私たちも聞いた。教団がヨガと称してクラヴマガを教えてる、同じ使い手なら意図を見抜けるかもしれない。でも、それがシロウくんである必要は?」
「俺もおかしいとは思ったけど、他に理由なんて――――」
「私たちの邪魔まで許されてる点は? 八咫烏は任務が失敗しようと構わない、そういうことになるのよ」
たしかに、振り返ってみると違和感だらけだ。
しかし……今の銀四郎は紅桜に抗いながら、戦っていくしかない。
暗殺を阻止し、教団のもくろみも潰す。無血の解決こそが理想だった。
不安定に揺れる銀四郎に、貞乃は次のヒントを突きつける。
「そして、シロウくん――――あなたは大事なことを見落としてる」
「え?」
「答えは、あなた自身の中にある。私に言えるのはここまでよ」
……わからない。ただ、本当に何の引っかかりも感じなければ――こうして、戸惑うことはないはず。
あの『金鵄』との賭けまで放棄し、引き際を越えることもなかっただろう。
つまり、心のどこかに納得できない自分がいる。
そこをはっきりさせない限り、銀四郎は情報の差に置いていかれたままになる。
そんな時に、思考を中断せざるを得ない事態が発生した。
廊下からの足音や談笑の声だ。ここに近づいてくる。
この状況を見られたら、怪しまれてしまう。さっそく身を隠すことにした。
保健室には二つのベッドとカーテン。銀四郎は窓際の方を選び、カーテンを閉める。
布団に潜りこむと、なぜか貞乃も入ってきた。少女が上になる格好で、二人は横になった。
「お、おい」
「ニトログリセリンの瓶、持ったままでしょ」
「後で返すよ」
「だめ。今、ここで返してもらう」
彼女は譲らない。銀四郎がどさくさに紛れて、逃げだすことを危惧しているのだろう。
少女が手を伸ばし、瓶を取ろうとする。
――――貞乃は重要なヒントをくれた。信じてもいいのではないか。
いや……やはり火薬を渡すことなんてできない。銀四郎は瓶を遠ざけた。
彼女は、軽蔑を込めたジト目で見下ろしてくる。
「何のつもり?」
「武器を作りたいなら、俺も一緒に考える。こんなものは使うべきじゃない」
「……前に言ったわよね? 私、偉そうに説教する男は嫌いだって」
少女の瞳が徐々に冷たい殺気を帯びていく。
ところが、そこで保健室の引き戸が開き……誰かが入ってきた。
貞乃も目撃されることを好まない立場だ。息を潜め、おとなしくするしかない。
彼女がぴたりと身を寄せてくる。赤ジャージ越しに柔らかな感触が伝わり、慌てて意識を入室した存在に集中させた。
ずかずかと荒っぽく床を踏み鳴らす、足音が二人分。不良たちの可能性が高い。
やがて、会話が聞こえてきた。
「なあ、タカキ。本当にあるのか?」
「ここは普通じゃないからな。どれどれ……」
一人はオールバックの少年、もう一人はガリュウだろうか。妙に気弱な声を発している。
どうやら、貞乃と同じく棚を漁っているらしい。
「ほら、あったぜ。ていうか、薬でどうにかなる問題じゃねえよ。さっさと病院に行け」
「ここは山奥だろ」
「自慢のコネを使えば――――」
「女の子に負けたってことで、親父はカンカンだ。他の奴らも笑ってばかり。なにもしてくれねえ」
「……クズ教師とその取り巻きだもんな。良識を求める方がおかしいか」
体育館での振る舞いと違う、砕けた調子だった。
今なら重要な情報を拾えるかも、そう思った矢先――ふと、瓶を持つ手に違和感を覚える。
反射的に位置をずらす。ちっ、と悔しげな舌打ちが聞こえた。例の二人ではない。
貞乃だ。こっそり手を伸ばしていた。鋭い目つきで瓶を狙っている。
こんな時に……銀四郎は苛立ちながらも、必死に瓶を守る。
一方、水面下の戦いなど知らない二人のトークは続く。
「タカキ、お前……変わったよな」
「あん?」
盗み聞きの余裕はなかった。
銀四郎が瓶を頭上の辺りに移すと、貞乃はよじ登ろうとする。
その華奢な背中を、もう片方の手で押さえつけ――ぎゅっと抱きすくめた。
「前よりずっと……誰かを騙したり、陥れることにもためらいがなくなった。ブレーキが取れちまったみたいに」
「いいんだよ。あの人――――『先生』は、ズルやイカサマしか能のないオレを肯定してくれた。そもそも、お前が会わせたんじゃねえか」
「親父がうるさかったんだよ。不良のガキをとにかく集めろって」
黒髪の少女が逃れるために腰を上下させた。ギシギシとベッドが軋み始める。
そして二人は――はあ、はあ、と激しい息遣いとともに体をぶつけ合う。
いつしか全身が汗ばんでいた。貞乃の額からも、透明な雫がしたたり落ちる。
「おい、あのベッド――――」
「そっとしといてやれ。保健室で盛るなんて、よくある話じゃねえか。行こうぜ」
彼らはとんでもない誤解をしたまま、去っていった。
戸が閉まる音と同時に、貞乃はとうとう拘束を振りほどき、大きく身を乗り出す。
この瞬間――彼女の胸と腋の中間が、顔面を覆いつくした。
「…………」
アリスや姫子ほどではないものの、たしかな弾力に圧迫され、甘酸っぱい柑橘系の香りが鼻をくすぐった。
おそらく、制汗スプレーだ、ホッケーの後に吹きつけたのか。
生々しい匂いにくらくらしてきた。脳裏に『先生』の言葉がよぎる。
『銀四郎くん、女の子は大変なのよ。汗をかくと、胸の谷間にも溜まっちゃうんだから』
その時の彼女はえっへんと、スタイル抜群のプロポーションを誇示していた。
そこそこの貞乃も、いろいろと気にする年頃だったらしい。
少女は瓶を取り返し、ベッドからするりと猫のように脱出、保健室から逃げてしまった。
「ま、待て!」
銀四郎も廊下に出たが、すでに遅い。いるのは何人かの生徒に、青ジャージを着た教団の大人だけだ。
しかし、信者たちは妙な人物を連れていた。
スーツ姿だ、珍しい……一目でどこかの重役とわかる、厳めしい顔つきの中年男性。
胸元に社章のバッジをつけており、ロゴにはなんとなく見覚えがある。
彼は物珍しそうに周囲を眺めつつ、信者たちと歩いていく。
……何者だろう。教団のメンバーとは思えない。疑問に囚われたまま、立ち尽くした。
5
昼休みが終わると、生徒は体育館に呼び出された。
銀四郎たちは半そで短パン、またはブルマの体操服で整列。おなじみのジャージ男がステージに立ち、説明を始める。
「今回は『座学』と『ヨガ』の時間を使って、ちょっとしたゲームを行う。テーマは、ずばりコレだ」
彼が懐から何かを取りだす。生徒たちはそれを見た途端、ざわめきだした。
