ただアタシは走るしかなくて
ただ無心で走る。
乱れる呼吸を理性で正し、体に染みついた動作で走る。
鼓膜を揺らすのは、ランニングマシンが回る音と空調の鈍い低音。
あとは自分と同じようにトレーニングルームにいる生徒の呼気くらいか。
「……っ、はっ……はっ、っ」
セットしていた三十分となり、ランニングマシンの挙動が緩やかになる。
それに合わせるようにゴムベルトを蹴る速度を緩めていき、歩けるくらいになったところで手すりに掛けてあったハンドタオルに手を伸ばした。
頬を伝う汗を拭うと、そのまま肩口にタオルを掛ける。
「ふぅ……」
張り裂けそうなほどに強く脈を打つ鼓動を深呼吸しながら宥めて、ランニングマシンから降りる。
近くのベンチに置いていたカバンから水筒を取り出すと、それの蓋を取り外して一気に口の中へと含んだ。
もう冷たくはないスポーツドリンクだったが、水分と塩分を欲している体には染み渡る。
口を離してタオルで拭うと、セリナはベンチに腰を落とした。
インターバル中に思い出すのは、先ほどのリコとのやり取り。
迷いと不安、それと燃えるような闘争心がごちゃ混ぜになった、複雑な気持ちだった。
『手を抜くってことは逆に、手を抜かなきゃ目標達成できる作戦だったって証明しているようなもんじゃん』
「……っ」
リコの言葉が、セリナの心をギュッと締め付ける。
なんでこんな気持ちになるのか、セリナ自身にもわからないことだった。
全身を流れる血潮を無理やり止められるような、自分自身を否定されるような、そんな感覚。
それでも、自分の感覚が間違っているとは思ってはいなかった。
今のままじゃ自分は――浅桜 芹那は『いちばん』になることはできない。
こんな不安を感じるようになったのは、いつからだろうか。
昔は深く考えず、ただひたすらに小学生用の小型レースマシンを走らせていた。
走ることが楽しくて、楽しくて、本当にただ楽しくて。
そして、その中で勝つことができれば、これ以上にない多幸感を得ることができた。
それでは今は楽しいのだろうか。
答えは、今のセリナにはわからない。
だが現実は非情なもので、迷い悩んでいる者を待ってはくれない。
立ち止まった瞬間に、前を走るものには置いていかれ、後ろを走るものに追い抜かれてしまう。
それを分かっていながら、しかし胸の中には悩んでいる自分がいた。
自分の勘を信じるのであれば、次の合同シミュレーションは手を抜くべきだ。
そうなればリコは、セリナとの約束通り作戦を練り直してくれるだろう。
短い付き合いだが、その約束だけは守ってくれるという確信はあった。
「……はっ」
乾いた笑いが出た。
それで手を抜くなど、三流のやることだ。
どのような形であれレースをするのであれば、セリナは全力でやらなければ気が済まない。
くだらないプライドかもしれないが、それでも貫かなければいけないものがある。
どんな結果になったとしても、目の前のレースに全力を出す。
例えそれでリコの作戦に従うことになっても、その作戦で他を圧倒すればいいだけだ。
その中でどうしても譲れないことがあった時は、リコを切り捨ててしまえばいい。今までだってそうしてきたのだから、なんの問題もない。
そのためには――
「――もっと、強く」
強くなる。
速くなる。
そして、自身の勝利で証明する――自分が最も速いドライバーであると。
ならば、やることは単純にして明快だ。自分が思い描く最速の体現をすればいい。
「……よし、やるか」
セリナはベンチから腰を持ち上げると、グッと体を伸ばした。
残された時間は少ない。セリナは残された時間を無駄にしないために、再びトレーニングに戻るのであった。