自室で一人、少女は負けを噛み締める
寮の自室に戻り、セリナは自室の灯りを点けた。
無機質で質素な部屋が適度な光量で満たされると、セリナは背中に背負っていたカバンを乱雑に下ろした。
それでも両肩に残る疲労は色濃くて重く、セリナは大きく息を吐き出す。
「はぁ……」
とりあえずシャワーを浴びよう。シミュレーションだったとはいえ、張り詰めていた緊張感と興奮のせいで少なくない汗をかいていた。
それに加えて、慣れないミーティングを長時間行っていたのだ。
いつにも増して体が感じている疲労感は大きい。
タオルと着替えのスエットを用意して、セリナは浴室の前に移動する。
ブレザーとスカートは玄関前に置いているポール式のハンガーラックに掛け、ワイシャツと肌着は洗濯籠の中に放り込んだ。
ひんやりと冷たい浴室の床を踏んで、シャワーのハンドルを捻る。
「つめた……っ!」
思わぬ冷水に声が出てしまう。
急いでそこから避難して、お湯が出てくるのを待った。
お湯に切り替わるのを待つ間に、化粧落としを済ませる。
仄かに花の香りがするクレンジングがセリナの鼻腔をくすぐった。
化粧を落とした頃くらいで、足元の温度が温かいものになっていた。
シャワーヘッドを上の位置にして、セリナは頭からお湯を被る。
「……ふぅ」
四肢を流れていくお湯が心地いい。
全身の疲れが、お湯に溶け出ていくような感覚だった。
この学園に入学して、一人暮らしに近い生活を始めてからシャワーだけだった。
しかし、今日みたいな疲労が溜まった日は湯船に浸かりたいと思ってしまう。
ふと、先ほどまでメイク落としで使用していた鏡の方に視線を向けた。
「……」
真っ白な肌には水滴が流れ、艶やかな亜麻色の髪の毛はびっしょりと濡れている。
体幹トレーニングなどを中心に行っている体躯は細くも引き締まっていて、女性が憧れる体型そのものと言えた。
曇った鏡越しの自分と視線が絡む。
「アタシは……」
タイガとの勝負に負けた。
同時に込み上げてくるのは、やり場のない悔しさと怒り――不甲斐ない結果になってしまった自分に対しての、怒りと悔しさだった。
『お前は理解してるはずだぜ? 今回のコースアウトは、俺の仕組んだ策にまんまとハマった結果だってことがな』
タイガの言葉が、今も耳で反響する。彼のいう通り、コーナーに入る瞬間に、セリナは直感的に理解していたのだ。
それでも、それを回避するだけの技術と思考がセリナにはなく、あんな不甲斐ない結果で終わってしまった。
あの勝負は、負けるべくして負けた。
言い訳なんて無限にできるが、しかしこの世界では『結果』が全てだ。
どれだけ言い繕うとも、セリナがリタイアをした結果は代わりようが無い。
それに恐らくだが、リコのことだからリタイアした場合は自分の作戦が悪かったとして負けを認めるだろう。
人付き合いが苦手なセリナでも、それくらい分かる。
だが、それでは納得ができなかった。レースで自身の力を示して、積極的な勝負を行っても問題ないことを証明する。
だが、そんな目論見も今回ばかりは失敗に終わってしまった。
今回のような事故は初めてではなかった。
それこそ、ジュニア時代のレースではリタイアすることも、レース中にアクシデントに襲われることも、片手では収まりきらないほどに経験している。
頬を伝う湯の温度は、いつもより熱を帯びていた。
鏡の前の自分は、どんな顔をしているのだろう。
結露の向こう側にいる自分がどんな表情をしているのか、今のセリナにはわからなかった。
セリナは思考を切り替えるように、大きく息を吐き出した。
負けない。
負けたくない。
もう、あんな惨めな感情になりたくない。
そのためには、今の自分よりも強くならなくてはいけない。
単純にして最も難しい道だったが、それでもセリナは歩みを止めるわけにはいかない。
今はリコの作戦に従って勝つ。二週間行動を共にして、彼女の戦略分析の力はセリナの想像以上に高いものだった。
消極的な作戦についても、チーム全体で勝つことを意識しているようでもある。
しかし、それではいざと言う時に勝てない。
十年近くレースをやってきたセリナの直感はそう告げているが……敗者に権利などない。
ただそれでも、もしもの時は自分のためにレースをする。
チームとの決裂は避けたいが、それでも優先するのは自分の感情だ。たとえ全てを裏切ったとしても、セリナは勝つことを選ぶつもりだった。
だからこそ次は――
「――次は負けない」
セリナが目指す『いちばん』には、これ以上の敗北は許されないのだから。