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心の奥底で

「……ごめんなさい。私、あなたのこと……」

 言葉が出なかった。ただ、現実を受け入れることしかできなかった。


 紫乃は、一時的な記憶障害らしい。でも、記憶が戻る保証は無い。もし、戻らなかったら――。考えるだけで、心が冷たくなった。


「れおくんって私の大切な人だった?」

「うん、付き合ってたよ。」

「そうなんだ……。忘れちゃってごめんね。」

「いいよ、思い出していこう。」

「うん、ありがと。」

 紫乃は笑顔だけど心ここに在らずって感じで、昔の紫乃みたいだった。死にたいとは思ってないだろうけど、生きる理由がわかんないみたいな……。そんな紫乃の笑顔を見る度に心が痛くなった。

 紫乃が退院しても、記憶が戻ることはなかった。

「紫乃。なんか思い出した?」

「ううん、まだ……。」

 僕は、毎日聞いた。紫乃は僕を鬱陶しいと思っていたかもしれない。でも、僕は聞くのをやめれなかった。

「れおくんは、前の私の方が好きなの……?」

「……ううん、今の紫乃も好きだよ。」

「……ほんとに?れおくんいっつも冷たい。私じゃなくて昔の私が好きなんでしょ?」

「……。紫乃はすごいね。心の中を見抜いてくる。」

「……今の私は嫌い?」

「嫌いじゃないよ。でも、……。記憶が戻ったらって思っちゃう。ごめん、今の紫乃が悪いわけじゃないのに。」

「私も、思うよ。昔の私知りたいもん。本当は思い出したい。」

「そうだよね、ごめん。」

 記憶を思い出すことはないってわかってる。でも、今の紫乃は、紫乃って名前の他人みたいで、心のどこかで距離を感じてしまう。

「ねぇ、紫乃。公園行かない?」

「公園?」

「うん、2人の思い出の場所。」

「……!行きたい。」



 あの公園に行くのは、数ヶ月ぶりだった。紫乃が事故にあってから、一度も行ってなかった。

「ここだよ、紫乃。」

「なんか懐かしい気がする。」

「ほんと!?来て良かった。」

「れおくん、私たちはここで何話してたの?」

「いろんな話。日常のこととか他愛のない話もしたし、過去の話とかもした。」

「過去って私の?」

「うん。」

「聞かせてよ、私の過去。」

「……。紫乃の過去?」

「……?うん。」

「後悔しない?」

「……聞かない方がいい話?」

「ちょっと重いかも。」

「いいよ、それでも。私、過去知りたい。」

「わかった。紫乃の幼なじみにね、奏乃ちゃんって子がいた。」

「奏乃ちゃん……?待って、思い出せそう。聞いた事ある。」

 僕は静かに見守っていた。

 それでも、紫乃の記憶は戻らなかった。



「玲央くん、会いたい。」

 そこから数日後、紫乃からメールが来た。僕は、急いで公園に向かった。


「玲央くん……!思い出したよ!」

 紫乃は泣いていた……。でも、笑顔は昔の紫乃に戻っていた。

「紫乃……!良かった……!」

 久しぶりに、心の距離がなくなった。心に張っていた緊張の糸が、ほどけた気がした。

「ごめんね、玲央くん。思い出せの遅くなって。私ね、毎日ここに来た。それで、今日思い出せたよ、全部。思い出した瞬間ね、胸が痛かった。でも、嬉しかったよ。」

「紫乃……。これからも思い出作ろうね。」

「もちろん、次からは忘れないね。」

 紫乃は笑った。もう不安のない、強くて優しい笑顔だった。

「紫乃、これ、見て欲しいものがあるんだ。」

 僕は、かばんから一冊のノートを取り出した。涙で濡れてしわしわになったページもあって、綺麗とは言えないけど。それでも、大切なノート。

「……何、これ?」

「紫乃が眠ってた時に書いてた。思い出を忘れないようにって。」

「玲央くん……。」

中には、二人の会話とか、紫乃が好きだったこととか、いろんなことを書いた。

「字ぐちゃぐちゃじゃん……。」

「必死だったから……。」

「ふふ、言われなくても伝わるよ。待って、なんでこんなこと書いてるの!?」

「それも思い出だよ。」

「え、恥ずかしいよ。」

 二人の笑い声が夜の静寂に響いた。あの頃と同じ。日常がこんなにも尊いものだなんて、知らなかった。

「玲央くん、このノート宝物にするね。」

「え、それ僕のだよ。」

「ふふん、もう私のものだよ。」

 紫乃のノートをめくる指先が、ふと止まった。

「玲央くん、これからは私が書いていい、このノート?」

「もちろん、二人の思い出だから。」

 紫乃は真っ白なページに書いた。

「これからも、あなたと私の物語は続く――」

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