093-そして嵐は去っていく
メルティアの勝利という結果で決闘が決着してから、ザイムの配下にある者たちは大変だった。
メルティアが決闘で勝利するのはザイムにとって最悪のシナリオだった。
だから、メルティアが勝つ確率が低いと考えていたにもかかわらず、配下の兵士たちに妨害の用意までさせていた。
だというのに、メルティアは勝利してしまった。
しかも、決定打は落下した監視用ゴーレムの破片がアルティアに当たったことだ。
監視用ゴーレムの一つを掌握し、ここぞの場面でメルティアの妨害を行う。
それが用意していた妨害であることはザイムも知っている。
メルティアを負かすはずの仕掛けが、あろうことかメルティアを勝利させる最後の一押しになってしまったのだ。
マリアネもまた、想定外のトラブルへの対応に追われていた。
監視用ゴーレムにメルティアの邪魔をさせなかった、まではマリアネが想定していた事態だ。
だが、監視用ゴーレムがメルティアのアシストをしてしまった、は完全に想定外だ。
これでは担当の兵士たちに、ザイムへの反逆の嫌疑がかけられてしまう。
そうなれば兵士たちは濡れ衣により苛烈な罰が与えられてしまう。
元々妨害には失敗してもらうつもりだったが、反逆の濡れ衣を着せるなんて理不尽を兵士たちに強いたくはなかった。
だからマリアネは、決闘後に行われた監視用ゴーレムの検証に志願して参加した。
そしてそこで、光線の激突の余波によって監視用ゴーレムの制御術式が壊れてしまった証拠を、他のザイムの配下の者と共に発見した。
これのせいで兵士たちはメルティアへの有効な妨害が出来なかったし、アルティアのそばに監視用ゴーレムが落下したのは事故であると証明できた。
兵士たちが妨害できなかった本当の理由は、マリアネによって制御術式が上書きされていたためなので、実際のところは偽証なのだが。
とにかく結論として、メルティアの勝利は、妨害の最大のチャンスであった最後の攻防の際に、術式が壊れたために起こってしまった事故である、という事になった。
マリアネがその後の雑務を終えて自分の部屋に戻れたのは日付が変わりかけたくらいの夜更けだった。
マリアネの部屋には、いるはずのない人物がいた。
心も体も疲れていたので、マリアネは自分の部屋にその人物がいるのを一瞬幻覚ではないかと疑った。
「おかえり、マリー。いつもこんなに遅いの? とにかくお疲れ様」
「アル、姉様?」
部屋の来客用の椅子にアルティアが腰かけていた。
同じハイスバルツとはいえ、アルティアの屋敷とマリアネの屋敷は別の建物だ。
というか同じ一族というだけで別の家だ。
そんな気軽に、勝手に部屋に入るような間柄ではない。
「ごめんね、勝手にこっそり上がらせてもらったわ。また街を出る前に、どうしても貴方と話したくて」
「また街を……えっ?」
「うん。貴方とのお話を終えたら、また出ていく。正式に次期当主の座を捨てることも出来たからね。あたしはその為にこの街に戻ってきたの」
「……アル姉様にとって、次期当主の座はそんなに価値がないものなんですか?」
「あたしにとってはね。あたしはどうしても、この家の外に行きたい。自分で自由に世界を見て回りたい。当主になったら、そんな事できないからね」
「せっかく当主様の長女として生まれて、あれほどの才能を持っているのにですか?」
「才能で言ったら蒼炎が使えないあたしなんて無能もいいところでしょ? あ、今のなし。無能って言うとなんかザイムみたいでムカつくからね。……まあ、才能って部分では、少なくともこの一族でのあたしの居心地は悪かったわよ」
「あんなの、姉様に勝てない人たちの負け惜しみじゃないですか」
「まったくもってその通りよ。気にする価値もないって分かってる。……でも居心地の悪さは変わらないわ。だから、こんな一族の当主っていうのも嫌になっちゃった。その気持ちのおかげで、次期当主の座を投げ捨てるなんていう無責任な行動も、躊躇なくできちゃったの。それよ、今日はそれを謝りに来たの。……ごめんなさい、マリー。あたしの勝手な行動の皺寄せで、貴方を今のような苦境に追い込んでしまった」
そういってアルティアはマリアネに深々と頭を下げた。
マリアネはそれを何も言わず見つめていた。
しばらく待ってもアルティアは頭を上げようとしない。
「顔を上げてください、姉様」
