入学試験
――操作稈を握り直して、セリナは呼吸を深く吹き出した。
途切れそうになる集中を再度繋ぎ直す。
頬を伝う汗が、そんな気炎に呼応するように熱を帯びた。
自分でも分かる。集中できている証拠だ。
狭い操縦席は、腹部の内部骨格に沿う形で作られており、二輪に跨るような態勢になる。
劣悪とも言える環境は『最速の棺桶』とも揶揄されるほどだ。
ラスト五周、順位は二位。
高速で流れていく景色はいつにも増して鮮明だ。
調子が良い証拠だろう。
このペースでいけば一位を狙うことだってできる。
(いける!)
視界端に表示される数多くの仮想のウインドウから超電導機構の回転数の表示に視線を向けると、一万二千回転を超えていた。
鋭い回転音がヘルメット越しに鼓膜を揺らした。
時速は三百二十四キロメートルに到達。
引き延ばされた景色は非日常と形容するのが正しく、体を貫く重力は操縦席に座るセリナの体力をじりじりと削った。
常人離れした速度の世界は、いつだってセリナを孤独に連れて行ってくれる。
トップギアで直線区間を駆け抜けると、視界の先には直線区間の終わりを告げるヘアピンカーブが見えた。
一つでも操作をミスした瞬間に、コース外に敷き詰められている砂場へと放り出されてしまうだろう。
恐怖が一瞬思考を埋めるが、すぐに感覚が麻痺していった。
そんなことを考えている暇は、この高速の世界には無い。
セリナが思考を飛ばすと、同時に視線が低くなった。
首元が熱くなるのはマシンとドライバーの思考を繋げる『脳波制御式伝達駆動システム』によるものだ。
頭部カメラとの視覚共有含め、マシンの姿勢制御を脳波で直接行うことで『まるで自分の体のように機械仕掛けの人体を操ることができる』代物である。
黒々とした特殊アスファルトが視界の半分を埋め、背後へと消えていく景色が緩やかになっていった。
マシンの重心を左に振り、アウト・アウト・インの要領で鋭角のコーナーへと進入。
潰れた半楕円の軌道を描くことで、最短かつブレーキ類に負担をかけることなく減速と加速を行える。
もちろん例外的な場面や、マシンのセッティングや路面状況などで変化するが、古くからモータースポーツで取り入れられている走り方だ。
操作稈に備え付けられているパドルシフトを八速から一気に二速まで落とし、自身の左足にあるブレーキを踏んだ。
ブレーキブースターのないペダルは彼女の足には重いが、しかしその分細やかなブレーキングを可能にする。
リアクターの回転数が急激に落ちた影響で、鈍い重低音が鼓膜を揺らした。
同時にマシンの両脚を前へ突き出し、踵の物理ブレーキで減速。
セリナの思考とシンクロした動きをする機械仕掛けの体をくの字に曲げると、速度メーターの数字が凄まじい速度で減少していった。
同時に左脚を伸ばして伸脚に似た姿勢へ。
重心を右側に振りながら、鋭角となっているコーナーを曲がり切る。
揺れる視界に反して、体は操縦席がリニアシートとなっているお陰で見かけ以上の振動は襲ってこない。
その代わりとでも言うように、凄まじいGが全身を駆け抜けた。
「ぅぐッ!」
進入の角度が少し甘かったのか、体勢が崩れかけるのを手のひらに仕込まれた簡易的な物理ブレーキで地面を弾くことで立て直す。
「……っ、よし」
なんとかキツいカーブを抜ける。
脚部フレームもまだ走れるくらいの損耗率だ。
ブレーキの温度管理も問題ないし、何より前を走るマシンも視界の端で捉えることができてる。
そうなれば差を詰めて、DRSを使用することだってできるはず――
『――オーダーだよ、浅桜さん。プッシュはせずにそのままステイ。後続の九万瀬さんに順位を譲って欲しい』
コーナーを難なく曲がり切り、アクセルを踏もうとした瞬間に雑音混じりの無線が入る。
大人しいがしっかりと芯を感じる少女の声色だったが、今のセリナには関係なかった。
攻めるな、そう言われてしまっては居ても立っても居られない。
それでは『いちばん』になれないから。
反射的に無線のボタンを押す。
「プッシュしちゃいけないってどう言うこと⁉︎ それに譲れって――」
『レースの状況が変わったの。不満はあるだろうけど、オーダーには従って』
セリナの反論に、彼女は極めて冷静な声色で返してくる。
しかし、そんなことで納得しろと言う方が無理なものだ。
マシンの操作は繊細に行いながらも、セリナは言葉を続ける。
「ふざけないで! なんで機体問題があった方を前に行かせるのよ⁉ これじゃあ、この順位をキープしていたのが、全部アイツのためみたいじゃない!」
『繰り返すようだけど、チームオーダーは変わらないよ。それにこれはあくまで試験だし、浅桜さんはセカンドドライバーで……いや、もうすぐ九万瀬さんが来る。そのタイミングでプランCに切り替えて』
「ッ!」
そんな無線のやり取りをしていると、背後から自分と同じ白を基調に塗装をしたマシンが迫ってくるのが仮想鏡越しに見える。それはセリナにとっては何よりも屈辱的で、耐え難い現実だった。
――前譲れよ、セリナ。
無機質な両目から、そんな幻聴が聞こえた気がした。
「……黙れ」
時間にして一瞬、だが決断するには充分だ。
誰にも勝ちは譲らない。
それは余計なプライドかもしれないが、しかしこの世界で生きていく彼女にとって何よりの優先事項だった。
いちばんは、アタシだ。
「順位は譲らない。このまま行く!」
『えっ!? あ、浅桜さ――』
セリナの言葉に虚をつかれ、戦略分析科の少女の焦った声を振り解くようにアクセルを踏み締めた。
それに応えるようにマシンは加速し、後続のチームメイトを置き去りにする。
「アタシは、負けない……!」
そんな悲痛とも言える少女の言葉は、誰にも聞こえることはなかった。
ニュースズカサーキットでの実技科目・試験結果
ドライバー科
一位:東雲 光璃
二位:浅桜 芹那
三位:九万瀬 大雅
四位以下は簡易表記とする。
追記
浅桜 芹那はNDCSの適合率などの総合的観点から、ドライバーとしての適正は極めて高いが、チームオーダーを無視するなど人格面にて問題ありと判断。
協調性の欠如によりチームプレイに不和をもたらす可能性が高く、ドライバー技能・判断力など総合的に判定し、現状はDランクとする。