闘争心に火をつけて
シミュレーション後のミーティングは重たい空気で行われた。
それでも何とか改善点について話し合いを行って、現在は一旦解散をしている。
「「「……」」」
私とルカ、そして浅桜さんは自分たちのクラスに戻るために無言で廊下を歩いていた。
何を話せばいいのかわからない……浅桜さん、ミーティングの時に何も話してなかったし、かける言葉を見失っていた。
それでも、何か話さないと落ち着かない。
私は意を決して彼女に声をかけることを決めた。このままだと、多分だめだから。
「えっと、その……浅桜さんは大丈夫?」
「何が?」
冷たい声色で返される。いや、ここで引いちゃ女が廃るってもんよ!
「ほら、今日のシミュレーションであった事故……引きずってないかなって思ってさ」
「別に。さっきも言ったけど、あれは完全にアタシのミスよ。ミーティングで改善点は話し合ったし、全く引きずってはないから心配しないで」
「なら、良いんだけど」
絶対に大丈夫じゃないじゃん。
しかし、これ以上何か言って彼女との関係を悪くしたくないから、私は歯切れの悪い言葉で返事をする。
再び重たい沈黙が流れた。
「よ、エゴ女」
と、そんな私たちに声がかけられる。
視線を声の方に向けると、廊下の奥で不敵な笑みを浮かべる女子生徒がいた。
長い茶髪の髪は緩やかなウェーブを描いていて、切れ長い二重の瞳は浅桜さんを捉えている。
パンツが見えてしまいそうなほど折られたスカートとくるぶし靴下に、緩められたネクタイは一目見るだけで『あ、この子めっちゃ不良ギャルだ』と分かってしまうほどだ。
高い背丈に豊満な胸と、男子の欲望がすべて詰まったような体躯。
なんだか世の中って不平等だと感じてしまうのは、私がまだ成長しきってないからだろう。
そんな女子生徒は浅桜さんの顔を見ると、不機嫌そうな顔をさらに歪める。
「元気ねぇなぁ。いつもの調子はどうした? それとも何か悪いことでもあったか?」
「っ……タイガ」
タイガ、と浅桜さんは呆れた表情を浮かべながら、その女子生徒の名前を呟いた。
私はそこで、ハッとして思い出す。それは、記憶の中にある風貌から大きく変化をしていたからだった。
「えっと、九万瀬さんだよね? 入試の頃から随分印象が変わってて気が付かなかったよ」
九万瀬 大雅。
それは入学試験の時に、一緒のチームを組んでいたもう一人のドライバーだ。
その時はここまでの長髪ではなく、ピアスとかも開けていなかったし、化粧もここまで濃くなかった……数ヶ月で人はこんなに変わってしまうのかと思うのでした。
私の言葉に、九万瀬さんは怪訝そうな表情になる。
「入試って……あぁ、エゴ女をコントロールできなかった戦略科のヤツか」
「そ、そうだね……覚えててくれたんだ、あはは」
乾いた笑い声を上げる私に、九万瀬さんは言葉を続ける。
「アンタも入学できてたのか。よくあの試験の内容で合格できたもんだ」
「う、うん、筆記と面接は問題なかったから……実技の方がボロボロだったけど」
私の返答に、九万瀬さんは笑う。
「ハッ、だろうな。ドライバーをコントロールできないなんて、チーム側からしたらお荷物以外の何ものでもない。俺が代表者なら絶対にいらないぜ」
「ぅぐ、痛いところを的確に突いてくるなぁ」
「それで、見たところによると入試の時と一緒でエゴ女とペアを組んでるってわけか……じゃあ、アンタらは揃って『落ちこぼれの八組』ってこと? アハハッ、こりゃ傑作だ」
ピン、と辺りの空気が凍りついた。それはきっと彼女の放った言葉が原因だろう。
落ちこぼれ。
それは私たち八組の生徒を指す言葉だ。
そしてそれは、これ以上にないくらい端的に私たちの状況を表している。
英明学園は、アカデミアプロジェクトに参加した八つの大企業の出資によって運営されている。
その八つの企業は、それぞれでアカデミアチームを持っていて、私たちはそのいずれかに所属しているのだ。
そして、同じチームに所属する一から三年生は、学園内で『同組』として区分される。
なので、私たちは一年八組、二年八組、三年八組が同じチームなのだ。
加えて、この組の順番はチーム成績によって変動するシステムとなっている。
