三人の取り巻き令嬢
公爵令嬢コーデリアと親しくしている寄子の伯爵令嬢のサーシャとナンシー、子爵令嬢のルージュの三人はお互いに目を合わせて各々の覚悟を確かめた。
「コーデリア様」
「どうしたのサーシャ」
サーシャは目を閉じ、ふぅと大きく息を吐いて吸って目を開く。
背中にナンシーとルージュの体温を感じ、しゃんと背を伸ばして立つ。
「本日はコーデリア様にお願い申し上げたき由がございます」
「何か困りごとでも?」
紅茶を置いて、心配そうにサーシャを見上げるコーデリアに目頭が熱くなるのをぐっとこらえる。
「どうか、彼の御仁との婚約を破棄していただけませんか?」
コーデリアの暴走が始まったのはとある男爵令嬢が編入してきたことにある。
令嬢トリシャは淑女としてのマナーが身についておらず、授業でよく泣きそうになりながらノートを取っている姿が見られる。
大概の生徒は入学前に修学済みであることが大半で、授業もそれを踏まえた授業計画が立てられている。
どうも彼女は庶子として市井で暮らしていたところを男爵が跡取りができないことから養子として引き取り、そのまま何の教育も与えないまま学園の寮へ放り込んだらしい。正妻の立場を慮ってといえば聞こえはいいが、責任放棄でしかない。
勿論このことは貴族の噂に上り、良識ある貴族家は男爵から距離を取って静観する構えだ。
そんな中彼女に手を差し伸べたのが辺境伯家の次男スピネルだった。放課後に彼女の教室に入り浸って子供向けのマナー教本を貸し出したり、授業で飛ばされている基礎部分を解説してあげたりしている。
スピネルの婚約者であるコーデリアはもちろんいい気はせず、何度かスピネルやトリシャに苦言を呈していた。
スピネルは「理由は言えないが我慢してほしい」というだけで梨の礫。
トリシャは「すみませんすみません」と頭を下げるばかり。
ならばと自分がトリシャの面倒を代わりにみると申し出ると「合唱コンクールでもうそろそろ生徒会の仕事が忙しくなるころだから君にはそちらを優先してほしい」と言われてしまった。
生徒会の仕事を担っているのはスピネルも同じだ。
生徒会長である第二王子に相談するも「正当な理由があって彼の仕事は免除されている」と言われてしまった。どんな理由かを問うも返答を得られず、コーデリアは父親に状況を伝えるも「お前はそのまま過ごせ」と言われるばかりだった。
何かコーデリアの与り知らぬ事情があることは察した。
だが、その事情によってスピネルとの婚約が継続される保証もない。
コーデリアは焦燥に駆られてサーシャに命じた。
「あの女に水を掛けてきなさい」
「え?」
小さな段差に足を踏み外し、態勢を崩したトリシャをスピネルが抱きとめた。
その瞬間を偶々遠くから見かけてしまい、コーデリアの後ろに控えていた三人は恐る恐る彼女の様子を伺う。
肩を震わせた彼女は怒りを抑えきれない声音でサーシャに向かってトリシャに危害を加える命令を出した。
サーシャはコーデリアの目が据わっているのを見て(これはとりあえず従った方がよさそうだ)と判断し、「承知しました」と膝を曲げた。
サーシャは事が大事にならないように配慮し、庭師に頼んで花に水を撒く手伝いに参加し、誤ってトリシャに水を掛けてしまうフリをした。
「まあ!申し訳ございません」
事前に自分の侍女らに話を通して代わりのドレスをトリシャに貸し出し、水を掛けてしまったドレスは跡が残らないように乾かして後日彼女の寮へ届けた。
コーデリアにはトリシャとの会話ややりとりがわからない位置からトリシャが水を掛けられるところだけが見えるように誘導した。サーシャが理不尽な命令を受けたのを一緒に聞いていた二人の友人の協力によるものだ。
