097-私たちの願いは道半ば
ダリアの街の、フランブルク商会本部の宿舎。
アルティアとメルティアは、二人で一緒の部屋に泊まっていた。
部屋の明かりはもう消えていて、二人はそれぞれのベッドで横になっている。
静かな部屋の外からは、かすかに波の音が聞こえてくる。
「姉さん。これからどうするの?」
「どうするって、どういうこと?」
「姉さんがまだフランブルク商会で働いていたのは、ジェーン先生に会うためだけじゃないでしょ。フランブルク商会のおかげで今回の旅は想定よりもかなり安価で宿を見つけられた。交通についても、ランさんの車のおかげで時間もお金も少なく済んだ。だから、貯金にはかなり余裕があるはず」
「……まあ、別に隠すようなことじゃないからね。話すわよ。ついでにプロメテウスも出てきなさいよ」
アルティアは身体を起こし、ランプの中に杖を向ける。
「導きの木よ、『炎を』『成せ』」
アルティアの杖から小さな火が起こり、ランプの灯りとなる。
ランプの灯を点ける、この日常の一動作だけが、アルティアがわざわざ詠唱魔法を使う唯一のタイミングだった。
メルティアも身体を起こし、一言、半身を呼ぶ呪文を唱える。
「プロメテウス」
その言葉と共に、魔力でできた少女のシルエットが部屋に現れる。
『……まだ、名前は決めてないんですけど』
「構わないわ。でも、次会う時までには決めておいてよね」
まるで当分は会えなくなるような姉の言い草に、メルティアはなんとなくアルティアの考えていることを察した。
「やっぱり、旅に出るんだね」
「ええ。商会の繁忙期が終わったら、セルリの街を発つわ」
「……それ、他の人にはもう話したの?」
「支部長とロベルトには、だいぶ前に伝えてあるわ」
「ランさんは? リセさんやレインも、急に姉さんがいなくなったら悲しむよ」
「……出発の前日には、話すわ」
「遅すぎるよ!!」
『遅すぎますよ!!』
二人の妹に同時に怒られ、アルティアは流石に怯む。
「家出の時も前日に告げられて、気持ちの整理とかどうしようとか私とても大変だったんだよ!?」
「そ、そうね、悪かったわ。……一週間前には伝えるわ。でも、今生の別れにするつもりはないわ。何か月かしたらまた戻ってくるわ。たぶん」
『たぶんって、計画とかないんですか?』
「北の方を見に行きたいなあくらいのぼんやりした計画ね。ランからもらったゲイル号マークツーに乗って、運び屋の仕事をしながら色んなところを巡ろうかなって」
ゲイル号マークツーは、フランブルク商会の仕事用の車とは別に、アルティアがプレゼントしてもらった魔力機関を積んだ小型の二輪車だ。
小箱程度の小さな荷台しかついていないため輸送力はないが、小さいために細い道も通れるなど小回りが利く。
アルティアがその気になれば、元祖ゲイル号と同じ理屈で空を駆けることも出来る。
「姉さんも、ついにやりたい事を始めるんだね」
「ええ。とても楽しみよ。商会が繁忙期じゃなかったら、貴方がセルリの街に着き次第出発したかったくらい」
「……そうなんだ」
アルティアの言葉に、メルティアはなぜか拗ねたような反応を返す。
アルティアが不思議がると、プロメテウスがメルティアの心を暴露した。
『メルティアは寂しいんですよ。せっかく何か月ぶりかに貴方に会えたのを喜んでいたのに、当の貴方はたいして一緒に過ごさず出ていくつもりだったと言われて』
「ちょっと、プロメテウス!!」
『ふふん、昼間に勝手に私の心をアルティアにしゃべった仕返しです』
「あら、あら。メルはやっぱり可愛いわね、ふふっ」
顔を赤らめるメルティアを、アルティアとプロメテウスはくすくす笑う。
メルティアはもう意地を張る必要もないと思い、顔を赤くしたまま本音をぶちまけた。