言われてアルティアは顔を上げる。
マリアネが今まで見たことがない、強い罪悪感を抱えているであろう弱気な表情をしていた。
「街に戻ってきてからディランに事情を聞いたの。あたしの行いのせいで次期当主争いが激化して、貴方がそれに巻き込まれたって。……家出した時、あたしはそこまで考えてなかった。貴方に迷惑がかかるなんて想像もしていなかった。だからひとつ、あたしに出来る罪滅ぼし……いえ、埋め合わせをさせてほしい」
「埋め合わせ……?」
「貴方が望むなら、今度の家出では貴方を攫う。貴方をこの家の呪縛から解き放つ」
アルティアの言葉の後、二人の間に沈黙が訪れた。
マリアネは目の前の相手の顔を見つめる。
その瞳は真剣だった。
「メルの時とは違うわよ。前回は次期当主が家出したから全力で捜索に来たけど、今回はそうじゃない。それに、貴方は家出ではなく誘拐になる。たとえ家出先で捕まっても貴方に罪はないし、帰りたい時は帰れば誘拐先から自力で帰還したってハクがつく……は冗談だけど、とにかくあたしだけの罪になる。つまり貴方は、限りなく低いリスクでこの家を出られる。ちなみにこれはメルとは相談済みよ。シナリオ通りに運ぶように、あの子もこの街で協力してくれる」
それは、数日前までのマリアネになら、この上なく魅力的な提案だった。
地獄のようなこの家での日々から抜け出したい。
自分もアルティアとメルティアのように家出したい。
たった一人でいるときだけ、その本音を漏らしていた。
だが、マリアネの今の気持ちは違っていた。
「ありがとうございます、姉様。少し前までなら、その提案を受け入れていました。でも、私は今はもう、この家を出たいとは思っていません。……今は、希望がありますから」
「あら、そうなの? ……ちなみに、その希望ってもしかして、メルのこと?」
アルティアがにやけながらマリアネに尋ねる。
婉曲的な言い回しの真意を確認され、マリアネは照れから頬を赤らめる。
「そ、そうです。……今まで通りのハイスバルツなら、私に希望はありません。でも、メル姉様は言ってくれました。この家を変えてみせるって」
「ええ。あの子は必ずやってみせるわ。だって、世界で初めて、あたしを決闘で負かしたのよ? お父様以外にそれができるって思ってた人はいないんじゃないかしら」
「はい。メル姉様は言ったことはやり遂げる方だって、今日の決闘で信じられました。だから私は、この家でメル姉さんを支えたいんです。……ザイムおじい様をどうにかしながらですけど」
マリアネのその言葉を聞いて、アルティアはすぐには言葉を返さなかった。
マリアネがアルティアの顔をよく見てみると、その瞳は潤んでいた。
アルティアは自分の瞳が見られたことに気付くと、マリアネを抱いて彼女の顔を隠した。
「ありがとう、マリー。メルのことを慕ってくれて。あの子の姉として、誇りに思うわ」
マリアネもそっとアルティアのことを抱き返す。
「アル姉様もメル姉様も、ずっと私の憧れです。……どうか、お身体に気を付けてください」
アルティアはマリアネの頭を撫でると、彼女から離れた。
「そろそろ時間みたい。あたしは行くね。元気でね、マリー」
そう言ってアルティアは窓に駆け寄り、そこから飛び降りた。
ほぼ同時に、マリアネの部屋の扉が開けられる。
マリアネが振り向くと、そこにはメルティアとディランが立っていた。
「メル姉様、ディラン兄様」
「……マリアネ、今ここにアルティアが来なかったか?」
「あっ、その……」
ディランがアルティアやメルティアと共犯なのか判断がつかず、本当のことを言うべきか迷い、言い淀んでしまう。
その時ふとアルティアが出て行った窓を見つめてしまったのだが、ディランにとってはそれが十分質問の答えになったようだ。
ディランは窓まで走り、そこから外を見まわす。
「……アルティアめ。もうこの街に用はないということか」
ぼそっとディランがつぶやく。
ディランの視線の先には、空を飛ぶ光を纏った物体が見えた。
あれはアルティアが帰ってきた時に乗っていた乗り物だ。
「マリー、行かなかったんだね」
マリアネのそばに歩み寄ったメルティアが、小声で話しかける。
「はい。私は決めましたから。メル姉様がこの一族をどう変えていくのか、この目で見守るって」
そう言ってマリアネは、敬愛する未来の当主に微笑んだ。