リコの戦い
五周が終わり、ホロウィンドウのタイムが更新される。
一分四十五秒四七八。
視界の端でとらえたタイムは悪くない数字なのだが、セリナは不安に似た焦りを感じていた。
(……上手い)
前を走るドライバーとの距離を詰め切ることができない。
同時に、今か今かとセリナの隙を伺うプレッシャーもあり、セリナはギリっと奥歯を噛み締めた。
『浅桜さん、相手はフェイントへの対応とブロッキングが上手いから、インアウトのフェイント系……視覚情報でのフェイントは効果が薄いよ。無理に勝負に付き合わずに差を縮めることに注力しよう』
「……了解ッ」
リコからの無線に、なんとか舌打ちを我慢して応答する。
バックストレート後の第四コーナーへ。
時速は最高速度である三百四キロにまでなり、周りの風景が引き伸ばされたような錯覚に陥る。
セリナは相手を揺さぶるため、マシンをイン側へ振った。
スタート時に見せたレイトブレーキをチラつかるコース取りをしながら、相手の油断を誘おうとする。
「ッ!」
それに対応するためか、相手はアウト側に大きく機体を寄せた。
まるでセリナに道を譲るように、明から様なコース取りを行ってくる。
領域防衛術か。
対個人で腕部と脚部によるブロックを行わず、自分自身のコース取りやターンインの侵入角でセリナを押さえ込むブロック技術だ。
セリナのようにフェイントや割と無茶なターンインを駆使してオーバーテイクを行うドライバーへの、一種の安定択といえる。
――かかって来いよ、勝負してやる。
真意は定かではないが、しかし前のドライバーはそう言っているような気がした。
それくらいにはわざとらしいコース取り。
「ふざけんな……っ」
安い挑発であり、リコの言う通り乗るべきではないと分かっている。
しかし、それでも勝負を仕掛けてしまうのはドライバーの性だった。
こんなに見え見えの挑発をされて引き下がるのは、セリナの矜持に反する。
セリナはアクセルを踏んだ。本来であればそろそろ減速を考え始めるタイミングだったが、お構いなしにコーナーへと突っ込んでいく。
(ここッ!)
コーナーまで八十メートル、インコースギリギリ。
タイミングとしては事故になる一歩手前で、セリナは再びブレーキを踏み抜いた。
シミュレーションマシンが作り出す擬似的な振動に耐えながら姿勢を低く維持する。
ブロックやフェイント対策が上手いのであれば、コース取りで勝負をすればいい――直感的にそう判断したセリナは、迷わずハイリスクな走りを選択した。
前を走っていたはずのマシンが、セリナの左斜め後ろへ消えていく。
同時にセリナは上体を起こしながら、コースの外側へとマシンを滑らせていった。
セリナの鼓膜が揺らすのは、甲高いリアクターの回転音。
抜き去った相手の方が、まだ減速から立ち直っていないセリナよりも速度に乗るタイミングが早い。
しかし、セリナは口の端を持ち上げた。
出来るだけ強めに、アクセルを踏む。
同時にパドルシフトを上げていき、外側に振っていたマシンを上半身を倒しながら、イン側の方へ持って行く――と同時に、わざとらしく右腕を振り上げた。
右腕を使った腕部進行妨害。
相手の進行方向に右腕を大きく振ることで塞ぐことで、思ったような加速を許さない。
セリナが加速に乗る前の一瞬の隙を突こうとした相手を、寸前のところで阻止する。
「よし、っ」
相手側が急な妨害に焦って一瞬だけブレーキを踏んだ。
それを確認したと同時に、セリナのマシンは加速を開始する。
普段であれば煩いだけのリアクターの回転音は、今はまるで勝利を喜ぶ咆哮のようだ。
ニッとセリナは笑みを浮かべる。
今はリコとの勝負や、目標達成は彼女の脳内には存在しない。
あるのは底なしの闘争心と、自分が一番速いと言うことを証明したいという願望のみだった。
「……次も抜かす」
抜いた相手は振り返らない。
セリナは次なる敵を求めて、マシンを加速させていった。
「浅桜さん、今のは危険すぎるよ! タイミングは私の方で指示を出すから、もう少しセーフティーな走りを心掛けて!」
『分かってるって。アンタの言う通り走るから、あんまり騒がないでよ』
「分かってるならいいんだけど……無茶をしてリタイアはしないでよ?」
『了解』
「……はぁ」
ほんとに分かってるのかな?
