094-アルティア・フランブルク
セルリの街。
バルツの街から渓谷と大森林を隔てた東にあり、魔法大学を中心として発展したこの街は、今もなお発展と拡大を続けている。
冬が終わり、草花が芽吹き始めたこの時期は、新年度から魔法大学に入学する見習い魔法使いたちが、揃ってこの街へ移住してくる時期だ。
そんな引っ越しシーズンでもっとも繁忙するのが、物流業である。
この時期は、小規模業者だけで普段は間に合う小口の物流依頼が、何十倍もの量に増加し、どこの業者もパンク寸前の仕事量に忙殺される。
そのため、普段は大口の物流しか取り扱わないような大規模業者も、特別に小口の依頼を受け、溢れかける物流依頼を掬い上げるのだ。
この街に支部を置くフランブルク商会も例外ではない。
ロベルトもザガも、毎年この時期になると小口の物流依頼のために街を駆け回るのだ。
だが、今年のフランブルク商会には、最強の助っ人がいた。
その助っ人は”馬のいない馬車”を駆り、高速で街を往来する。
目的地に到着すると、詠唱もなく魔法で荷物を浮かせ、客の望むままに荷物を置き、受領のサインをもらって次の目的地へ向かう。
たった一人で、通常の馬車の何倍もの効率で依頼をこなしていく。
「こんにちは、フランブルク商会の"アルティア"です!! 荷物のお届けに参りました!!」
◆
「おう、おかえり。もう終わったのか?」
「ただいまー。ええ、予定通り、ね」
アルティアがフランブルク商会の事務所に戻ると、事務仕事を行っていたロベルトが迎えてくれた。
物流依頼が増えるという事は、書類仕事も同じ分だけ増えるという事である。
そのため、ロベルトは一日中書類仕事に向き合い、アルティアも配達が終わり次第書類仕事に合流していた。
元々アルティアには書類仕事は割り振られてはいなかったが、少しでも稼いで旅の資金を集めたいアルティアは、自ら志願して仕事を増やしているのだ。
「毎日毎日片づけてるのに、全然書類が減らないわね?」
「そりゃ片づけた分だけ新しい仕事が来てるからな。まったく、贅沢な悩みだ」
「そろそろカナリアたちに手伝わせてもいいんじゃない? あの子たち、もう読み書きは全く問題ないでしょ」
「ダメだ。三人ともまだ細かいミスが多い。カナリアは繰り上がりがおかしくなりがちだし、クローは桁の数え間違いをよくする。ピジョは三人の中じゃ一番計算が出来るが、一人だけ別の仕事割り振るのも本人が嫌がるだろ」
「支部長もだけど、貴方も大概あの子たちに甘いわよねえ」
「俺は商会の大人たちに育ててもらって、自分の希望も可能な限り聞いてもらえた。俺も同じように、あいつらを育ててやりてえんだよ」
ロベルトはペンを動かしながら会話を続ける。
アルティアはその横に座って書類の山から半分ほどを奪い取り、同じようにペンを持った。
「ところでよ、アリア……ああいやアルティア」
「もう、いつになったら慣れるのよ。名乗り始めてもう三か月は経つじゃない」
バルツの街でのやる事を済ませ、セルリの街に戻ってきたアルティアは、それまでの通名であったアリアではなく、アルティアを名乗った。
しかし、姓はハイスバルツではなくフランブルクを名乗るというややこしい事をしている。
これは、アルティアがまた家出をする前に、両親に頼んで許してもらったことだ。
家族会議で両親の本音に初めて触れ、家族の絆を感じ、アルティアはそれを手放したくないと考えた。
そこでアルティアが頼んだのが、両親からもらった”アルティア”の名前を名乗り続ける事だった。
ハイスバルツ家との縁は切れたが、家族との縁は切れていない。
"アルティア"の名前はそれを意味していた。
「こんな調子じゃまたメルティアをメリアって呼んじまうかもな。気を付けねえと」
「で、何か話があったんじゃないの?」