その正体は――――『拳銃』だ。トリガー一つで命を奪える、黒い殺意の塊。
「おっと、誤解しないでくれよ。こいつはモデルガンだ」
中年の言葉はあっさり受け入れられ、誰もが安心しきる。
むろん嘘ではない。銃口に埋めこまれた金属板『インサート』が証明している。
モデルガンの悪用や改造を防ぐためだ。付けることを義務づけられている。
無理に外そうとすれば本体が壊れてしまう。アリスたちも見抜いているだろう。
揺さぶりのつもりか。だとしたら、なめられたものだ。
この程度でボロは出ない。冷静な思考を保ちつつ中年の話に集中する。
「知っての通り、日本で銃を持つことは違法だ。けど、もしもの事態に備えて――――扱い方や知識を学ぶことは正しい。少なくとも、僕はそう思っている」
あくまで自衛や護身、防犯という建前。
多くの生徒が、敵として教えられた『八咫烏』を意識するだろう。
「とはいえ、いきなり小難しい理屈を覚えるのは苦痛だよね。まずはエアガンに触れて、実際に撃ってみよう。みんなが楽しめるミニゲームの形で」
背後のスクリーンに、タイトルがでかでかと投射された。
名称は『シューティング・ロワイアル』、わりとシンプルなネーミングだ。
「内容はサバゲ―とほぼ一緒。形式はバトルロイヤル、最後の一人になるまで戦ってもらう。そして会場は――――この施設の『裏側』、我々が所有する森一帯だ」
またも生徒たちがざわめきだす。今まで立ち入りを許可されなかった区域だからだ。
期待や不安、他にも様々な感情が渦巻く中……銀四郎も戸惑っていた。
たしかに、サバゲ―にはうってつけのエリアかもしれない。
しかし『裏側』は、後ろめたい部分を隠す教団の生命線でもある。
公開すれば必ずリスクを負う。いったい何を企んでいるのか……。
ゲームの説明が終わると、全員で本館の玄関に向かった。
つくりは学校の昇降口とそう変わらない。靴を履き替えて外に出る。
抜けた先は、広大な駐車場だった。
とめてあるのは……数台のバスと大型バン、昨日はなかった黒の高級車が一台。
コンクリートの地面が午後の強い陽射しを浴び、かなりの熱を帯びている。
肉を焼く鉄板みたいだ……五月の時点でなかなかの暑さ。
青年が前を歩き、彼の後を生徒たちがついていく。
傍目には普通の授業に見えるだろう。だが、ここはカルト教団の『拠点』だ。
正面は厳重なゲートが守り、敷地の四方は五メートルほどの壁が囲んでいる。
そんな、得体のしれない施設。その裏側に回りこむ。
――――中年の言った通り、そこは私有地の森だった。
うっそうと生い茂る木々に、手入れが行き届いた芝生……人に管理された緑の世界。
信者たちもいた。リュックらしきものを運んでおり、一箇所にまとめて置いている。
アレはたしか……強引に地面を転がっても、問題ないという触れこみの人気シリーズ。
ジャージ男が足を止め、ゆっくりと振り返った。
「あの背嚢を一人につき一つ、背負ってもらう。基本的な中身は同じだが、一つだけ……スペシャルアイテムがある。種類はランダム、開けてみてのお楽しみってやつさ」
ニヤリと、彼は不吉な笑みを浮かべる。
そして――――『シューティング・ロワイヤル』がスタートした。
6
薄暗い森林の中を、慎重に進んでいく。
木の幹や茂みだけではない、地形にも凹凸がある。自衛隊の演習場という印象が強い。
それらを利用して……身を隠すことも怠らない。
今の銀四郎は、ザックとともに支給されたセットを装備している。
サバゲ―用のゴーグルをつけ、青色の布を安全ピンで胸元に固定。
そこを撃たれたら、ゲームオーバー。戦いはもう始まっている。
銀四郎の両手にも一丁の『拳銃』があった。腰にホルスター付きのベルトもある。
ペイント弾を入れたエアガン。銃身が金属製だから、間違いないだろう。
しかし質感や仕組み、重量が『本物』そっくりだった。実銃を意識した設計であることは明白。
「――――」
ずっと鳴りを潜めていた共感覚、『銃眼』を喚起させる。
前方、数十メートル先に……銀色の光が三つ。左右の二つとは、まだ離れている。
おそらく交戦中だが、削り合うまで待つのは性に合わない。
銀四郎は駆けだした。もっとも近い、中央の光との距離を詰めていく。
標的は、右手で拳銃を持った少年。彼も気づき、こちらに銃口を向ける。
銀四郎は左側――相手にとっては右側の方から、弧を描くように走った。
少年の脇が開き、狙いが不安定になる。彼は構わずにトリガーを引く。
パシュッ! と、空気が放出された音。ペイント弾は……当たらない。
次は銀四郎。足を止め、両腕を突き出し、体との三角形を意識。
肘をまっすぐに伸ばして、撃つ。
パシュッ! と、再びエアガンの銃声。べちゃりと、相手の胸に赤い染みがついた。
趣味が悪い。ペイント弾の色ではない。布に付着した途端、リトマス紙のような反応が起きるのだ。
まずは一人目。そして、すでに二人目の気配を察知していた。
がさがさ、と近くの茂みが揺れた瞬間――――別の少年が飛び出してきた。
手にはリボルバー。撃鉄は落ちてないが、引き金と連動するダブルアクションなら発砲できる。その銃口が突きつけられた。
避けることは不可能。すかさず左手を伸ばし、リボルバーのシリンダー部分を握りこむ。
トリガーは――――動かなかった。うろたえる少年に、淡々と説明する。
「ダブルアクションのリボルバーはトリガーを引く際、同時にシリンダーも回転する。つまりここを押さえればトリガーも止まる」
ただし、撃鉄が起きている場合は通用しない。
そこは伏せたまま、パシュッ! と右手の『拳銃』で引導を渡す。
三人目は、少し離れた木の幹から。銀四郎はすぐ横に転がり、相手のペイント弾を回避。
ローリング中も、片手による照準を維持した。おかげで間髪入れずに撃ち返せる。
システマの歩法だった。パシュッ! と銃声に続いて、べちゃりと被弾の音。
「ふう……」
脱落者たちが置いていった、スペシャルアイテムを『戦利品』として回収しつつ上を見る。
木々に隠れて浮遊し、こちらの様子を確認する物体が一つ。
カメラ付きのドローンである。このゲームの監視システムだ。
ドローンは余計な羽音を立てず、静かに去っていった。なかなかの高性能と思われる。
「さて、と」
木の幹に背を預けて座りこみ、周囲に気を配りながら考える。
――――ゲーム開始時、生徒たちは三分ごとに一人ずつ森へ入った。
時間の経過からして、すでに全員が戦闘態勢についているだろう。
気になるのは……やはりエージェント。