これで少しでもコーデリアの溜飲が下がればと思ってのことだったが、その後も間が悪いことにコーデリアはスピネルとトリシャが親し気にしているよう見える場面に行き会った。
その度に「私物を汚せ」「授業に遅刻させろ」など三人は命じられ、事件や事故とならないように協力して遂行した。
私物を汚した時は一時預かって綺麗にして返却して丁寧に謝罪した。
授業はわざと移動場所を違うところに変更になったのだと嘘を吐き、自分も変更場所に同行して一緒に遅刻した。彼女の学習進度に関わることだったのでその授業分の自学習に付き合うことまでした。
そんな日々が続き、それでもコーデリアの憂さは晴れなかった。
三人は自分たちの知らない場所でコーデリア自身がトリシャに危害を加えかねないのではないかと感じ始めた。そんなことになれば彼女自身がやり玉に挙げられて、人知れずに後始末することはできなくなる。
こうして三人は互いに相談しあってコーデリアにスピネルとの婚約破棄を提案することとなった。
「スピネル様と婚約破棄」
「はい」
「あなた何様のつもりで………!」
「私は!」
話を途中で遮るという無礼を働きながらサーシャは声を上げた。
「あなたと幼少のみぎりから交友を重ねてきたことを心から誇りに思っています。だからこそ現状、あの方のコーデリア様へのなさりようは目に余るものに感じております」
「サーシャ」
目に涙を湛えて訴える友人に頭に上った血が下がっていくのを感じた。
「わたくしもコーデリア様を蔑ろにされて動かぬ公爵様や辺境伯家は何をお考えなのか甚だ疑問です」
「ナンシー」
サーシャを支えるように隣に立つナンシーは眉尻を下げて首を振る。
「何かわたくしたちにも告げられぬ何がしかの事情があることは分かります。
ですが最近はコーデリア様を軽んじるような噂も流れ始めています。
言い返せば相手に話題を提供して余計に喜ばせるだけでしょう。
それでもわたくしたちはその噂を聞き流さなくてはならない状況がたまらなく悔しいのです」
そこで二人の後ろで黙っていたルージュが涙を流しながらコーデリアの膝に縋りついた。
「コーデリア様もうやめましょう!私、コーデリア様が誰よりも素敵な方だと知っています。
私の飼い犬のジョンがコーデリア様に吠えて粗相をした時『元気なワンちゃんね。たくさんの人にびっくりしたのかしら?』って宥めてくださいました。
それでもお父様が怒ってジョンを捨てるよう侍従に命じてて。
でもコーデリア様が『こんな可愛らしいんですものまた会いたいわ』って口添えしてくれたから今でもジョンは家で走り回っています。
なのに。なのに、あの人たちは!お優しいコーデリア様にこんな仕打ちをし続ける人たちなんて捨ててしまえばいいんです!」
「わあああああん」とジョンを捨てられそうになったとき以上に涙を流すルージュにコーデリアは慌てて「泣かないで、ルージュ」と頭を撫でた。
「私も。
うちの侍女が緊張でお茶を零してしまった時、コーデリア様は『よっぽどおいしい紅茶なのね。絨毯が全部飲み干してしまったわ』と笑って許してくださいましたね。
『落ち着いたら私にも飲ませてちょうだいね、約束よ』と侍女の手を取ってまで慰めてあげて。
おかげであの侍女は辞めさせられることなく、今もうちで働いております。
それどころかうちで一番紅茶をおいしくいれるようになってお茶会では彼女が必ず指名されるほどです」
サーシャは裾が汚れるのも厭わずしゃがんでルージュの背を撫でてそう言った。
「わたくしも。
昔、弟たちに唇が大きいことを揶揄われて自分の容姿に自信が持てませんでした。
デビュタントで唇が見えないように噛みしめて、壁際で顔を俯けるばかりのわたくしにコーデリア様が一番に声を掛けてくださいましたね?