「ああそうだ。さっき、お前宛の手紙が届いたよ。送り主はハイスバルツだ。封蝋は本物だった」
アルティアの作業の手が止まる。
「手紙はどこ?」
「ここだよ」
そういってロベルトは引き出しから封筒を取り出した。
貴重な青の色が使われた、特別な封筒だ。
アルティアはそれを受け取り、封蝋が本物であることを確かめ、開封する。
「どうだ?」
アルティアはロベルトの言葉には答えず、何度も文面に目を通していた。
だが、その笑みが隠せない表情から、ロベルトは大体の文意を察した。
「ロベルト。悪いけど、今日の書類仕事は貴方に任せるわ」
「そんな気はしてたよ。もう少しすれば支部長とザガが出先から帰ってくるはずだから、なんとかしておくよ」
「ありがとう、ロベルト! 二人にも後でお礼を言わなきゃね。じゃあ、いってきます!!」
そう言ってアルティアは事務所を飛び出し、また車に乗って出かけて行った。
「さてと、あいつが帰ってくる前に、今日の仕事を終わらせねえとな!」
ロベルトは腕をまくり、また目の前の書類仕事へと没頭していった。
◆
魔法大学、ドリー教授の研究室。
ドリー教授は、一般の研究室では受け入れられない風変わりな研究を行う学生たちを、積極的に迎え入れる事で有名だ。
魔法の伝統を重んじるタイプの教授や学生からの評判は芳しくなかったが、担当教授のドリーが街の領主であるセルリアン家の出身なのもあり、予算だけは確保していた。
それがまた、他の研究室から妬まれる原因になっていたのだが、ここ数か月で、この研究室の評価は急激に高まっていた。
街で急成長を遂げ続けるフランブルク商会、そこで採用された"馬のいない馬車"を発明したのが、この研究室に所属しているランビケだった。
魔力を動力として機関を動かす試みは、今まで発案はされても馬鹿にされ深くは研究されていなかった。
動力を必要とする機関を間に挟むまでもなく、術者の魔法によってすべてを動かしてこそ魔法使いとして優れている、とされていたのだ。
だが、ランビケは、魔法使いとしては凡庸だからこそ、この試みを深く研究した。
たとえ凡庸な魔法使いでも、魔力さえ用意できれば、誰でも同じように扱うことができる魔力機関。
それは、詠唱さえすれば誰でも魔法を再現できる詠唱魔法と、共通する思想だった。
ついに実用化された魔力機関は、物流の世界ですぐに結果を残し、フランブルク商会と同じものを使えないかという問い合わせが魔法大学へと相次いだ。
これは専門的なものになりがちな魔法大学の研究としては異例なことで、しかも魔法大学に大きな富をもたらす可能性がある状況だった。
その瞬間、魔法大学の上層部は手のひらを返した。
ドリーの方針を褒めたたえ、ランビケの研究をより支援するようになったのだ。
取り囲む環境は変化したが、ランビケの研究環境自体は大きく変わらない。
予算と資源の心配がいらなくなったものの、以前と変わらず道具を散らかして機関の改良に励んでいる。
ただ、以前よりも彼女の友人がそばにいることが増えた。
「そういうわけであたしも自分で乗ってはいるんですけど、すぐに疲れちゃうんですよね」
「ふむ。現状の効率だと、アルティアや私くらい魔力のスタミナがないと、まだ長時間の稼働は厳しいのかな」
「でも効率化はずーっと続けてきて煮詰まってきてて。最近さっぱり進歩がないんですよね」
ランビケの横に立って話しているのは、魔法大学の首席、リセだ。
アルティアをきっかけに友人になった二人は、アルティアが街から離れていた間も交友が続き、今では日々機関の改良に関する議論を繰り広げていた。
「魔法石の純度を上げてみてはいかがですか? 今では予算はいくらでも降りるのでしょう?」
その提案をしたのは、魔法大学とは少しの関係もない部外者のポリネーだった。
