雨の金曜日
雨の金曜日は、なんだか少し損した気分になる。
それはジメジメとした空気感が休み前日の高揚感を打ち消してくるのが、ちょっとだけ嫌だから。
本日の気温は二十二度。
湿度は六十八%で、昨日までの晴れ模様からの寒暖差は、温度以上の肌寒さを感じさせた。
けど、そんな空模様と対照的に、今は不安と高揚感が入り混じっている。
それは今日が『走行テスト』だからだ。
この学園に入ってから学んできたことを一旦は試す場であり、同時に『一年生レースが本格的に始まる』ことを意味している。
明日からは市街地エリアを巻き込んだ大型のレース視聴イベントが開催されるし、その午後には待ちに待ったスターティング順位を決める予選が行われる。
これに興奮するなと言う方が無理な話だ。
「ふわぁ……ねみぃ」
訂正、ルカは例外みたいだ。
まあでも、ルカの気持ちもよく分かる。かくいう私も、寮に帰ってから浅桜さんと共に今日の確認をしていた。
浅桜さんは無理させられないから先に寝てもらったけど、正直な話3時間睡眠はキツいところがある。
そんなことを考えながらルカから視線を外すと、手元のタブレット端末に視線を向ける。
続々と準備完了を知らせる通知が届いており、予定時間よりも五分ほど早く作業が終わりそうだ。
「よし、準備オッケーだね。整備班も問題なさそうかな?」
本日は走行テストを一日かけて行うため、今日は授業がない。
だから普段のように教室ではなく『チームパドック』に直接集合するのは、なんだか非日常感があった。
自然と胸が高鳴ってしまうのは、しょうがないと言えるだろう。
私は走行テスト用のデータの最終チェックを行いながら、周りに視線を振った。
今はクラス全員が作業を行なっていて、広いガレージには多くの人が往来していた。
見知らぬ顔の人たちは、恐らく私たちの手伝いをするために集まってくれた二年生と三年生の先輩たちだろう。
私の言葉に手に持っていた工具を掲げながら、カガコーが不敵な笑みを浮かべていた。
「あぁ、整備班も準備完了だぜ! どっちのマシンも雨天使用に換装できてる。いつでも走れるぜ!」
「おっけー、ドライバー二人も問題ないかな?」
私は視線をドライバーたちの方に振る。
耐G加工が施されたドライビングスーツに身を包んでいた。
体躯がくっきりと出るスキニータイプのスーツは、チームカラーである白をベースに黒のラインが入ったデザインとなっている。
シミュレーションの頃から思ってたけど、浅桜さんも古谷くんも細身ながらも鍛えられた体だから、見事にスーツを着こなしている。
年頃の女の子としては、羨ましいなと思うのでした。
「アタシは準備できてるよ」
「こっちも準備オーケーだ、いつでも走れる」
二人の返事に、私はコクンと頷く。準備完了しているなら問題ないと判断して、イヤホン型の無線機をオンにした。
「準備は終わったので、これから機体をパドックからピットの方に移動させます。各員は移動を開始してください」
私の指示に、各班のリーダーから『了解』と返答。
言い終えると私は、腰に巻いていたチームのスタジャンに袖を通した。
だけど私の腕が短くて、上手に着ることができない。オーバーサイズにしたのは、今思うと少し失敗だったかもしれない。
ピットへの搬入は距離が離れていないから、すぐに終わった。
私はそれを横目で確認しながら司令基地の方へ移動する。
雨はまだ小雨だから、少し濡れることを覚悟で小走りで向かった。
「巴月くん、おはよう」
「おはようございます、大澤さん」
私よりも先にピットウォールスタンドにいた大澤さんが準備を進めていた。私がお辞儀をすると、いつもの柔らかい笑みを浮かべている。
「どうだい、よく眠れたかな?」
「お恥ずかしながら、夜全然寝付けなくて……正直なところ寝不足です」
私が照れ隠しで頬を掻きながら言うと、大澤さんは「ハハっ」と愉快そうに笑う。
「何か私、おかしなこと言いました?」
「いやぁ、ごめんごめん。別に悪気があったわけじゃないんだ。ただ僕も同じような経験をしたことがあってね。思い出し笑いってやつさ」
「大澤さんも緊張して眠れなかったことがあったんですか?」
私の質問に大澤さんは頷く。
「うん。ちょうど十年くらい前かな? 巴月くんと似たような状況で……ま、僕の場合は一睡もできなかったんだ。だから、状況的にはもっと酷かったけどね」
「そうなんですね……なら、よかったです」
私が尻すぼみになりながら言うと、大澤さんは満足そうな笑みを浮かべる。
「まあ、だから緊張することは全く悪くないさ。難しいかも知れないけど、今は目の前で起きることを全力で楽しめばいい」
「楽しむ、ですか?」
大澤さんは「そう」と、首を縦に振った。
「緊張している自分すら楽しめばいいんだ。楽しむって言うのはそれだけで自然体になれるし、それが最も力を発揮できる状態でもあるっていう研究結果もある」
「楽しむ……自然体、ですか」
復唱をすると、大澤さんは再び笑い声をあげた。
「ハハっ、そんなに気負わなくていいよ」
「わ、わかりました! 頑張って楽しもうと思います!」
大澤さんは私の返事に、さらに笑みを深めたのだった。