狩人は標的を定める
――視界の端に緑色の旗を確認した瞬間に、セリナはアクセルを踏み込んだ。
「ッ!」
それまで抑圧されていたものをすべて開放するように、速度を一気に上げていく。
背後から迫ってくるマシンのプレッシャーを感じながらも、目の前の相手を抜き去るため集中力を尖らせていった。
心地の良い加速感。セリナは細かく加減速を行いながら、相手の背後で隙を伺う。
同時に背後から迫ってくる相手には走行妨害などを行って順位をキープ。
速度制限によって形成されていた隊列が、バックストレートに入り徐々に乱れていく。
相手を抜かすためにフェイトを仕掛け、そうはさせまいと腕と脚を使いブロックが行われていた。
(ここだッ!)
前二台のマシンの攻防によって、セリナの一つ前にいたマシンが大きく減速をする。
セリナはマシンを一気に加速させ、自分が今出せる最高速度で突っ込んでいった。
眼前にマシンが迫る。
完全に背部に張り付いた瞬間、セリナのマシンがスリップストリームによって更に加速。
相手よりも速くなった刹那で、アウト側に振っていた上半身をイン側へ倒す。
インアウト・フェイント。
前のドライバーは挟まれた状態でパニックになったのか、セリナへ順位を譲るように減速を行っていった。
バックストレート際のコーナーの入り口でセリナはオーバーテイクに成功する。
それでも何とか相手はアームブロックによって進路を妨害しようとしてくるが、速度に乗ったセリナを止めることはできない。
そのままコーナーをアウト・イン・アウトで抜ける。
綺麗な弧を描きながら、コーナーの終わり際で一気に加速。
セリナに気を取られ、コーナーへの進入角が内側に限定された相手は、大きな減速を強いられたことで、セリナに大きく突き放されてしまう。
と、そこで無線が入ったことを知らせる電子音。
『次の相手とのタイム差はコンマ三秒! このままいけば次のストレートでDRSが使用できるから、ペースを維持していこう』
「了解ッ!」
短い返答で無線が切れる。
セリナは短く息を吐きだし、再度集中力を高めていった。
後から迫ってくるドライバーを左右にマシンを振りながらブロックを行い、前の相手には抜かされないように最速のコース取りを行っていく。
加速、減速、最適な姿勢維持、相手をブロック、フェイントを織り交ぜたステップ、最適なコース取り。
思考する前に体が動いた。
極限にまで研ぎ澄まされた集中力が可能にする反射的思考。
ホームストレートに到着して、再びリコからの無線が入る。
『セリナ、DRS使えるよ!』
その声と同時に、セリナはDRSのボタンを押した。
背部のエアロパーツが稼動していき、体を貫くような加速を持って目の前のマシンの背後へ迫っていく。
相手との距離はマシン二台分。背後に回るのは得策では無いと判断した彼女は、加速と同時にマシンを外側へと振った。
姿勢は低位置を維持しながら、アクセルとギアを一気に上げていく。
(いけるッ!)
そう直感したときには、目の前にいたはずのマシンが背後にいた。
オーバーテイクできたことを確認すると、セリナはDRSを切って減速を始める。
そのままコーナーの入口に到着をすると、無駄のないコース取りで出口へと向かった。
(このオーバーテイクで――)
『――現在の順位は五位! すごいよ、セリナ!』
セリナの思考に被せるように、リコからの無線が入った。
無線越しの彼女の声は明らかに興奮をしていて、それに釣られるようにセリナも自然と口角が上がる。
しかし、油断はしていられない。本当の戦いはここからだからだ。
レースは現在四十二周目に突入。
先ほどまでイエローフラッグによって詰まっていた隊列も、次第に広がりを見せていた。
その中でも彼――タイガは先頭集団の後方に付けていた。
このまま問題が発生しなければ三位以内は確実だろう。
しかし、入賞という輝かしい結果なんて、今の彼女には心底どうでもいいことだった。
『浅桜ちゃん、五位まで浮上したみたいだよ。こっちの分析だと、今のペースを彼女が維持すれば次の周でタイガの後ろになると思う』
「そうかい。へぇ、アイツもここまで来たのか」
戦略科の男子の無線に、タイガは口端を釣り上げた。
それはレースが始まってから現在まで、前を走るヒカリのお膳立てをさせられていた。
そんな鬱屈を晴らせる機会が巡ってきたことによる、感情の昂まりによるものだった。
ようやくこの退屈なレースを楽しむことが出来る。
レースへ快楽を見出しているタイガにとっては絶好の好機だった。
「おい、事前に決めた通りだ。アイツが……エゴ女が後ろに迫って来た時は、全力でアイツを妨害する。それで文句はないよな?」
『そうだね、決まっていたことだから作戦通りに動いて貰って構わない。でも、無理はしないでよくれよ? ただでさえ、お前は無理な走行をするんだから――』
「うるせぇなァ!! んなことを何でてめぇに一々指図されなきゃいけねぇんだぁ、あぁ⁉ 俺は俺の走りたいように走るって、最初からそう言ってるよなァ⁉」
タイガは怒声で彼の言葉を遮る。今の彼女にとって、セリナとの戦闘を邪魔されるのは、自身の逆鱗に触れられることと同義だった。
しかし、そんなことを短い付き合いである戦略科の男子生徒は知る由もない。
タイガの言葉を受けて、無線の向こう側では呆れたような声を彼は上げていた。
『分かった……はぁ、好きにしなよ。どうせ僕が何かを言ったとしても君は聞かないんだろ? それに君のドライバーとしての実力は一番わかってるつもりだし、事故さえ起こさなかったら何でもいいよ』
「分かってんなら最初からそう言えよ。無駄なことに俺の体力を使わせんな」
横暴とも言えるタイガの言葉を最後にして、無線は切られた。
それを確認して、タイガはペロッと舌なめずりを行う。まるで獲物を狩る前の獣のように、自身の中で眠っていた本能を呼び起こすルーティン。
視線は前へ、意識は後方へ向けてタイガはひとり呟く。
「早く来い、エゴ女ッ!」