当然のことながら一位が一組であり、八位が最下位のクラスだ。
つまり八組とは『去年の時点で最も遅いチーム』と言うことの証明でもある。
『チームには出資上限によって大きな格差はない。しかし、明確な階級差は存在する』
それは、入学初日に大澤さんから聞かされた言葉だ。
特に顕著なのがクラス分けであり、英明学園ではチーム運営陣が入試の合格者へ直接オファーをし、両者の合意によって所属チームを決める方式を取っている。
そうなれば少しでも上位のチームに入りたいと思うのは必然だ。
その結果、上位のチームには優秀な人間が集まっていき、下位チームには余った人間が集まることになる。
故に、落ちこぼれ。
と、そんな九万瀬さんの後ろから人影が現れる。
「それくらいにしときなよ、タイガちゃん。それ以上は弱い者いじめって言うんだよ?」
「あ? なんだよ、てめぇには関係ねぇだろ?」
そう言いながら、九万瀬さんは隣に並んだ男子生徒へ忌々しそうな視線を向けた。
低めの背丈と、男子にしては可愛らしい印象を与えるボブカットにはインナーカラーで緑色が見える。
パッチリとした二重と、小悪魔的な八重歯が口の端から見え隠れしていた。
そんな男子生徒は、アルトの声を私の隣にいるルカの方へ向ける。
「やぁ、姉貴。話すのは一か月ぶりだね?」
「ん? あれそんなだっけ? いつ喋ったとかいちいちそんな事まで覚えてるとか、ヒカリさぁ……ちょっとキショくね?」
「相変わらず姉貴は手厳しいなぁ」
ルカのことを姉と呼ぶ彼は東雲 光璃くん――九万瀬さんのチームのもう一人のドライバーであり、そしてルカの双子の弟だ。
「アンタも暇なのね? シミュレーションとは言え、レース後にわざわざ私たちのところまで来るなんて強者の余裕でも見せつけてるの?」
そんなヒカリくんへ強い視線を向ける浅桜さんに、彼は気にした風もなく肩を竦める。
「いや、暇じゃないよ? 僕はタイガちゃんを連れ戻しに来ただけだし。だからほら、帰るよ? 君の相方も早くレースの振り返りをしたいって怒ってたしさ」
「チっ……わーったよ。帰ればいいんだろ、帰ればよ」
そう言って踵を返して歩き出すヒカリくんに、九万瀬さんは舌打ちをしながら付いていく。
私たちはそれを静かに眺めることしかできない。
「あ、そうだ」
と、そんなヒカリくんが何かを思い出したように体を反転させる。
「これは余計なお節介かもしれないんだけどさ――リコちゃんが考えたセリナちゃんの戦略とレース展開は、事前情報通りだったよ」
「ッ! それは――」
静かで、力強い視線と言葉が私を貫く。
それは警告であり、何よりもわざとらしいまでの『私個人への挑発』だった。
私は言葉を吐き出そうとして、寸前のところで飲み込む。
きっと今何を言ったとしても言い訳になってしまうから。
「あと、セリナちゃん――僕は前で待ってる。だから、必ず僕の後ろまで来てね」
「相変わらずムカつく言い方。言ってなさいよ、どんな状況でもアタシが一番になるから」
「いいね、楽しみにしてるよ」
そう言い残して、ヒカリくんはそのまま廊下の奥へと消えていった。
後に残ったのは、重い沈黙。
「こりゃ負けられんすなぁ?」
そんな沈黙を破ったのはルカだった。
重たい空気を気にせずに会話を切り出せるのは、流石といった感じ。
ルカの言葉に、浅桜さんはコクンと頷く。
「当然よ」
「私も……気合い入れていて頑張らないと、だね」
「お、リコちもやる気になった?」
話を振られ、私は少しぎこちなく縦に首を振る。
「あそこまで言われて、悔しいって思わない人はいないよ。と言っても、私にできることは限りがあるけど」
あんな言われ方をして、しかも『事前情報通り』と言われた。
このまま黙って引き下がったら女が廃るってもんよ。
そんな私の言葉に応えるように、浅桜さんが下げていた視線を持ちあげる。
「はぁ……あんのバカ達に言われて完全に吹っ切れた! 巴月さん、放課後は今日の修正点について話し合お!」
「そ、そうだね。うん、とりあえずは吹っ切れたみたいでよかった」
ずんずんと前を歩いていく浅桜さんに付いていきながら、私は静かに息を吐き出した。
今は私個人の事よりも、浅桜さんが立ち直れたことを喜ぼう。