アリスたちが得意分野のシューティングで手を抜くとは思えない。
この機を逃せば、教祖への道はさらに遠のく。銀四郎も最後まで生き残るつもりだった。
出会ったら戦うしかない……優勝者は一人だけ、『八咫烏』を踏み台にしてでも前に進む。
決意を固めた途端、ぽつぽつと水滴が落ちてきた。
雨だ。徐々に勢いを増していき、ざあざあ降りになった。
「……山の中だからな」
しかし、これは天気雨。すぐに止むだろう。
木陰でやり過ごすことにした。
短い間とはいえ、かなりの雨量だった。木々も芝生もすっかり濡れている。
雨は止んだが、銀四郎はじっとしていた。知り合いの気配を感じ取ったからだ。
二人は幹を挟んで、背中合わせに立っている。
「お前か――――吹雪」
「残念だけど、戦いに来たわけじゃねえ」
わかっている。本来なら会話を挟まずに、容赦なく仕掛けてくるはずだ。
「それがないってことは……」
「今回のあたしは『監視役』に徹する。そして、アリスたちの邪魔になる存在はすべて――――」
その瞬間、吹雪はすばやく身を翻す。二人を隔てていた幹を回りこみ、銀四郎の前に出た。
ポニーテールの日焼け少女『ナナ』の姿で現れた、彼女の手には――拳銃。
銀四郎も反応していた。二つの銃口が、交差する。
パシュッ! と重なる銃声。べちゃりと、弾は吹雪――――の後ろにいた敵に命中。
同時に、銀四郎の後ろにいた敵も被弾。
「……排除するってことだ」
「俺を助けるのは?」
「アリスたちがお前との決着を望んでる。そこへの横やりを防ぐために、あたしは露払いをしてる」
「なるほど……って、おい! その格好どうしたんだよ⁉」
吹雪、もとい『ナナ』は体操服を着ていなかった。
小麦色の肌にぴったり吸い付いた、黒のスポーツウェア。
上は短めのタンクトップで、ほっそりしたへそ周りが露わになっている。
下はショートタイツ。包まれた臀部には、ブルマとは違う魅力がある。
「ああ、こいつは例のスペシャルアイテム」
「マジかよ……」
種類がランダムのアレ、銀四郎はまだ使っていない。もちろんこんな服ではない。
吹雪は苦々しい顔をして、経緯を話し始めた。
「体操服がさっきの雨で濡れちまったんだよ。そのままだと動きにくいし」
「待て、森の中で着替えたのか?」
「他にどこがある? 覗きに来たバカは全員キルした。まあ、あのドローンは射程外から撮ってやがったけど」
「――――」
教団の中年は天気が急変しやすいことを事前に伝えなかった。
ザックにも、手当たり次第に『服』を入れたのだろう。どこまでも下劣な連中だ。
しかし、憤りを覚える余裕はなかった。
『銃眼』がこちらに接近する、複数の光を捉えたからだ。
「……チームを組んでるな」
少女が忌々しげに吐き捨てた。
「くそっ! 振り切ったはずなのに、もう嗅ぎつけやがった」
「知ってるのか?」
「タカキとガリュウたちだ。こんな格好のせいで目をつけられてる」
たしかに、吹雪のスポーツウェア姿は多くの視線を集めてしまう。
加えて、彼女はこの先も……一人で露払いを続けていかなければならない。
アリスたちも気づかない、裏側でずっと――――
「よし」
覚悟を決めた。タカキたちが追いつくまで、まだ少し時間がある。
拳銃にセーフティをかけ、ホルスターに挿す。レバーとグリップとの二段構造だった。
銀四郎はザックを下ろし、切り札を取り出す。
吹雪は怪訝そうに見ていたが、それを目にした途端――はっと息を呑んだ。
「おい、そいつは……」
「服じゃなくてよかった。俺はラッキーだったんだな」
銀四郎に支給されたスペシャルアイテム――――『ペイント手榴弾』である。
結束バンドと一束の針金もあった。倒した敵から奪った戦利品だ。
手榴弾のクリップを外し、バンドで木の幹に固定する。位置はくるぶしほどの高さ。
安全ピンに針金を結び、片方を向かいの幹に巻きつけると……ゴールテープみたいにピンと張られた、ブービートラップの完成。
アマチェアのタカキたちには十分だ。ぽかんとしていた吹雪の手を引いて、走り出す。
少女は珍しく、戸惑っている。
「いいのかよ……切り札を使っちまって」
「俺たちは共犯者、助け合うのは当然だろ。それにアイテムが『服』になる可能性が高い以上、条件もそんなに変わらない」
いろいろと建前を並べてはいるが、奥底にあるのはたった一つの真理。
一人で戦う女の子を、放っておけなかった。
「…………」
「…………」
吹雪は何も言わず、銀四郎も黙りこんだ。
しばらく進んでいくと、背後で――――バシャッ! と、巨大な水風船が破裂したような音が響いた。
音が止み、静寂が戻ってくる中――少女がぽつりとこぼす。
「お人好しの甘ったれが……頭にくるぜ」
乱暴な言葉とは裏腹に、その手はぎゅっと握り返していた。
7
温もりを名残惜しくも離し、二人はそれぞれの戦いに向かう。
吹雪と別れた後、銀四郎は歩いていた。右手は拳銃を握っている。
周囲が異様な静けさに包まれている。敵の気配もゼロだった。
迷うことはない。作り込まれたルートが案内してくれる。
まさしく獣道。その道に生きる人間にしか、判別できない。
そして待っていたのは――――
「ごきげんよう、一匹オオカミの掃除屋さん」
妖艶に微笑む、金髪の少女。
姫子だ。豪奢な縦ロールと碧眼の輝きは、薄暗い森でも異彩を放つ。
彼女も吹雪と同じく、スペシャルアイテムの『服』に着替えていた。
真っ白なライダースーツが、豊満な胸からしなやかな脚までぴっちりと強調する。
その上には、怪しい黒のベルト。ハーネス型で全身に巻きつけるタイプ。
胸の部分はバストを縁どるように、太腿はガーターベルトのように締めつけていた。
腰の辺りはホルスターになっており――右に拳銃、左にマガジンを挿している。
「す、すごい格好だな…………」
「断っておきますが、わたくしの趣味じゃありませんわよ。ホルスター付きという実用性を優先した結果ですの」
姫子は堂々としているものの、頬が赤く染まっている。さすがに恥ずかしいのだろう。
銀四郎も妙な気持ちを覚えていた。露出は吹雪より少ないはずなのに、何かが自分の心を掴んで離さない。
機能美を追求したライダースーツを、ホルスター付きのベルトで束縛する矛盾。
自由に秩序をもたらし、武装を与える。そんな、三位一体のアンバランスさが――――
「シロウさん」
「ん?」
「そろそろ怒りますわよ」
「…………ごめんなさい」
姫子がこほん、とせき払いして話し始める。
