ペアと難題
二週間前――
「――以上が君たちを呼んだ理由だけど、何か質問とかはあるかな?」
放課後、私と浅桜さんは全校放送で突然呼び出されていた。
私なにも悪い事してなかったよね、と思いながら入った小型会議室は、簡易的ながらも防音性能の高い仕切り板で区切られていた。
部屋の中には長方形のテーブルが一つと椅子が四脚。
少し手狭だけど、少人数での話し合いにこれ以上適した場所はない。
「つまり……」
「私と浅桜さんがペアを組む……ってことですか?」
「うん、簡単に言えばそうなるね」
目の前の男性――チーム代表者である大澤 涼太さんは、浅桜さんと私の言葉に朗らかな笑みを浮かべながら返答した。
長い髪はオールバックにしてお団子ヘアにまとめ、口元に携えた髭も相まって見た目年齢を少し曖昧にさせている。
糊の利いたシャツとスラックスという格好は長身痩躯によく似合っていて、端正な顔立ちも相まって女子生徒からの人気が高い。
そんな大澤さんは言葉を続ける。
「君たちの実力は『入学試験』の時に充分見させてもらった。うん、結果は素晴らしいものだったね。そんな君たちが組んでくれるのなら百人力だ」
「評価は散々でしたけどね……あはは」
私の乾いた笑い声に、大澤さんは「まあ、結果から考えれば最低ランクの評価だね」と爽やかな笑顔で残酷なことを言ってくる。
最低ランクって……その通りだから反論の余地なんてないんだけど。
「それで言ったら、私と浅桜さんがペアを組むのはリスクが高いんじゃないですか?」
「そうだね。うん、リスクは承知の上さ。それにあくまで入試は『評価する場』だし、これから求められるのは『結果』だ。最大限の結果を出せるものがあるのなら、それを使わない手はない、って言うのが僕なりの流儀なのさ」
「なるほど……」
「アタシは嫌よ」
納得する私とは正反対に、浅桜さんはキッパリとそう告げる。
目だけ横に向けると、彼女はキリッとした二重を釣り上げて、いかにも不満ですといった表情を浮かべていた。
そんな浅桜さんの雰囲気に気圧されることなく、大澤さんは涼しげな表情だ。
「何が不満なのかな、浅桜くん」
「不満しかないわよ。って言うか、アタシの口から言わなくても、そっちは『私とこの子の事情』は知った上で打診してるんじゃないの? ムカつくからわざわざ本人の口から言わせないで」
「あはは、こりゃ手痛いところを突かれちゃったね。うん、君と巴月くんの揉め事はしっかりと理解しているよ。でも、そこを加味した上で僕は問題ないと判断してる」
「問題ない、ですかね?」
そう呟きながら思い出すのは、二ヶ月前の『入試試験』での出来事。
私と浅桜さんは入試の実技試験の際に、ドライバーとレース司令官としてペアを組んでいた。
序盤は問題なく進んでいたけど、終盤に出したチームからの指示を浅桜さんが無視。
結果的に二位を獲得することができたけど、私たちのペアはチームオーダー違反と言うことで良い評価を獲得できなかった。
『なんでチームオーダーに従ってくれなかったの⁉︎』
『勝ちを優先して何が悪いの? それにレースディレクターは、自分が担当しているドライバーが良い成績を残すために最善を尽くすのが仕事でしょ? それともアンタは仲良しごっこでもしたいわけ?』
『それは……そうかもしれないけど。それでも、オーダーには従うべきだよ。浅桜さんだけを特別扱いになんて出来ないことくらい分かるでしょ?』
『そう。なら、次はアタシを優先して……まあ、次なんて無いだろうけど』
レース後にオーダー無視をした事に怒りを抑えきれなかった私が彼女の元へ行くと、何も悪びれた様子もなく平然とした態度の浅桜さんがいた。
そんなこんなで、なんとかギリギリ合格しての入学式。
同じクラスに浅桜さんがいて驚きを隠せなかったのは記憶に新しい。
あの一件があったからか、お互い積極的に絡まないようにしていただけに、この提案は予想外のものだった。
そんな経緯で、感情だけで言えば私も浅桜さんとペアを組むのは無理だと思ってる。
私じゃ彼女をコントロールすることは難しい(と言うか、大半の人間は無理だと思う)し、何よりも入学してすぐに提出した希望調査票で私は別のドライバーを指名していた。
それでも、私と浅桜さんが組むことにメリットがあるとチームが判断したのは、だいぶ複雑な気分だ。
正直なところ不安な要素しかない。
沈黙が流れる。
三者三様、それぞれがこの件に関してどう言う結論を出そうか迷っている空気感の中、沈黙の空気を割ったのは大澤さんだった。
「まあ、無理に組めとは言わないさ。そのことが影響してパフォーマンスが下がってしまったら元も子もないからね。ただ……今回の場合は組んでくれた場合のリターンもしっかりと用意しているよ」
「リターン?」
浅桜さんの返答に、大澤さんは一瞬だけ口角を釣り上げ――しかし、すぐに元の冷静な表情に戻って言葉を続けた。
「通例では、一年生レースでの『エースドライバー』は二週間後に行われる『合同シミュレーション』で決められるのは知っているよね? ただ君たちが組んでくれるのであれば、無条件で君たちにその席を譲ることを約束する。もちろんこの話は、もう一人のドライバーである古谷くんにも了承を得ているから、その点は安心してね」
「……マジですか?」
信じられない、と言った風の私に大澤さんは「大マジさ」とウィンクしてくる。
エースドライバー。
それはチーム内で『勝利のためにレースをする』ことを許されたドライバーの称号。
基本的に、グライドフォーミュラーでは一チーム二台のマシンを出してレースをする。