唇を隠すためにぼそぼそと話すわたくしにあなた様は『艶やかなサクランボのような唇で声も甘くかわいらしいわ』と仰ってくださいました。
わたくしにとってその言葉がなによりの宝物になりました」
「ナンシー………」
ナンシーから渡されたハンカチでルージュの目元を拭ってやりながらコーデリアはぽつりと語り出した。
「私、知っていたわ。
あなたたちが私の命令を聞きながらもあの男爵令嬢が困らないように立ち回ってくださっていたことを。
私の命令がバレてもあなた達は責を負われずに済んで私だけが罰せられることになるだろうとホッとしてた。
サーシャに初めて命令したとき自室に帰ってからすごく後悔したわ。大事なお友達になんてことをいってしまったんだろうって。
まるで自分の召使のように扱われてきっと嫌われてしまったんじゃないか。堪え性のない醜い女と思われたんじゃないか。と、友達をやめたいと………い、いわれるかもしれない………って」
ホトホトと涙が膝に落ち、見上げるルージュの顔が見えない。
「今日三人から外でお茶会をしようと誘われた時『ああ、その時が来てしまったんだ』って朝食も喉を通らなかった」
「コーデリア様!」
ルージュはコーデリアを抱きしめ、その細さに彼女が以前と比べて随分と窶れてしまっていることに気が付いた。
もっと早くにこうしてあげればよかったのだと心の中で己を罵倒する。
「淑女の風上にも置けないこんな女。スピネル様に見捨てられるのも仕方がないわ」
「そんなわけない!こんな素敵なコーデリア様を捨てる方がおかしいんです。
もし、そんなこと言われたら私に言ってください。
すぐにすっ飛んできてそんなやつぶん殴ってやります!」
領地で親しくしている領民に対して使っている言葉遣いが出てしまったルージュに「言葉がなってなくてよ」とサーシャが叱りつけ、ナンシーが「今くらい大目に見て差し上げて」と取り成す。
(なんだか久々に三人に会えた気分だわ。ずっと顔を合わせていたのに)
「私、もう一度スピネル様に真意を聞いてみます。
………それで答えを得られなかったらルージュに手紙を出しますね」
任せてくださいと拳を上げるルージュに朗らかな笑い声が庭に響いた。
その後。
問いただされたスピネルは始め、いつもと同じように答えをはぐらかそうとした。
コーデリアは悲しく思いながら自分を励ましてくれた友人たちのことを思い描き、「あなたを恋い慕うこの気持ちはあなたにとって邪魔なものでしかなかったのですね」と身を引く素振りを見せた。
スピネルはその言葉に慌ててやっと重い口を開いた。
すべては王命であったという。
トリシャ嬢は王の亡き叔父の血筋である可能性があった。
研究者気質で貴族社会に向かなかった叔父は当時の父王から領地を貰ってすぐに王都から去った。
領地にて雇った少ない側仕えに世話を焼かれながら研究に打ち込み、筆不精な人だったらしく病死するまで音沙汰はなかったらしい。側仕えの一人から手紙が届けられてようやく亡くなったことがわかり、念のために行われた身辺調査で一人だけ行方のわからなかったメイドがいた。
それがトリシャの母である。
男爵がトリシャを養子に迎えた折にその身辺を洗って現地の調査員が「もしや」と調べ始めたのがきっかけだ。王家が依頼した調査員と男爵が依頼した調査員が同じだった偶然によって詳しい調査が行われることになった。
王家の血が流れている可能性がある者であるためとりあえず市井から拾い上げる必要があった。
一時的にトリシャの身柄を男爵に預けることにしたが、違法なことに手は出していないものの男爵の素行がよろしくなかった。そのため王家からの間者を男爵家に潜り込ませて、調査員がトリシャを「あなたの娘です」と報告することでトリシャを保護することにした。
が、男爵は自分の家庭内を騒がすのも市井で育った娘を養育するための環境を整えるのも面倒臭がり、学園に放り込んでしまった。
急遽彼女を護衛しながらも教育する人材が必要となった。
王家の血筋か確定できるまで信用ができて誰にも悟られず、彼女の立場を悪くしないよう立ち回れる人材は誰か。第二王子では目立ちすぎ、立場が低すぎればいざというときに庇いだてができない。家格や勢力図などを鑑みた上で選出されたのがスピネルであった。
「どうして教えてくださらなかったのですか」
「君に伝える許可は出ていたんだが………君は心根が素直な人だからね」
困った顔で言われて、怒りに駆られてやらかしたあれこれを思い返した。
たしかにコーデリアは腹芸ができない。公爵令嬢としてよろしくない欠点だ。
「公爵の裁量で伝えて欲しいと言ってはあったが。公爵も私と同じご判断をされたんだろう。
君に心労を掛けることになって申し訳なかった」
深々と頭を下げるスピネルにコーデリアは慌てた。
「いいえ!その話が事実であれば彼女に指導するのは私の役目であったはずです。
なのにスピネル様がその役目を担われたのは私の不徳の致すところです。
淑女たるもの本心は隠しおおせてこそというのに」