「とにかく一番手はわたくし。ようやく、あなたと踊れる時が来ました」
「そう、だったな」
校舎でのやり取りを思い出す。
こうして向かい合った彼女は、狡猾なハニートラップの姿より……ずっと眩しい。
もう言葉はいらない。銀四郎は拳銃を握り締め、姫子もホルスターから拳銃を抜く。
「――――」
「――――」
二人の間には数メートルほどの距離がある。撃てば十分に届く。
しかし、互いに銃口は下げたままだった。向けること自体が『攻撃』になるからだ。
銃弾はまっすぐに発射される。つまり、銃口の延長線上に標的がいなければならない。
ただ向けるだけでは、避けられてしまう。この法則を『銃口管理』と呼ぶ。
そして、正確な射撃にも……精密な呼吸のコントロールが求められる。
照準を合わせる時、トリガーを引く時、ぴたりと息を止める。
これを戦闘中のストレスに耐えつつ、繰り返さなければならない。
その呼吸サイクルを崩す方法こそが――――肉体への打撃。
とはいえ、拳銃を持った手で殴り合いなんてできない。
なら、どうするか。
――――来る。最初に動いたのは姫子だった。
右足を前に出し、左足のかかとを軽く浮かせ、すばやいフットワークを開始。
ステップ、スライド、シャッフルと焦らすように……踊るように、少しずつ距離を詰めてくる。先読みできない複雑な足さばき。
利き足を前にしており、クラヴマガとは違う……答えはすぐにやってきた。
予想外の範囲からヒュン、と風を切る音。
膝のタメを活かした左のサイドキック。鋭い槍を思わせる蹴りが一直線に放たれた。
「くっ⁉」
目測を誤った。すらりとした脚の長さに惑わされたのだ。
ギリギリの反応で、左の前腕を割りこませて逸らす……が、威力を往なしきれない。
蹴りの外側に逃れようとした体が――ぐらりと揺れる。
「あ」
転んでしまった。下が芝生とはいえ油断は禁物。
とっさに体を回し、ディフェンスに利用した左腕を持ってくる。
地面に衝突する瞬間、手のひらを叩きつけ……受け身を取った。
そこに、姫子が銃口を突きつける。同時に銀四郎は左手を支えにして、右足を伸ばす。
腰も入れて威力を強化し、かかとで一直線に蹴りこんだ――意趣返しのサイドキック。
「あらあら……」
姫子は残念そうに後退して回避。けれど、どこか楽しそうでもある。
その間に立ち上がり、右手で銃口を向けるが、彼女はひらりと逃れて木に隠れた。
弾の無駄撃ちはできない。拳銃を下げ、姫子に語りかける。
「利き足を前にした構え、軽快なフットワーク、最速のキック――――『截拳道』か」
「ふふ、このテクニックを生み出した彼は、わたくしの『推し』ですの」
今は亡きジークンドーの始祖、かの映画スターに心酔しているようだ。
金髪の少女がいつになく饒舌になる。
「ずっと一人でしたわ……マフィアの家族とは相容れず、八咫烏に来てからも孤立して……そんな時、彼の強さに惚れたのです」
「あの人の得意技はサイドキックだったよな?」
「ええ、よくご存じで。わたくし程度では足元にも及びませんけど」
「いや、姫子だって負けてない。すさまじい蹴りだよ」
校舎で戦っていたら、きっと手も足も出なかった。
「ありがとうございます。では……あなたの賞賛に全身全霊で応じましょう」
「ああ、遠慮はいらない」
「勢い余って壊してしまうかもしれませんが、責任はきちんと取りますので」
「おう――――あれ?」
不吉な言葉を耳にした気がする。
思い返す余裕はなかった。さっそく姫子が仕掛けてきたからだ。
手が銃でふさがっている以上、メインは足を主体とした打撃。
これで相手の呼吸を乱し、射撃の精度を鈍らせ、銃口の延長線上に追いこんでいく。
現代のガンファイトが始まった。
姫子は長い足を活かし、多彩な蹴り技を繰り出してくる。
スピーディな右フロントを左手で払い、股間狙いのグローインを脛で逸らす。
膝へのストンプはふくらはぎを用いて防ぐ。
本当に強い。一つ一つがかなりの威力を秘めており、守るたびに全身が悲鳴を上げた。
カウンターに移ろうにも彼女のフットワークを捉えられない。
このままだとまずい。銀四郎はわずかな隙を衝き、ディフェンシヴフロントを放つ。
防御的なキック。姫子は膝でブロックしたが、後ろへと押し出される。
銀四郎はすばやく足を戻し、近くの木に転がりこむ。
すると、少女の挑発が聞こえてきた。
「野ウサギみたいに隠れちゃって……可愛いですわねえ」
「幻滅したか?」
「まさか。もっといじめたくなってしまいます」
「八咫烏には変態しかいないのか……」
がくりとうなだれながらも、思考を回し続ける。
現状は、強烈な蹴りで防戦一方。呼吸も荒くなっていた。いずれは銃口の射程に捕まる。
足による打ち合いは無理、銃による撃ち合いに持ちこむしかない。
しかし、彼女のフットワークもなかなかのものだ。一筋縄ではいかない。
だったら――――動きが止まる瞬間を狙う。まずは呼吸を整える。
休む必要はない。システマのバーストブリージングでリズムを固定すれば済む話だ。
「フッ、フッ、フッ――――」
鼻から吸って、口から吐く……小刻みに繰り返す。酸素が体内に行き渡っていく。
何も言わずに姫子の前に立った。彼女も真剣な表情で静かにたたずむ。
銀四郎を観察して、悟ったのだろう。次の一手が最後になると……。
先に動いたのは、やはり姫子。必殺のサイドキックをまっすぐに放つ。
攻撃か、回避か、防御か。行動を取ろうとする恐怖心を抑えつけ、バーストブリージングの呼吸だけに集中する。
「フッ、フッ、フッ――――ッ!」
息を吐いた瞬間に、蹴りを受けた。流れに逆らわず、全身の力を抜き、仰向けに倒れていく。
吹雪も使った受け身、衝撃を分散させるシステマの応用。
交錯の時、銀四郎は銃口を突きつけていた。もちろん失敗に終わった。
かろうじて照準を維持しているが、今の状態でまともな射撃は不可能。
威力を散らしても、ダメージがゼロになるわけではない。
呼吸も乱れる以上、弾も外れる――――はずだった。
バーストブリージングは継続的に負荷がかかる状況……激しく組み合うレスリングにも有効である。
受け身で減らしたダメージなら、ギリギリ耐えられる。そして、もう一つの条件。
照準を合わせる際、トリガーを引く際は呼吸を止めなければならない。
銀四郎の息は、止まっている。吐き出した直後に蹴りを食らったからだ。
パシュッ! と、銃声が響き……べちゃりと赤い染みが広がった。
「今度は『肉を切らせて骨を断つ』ですか……無茶な戦い方をしますのね、あなたは」