そして順位に応じたポイントを獲得していき、最終的に獲得したポイント数で総合的な成績を出す方式になっていた。
チームとしてはどちらのドライバーも勝利できるように最善を尽くすのだが、それでも『優先順位』が出来てしまうことがある。
エースドライバーは、言ってしまえば『チーム内でセカンドドライバーを押しのけてでも勝ちをもぎ取ってくる』ことを望まれている存在であり、そんな不条理を結果で黙らせることを求められるポジションだ。
大澤さんの言った通り、英明学園では『実力主義』に則っているため、基本的にはシミュレーションでの結果やチームへの親和性を元に判断されるものでもある。
優先されるだけの実力を結果で示せ、と言うのは簡単なようで難しい。
チームによっては、そんなドライバー間の不和を避けるためにエース、セカンドと言った区分を設けないところもあるらしいけど……まあ、私たちの所属している『デルタ・ウルス』は前者のようだった。
「どうかな? 君たちにとっては――と言うよりも、浅桜くんに取っては願ってもない話だと思うけど、それでもこの話は無かったことにしたほうがいいかな?」
「ぅぐっ……大澤さん、性格悪いって言われない?」
「計算高い、と言ってくれるかな?」
爽やかな笑みを浮かべる大澤さんとは対照的に、浅桜さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
あれ、このままだと良い感じに丸め込まれる……? と思った私は恐る恐る挙手をした。
「え、えーっと、私はその話を聞いても、彼女とは組めないです」
「アンタ――っ!」
反射的に席を立ち上がりキッと睨みつけてくる浅桜さんを、大澤さんは「待って」と言葉だけで抑えた。
「続けて」
「は、はい。正直なところ私の力だけでは、浅桜さんをコントロールすることは難しいと思うんです。浅桜さんは確かにドライバーとしての腕は高いと思うんですけど、私と組むことでそれが足枷になってしまうのは避けたいというか……」
「そうか……うん、巴月くんの意見は分かった。浅桜くんの方からは何かあるかな? 片方だけの意見を聞くだけって言うのは、議論として健全じゃないからね」
「アタシは……」
話を振られた浅桜さんは、下を向いていた。何かを思案しているような感じだが、表情が見えないから感情を読み取ることができない。
大澤さんの方に視線を戻すと、こっちも何か思案するように向いていた天井から私たちの方に視線を向け直すところだった。
「それじゃあ、こう言うのはどうかな? 浅桜くんは直近のレースである『一年生レース』で、原則として巴月くんの出す指示に従ってもらう。もし巴月くんの出すオーダーに従わなかったら、その時点でこの話は無しだ」
「っ、それは!」
バっと、浅桜さんが勢いよく顔を持ち上げる。
悔しそうな、少し泣きそうな……そんな彼女の気持ちを察してか、一言付け加える。
「多少のことは許容するから、その点は安心してね」
多少の範囲が気になったけど、今は話の腰を折るべきじゃないだろう。
「それに、君自身が一番分かっているんじゃないかな? この機会を逃すと『在学中にエースドライバーになることが限りなく難しい』と言うこともね」
「っ!」
ピリッと、その場の空気が張り詰める。それは大澤さんが、それまで見せていた柔和な雰囲気から一転、悪意を込めた言葉と雰囲気に変わったからだ。
「……ほんと性格悪すぎ」
「はは、流石に今のは性格が悪かったね。ごめんごめん」
絞り出すような反論に、先ほどまでの雰囲気が嘘のように重たい空気を霧散させて、大澤さんは爽やかな笑みを浮かべる。
ただ瞳だけは真っ直ぐ浅桜さんを見ていて、言外に続きを促していた。
そんな視線に耐えかねたのか、浅桜さんは大きく肩で息を吐き出す。
「はぁ、分かった。その条件で構わない。巴月さんの指示に従ってレースをする。それで問題はないでしょ?」
その言葉に、大澤さんは満足そうな表情を浮かべる。
「うん、君ならそう言ってくれると思ったよ。巴月くんもその条件なら構わないかい?」
大澤さんからの言葉に、私は少し逡巡する。
浅桜さんが私の作戦に従ってくれるのなら、それ以上に期待することはない。
私としても願ってもないチャンスだし、この話に乗らない手は無いだろう。チャンスが転がってきたら迷いなく掴め、というのが巴月家の家訓だ。
私はコクリと首を縦に振った。
「わかりました。その条件なら問題ないです」
「よし、決まりだ。君たちなら快諾してくれると思ったよ」
私がそう返事をすると、大澤さんは嬉しそうな表情を浮かべた。
快諾っていうか。半ば丸め込まれた感じだったけど……。
話し合いが終わったと判断した浅桜さんが席を立とうとして――
「――あ、それと一つ言い忘れてたけど」
大澤さんが引き止めるように、ピッと人差し指を立てた。
「君たちのペアは、当然のことながら一年生レースでは『五位以上』を取ってもらうことが絶対条件だ。もし達成できなかったらペアは解散してもらうし、僕たち三人は相応のペナルティを受ける事になる。多分、一年間はまともにレースに参加できないかもしれないから、二人ともそのつもりで頑張ってね」
「な――ッ⁉︎」
「え――」
大澤さんの言葉に、私たちは時が止められたように固まる。え、この人今サラッととんでもないこと言わなかった……?
「――先にそれを言いなさいよ!!」
「――先にそれを言ってくださいよ!!」
爽やかな笑みを浮かべる大澤さんに、二人同じタイミングで同じ言葉を吐き出していた。
かくして、私と浅桜さんはペアを組むことになったのだった。
しかも『現状の私たち』には無理難題にも思える目標もセットとなって。