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グライドフォーミュラー・アカデミア  作者: 夜丹 胡樽
予選

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27/46

屋上ではいつも風が吹く

 暖かい気温のはずなのに、風は嫌に冷たかった。


「……」


 赤くなっていた頬も、穏やかな冷風に晒されてすっかり熱を失っている。

 視線を上げると、紺碧色の空に浮かぶ雲が風に流れていくのが見えた。


 もうすぐ日が暮れる。

 赤く染まり始めた西の空を見ながら、そんなことを考えていた。


「……はぁ」


 セリナは膝を抱え込みながら、何度目になるかわからないため息を吐き出した。


 一体、何が駄目だったんだろう。

 そんなことを考えてはいるが、答えは明白だった。

 言ってはいないことを口走り、リコやクラスメイトを傷つけてしまった。

 その後悔と自責の念から逃げ出して、この屋上に来たのだ。


 早く戻って謝らないといけないのは頭では分かっているが、体はセリナの言うことを聞かなかった。

 まるで地面に縫い付けられているように動かなくなってしまった体に、自嘲気味な笑みを浮かべる。


 心の中で何かが折れてしまったのだ。

 今までどんなに感情的になろうともレースに出場できていたが、そんな気概や気炎は風の前の塵のように消え失せていた。


 ならば自分がレースに出る意味はなんだろう。

 考えれば考えるほど思考は坩堝へと嵌っていき、出口のない迷宮の中を彷徨う。


「――と、先客がいたみたいだね」


「あ、ぇ……大澤さん?」


 突然屋上の扉が開くと、そこには見知った顔の男――大澤がいた。

 いつも通りの笑みを浮かべている彼に、セリナは驚きの表情を浮かべる。


「隣いいかな?」


「あ、うん……いいけど」


 まるで何も知らないといった態度に、セリナはさらに困惑の色を深めた。


 大澤はセリナの隣に腰を下ろすと、スラッグのポケットから電子タバコの機械と緑色の箱を取り出す。

 箱から短めの白のカートリッジを取り出すと、そのまま手慣れた動作で機械の穴へ刺した。


「学校の中って禁煙じゃなかった?」


「ははっ、手痛いところを突いてくるなぁ。ここは『コイツ』に免じて二人だけの秘密ってことで手打ちにしないかい?」


 そう言いながら、大澤は手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルをセリナに手渡した。

 セリナはそれを受け取りながら、短く息を吐き出す。


「安い女だと思われるのだけ癪だけど……まあ、黙っておいてあげる」


「うん、そうしてくれると助かるよ」


 セリナはペットボトルを受け取るとそれを口の中を潤す。

 隣に視線を向けると、大澤が白い煙を吐き出しながら空を見つめていた。


「それって美味しいの? アタシのお父さんも吸ってるけど」


「美味しいかどうか、か……うーん、難しい質問だね。別に美味しいとかで吸ってるわけじゃなくて、これを吸わないと落ち着かないって感じかな。大人は何かとストレスが多いから」


「ふーん……大人は大変なのね」


「そうだね。学生の頃に比べたら自由が多い分、それだけ責任とか制限みたいなものが発生するんだ。タバコを吸ってる間は、そういうしがらみを手っ取り早く忘れさせてくれる……まあ、簡単に言えば魔法のアイテムみたいなものなんだ」


 大澤は話を区切るように大きく煙を吐き出す。


 セリナはそれを横目に、口元でペットボトルを傾けた。

 喉元を過ぎ去る清涼感は、なるほどこれが煙に置き換わる感じかと、一人心の中で納得をする。


「……アタシに用事があったんじゃないの?」


「そうだね……うん、半分正解で半分はたまたまかな」


 どういう意味、と眉根を潜めるセリナに大澤は説明を続ける。


「本当はタバコを吸い終わった後にでも探そうとは思ってたんだ。ただ、君がここにいるとは思わなかったから……半分正解ってところだね」


 やはりか、とセリナは短く空気を吐き出した。


「じゃあ、大澤さんがいなくなった会話も巴月さんから聞いたんでしょ?」


「まあ、概要をさらっとね」


 言い辛さを紛らわすために浮かべた乾いた笑みのまま、大澤は続ける。


「若いうちは衝突してなんぼだよ。聞いた限りではどちらが悪いとか、どちらが間違ってるとかは関係のない話だった……だったら今は、この局面を乗り切るためにお互いの課題を明確にする必要があると、僕は思ってる」


「課題、ね」


 セリナの手前、気を遣って彼女が悪くないと言っていることは分かりきっていた。

 しかし、それよりも気になったのは彼の『課題』という単語だ。


「アタシは今まで自分のためにレースをしてきた。勝つのも負けるのも全部自分の責任で、だから今回のミスもアタシのせいにされると思ってた。いや、思おうとしてた」


「でも、巴月くんは君を責めなかった。むしろこの状況を諦めず、君と一緒に戦うという選択をした――それが君には仲良しごっこに見えたわけだ」


 大澤の言葉に、セリナは力なく頷いた。


「うん。でも、それは違ったのかもしれない。あの子はアタシとペアを組んだとしても――まあ、多少は文句を言ってたけど、それでも真摯にアタシに向き合ってくれてた。だから、私と熱量が違ったとしても頑張ろうって、そう思ってたのに」