「ここまでしないと勝てなかった。けど試合に勝って、勝負に負けたようなものだな」
その言葉は、現在の状況を表している。
銀四郎は仰向けに倒れたまま、姫子に――――膝枕をされていた。
彼女の布は赤色に染まっている。制したのは銀四郎だったが、体を動かせずにいたのだ。
さすがに負担が大きかった。しばらく休むことにしたら……いつの間にかこうなっていた。
拒む気力もなく、健康的な太腿に頭を預けていると、姫子が話しかけてくる。
「ところで、シロウさん。あの呼吸法についてですが……」
「ん?」
「いつから、アレをできるようになりましたの? 打撃の負荷にも耐えうる呼吸なんて、聞いたことがありませんわ」
「……クソ親父といた頃に、教えてもらったんだ」
「どんなトレーニングを?」
「――――」
あれを、トレーニングと呼んでいいのか。
父の鉄矢は優しかったが、ときおり怖かった。
バーストブリージングを維持しながら、何度も……何度も、暴力を受けた。
食べたご飯を吐き出しても、やめてくれなかった。自力で受け身を覚えるしかなかった。
暗示のごとく刷りこまれた言葉が、脳裏をよぎる。
『銀四郎、お前は機械だ。体内の血も、臓器も、いずれ視えるようになる力も、すべて部品に過ぎない。世界を回す歯車の一つ、システムだと認識しろ』
あの頃は、それが正しいと信じていた。
親に褒めてもらいたい、厳しくするのも愛情なんだと……本気で思っていた。
「――――失礼、いじわるな質問でしたわね」
ぽふんっ、と頭上に二つの塊が置かれる。
ふんわり包みこむような感触……凍っていた芯が熱を取り戻していく……。
8
脱落者の少女と別れて、銀四郎は森の奥を進む。
姫子が説明してくれた。生き残った方がこの道を通る。
その先で待っていたのは――――茶髪サイドテールの後輩エージェント。
「お疲れ様です、シロウ先輩」
「江野か……戦う気はなさそうだな」
「はい、今回のウチはガイド役。勝者を案内するのが仕事ですから」
「なるほど。ところで江野」
「はい?」
「お前もまた、すごい格好じゃないか……」
彼女の服装はあのスクール水着だった。藍色の生地が、未成熟の肢体を覆う。
雨に降られたのか、それとも汗をかいたのか、全身がびっしょり濡れている。
玉のような水滴を弾く、瑞々しい肌がまぶしかった。
さらにホルスターはショルダータイプ。左肩から吊るし、脇に装着している。
ハーネスのベルトが胸の谷間に食いこみ、発育途上のバストがくっきりと強調されていた。
目のやり場に困っていると、江野がくすくすといたずらっぽく笑う。
「では先輩、ここからは『低姿勢匍匐』でウチについてきてください」
「……お、おう」
何か企んでいる、そうわかっていても――――行くしかないのが悔しかった。
やり方は知っている。地面に腹ばいになり、利き手で拳銃を握り、両手を前に伸ばす。
江野も同じく姿勢を取った途端、ようやく彼女の意図が読めてきた。
お尻だ……可愛らしい小ぶりのヒップがふりふりと揺れる。
特に、水着で少し上がっているところが――――ダメだ。必死に煩悩を振り払い、動作に集中する。
さっそく、江野が前進を開始した。銀四郎もついていく。
片方の足を横に出し、体を前に蹴りだしながら両手で引き寄せる。
足を交互に変えて繰り返せば、そのまま進むことが可能。
しかし江野はたまに水着のズレを直しつつ、こちらに白い肌をちらつかせてくる。
その度にどぎまぎしてしまう。別の話を持ちだし、ごまかすことにした。
「そ、そういえば、茂木は?」
「茂木センパイはジャンケンに負けたので――――銃と手榴弾を手にして、敵の大群と刺し違えました」
「は?」
どういう意味かを聞こうとしたが、できなかった。
いきなり周囲の状況が一変したのだ。あちこちから、べちゃべちゃ! と被弾の音。
続いて、生き残ろうとする者たちの叫びも飛んでくる。
『やっちまえ!』
『下がれ、こいつは罠だ!』
『もう嫌! こんな争い……』
『俺、この戦いが終わったらさ――――』
すっかり戦争の空気に染まった、阿鼻叫喚の地獄絵図。
まさしく、ペイントでペイントを洗う激戦地。茂木もここで散ったのだろう。
耳を塞ぎたくなる衝動を抑え、無心で悪夢のような戦場を通過した。
再び、静かなエリアに着いた。
江野はさきほどの戦場に戻っていった。吹雪と同じ『露払い』の役割もあるらしい。
一人でゆっくり森を歩く。この先に彼女がいる、根拠はないのに不思議と確信できた。
果たして黒髪の少女――――咲谷貞乃は、そこにいた。
「よう」
「…………」
彼女は何も言わず、こちらに背を向けている。
服装はこれまでの格好とは違う、ブレザー制服。
凛とした後ろ姿は、ただただ美しかった。学校にいれば多くの人気を集めるだろう。
その華奢な肩に、アサルトライフルの負い(リン)紐をかけていなかったらの話だが。
「羨ましいな。こっちは拳銃一丁、ここまで接近を許していいのか?」
「……武器の性能で勝っても全然うれしくない。あとで難癖つけられても困るし。徹底的に叩きのめしてあげる」
「そっか……ところで、これは?」
自分の足元に妙な物があった。
棒状の何かが、芝生の地面に突き立っている。銀四郎が来る前から存在していた。
犯人の少女が冷淡に説明する。
「敵から奪った戦利品――――模造品の『半棒十手』よ」
「え?」
よく見てみると、たしかにその通りだった。あの鉤もついている。
「ま、待て。こういう物もスペシャルアイテムの一つだっていうのか⁉」
「ええ、棒術使いにも優しいゲームで助かったわ」
「そんなのお前だけ――じゃなくて、棒による打撃はいろいろとヤバいだろ」
「どうして? ルールで禁止されてはいないはずよ。おそらく、ある程度は認可されてる」
……姫子との一対一でも、格闘をしたことに注意はなかった。
「つまりメインは射撃、サブは近接攻撃……という意識で戦えと?」
「私も何回か試したけど、おとがめは一度もなかった。それが暗黙の決まりでしょうね」
「試したって、お前なあ……」
「バカな不良をちょっといじめただけ。とにかく、これでルールの確認は終わり。その『半棒十手』を抜きなさい。あなたの動作が――――開戦の合図よ」
銀四郎が手に取ると同時に、振り向くつもりなのだろう。
決闘の形としては面白い。ただ、気がかりなこともある。
「後手のお前が不利になるぞ。銃口を向けたところに俺はいないかもしれない」
