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グライドフォーミュラー・アカデミア  作者: 夜丹 胡樽
エイメイ・サーキット 本戦

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38/46

スリップストリームに乗って

 全マシンの一回目のピットインが終わったのは、三十二周目のことだった。


 セリナはマシンを一気に加速させる。

 リアクターが咆哮を上げるように最大回転数まで到達し、同時に背部のエアロパーツが稼動を始めた。


 バックストレートでDRS圏内に入り、セリナは外側に自身のマシンを振った。


 クロスオーバーのフェイントを行いながらオーバーテイク。


 順位は九位へと浮上したのを確認しながら、コーナー前で減速をしていく。


 コース取りが少し甘かったのか、コーナーからの立ち上がりでバランスを若干崩してしまうが、腕部の物理ブレーキを使用して体勢を立て直した。


 セリナはホロウィンドウのタイムデータを咄嗟に確認。

 少しタイムロスはしたが、それでも問題ない範囲だ。

 思考を切り替えるように、セリナは操作稈を握り直す。


 アクセルを踏む込む、と同時に電子音。


攻勢プッシュを仕掛けよう。一秒くらい前にいるのは古谷くんだから、彼の後ろについて後方気流スリップストリームに入ってオーバーテイクを狙って』


了解コピー


 無線が切れると、セリナはレコードラインを気にかけながらも、自身の出せる最大限で走行をしていく。

 高速で流れていく景色は鮮明で、それはきっと過集中の状態だからか。


 普段よりも集中できていた。


 自身を俯瞰してみているような、そんな奇妙な感覚だった。

 頬を伝う汗も、吐く吐息の熱さも、裂けるほどの高鳴る心臓の全てが遠い感覚。


 アクセルを踏み、そして姿勢を落としながら減速。

 コーナーの出口では、姿勢を持ち上げながら再び加速を行う、

 最適なコーナリングをするだけの機械になってしまったような、不思議な感覚だけがセリナの思考を満たしていく。


 そんな自分がおかしくて、セリナは自分の口の端が持ち上がるのを感じた。


 時間にして数分だろうか。

 気が付けば見えなかったはずのレイタの背中が確認できた。

 セリナの乗る白をベースにした機体は、今は少し遅く感じてしまう。


 そのままセリナは、彼の背後へ迫った。

 普段であればすぐに抜き去ろうとするが、今はそうしない。

 彼の背中に発生するスリップストリームを利用するためだ。


 スリップストリームの恩恵は、特にストレートで現れる。

 前のマシンが気流を押し上げてくれる影響で、後方にいるマシンは風の抵抗を減らせるからだ。

 それにより、ブレーキなどの負担を減らし、同時に風の抵抗が無くなることで速度に乗ることが出来て容易にオーバーテイクを狙えるのだ。


(なるべく、近くに)


 スリップストリームでの加速が狙えるのはマシンの真後ろ。それ以外は逆に気流が乱れた状態である後方乱気流ダーティエアとなってしまい、マシンのコントロールが難しくなってしまう。


