一抹の不安
歓声が、遠雷のように聞こえる。
『――本日は、アカデミアレースの開幕戦となる英明学園の一年生レースの予選! 去年の一ポイント差の奇跡から、気がつけば四ヶ月が経過していることに驚きました。アカデミックカテゴリーのレースを、待ちに待ったという人も多いのではないのでしょうか? 本日の実況は岸川、解説には元グライドフォーミュラーワンで活躍されていた志麻 圭人さんにお越しいただいております』
『よろしくお願いします。いやぁ、あれから一年ですか。年々時の流れが早く感じてしまいますね――』
実況の興奮気味の声が、サーキットへ観戦しにきていた人たちのボルテージを上げる。
凄まじい熱気の潮流は、ピット裏で待機しているセリナにも聞こえていた。
セリナはベンチに腰を掛け、ペットボトルに刺さってるストローへ口を伸ばす。
スポーツドリンク特有の清涼感が喉を通り抜けていった。
「……ふぅ」
少し緊張していた。
これまでセリナが経験してきたレースとは比較にならないほどの人間が、自分たちの戦いを見にきているのだ。
非日常的な感覚は、どれだけ平静を装おうと思っても限界がある。
しかし、今はそんなことは些細な問題だ。
それはずっと聞こえてくる願望の声。
――本当にそれでいいの?
耳の奥から聞こえる声は、前よりも大きくなっていた。
封じ込めようとすればするほど声は大きく、そして鋭くセリナの心を抉る。
それでいいのか――良いに決まってる。
リコの分析と作戦のおかげで、フリー走行では二位のタイムを出すことができているし、不満なんてない。
このままいけば目標を達成はおろか、三位以上の表彰台だって狙える。
これで良いんだ、言い聞かせるようセリナが瞑目していると――
「――浅桜さん、大丈夫?」
視線を上げると、リコが少し心配そうな視線でセリナを見ていた。
感情が顔にでていたのだろうか、セリナは淡い笑みを浮かべながらリコへ視線を返す。
「うん、大丈夫。少し緊張してるけど……」
「浅桜さんでも緊張するんだね。こういう舞台は『緊張なんてするわけないでしょ? 馬鹿にしてるんならぶっ飛ばすわよ』みたいな感じになるかと思ってたから、意外だよ」
「……アンタ、アタシを何だと思ってるのよ」
リコの言葉に、淡い笑みを浮かべながら立ち上がる。
リコの視線はそれを追うように持ち上がった。
「まぁ、でもありがとう。心配して声を掛けてきてくれたんでしょ? 緊張は確かにしてるけど、レースが始まったらそれどころじゃなくなるから、心配はいらないよ」
「なら良かった」
「おーい、浅桜ぁ。そろそろ開始時刻だから、準備が終わり次第こっちに来てくれ!」
「分かった、すぐ行く」
と、そこでカガコーから声がかかった。
セリナはベンチに置いていたヘルメットを手にとって歩き出す。
「――浅桜さん!」
数歩歩き出したところで、リコに呼び止められてセリナはピタッと足を止めて振り返る。
視線の先にいるリコは何か言いたげに瞳を揺らしていた。
「なに?」
「あっ、いや……ううん、頑張ってねって言うの伝え忘れてたなって思って」
「言われなくても頑張るわよ」
不器用に笑うリコへそう言うと、セリナはすぐにその場を離れてしまう。
何を言うべきか迷っていたリコは、その場に残って彼女の背中を見つめた。
「浅桜さん……」
セリナの背中を見つめながら、リコは小さく呟く。
一抹の不安を抱いて。