「私はアサルトライフルで、あなたは棒と拳銃。むしろ十分なハンデでしょ」
「そこまで言うのなら……わかった。恨みっこはナシだぜ」
空気が、張り詰めていく。
両者の間にある距離は数メートルほど。拳銃とライフルの撃ち合いでは勝負にならない。
まずは銃口を避けつつ肉薄し、棒術でライフルを弾き飛ばす。
迷いはなかった。しゃがみ込んで、右手で半棒を抜き、その反動を活かし――システマのローリングに移る。
貞乃も振り返り、銃口を向けるがもう遅い。あと一歩、踏みこんだら半棒の間合い。
仮に反応されても、フィリピン武術アーニスは防ぎ切れない。
技を繰り出そうとして、ふと貞乃の行動に嫌な予感を覚える。
彼女は発砲せずにライフルを引き戻し、槍のように先端を突きだす。
リーチは足りていない。銃身の下部、銃剣止め(ラグ)に何もなければ――――
「っ⁉」
あった。剣というよりは棒……銃棒とでも呼ぶべきそれが、紙一重の差を埋めてしまう。
防御するしかない。バチンッ! と棒がぶつかり合う。
銃口を逸らしながら、銀四郎は吐き捨てる。
「だましたな。背を向けていたのは、そいつを隠すためか!」
「お互い様でしょ。保健室での一件、忘れたとは言わせない!」
貞乃の猛攻が始まった。
獲物の長さは向こうの銃棒が上、こちらの半棒では間合いに入れない。
「くそっ!」
守ることで精一杯のまま、後方に押しやられる。
ピンチとはいえ退くことはできない。離れれば離れるほど有利になるのはライフル側だ。
銀四郎は前に踏みこんで十手を――――アンダースローで投げ放った。
狙いは少女の顔面。回転する十手が、斜め下から襲いかかる。
「っ!」
彼女が打ち払った一瞬に、銀四郎は距離を詰める。
投げ十手の型。奉行は空いた手で捕縄術や逮捕術、袖に仕込んだ鎖の技へと繋げる。
貞乃が反射的にライフルを構え直す。だが、そこに付け入る隙があった。
左手をまっすぐに伸ばし、銃身を握る。右に押しつつ、左肩を前に出す。
両足で一気に前進、左手を銃床にシフト、代わりに右手を銃身の側面に持ってくる。
そのまま両手で掴む。銃に体重をかけ、貞乃へ押しつける。
左足も使い、蹴りを放つ。貞乃は脛でブロックしたものの、わずかに重心が崩れる。
銃身を力ずくで上に振り、パンチのように打つと……貞乃の頬をかすめた。
彼女が怯んだ刹那に体を戻し、銃を少女の右肩の外側へ押し下げて、ホールドをほどく。
――――奪った。使うために後退しようとした時、今度は貞乃が距離を詰めてきた。
その手には、制服のスカートベルト。すかさず銃棒で迎撃するが、回避されてしまう。
彼女はベルトを用いて銃棒を逸らしつつ、踏み込んで――――銀四郎の首に巻きつける。
「あ」
ぎゅっと、首を絞められた。
スカートベルト自体の殺傷力は低い。だからこそ、じわじわとくる苦痛は辛いものだった。
ライフルも取り落としていた。少女が銀四郎の背後に回り、木の幹に押さえつける。
そして、妖しくささやいてきた。
「このまま楽になりたい?」
「な……に?」
「もう気づいてるでしょ。本当に向き合わなければならない相手の存在に……けど、あなたはわざと答えを先送りにしてる」
「…………」
「知ってしまった以上は戻れない。いつまで鈍感な子どもでいるつもり?」
「っ!」
体が反射的に動いた。顔の向きに合わせて右手を高く上げた。
ベルトを持つ手首に負担をかけつつ、回転。貞乃と正対する。
貞乃は危険を察知したのか、首のベルトを解き、すばやく下がった。
銀四郎は追撃の掌底――パームヒールストライクを放つが、精度が落ちている。
少女もあっさりと躱す。彼女は左右の手でベルトの両端を持ち直し、振り上げる。
バチンッ! と顔面をしたたかに打たれた。頬に熱い痛みが走り、脳を揺さぶられる。
「……動きにキレがない。迷ってるの?」
「お前を傷つけるつもりはない、それだけだ」
できることなら、何も知らないままでいたかった。
だが貞乃の言う通り、許されないことだ。答えはすでに出ている。
少女が探るような目でこちらを観察してきた。
「つまり、八咫烏の側につく……ということ?」
「違う。俺は、どこにもつかない」
バチンッ! と体を打たれた。胴にビリビリとした衝撃が伝わる。
ベルトを鞭のごとくしならせた彼女は、冷たい瞳で睨みつけてくる。
「そんな中途半端な考えが通ると思う? 敵か味方か、あなたの選択肢は二つしかない」
「関係ない。俺は最後まで――――あの人と始めた『掃除屋』として戦う」
ヒュン、と風を切る音。
銀四郎は左手を伸ばし、蛇のように襲い来るベルトを掴んだ。
激痛とともに血が滲み、皮膚が赤く腫れたが構わなかった。
少女が忌々しげに吐き捨てる。
「……その在り方だって、幻想に過ぎなかった。あなたが貫いてきたのも『紅桜』を抑えるための偽善。他に何があるの?」
「まだ、最後の依頼が残っている」
初めて会った夜、赤い少女は言った。
誰かがやらなくてはならない、と。
「千理の(ツ)瞳を潰したい気持ちはこっちも同じだけど、八咫烏の何から何まで闇に葬るやり方には……納得できない」
「あなた、まさか――――」
「俺は、俺自身がやらなくてはならないことをやる。これだけは、他の誰にも譲れない」
気づけば、右腕がズキズキと疼きだしていた。
二の腕、肩へと上がっていき……ついに首まで到達する。
『紅桜』の悪化。戦闘のストレスでハイになったまま、自らの『正義』に没頭したからだ。
もう隠せない。貞乃は首に浮かんだ紅い桜を目にして、愕然とした。
「そこまで、進んでいたの?」
「悪い、どうしてもできなかった。ここでのことを忘れて、生きていくなんて……」
八咫烏はなぜ、銀四郎を潜入させたのか。
そして、保健室で少女が指摘した――――致命的な見落とし。
簡単な話だった。真実にたどり着くのが怖くて、無意識に思考を鈍らせていた。
「でも、それも終わりだ。貞乃……お前を越えた先に、アリスがいるんだな?」
「ええ。そろそろ、この戦いの意味もわかってきたでしょ?」
「ああ、承知した上で――通らせてもらう!」
戦闘が再開された。
銀四郎は左手でベルトを引っ張る。だが貞乃は躊躇なく手放して、バックステップ。
まだだ。右手は腰のホルスターに伸びている。グリップを握り、銃口を抜きだす。
セーフティレバーを親指で解除、肘を九十度に曲げ、前腕を胸と垂直にした構えで牽制。
少女は緩急をつけたフットワークで銃口から逃れる。
ベルトを捨て、空いた左手も合わせ、まっすぐに銃を突き出しても……捉えられない。
