今はそれでいい
四十五周を終えて、セリナはピットインを行った。
四位のドライバーをアンダーカットするため、整備科の生徒たちは先ほどと変わらない速度でブレーキの交換を行う。
ロリポップの表示が緑に変わると、セリナは再びサーキットへと戻っていった。
その後、ピットインなどで順位の変動があり、四十七周目でセリナは六位を走っていた。
リコの分析では、あと五周以内には元の順位に戻れるらしい。
加えてリコと大澤からの指示で『不測の事態に備えて、順位は出来るだけ上げていこう』と伝えられていた。
そうと決まれば、彼女に残されている選択肢は一つ。
自分が出せる最速で、サーキットを駆け抜けるだけ。
『セリナ、プッシュしよう! 今のペースを維持できれば、ピットインをしてる人たちを抜けるよ!』
「了解」
リコからの指示を受けて、セリナはマシンを加速させていく。
リアクターの甲高い回転音を響かせて、セリナはホームストレートを目指した。
そのまま加速を行っていき――そして、相手のマシンが出てくる前にホームストレートに到着。
アクセルを踏みしめて、先ほど四位と三位にいたドライバーをピットから出てくる前に背後に置き去りにした。
遠く背後で歓声が響く。
『今のアンダーカットで三位だよ! レースも残り十二周だから、落ち着いてリスクオフのレースをしていこうね』
「了解っ」
リコの無線を切って、セリナは緊張の糸を繋ぎ直した。
残りの周回数を無事に走りきること。
それが今のセリナに課せられた最重要課題だ。その上で勝負できるタイミングで上位を狙っていく。
――本当にそれでいいの?
それでいい。
今のセリナは、胸の奥から湧きあがってくる言葉を諭す余裕すらあった。
自分は今、自分だけのためにレースをしているんじゃない。
チームのためにレースをしているのだ。
それであれば、今取っている選択肢が正解だと胸を張って言える。
『次のマシンとのタイム差は約二秒。前にいるのは、九万瀬さんだね』
「っ……了解」
タイガの名前を聞いて、セリナの首筋に熱いものが走った。
それまで凪いでいた心に気炎が舞い戻ってくる。
アイツに負けたくない。
ただそれでも、無理な勝負をする気は起きなかった。
もし残りの周回中に追いつくことが出来なかったら、次の機会にでも『受けた借り』は返せばいい。
「っ!」
前との差は約二秒。考えているセリナの眼前に、見覚えのあるマシンの背中が見えた。
水色をベースに白の雲のマークのロゴが入った機体――『イースタークラウド』のタイガのマシンが、まるでセリナを待つように走っていた。
セリナは反射的に無線のボタンを押した。
「ねぇリコ、タイガが走ってるのは二秒前じゃなかったっけ? なんでアタシの目の前にいるの……?」
『えっと、そのはずだったんだけど……こっちでわかる範囲だと、九万瀬さんに少しミスをした可能性があるくらいかな。申し訳ないけど、正確な情報は分からないや』
「了解……」
リコからの無線に、セリナは表面上は納得の言葉をしながらも、胸の中には否定の言葉を浮かべていた。
それは今の状況が模擬戦とあまりにも酷似しているからだ。
(アイツ、わざとペースを落としたんだ)
それはドライバーとしての直感。アイツならそういうことをやりかねないという、ある種の信頼みたいなものだ。
わざとペースを落としたのはきっと、自分と勝負をするためだろう。
見え透いた挑発行為に自然とセリナの口の端が上がった。発火し、再燃した気炎へ応じるようにリアクターの回転数を上げていく。
それでも思考は明瞭だった。
模擬戦の時のような焦燥感ではなく、あるのは決着をつけるという気概。
「いい度胸じゃない」
恐らくここが分水嶺。
眼前の敵を抜かさないと無駄にマシンを消耗させてしまい、後続からのプレッシャーに耐えられない可能性がある。
ならば残されている選択肢は一つだけ。
アイツを抜く――ただそれだけだ。
「勝負だ、タイガッ!!」
そんなセリナの気迫に圧されるように、マシンは高速の世界へ突入していく――