私立・英明学園
グライド・フォーミュラー。
元は介護現場に試験運用されていた『補助外装』の研究費を調達するために行われていたレースがフォーミュラーレースに統合。
そこから全高四メートル近い巨躯へと変わっていったのは、今から二十年ほど前の話だ。
半永久機関であるリアクターの登場や、軽量かつ高い運動性も兼ね備えている電磁式内部骨格の導入、人の思考を機械に伝達することができる脳波伝達《NDC》システムがレースの開発競争の中で発明されていくと、次世代のサーキットレースとして世界中の人間から注目されていった。
しかし、現在の栄華とは裏腹に、発足当時は物珍しさからくる懐疑的な声が多かった。
それは、今までサーキットレースは車やバイクでのレースがメインであったため、視聴者からも話題にならなくなったらすぐに消えるだろうと思われていたからだ。
しかし、そんな世間の評価とは逆をいくように、車やバイクでのレースでは見えなかった『人型という特性を生かしたボディフェイント』などによるドライバー同士の熾烈な駆け引き、洗礼された人型マシンのデザインに加えて、実際にサーキットを最高時速三百キロ以上で駆け抜ける迫力は、有無も言わさず人々を熱狂の渦へと巻き込んでいった。
特に日本国内では、若き天才ドライバーによる『出身国グランプリ優勝』という歴史的快挙も相まって爆発的な人気を獲得。
その勢いは現在も留まることを知らないほどだ。
現在では、グライド・フォーミュラーの最高峰である『カテゴリーワン』の一年間の累計視聴者数は四十億人を超え、国内外問わずグライド・フォーミュラーという名前を知らない人間の方が少ないほどになっている。
そんな熱狂の中、新世代育成プログラムとして発起したのが『グライドフォーミュラー育成機関計画である。
欧州諸国連合、アメリカ、中国、そして日本。
この四箇所にグライドフォーミュラーの人材育成機関を作り、次世代を担う少年少女がレースをする。
熾烈な競争を若い内から行わせることで、有望な人材を育てることが目的だ。
『アカデミックカテゴリー・代表レース』。
学内レースで上位二チームのみが出場できる、高校生レースの頂点。
日本のアカデミアである『私立・英明学園』への入学はその一歩目とも言えるだろう。
夢の舞台で輝くため、少年少女は今日も走り続ける――
『――以上、グライドフォーミュラー特集でした。現在世界中で人々を熱狂させているグライド・フォーミュラーですが、週末には英明学園にて学内レースの開幕戦となる一年生レースが予定されております。今から開催を待ち望む声がネット上でも多く見受けられ、またそれに合わせて英明市内では――』
ピッと、テレビの電源を落とす。そろそろ学校に行く時間だ。
五月も二週目に入ると春の気配も随分遠くなって、夏みたいに暑くなる日も少なくない。
湿気が無いから、それだけは嬉しいんだけど。
私……こと巴月 莉子は、そんなことを考えながら朝の準備をしていた。
六畳間の部屋に差し込む陽の光は今日も穏やかで、課題を仕上げるために寝不足な体にはこれくらいの日差しの方が心地いい。
「よし、行きますか」
鞄に授業に必要なタブレット端末とコスメ類、寮暮らしを機に始めた手作りのお弁当を入れて準備オーケー。
玄関の前に置いてある鏡で前髪とポニーテールをチェックしたら、ローファーのつま先を叩いて外へと出る。
外に出ると、見慣れつつある隣人が少し眠たげな顔をして立っていた。
低い背丈のせいでいまだに中学生に間違われるのが、本人としてはコンプレックスらしい。
今は長めの黒髪をおさげにしていて、可愛らしい雰囲気がより際立っている。
珍しい、自分でセットしたのかな?
「おはよ、ルカ」
「おはぁ、リコち」
私の挨拶に東雲 流華は気の抜けた返事をすると制服をくるりと翻して、携帯端末を操作しながら歩きだした。
中学の頃からの付き合いで、同じ高校、さらには『同じクラス』になったことで一層仲良くなった私の数少ない友人だ。
「ながら歩きは危ないよ?」
「大丈夫、ウチは特別な訓練を受けているから、気配だけで人を避けることができるんだよなぁ……ルカを」
「そんなこと言ってルカは身長低いから、気づかれずにドカンといきそうなもんだけど?」
「む、ちっちゃいとは失礼だなぁ。あと数年もすれば誰もが羨むナイスバデェになるんだからな。今は成長過程なのだよ、ワトソンくん」
「はいはい、ナイスバディになってから言ってね」
「ぐぬぬ……リコちだって人のこと言えないひんぬ――ぶべっ⁉︎」
失礼なことを言うルカの頭に、私はチョップをお見舞いした。
涙目になるルカと軽口を飛ばしながら、私たちはマンションタイプの『寮棟』を出る。
そのまま通学路へと歩み出ると、気持ちの良い光が私たちを出迎えた。
寮を出てすぐのところにある『市街地エリア』はまだ寝ぼけているようで、私たちと同じ制服に身を包んだ生徒の顔しか見えない。
放課後はこの辺り一帯はおしゃれなカフェなどが並んでいて、多くの人が行き交うメインストリートとなる。
そんなことを考えながら、同じ制服の流れに私たちは紛れた。
さっきの宣言通り、ルカは本当に気配だけで人を避けるようにして歩いている。なんだか少し負けた気分だ。