姉妹の捕獲という仕事を終えた後、セルリの街が気に入ったポリネーは、トーチの治療が終わるまでとか、アルティアの監視を行うとか、あれこれ理由をつけてこの街に留まっていた。
「それじゃダメなんです。確かにより高品質な魔法石を使えば、効率的に魔力を伝導できるはずです。でも、この技術は出来るだけ低いコストで量産できるようにしたいんです」
「ああ、そうでしたね。でも、コストの低減は後回しに、ひとまず高性能な機関を作ってみてはいかがですか? そこから得られる知見もあるかもしれませんよ?」
「確かに……一理ありますね。すいません、なかなか貧乏性が抜けなくって」
「いえいえ。それなら、魔法石の調達はハイスバルツにお任せください。ご安心ください、最高純度の魔法石を――」
「ちょっと、ポリネーさん!! どさくさに紛れて商談に持ち込むのはやめなさい!!」
ポリネーの言葉を遮ったのは、リセについてきたレインだ。
リセがここを訪れる機会が増えたため、レインもまた同じくこの研究室の常連になりつつあった。
ハイスバルツの刺客だったポリネーをレインは未だに警戒しており、まるで番犬のようになっている。
「ランビケさんも!! ハイスバルツの人間に言いくるめられないでください!! どうして誘拐した張本人と仲良くできるんですか!?」
「す、すいません……。でも、ポリネーさんは、あたしに直接悪意をぶつけたわけじゃありませんし、あたしの研究に興味があるのは本音みたいですし……」
「そうですよ? 別にこの街に残る口実として魔法石を売り込みたいだけじゃなくて、私は心の底から彼女の研究に興味がありますし、この街での貴重な友人の一人なんです。レインさんも私の友人に――」
ポリネーの言葉にレインが大声で反論しようとした瞬間、研究室の扉が力強く開かれ、部屋に音が響いた。
一同が扉の方を向くと、そこにはアルティアが立っていた。
「みんないるわね、ちょうど良いわ!! 全員、今すぐあたしの車に乗って!!」
◆
アルティアの運転するフランブルク商会の車の荷台に乗り、一同は街の関所の前までやってきた。
全員車から降り、並んで"その時"を待っている。
「ここで待っててようやく頭が冷えてきたんだけど、冷静に考えたらポリ姉を連れてくる必要はなかったわね」
「まあ、そんなこと言わないでくださいよ、アルティア。連れてきてもらわなくても職務上来てましたが、連れてきてもらえておかげで楽が出来ました。ありがとうございます」
「……えっ? ポリ姉も知ってたの?」
「もちろん。私は今、この街にいる唯一のハイスバルツなんですよ?」
関所から新しい馬車が出てきたが、目当ての馬車ではない。
アルティアが小さくため息をつくと、遠くから子供の声が聞こえてきた。
「アルティアさーーーん!!!」
「あら? ……カナリア! クローにピジョ!!」
フランブルク商会の子供たち三人が、アルティアたちの方へ走ってきた。
「どうしたの、貴方たち。まさか商会で何かトラブル?」
「いいえ! 支部長が、今日は終わりにしてこっちに来ていいって!!」
「ふふっ。ほんと、支部長は貴方たちに甘いわね。多分、そろそろよ。一緒に待ちましょ」
その後、八人の大所帯は雑談をしながらその場で馬車を待った。
子供たちがついてから三台目、とうとう関所から、目当ての馬車が現れた。
バルツの街を象徴する、貴金属と宝石の装飾があしらわれた豪華な馬車。
その馬車が一同の前に止まると、中から一人の少女が降りてきた。
赤色の強い黒髪を持つ少女。
かつてボブカットだったその髪は伸び、セミロングといって差し支えない程度の長さになっていた。
少女はお辞儀をしてからその本名を名乗った。
「メルティア・ハイスバルツです。――姉さん、みんな、久しぶり……!!」