トリシャを守護し、教育できる人材であればコーデリアにもできたはずだが王命を隠し通すにはコーデリアでは不安が残ると思われたということだ。
猛省せねばと自分を叱咤するコーデリアにスピネルは苦笑した。
「私としては君のその気性は美点だと思うよ。
君の言葉は素直でいつだって君の好意は心からのものだと信じられる。
偶にこちらが照れてしまうくらいの心をくれる君を愛している」
「あ、りがとうございます」
顔を真っ赤にさせるコーデリアにスピネルは笑みを深めて次の休暇のデートを算段した。
調査結果として。
トリシャの母は酒で酔っ払ったかの叔父に手を出され、叱責を恐れて失踪した。
叔父は自分を溺愛していた乳母を連れて領地に引っ込んでいたため、トリシャの母は彼女に叔父に夜這いをかけたと疑われて処分されるのではないかと思ったらしい。
領地で雇われた使用人に過ぎない彼女は叔父の身分を知らなかった。貴族出身の道楽息子だと思っていたらしく、逃亡先で子どもを出産しても名乗り出ることはなかった。道楽息子の親が自分たちまで養ってくれるとは思えなかったそうな。
出産時に彼女の面倒をみた酒場の女将から証言がとれ、出産記録と乳母の日記に書かれた彼女が失踪した日付から間違いなく叔父の子どもであると断じられた。
ちなみに男爵は出産後に酒場で働いていた彼女に権力をチラつかせて関係をもったと常連客から証言が取れている。
王族であることが確定したトリシャは貴族のマナーは身につき始めたもののさらに高位貴族の教育を課すのは酷であると判断された。本人の承諾を得て王家の遠い分家の子息と後日見合いをする予定だ。
諸々の騒動が落ち着いたのちの夜会にて。
「コーデリア様!本日のドレスも素敵です」
「あらあなたも綺麗よルージュ。
その髪飾り、とてもよく似合っているわ」
「コーデリア様、ルージュを甘やかさないでくださいな。
もう、淑女たるもの大きな声を出すべきではなくってよ」
「あらあらサーシャ。ルージュに嫉妬しなくても今日のあなたも可愛らしくてよ。
コーデリア様に褒めてもらいたくってネックレスを新調したのだものね」
「なっ」
「あら、それは本当ナンシー。詳しく教えて頂戴」
「勿論ですコーデリア様。
サーシャったらコーデリア様の好きそうなデザインを公爵家御用達のデザイナーに聞き出してコーデリア様より目立たないデザインで作って欲しいと懇願したのです。
守秘義務があるとデザイナーの人を困らせて守秘義務を逸脱しない範囲でと無茶をいって作らせたのがこちらの一品です」
「な、なんでナンシーが知っているのですか⁉」
「サーシャ様、声を荒げちゃいけないんですよ」
「黙らっしゃいルージュ!」
「デザイナーに泣きつかれたのでわたくしが公爵様から許可を頂けないかお伺いしたのです。
よかったですわね。許可が下りて」
「まあ、うふふ。ついこの間お父様からお友達について聞かれたからお答えしたのだけれど。
そういう経緯だったのね」
「会場に入る前も『コーデリア様にお褒め頂けるかしら』『私には似合っていないかも』と不安そうにしていて。
それはそれは可愛らしかったわ」
「~~~~~~~」
「まあ、サーシャったら。不安にならずともとても似合っていてよ。あなたの髪色が映える色合いだわ。
でもずるいわナンシー。そんな可愛らしいサーシャを独り占めするなんて」
楽しく話すコーデリア達にスピネルが「やあ」と声を掛けた。
「レディたちそろそろ私の最愛を返してくれるかな?」
「あらあら返すだなんて。もちろん私たちのコーデリア様の愛する方ですもの。
お貸ししてさしあげますわ」
先ほどまで顔を真っ赤にして照れていたサーシャは取り澄ました顔でスピネルに喧嘩を売った。
「ええ、ええ。本日はちゃんと私たちにもお話しいただけるのですね。
以前は貝かと見紛うお口をしていらっしゃいましたから今日も声をお聞きできないのではと心配していました」
サーシャに加勢するようにナンシーが続く。
その後ろで小さくルージュが「シュッシュッ」と拳を振るう真似をする。
「勘弁してくれ。君たちにも負担をかけて申し訳なかったと思っている。
でも今日は久しぶりに彼女とダンスができるんだ。どうか譲ってくれないだろうか」
スピネルが弱った様子で身分に寄らず三人の下手に出て願うので三人は目を合わせて一先ず溜飲を下げることにした。
「次はありませんわ」
「だんまりはもうおやめ下さいましね」
「何かあったら今度こそぎったんぎったんにします」
ようやっと引き渡されたコーデリアの手を引いてホールにやってくるとスピネルはホッと息を吐いた。
「やれやれ、すっかり君のお友達には嫌われてしまった」
「うふふ、自慢のお友達ですの」
「取り成してくれる気はないのかい?」
「お断りしますわ」
ダンス前の一礼をしてコーデリアは美しい笑顔を見せてこう言った。
「あなたは私にだけ好かれていればよろしいのです」
スピネルは完敗だと言わんばかりに「承知いたしました我が姫」と返した。