 それなのに、とセリナは震える喉から絞り出すように続けた。


「酷いことを言っちゃった。熱量は人それぞれで、それは尊重しなきゃいけないと分かっていたのに、自分の気持ちを抑えきれなかった」


「そうだね……うん、浅桜くんの意見はよくわかったよ」


 大澤は大きく煙を吐き出しながら、カートリッジを取り出すと携帯灰皿の中に仕舞った。

 再び緑色の箱からタバコを取り出すと、同じ動作で穴の中にカートリッジを突っ込む。


「浅桜くんが言った通り、熱量は人それぞれっていうのは間違っていないね。でもそれは、百点満点の正解じゃない」


「どういうこと?」


 聞き返すセリナに、大澤はタバコを口に運び、ゆっくりと煙を吐き出しながら続ける。


「僕から見たら、君たちはみんな百%の熱量でレースに望んでるよ。浅桜くんはもちろんのこと、巴月くんに加賀くん、あとは同じドライバーの古谷くんとかね」


「でも、百%の熱量を持ってるなら一位に拘るんじゃないの? 少なくともアタシは、レースをやるからには一番を目指したい。でも正直、今でもあの人たちから同じだけの熱量は無いと思ってる」


 大澤は「そこが落とし穴だね」と笑みを浮かべる。


「意識の差ってやつさ。何も全員が全員、一番を取れるとは思っていない。特に僕たち『デルタ・ウルス』はね」


「っ……」


 セリナは言葉を詰まらせる。


 それはセリナがチーム全体に感じていることだったからだ。

 一位を目指すためのストイックさも、厳しさも存在しない空間。

 クラスメイトたちと一歩距離を離していたのは、そんな空気感に自分も染まってしまうのが嫌だったからだ。


「君の理想は高いんだ。高すぎるが故に、どうしても夢みがちと言われてしまうかもしれない。正直なところ、今のチーム状況で『一位』を目指しているというのを、僕が第三者の立場で聞いたら絶対に『無理で無謀だ』と思うだろうね」


 でも、と大澤は続ける。


「君が見ている夢を、僕たちも見れたらどうなると思う?」


「それって、どういう意味……?」


 要領を得ないといった表情を浮かべるセリナに「少し抽象的すぎたね」と大澤は笑う。


「正直なところ、君が一番になるところをまだ具体的に想像できていないんだ。確かに君はドライバー適性という分野では飛び抜けた才能を持っているけど、それはあくまで数値上の話さ。君の目指す『いちばん』って言うものとは、似て非なるものだろ?」


「なんとなくだけど、言いたいことは分かる」


 セリナの返答に、大澤は満足そうな笑みを浮かべる。


「うん、今はそれでいいよ。まあ、結局のところ何が言いたかったかっていうと、僕は浅桜くんが一位になれるという『具体的なもの』を見せて欲しいんだ」


「アタシが一位になれる……それって、実力を証明しろっていうこと?」


「簡単に言えばそうなるね」


 大澤は言葉を続ける。


「誰もが認める才能っていうのは、否が応でも人を惹きつけてしまうんだ。僕は君の中に、その才能があると信じている。それを他の人にも証明すればいいのさ」


「アタシは、そんな人間じゃない。そんな人間とは程遠いよ」


 否定するセリナを横目に、大澤は大きく煙を吐き出した。


「確かに、今のままならそうかもしれないね。磨かれていない原石を審美眼の無い人間が見たところで、ただの石ころにしか見えないのと同じさ」


 彼の言葉に、セリナは視線を持ち上げた。その様子に満足そうな笑みを浮かべた大澤は、笑みを深める。


「だけど、君の才能に気が付き始めてる人間がいるんじゃないかな? だから彼女は諦めずに君を支えることを選んだ。違うかい?」


「でも、あの子とアタシはもう……っ」


 再び視線を下に戻すセリナの肩に、ポンと大澤の手が乗る。

 勇気づけるような、励ますような、そんな手のひら。そして背中を押すような優しい温度。


 そのまま大澤は言葉を続ける。


「昨日も言ったけど、君たちに足りないのは相互理解だ。君の想いを誰にも喋っていないように、君も彼らの想いを知らない。全てを諦めてしまうのは、それを話し合ってからでも遅くないはずだよ」


「っ」


 視線を上げるセリナに、大澤は満足そうに頷く。


「幸いなことに、多くは無いけど時間はまだある。結論を出すのは話し合ってからにしてみたらどうかな、って言うのが人生の先輩からのアドバイスかな」


「……分かった」


 大澤の言葉に背中を押されるように、セリナは立ち上がり屋上の出口の方へと歩き出した。

 まだ不安の残っている背中を見つめながら、大澤は煙を吐き出す。


 風の流れの中に消えていく白煙は、迷いが消えた証だろうか。


「君の願望エゴの果ての夢を見せてくれよ、浅桜くん」


 揺蕩う煙が風の中に消えていくのを、大澤は静かに見つめていた。


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