今日は快晴、気温は二十四度。
ブレザーだと少しだけ暑いくらいの快晴の空には、ゆったりと流れる雲が見える。
うん、今日も気持ちの良い一日が過ごせそうだ。
寮の近くのバス停までは数分で着く。そのまま他愛もない雑談をルカとしていると、もっさりとした所作でバスが到着した。
地面から少し浮いていた車体を沈ませると同時に、車体底面に付いている物理ブレーキによって停止。
乗り口が開いて私とルカは車内に乗り込んだ。
周りを見渡すと、自分たちと同じタイミングで乗り込んでくる生徒に加えて、『市街地エリア』で働いている人たちの姿も見える。
通勤・通学ラッシュとまでは言わないが、そこそこの人たちが乗っていた。
そのままバスに揺られること十五分、目的地に到着する。
私立・英明学園。
それは、この春から私たちが通っている学校だ。
「あっちぃ……」
「確かに、昨日よりも暖かいね。午後はもう少し気温上がるみたいだよ」
「うげ、勘弁してけれぇ」
バスを降り、雑談を交えながら校門兼セキュリティゲートへと近づく。
質素だけど巨大なため威圧感のある門は複数の入り口があり、さながらテーマパークの入場口のようだ。
私とルカは真ん中くらいの入り口へと歩いていき、そこに置かれている機械へ腕時計型のウェアラブル端末を近づける。
ピっ、と電子音。
〈端末、生体認証:戦略分析科・巴月 莉子。通行可〉
〈端末、生体認証:空力装甲開発科・東雲 流華。通行可〉
真っ黒だった液晶画面が緑色の表示に切り替わり、閉じていたゲートが開く。
すぐ後ろでルカも同じような動作でゲートを通過すると、一番大きな建物である『校舎棟エリア』へ向かった。
私たちは『レース専攻』のため『レース科』の校舎へ。それ以外にも普通科や経営科など、多くの生徒たちが自分の目的地へと歩いているのが見える。
「もう無理ぃ……歩くのめんどっちぃよぉ」
「ゆっくりしてたら遅刻するよ? ほーら、ちんたら歩かないの」
これまた大きな玄関口を潜り、自分の下駄箱で上履きに履き替える。
朝に似合わない言葉を吐くルカを引きずりながら、私たちは教室へと向かった。
腕時計に視線を落とすと時刻は八時二十分を指している。
ゆっくりしすぎかも、ちょっとやばい。絶対に『あの子』に小言を言われるなぁ……。
急ぎ足でエレベーターエリアへと向かい、ちょうど来たエレベーターに乗り込んで六階へ。
まだ乗り込む生徒が多く、広いエレベーターでも多少の窮屈さを感じてしまう。
そのまま最上階について、私たちは一番奥の教室へ向かった。
『一年八組』
視線を時計に落とすと、どうやらなんとか間に合ったみたいだった。
私が目の前に立つと、横開きの扉が自動的に開かれる。
と、そんな私を待ち構えていたように人影が目の前に立ち塞がった。
「遅かったじゃない」
扉の先、静かに私を見つめてくる女の子。
うん、相変わらず朝からすごい迫力だ。
亜麻色のロングヘアーに、切れ長な二重の翡翠色の瞳。
すらっとした体躯はただ細いだけじゃなく、しっかりと筋肉が付いた健康美を纏っている。
美人に睨まれる状況というのは、どうしてこんなにも居た堪れない気持ちになってしまうんだろう。あぁ、なんか頭の奥に鈍い痛みが走ってきた。
「あー……ごめんね、朝バタバタしてて」
私はそんな不機嫌な美少女――浅桜 芹那さんに少し引き攣った笑みを浮かべながら謝罪の言葉を捻り出した。
予想していたとはいえ、朝から小言を言われると気分が落ちる。
「ふん、まあいいわ」
「いいんだ」
「よくないけど無駄なことに時間を使いたくないの! それくらい言わなくても分かるでしょ……ムカつく。それに、アンタは入学試験の頃から――」
私の返答に浅桜さんはぶつぶつとまた文句を言い始めた。
浅桜さんの小言を右から左に流しながら視線を周囲に向けると、ルカはすでに自分の席で突っ伏しているのが見える。
面倒ごとはごめんだぜ、と背中で語っていた。
薄情者め、あんにゃろ。
「――って、そんなことより昨日共有されたデータについての話し合いをする約束、忘れてないよね? 今日のシミュレーション前までには確認したいんだけど」
「うん、忘れてないよ。昨日必要そうなデータはまとめてきたから……」
そこでスピーカーから始業を知らせるチャイムの音が流れた。
ワイワイとしていた教室の空気が一瞬で変わり、全員が自分の席へと戻っていくのが視界の端で見える。
「え、もうこんな時間⁉ アンタが遅かったから話す時間無くなっちゃったじゃない!」
「ごめんごめん。それじゃあ、纏めてきた資料とかを渡すのはお昼休みでいいかな?」
「はぁ……分かった、それでいい。その代わり、昼休みは絶対にミーティングするからね!」
そう言い残すと、プイッと背中を向けて自分の席へと向かった。私はその背中を見つめる。
「……ふぅ」
大きく息を吐き出して、私は自分の席へ向かった。
「ファイティン、リコち」
「他人事だからってぇ、こんにゃろぉ……」
親指をグッと立てるルカに、私はもう一度大きなため息を吐いた。
こんな事になるなんて、と二週間前のお気楽な考えで了承した自分が恨めしかった。