だったら、誘導する。システマの達人は常にさりげない動きで優位に立つ。
昨日のバスケットボール、ナナに扮した吹雪も相手を転倒させていた。
「――――」
自分と相手を繋ぐ糸……『動線』を意識する。銃口を向けたまま、少しずつ足を動かす。
マリオネットを操るように、貞乃のフットワークをコントロールしていく。
彼女はブレザーの懐に拳銃を忍ばせている。しかし、まだ抜いていない。
迷っているのだ。射撃か近接、どちらで攻めるべきか……。
銀四郎は絶妙な距離感を保つことで、どちらの手も五分五分という状況を作り出した。
貞乃は一方に傾く瞬間を狙うだろう。その計算高い思考が命取りになる。
銀四郎が足を引くと、彼女は距離を詰め……逆に踏みこむと、後ろに下がる。
少女は攻撃のタイミングに気を取られ、足元をおろそかにしていた。
重心が不安定になっているというのに、だ。
銀四郎は銃口を貞乃――――ではなく、彼女の足元に向けて撃つ。
パシュ、と銃声に続き……べちゃりと、被弾の音。
たった一押しで体勢が崩れ、少女はあっけなく転んだ。
「――――え?」
アンクルブレイク。貞乃は地面への着弾で、足を反射的に動かし、もつれてしまったのだ。
ぺたんと尻もちをつき、呆然とこちらを見上げる姿は……糸の切れた人形のようだった。
べちゃりと、二発目の被弾。
またもや、天気雨に見舞われた。
ざあざあ降りの中……二人は木陰で、背中合わせに座っている。
貞乃がわなわなと身を震わせながら、切り出した。
「どうやって誘導したのよ? あんな離れ業を成立させるなんて――私のパターンやクセを熟知しているとしか……」
「昨日のバスケットボールだよ。同じチームで、俺は貞乃の動きを近くで観察できた」
「あの時から、こういう展開を予測していたの?」
「いや、お前にビシッと言われて……やれることをやろうと思ったんだ」
「じゃあ敗因は、敵に塩を送った私……」
がっくりとうなだれる少女。らしくない姿に戸惑いを覚え、なんとか励まそうとした。
「で、でも、俺は貞乃のそういうところが好きだ。冷酷なエージェントよりずっといい」
「――――バカ」
ぽすんっと、華奢な肩が寄りかかる。
甘酸っぱい香りと柔らかな感触に、とくん……と心臓が高鳴る。
どうにも落ち着かない気分だった。貞乃は黙りこんでいるが、そこには危うい何かがある。
こちらが茶を濁そうとする前に、先手を打たれてしまった。
「雨、止みそうね」
「え、あ、そうだな……」
平凡なやり取りから、徐々に天秤が傾いていく。
「さてと、今のうちにやってしまいましょう」
「な、なにを?」
「首の『紅桜』の隠ぺいよ。ドローンはまだしも、人目を引くのは面倒でしょ」
彼女は立ち上がり、銀四郎と向き合う形でしゃがみこむ。
その手には回収したスカートベルト。それを首輪のように巻きつける。
間近に整った美貌が迫り、繊細で優しい手つきに喉をくすぐられ、思わずたじろいだ。
「い、いいのかよ? 俺は報告しなかったのに……」
「負けた私に、干渉する資格はない。勝てたあなたは、自分のやるべきことに集中しなさい」
少女がぎゅっとベルトを結んだ。ちょうどいい締まりに、気合も入ってくる。
貞乃に怪しい挙動は見られない。さきほどの沈黙は杞憂だったのだろう。
「……シロウくん」
「ん?」
ほっとした途端に――――奇襲を食らった。
彼女がそっと、唇を重ねてきたのだ。
しっとり濡れた感触に心を奪われ、熱い吐息が肺を満たす。
雨が止むと同時に……少女は離れた。頬を赤く染め、恥ずかしげに目を逸らしている。
「さ、貞乃――――」
「キ、キスの間に、私はあなたを何回も殺せた……だ、だから調子に乗らないこと! いいわね⁉」
ビシッと、指を突きつける貞乃。その気迫に押され、こくりとうなずいた。
9
互いに顔を合わせられないまま、二人は逃げるように別れた。
唇に残る余韻をどうにか振り払い、早足で森を進む。
そして、最後に待っていたのは――――
「今回もまた、苦戦してきたようだな」
真紅のツインテールを風になびかせ、ルビー色の瞳でこちらを見据える赤い少女。
アリスだった。抜群のプロポーションを飾るのは、情熱的なワインレッドのビキニ。
雨水のしたたる滑らかな肌、ほどよく引き締まった腰つき、すらりとした手足。
暗殺に用いられることが悲しくてならない、完成された肉体。
ホルスターはウエストポーチ型のファニーポーチ。右手に握る拳銃は、ガバメント。
銀四郎も同じように持っている。
「おかげさまでな。けど文句は後だ。とりあえず質問させてほしい」
「いいだろう」
「どうして、こんな方法を取ったんだ? 校舎のテストとそっくりじゃないか」
「そうだ。この戦いも、シロウ――――お前を試すものだった。その様子だと、自らの本心に気づけたようだな」
つまり、銀四郎の立ち位置を明確にすることが目的。
たしかに貞乃も、敵か味方かをはっきりさせようとしていた。
「でも……俺が望む結末は、アリスたちと違う」
「ああ。だからこそ、ここで決める。どちらの依頼が優先されるべきか」
八咫烏は、誰かがやらなくてはならないことをやる。
銀四郎は、銀四郎がやらなくてはならないことをやる。
二つの正義は相容れない。こうなってしまう展開は簡単に予想できたはずだ。
「アリス、俺を待っていてくれたんだな……」
彼女は照れくさそうに、ぷいっと顔を背ける。
「……あの夜の借りを返しただけだ。お前は出会ったばかりの私を信じてくれた。とはいえ、こちらにも意地がある。わざと負けることはできないぞ」
「それで十分だ」
もう、言葉はいらない。最後の戦いが始まった。
アリスの動きは、持ち前の足腰を活かした俊敏なフットワーク。
同足と逆足を合わせ、効率よく勁力を発生――合理的な打撃へと繋げる、八極拳の歩法。
予想よりずっと速い。おそらく、水着姿で服の無駄な質量を排除している。
ただし、重さが減れば攻撃力が低下する。まさにスピード重視の戦法だ。
彼女はまたたく間に距離を詰め、肘打ちの頂肘を繰り出す。
「うおっ⁉」
横に転がり、ギリギリで回避。ブンッ! とスイングが空を切る。
銀四郎はすぐに立ち、肘を九十度に曲げ、銃口を向けようとした。
だがアリスは上半身を外から内に振り、がつん! と肩をぶつけてきた。
「ぐっ!」
まさかの体当たりにのけぞってしまう。そこにガバメントも突きつけられる。
まだだ。銀四郎はすかさず左手を伸ばし、手のひらで銃口をぐいと押した。