「……姉さんが二度目の家出をしてから、ついに本当に姉さんがいない日々が始まって。正直私は寂しかったよ。一回目の家出で姉さんを一人で行かせないで良かったと心の底から思った。行かせてたら、寂しいって意味でも絶対に後悔してたって確信した。姉さんは、私がいなくても寂しくなかったの?」
メルティアが姉の方を見つめると、姉の顔はもう揶揄う笑いではなく、優しく包み込むような笑みになっていた。
「そりゃ、寂しさもあったわよ。でも、あたしの願いとメルの願いを両立させるなら、乗り越えなくちゃいけない感情だもの。だからもう割り切ったわ」
「……やっぱりお姉ちゃんは十分妹離れできてるよ。……そうだよね、私も姉離れしなくちゃ」
「貴方も十分姉離れ出来てるわよ。貴方はあたしに頼らず、あたしから次期当主の座を勝ち取ったんだから。……メルは何年かはセルリの街で暮らすのよね?」
「うん。その間に魔法大学で首席を取って、何も決めてないけど研究で何らかの実績を残して、"お土産"をたっぷり用意してからバルツの街に帰るつもりだよ」
『ふふっ』
プロメテウスが何故か笑っているので、アルティアとメルティアの二人ともが振り向く。
「なに? まだ私の事笑ってるの?」
『ち、違いますよ、さすがにそこまで無礼じゃないです。 ……嬉しくってつい笑ってしまったんです』
「嬉しい? なにがよ」
『今の、貴方たちの在り様が、です。アルティアは自由を手に入れこれから旅立とうとしていて、メルティアは次期当主の座を勝ち取り当主に相応しい力を得るため意気込んでいる。一年前に、こんな幸せな未来を想像できましたか?』
「できなかったわ。あの頃は自分の未来に息苦しさしか感じてなかったもの。メルもでしょ?」
「うん。今みたいな未来が来たらいいのになあ、くらいには思ってたけど、実現できるとは思ってなかった」
『でしょう? だからこの素晴らしい現状に、思わず笑みがこぼれてしまったんです』
プロメテウスに言われ、アルティアとメルティアは今を噛みしめる。
見えなかった夢への道が見え、過去の心の傷ももう痛まない。
なんて幸せなんだろう。
しかし、二人とも、その心はまだ満ち足りていなかった。
「喜ぶのはまだ早いわよ、プロメテウス」
『えっ?』
「そうだね。私も姉さんも、ようやく自分の願いを叶えるための出発点に立っただけ。まだまだやらなくちゃいけないこと、やりたいことが山ほどある。私たちの願いは、まだ道半ばなんだよ」
『……そうでしたね。少々気持ちが緩んでいたみたいです』
ですがメルティア。
貴方が家出した時に抱いていた願いは、確かに叶いましたよね?
プロメテウスが話すのではなく、直接メルティアの心に語り掛ける。
メルティアは心の中で、そうだねと答えた。
メルティアはプロメテウスから視線を移し、向かいに座る姉の顔を見る。
生まれた時からそばにいて、ずっと輝き私を照らし続けてきた姉さん。
自分を強く持ち、罰を恐れず“家”の過ちにノーを叩きつけた姉さん。
類い稀な魔法の才能を持ち、訓練を積んだ兵隊たちが相手でも無双の強さを誇る姉さん。
姉さんは、私の欲しいものをたくさん持っている。
そんな姉さんは、私にとっていつだって眩しい太陽そのものだ。
だからこそ。
あの日の姉さんの涙を、私は忘れられなかった。
私の願いは、最終的にはハイスバルツ家を変えることだけど。
私の願いの始まりは、姉さんを救う事だった。
メルティアが姉に向かって微笑むと、姉もまた微笑みを返してくれた。
「さ、そろそろ寝ましょ。寝坊したら、ランとジェーン先生と一緒に、街を回る約束に遅れちゃうわ」
アルティアは杖を振り、小さな風でランプの灯を消す。
「おやすみなさい、メル。プロメテウス」
メルティアはプロメテウスを自分の中に戻し、自らの半身には心の中でおやすみを伝える。
そして最愛の姉に向かって、小さくつぶやいた。
「おやすみ、お姉ちゃん」