私は溜息を吐き出しながら無線を切った。
こめかみに走る痛みは、きっとストレスが原因だろう。
レースは八周が過ぎ、中盤に差し掛かっていた。
六周目で浅桜さんが相手をオーバーテイクして、現在の順位は五位にまで浮上。
少し無茶な走りも目立つけど、彼女の大胆かつ繊細なマシンコントロールで、危険な走りだと判断し切れるものではなかった。
正直な話、ここまで協力的な走りをしてくれるとは思っていなかった。
もしかしたら手を抜くかもしれない。そう覚悟していただけに、ここまで快調に走ってくれるのは嬉しい誤算というものだ。
そうは言っても、今みたいな走りは正直胃痛の原因になりそうだから勘弁してほしい……まぁでも、ある程度は許容範囲内なんだけど。
現在の平均周回タイムも悪いものではない。
四位のドライバーとも距離を離されているわけじゃないし、このままいけば勝負は私の勝ちになりそうだ。
「あっ――抜かされた」
メモを取っていたタブレット端末からモニターの方へ視線を戻すと、浅桜さんが後ろのマシンに追い抜かされていた。
ホームストレート後に待っているカーブ群で一瞬の隙を突かれ、相手にオーバーテイクを許してしまったようだった。
「浅桜が抜かされた⁉︎」
「あちゃちゃ、死角に入られてたっぽいねぇ」
「走り的に油断はしてなかったぽいけど……死角に入られたら流石にキツいか」
周りも、浅桜さんが快調に走っていただけに驚きを隠せないよう。
口々に思っていることを近くの生徒同士で話し合っているようだ。
私は急いで無線をオンにした。
「浅桜さん、前の相手とのギャップはそんなに無いよ。レースもまだ中盤だし、いつでも順位を上げられるようにペースはキープしていこうか」
『分かった。少し油断しただけだから心配しないで』
「うん。でも、焦ってミスするのが一番もったいないから、落ち着いていこうね」
『了解』
私は無線を切ると、次の手を考えるためにモニターの方へ視線を戻した。
少しでも彼女が有利に走れるように、更新されていくデータを分析していく。
今のところ、浅桜さんは前を走るマシンの後ろにピッタリ付いて行っていた。
この様子ならバックストレートでDRS(背部のエアロパーツを空気抵抗が少ない形に稼働させるシステムのこと。前方の相手とタイム差が一秒以内かつ、特定の直線区間でしか使用できない)を使用することだってできる。
九周が終わり、十周目に突入。
分析システムの演算では、今のタイムでは直線区間で一秒以内の差に詰めることはできないようだった。
そうなれば打つ手は決まってる。
DRSを使用できるところまでタイムを縮めるという、至ってシンプルなもの。
「浅桜さん、ここからは攻撃をしよう。ブレーキのマネジメントは気にしなくていいからね」
『了解!』
私の指示に、浅桜さんは待っていましたと言わんばかりの返事をした。
同時に浅桜さんはペースを上げて前のマシンの背後へ迫っていく。
(レースに対して真摯っていうのは本当なんだ……)
それはさっき、大澤さんが言っていたことだ。
浅桜さんが内に秘めているレースへの情熱は、私との勝負なんて関係無く燃え盛っている。
話では聞いていたけど、どんな形のレースであろうと勝とうとする姿勢は尊敬すらできるものだ。
だったら、その勝ちたい気持ちに私も応えなくちゃいけない。
「……よし」
私は気合いを入れ直して、再びモニターへ視線を戻した。