スライドと銃身を後退させた。アリスがトリガーを引くが――――無反応。
ガバメントはショート・リコイル式。スライドが後退すると、発砲できない。
取った。確信とともに銃口を向けた瞬間、今度はアリスの左手が伸びる。
鏡合わせのように、スライドが後退させられた。これでは発砲できない。
銀四郎の拳銃もガバメントだった。互いに銃を押さえつける、こう着状態に突入。
彼女が話しかけてきた。
「どうするシロウ? いったん仕切り直すか?」
「じゃあそれで―――」
「甘いな」
アリスは容赦なく腹部にかかとを叩きこんだ。
「があっ⁉」
ガバメントを落とし、相手の銃口からも手が離れ……後ろに倒れていく。少女が拳銃を突きつける。
しかし銀四郎は、直前にシステマの受け身を取っていた。姫子の時にも使った衝撃分散だ。
体が地面に着く刹那、クラヴマガにスイッチ、受け身の姿勢でサイドキックを放つ。
蹴りはアリスのガバメントを弾き飛ばした。
「っ!」
銀四郎は支えの足を地面に着けつつ、蹴り足を浮かせ、キックの構えを維持する。
左手で顔をガード、右手を地面に着けて腰を起こし、蹴り足を後ろに引く。
一気に立ち上がった。すると、アリスは自らの胸元に手を伸ばす。
あるのはビキニと青い布のみ……だが銀四郎も迷わず、そこに手を伸ばした。
基本的に、ブラジャー型ホルスターはバストの下側に留める。よって、銃を抜く際は上着の下から取り出す。
とはいえ仕込みがないことは、ビキニ姿を見れば一目瞭然。
しかし、アリスが触れた途端……ぺろん、と皮膚の一部が剥がれ落ちる。
それは肌色のシリコンだった。バストの大きさを偽装するための道具。
そして露わになったのは、やはりブラホルスター。小型拳銃デリンジャーを挿している。
もともと少女の胸は大きい。だから、使うわけがないという先入観を持たせたのだ。
銀四郎は、デリンジャーを抜いたアリスの手首を掴むことに成功。
はっ、と少女が驚きの表情を浮かべる。
「気づいていたのか⁉」
「思春期の男子をなめるなよ。昨日の混浴で、本来のボディラインは目に焼きつけてある。多少の違和感だって、こうして発見できる」
……タネを明かすと『銃眼』で捉えたのだが、あえて伏せておく。
挑発を含んだ発言に、彼女の顔は……かあっと赤くなった。
「このっ、スケベ男が!」
アリスは冷静さを失い、力任せに右の蹴りを繰り出そうとする。
読めていた。すかさず左の膝を軽く上げ、つま先で少女の脛をぴたりと押さえつける。
ストップキック。さらにアリスの手と手首を捕まえたまま、技に入った。
両手の人差し指から小指までの八本で引き、二本の親指で少女の手を手首に向けて押し下げる。
アリスの手が徐々に開いていき、デリンジャーが落ちそうになった。
キャヴァリエ、クラヴマガにおけるリストロック。騎士を意味する言葉でもある。
あと少しのところで、彼女も動いた。腰を水平に振り、どんっ! と内側をぶつけてきた。
「うっ⁉」
勁力を込めた的確な一撃、またしても後ろに倒されてしまう。
その勢いでアリスが馬乗りになり、右手のデリンジャーを向ける。
銀四郎は腰を跳ね上げた。すると、マウントを取ったアリスがバランスを崩す。
彼女は体を支えようとして、左手を地面に着ける。
それを狙っていた。片腕を伸ばし、少女の左腕を捕まえる。
同じように片足で左足も押さえ、再び腰を使って、アリスを頭の方へ跳ね上げる。
最後、右に回転。体勢を入れ替え、上になると同時にすばやく離れた。
少女が立て直す前に、落ちていたガバメントを拾い、銃口を突きつける。
アリスは――――静かに苦笑して、自らの運命を受け入れた。
べちゃりと、決着の音。
戦いが終わった。
ゲームの優勝者は、銀四郎。
他の連中はドロドロの潰し合いや、エージェントの奮闘で全滅していた。
もちろん吹雪たちも脱落した。あの露払いのおかげで掴み取れた結果である。
「ふう……」
いろいろなことが過ぎ、ようやく自由になれた銀四郎は――――温泉に浸かっていた。
ライトアップされた夜の露天風呂。お湯が体の傷にしみる痛みも、どこか心地よい。
疲れを癒していると、洗い場からアリスの声が飛んでくる。
「来たぞ、シロウ」
振り向いた先には――裸にバスタオルを巻き、髪をアップにまとめた赤い少女。
つい、まじまじと見てしまう。彼女にマウントを取られ、抜け出そうとした時……二人は密着していた。
戦闘中は気にならなかったが、記憶は五感に焼きついている。
男女の肉体が重なり……互いの吐息、汗、匂い、体温も交わり……どこまでも溶け合っていくような――――
「シロウ」
「え?」
はっ、と我に返る。
アリスも思い出したのか顔を赤らめ、ボディラインを隠すように自分の肩を抱く。
「そんなにじろじろ見られると、困る」
「お、おう……悪かった」
慌てて背を向ける。どうやら彼女は恥じらいを覚えたらしい。
良いことだった。昨日みたいに堂々としていたら、こっちがまいってしまう。
シャワーの水音が聞こえてくる。ぎこちない空気がリセットされていく。
銀四郎はさっそく話しかけた。
「えーと、要件は?」
「忘れたのか? あの戦いの後、お前が提案したはずだ。まずはミーティングで内容をまとめよう、と」
「そ、そうだったな……」
プロポーションに心を奪われて、すっかり失念していた。
やれやれ、と少女が呆れて苦言を呈する。
「もっと気を引き締めるべきだ。場所のセッティングも任せたのは間違いだったな」
「い、いいだろこれくらい! 俺も大変だったんだ――女の子に蹴られたり、ベルトでびしばし叩かれたりで!」
「ん? 男にとってはご褒美だろう?」
「どういう嗜好してんだよ⁉」
危険な考えである。いずれ、きちんと説得しなければならない。
しかし今は、現実と向き合う時間だ。
「アリス、ミーティングの前に一つ……確認したいことがある」
「――――」
シャワーの水音が、ぴたりと止まる。
銀四郎が聞きたいのは――貞乃に指摘された、見落としのことだ。
アリスは仲間をまとめる『元締め』のエージェント。彼女なら答えを知っているはず。
「……本当に、いいんだな?」
「ああ、もう覚悟は決まっている」
八咫烏にすべてを任せて、撤退するという選択肢もあった。
けどできなかった。元の日常に帰る意味を、失ってしまったから……。
拾った『鍵』を手にして、真実への『扉』を開く。
「あの祭りの夜、教団は――――何のウイルスをばら撒こうとしたんだ?」