 繊細かつ大胆にマシンを操作しながら、セリナはレイタの後ろについた。

 一瞬レイタのマシンが肩越しに振り返り、しかしすぐに前を向いた。


 それはまるで『遅れずについて来いよ』と言っているよう。

 ある意味挑発的とも言える彼の視線に、セリナの中で気炎が燃え上がった。


 シミュレーションで、この状況はすでに演習済みだった。

 彼の加速のタイミングも、コーナリングの癖も、レコードラインもすべてセリナの頭の中に入っている。


 レースは三十三周目に突入。


「ッ!」


 レイタは加速し、セリナもそれに負けじと加速を行った。

 白い二つの機体は一心同体と言わんばかりの綺麗な隊列でサーキットを駆け抜けていく。


 約半周分、セリナは彼の背後を追走した。操作を少しでも間違えば、コースアウトをしてグラベルの上に行ってしまうだろうが、そんな危うさを感じさせない正確な走り――


『――オーバーテイク、そのまま前のマシンにプッシュして!』


了解コピー!」


 リコからの無線が入ったと同時に、セリナはアクセルを力いっぱい踏み込んだ。


 そのままサーキットの外側へとマシンを振り出して、レイタのマシンの前へと進み出る。


 刹那、レイタのマシンのツインアイと視線が絡んだ。


 ――行ってこいよ。


「ありがとう」


 こんなのは幻聴だ。


 セリナは自分が都合の良いように思い込もうとしてるだけと分かっていながら、それでも無意識で呟いていた。


 レイタからすればメリットなんてない。

 それでも『チームのために自分を犠牲にする』という姿勢は尊敬に値する。


 この恩は、結果で返す。


 セリナは意識を前に戻すと、マシンを更に加速させていった。






「浅桜くん、七位まで上がれたみたいだね」


「はい、順調すぎるくらいで逆に怖いくらいです」


 大澤さんは腕を組みながら、満足そうな笑みを浮かべている。

 私は頷きながらも、ラップタイムデータからレース全体の状況を読み取る手を止めずに返事をした。


 カガコー達の頑張りと、古谷くんのサポート。

 それに加えて、セリナが私の作戦をミスなくこなしてくれたお陰で、三十五周の時点で七位にまで浮上することができている。


 実況の解説は、先ほどからセリナのオーバーテイクを中心に取り扱ってくれているようだった。

 観客もそれに合わせて歓声を送り、十五位から劇的なまでの大躍進をする彼女の姿に魅了されている。


 ただそれでも、安心してはできない。

 レースは最後まで何が起こるかわからないし、気を抜いて負けたなんて愚か者の所業だ。


 そんな私たちの目の前を、セリナのマシンが通過していく。

 三十六周目になり、クーラントの量も減ってマシンが軽くなってる頃合いだろうか。


 モニターに視線を戻してタイムを確認。

 うん、一分四十四秒三六二。後ろにいるドライバーを抑えながらだから、このタイムはむしろ速いくらいだ。


「ここからは耐える時間だね。浅桜くんと前のマシンとは、二秒半ほど離されてる。コーナリングで差を詰めていきながら、アンダーカットを狙うって感じかな?」


「はい、その通りですね。アクシデントが無い限りは……えっ」


 私はそこで言葉を切ってしまう。


 それは思いがけない状況に思わず息を飲んでしまったからだ視線の先、モニターに表示されているのは、グラベルで土煙を上げるマシンがいた。


『おおっと、十三位のドレブルレーシングのマシンがクラッシュです! コーナーでの減速不足で、クラッシュゲートに激突してしまいました!』


 実況の解説が入る。切迫したその言葉に、観客からは心配の声と同時に悲鳴のような声が上がった。


『ドライバーは……良かった、無事なようです!』


『エアロパーツの破片が飛んでますね……レッドフラッグになるかもしれません』


 なんとかマシンから這い出したドライバーの女の子が、立ち上がると同時に被っていたヘルメットを地面に叩きつけていた。ひとまず命に別状は無いみたいで、ほっと胸を撫で下ろす。


 と、そこで無線が入ったことを知らせる電子音が鳴った。

 止まっていた思考がそこで一気に現実へと引き戻される。


『イエローフラッグが振られてるけど、どういう状況?』


「えっと、十三位のマシンがクラッシュしちゃったみたい。こっちで確認できる範囲では、コース上にデブリがあって、フルコースイエローのフラッグが振られてる。ブレーキの温度を保ちながら速度を落として対応しよう」


了解コピー。アタシの方でも何かあったら伝えるね』


 無線が切れると、私は急いでモニターの方へ視線を戻した。


 レース中に発生した異常事態イレギュラーへ即座に対応をしなくちゃいけない。

 特に今回みたいにサーキット全体でイエローフラッグが出ている区間はオーバーテイクが禁止され、時速も八十キロに制限されてしまう。


 つまり、これはチャンスだ。


 前のマシンとの間にあったタイム差が半ば強制的に無くなるから、制限の終わりを告げるグリーンフラッグが振られると同時に勝負を仕掛けられる。

 私は自然と口の端が持ち上がるのを感じた。


 私は無線をオンにする。


「セリナ、ここは無理のない範囲でプッシュしよう。後ろからのプレッシャーもあると思うから、無理な勝負はせずに前のマシンを追いかけていこう」


了解コピー、ブレーキが少しへたり始めてるけど、グリーンフラッグと同時に出来る限り追走するよ』


「うん。ピットインについても追って指示を出すから、クラッシュに気をつけて走ってね」


 私はそのまま無線を切ると、他マシンのピットイン後の周回数を再度見直していく。

 前のマシンはハードからミディアムに変更して、約三周ほどの周回をしているようだ。


 セリナは約十周をソフトで走っている。少し消耗しているのが気がかりだけど、それでも今回はリターンの方が圧倒的に大きい。


 時間にして二分ちょっと。レースが三十八周目に突入する。

 ちょうどそのタイミングでサーキット各所に配置されているフラッグマンが、一斉に緑色の旗を振った――

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