087-前夜
アルティアとメルティアの決闘が執り行われる前夜。
二人の姉妹は互いに顔を合わせず、各々の部屋で心を整えていた。
これはメルティアから申し出た事だった。
本気で闘うために、決闘が終わるまで必要以上に顔を合わせたくない、と。
アルティアはこれを了承したが、ひとりで部屋に戻ってから少しの寂しさを感じていた。
元々自覚はしていたが、彼女にとって妹のメルティアの存在はあまりに大きすぎる。
家出の時も何度断られてもギリギリまで一緒に家出しないかと誘い続けたし、最終的に一緒についてきてくれた時は本当に喜ばしかった。
それがたとえ、アルティアの家出を失敗させることが叶わなかったときの妥協案であっても、だ。
未知ばかりのフランブルク商会での暮らしは楽しかったが、それは毎日妹と顔を合わせられる安心感があったからだ。
だが、それほど大切な妹と、明日全力の決闘をする。
正直な話、損得だけで言えばアルティアが決闘に勝利して得することはほとんどない。
メルティアが決闘に勝利して、正式に次期当主の座を勝ち取る方が、アルティアを含む彼女に近しい全ての人間にとって都合が良い。
しかし、アルティアはそれでも本気で勝ちに行くと決めていた。
それには当然理由がある。
「メル。ずっと貴方の近くにいたのに、知らない間に置いて行かれちゃった気分だわ」
一連の家出騒動を経て、アルティアは悉く誰かに迷惑をかけ続ける自分自身に嫌気が差していた。
こんな家なんかどうなっても良い、そう考え起こした家出だったが、結果としてはハイスバルツ家だけでなく、セルリの街の多くの人たちにも迷惑をかけてしまった。
マリアネだって想定外の被害者の一人だ。
我儘を通すために不都合を他人に押し付けるが、それが思いもしない相手にまで不都合が行ってしまう。
一方、メルティアもまた自分の我を通したがるところがあるが、アルティアとは違うところがある。
それは、我を通すために発生する不都合をどこかに投げ捨てるのではなく、出来るだけ自分で背負おうとするところだ。
ロベルトに文句を言われるのを承知で貧民窟で暮らす子供たちを拾ってきたときも、自分の給料と時間を捧げて子供たちの面倒を見ていた。
ハイスバルツ家の因習をなくそうとしている今も、自ら当主となり正面からハイスバルツ家と立ち向かおうとしている。
アルティアがこの自分と妹との違いに気付いた時、いつの間にかメルティアが自分よりもずっと先を歩いているような感覚に襲われた。
メルティアは、アルティアの後ろをついてくるだけの妹ではないのだ。
決して格下なんかではない。
そしてそれを、全ての人間に分かりやすい形で示すのが、明日の決闘の目的だ。
そのためには、アルティアは本気を出して負けなければならない。
もしもアルティアが手を抜いている、わざと負けようとしているだなんて思われてしまえば、たとえメルティアが勝利してもその勝利の意味が薄れてしまう。
だからアルティアは本気で決闘に勝ちに行く。
それに、プロメテウスを習得してからのメルティアは、魔法使いとして別人のような成長を遂げている。
ディランとの決闘も、プロメテウスがあるとはいえディランが有利だろうとアルティアは思っていた。
それをメルティアは勝利して見せたのだ。
加えて、ディランとの決闘の前に少しだけ話していたアルティア用の『秘策』というのも、おそらくディラン戦では使っていない。
もはやメルティアは油断して挑んでいい相手ではないのだ。
「家出する前は、もう決闘で負ける事なんてないと思ってたのに。ネペンテスのヒョウもだったけど、強敵って言うのは思いもしないところにいるものね」
そうつぶやくアルティアの口角は、わずかに上がっていた。
◆
メルティアが十五歳になってから、彼女の身の回りで変化した事が一つある。
それは、常に自分の半身、プロメテウスの存在を感じるようになった事だ。
メルティアのプロメテウスは話好きで、しょっちゅう彼女に話しかけてくる。
返事をする様子をはたから見たら完全にただの独り言で、事情を知らない人が見たら不気味極まりないと思い、実際に『会話』という形でコミュニケーションを取るのは彼女が『一人きり』の時だけだ。
もっとも、別にメルティアが返事をしない時でも、プロメテウスは勝手にメルティアの心を読んで会話を進める。
「それでも貴方がこうして私とコミュニケーションを取る意志を見せてくれるだけで、私は嬉しいですよ?」
今もまた、メルティアのプロメテウスは勝手に彼女の心を読み、心の中のつぶやきに返事をした。
メルティアも今は私室に一人きりなので、特に周りの目を気にせず半身と会話をする。
「ねえ。もしかして貴方って、十五年間ずっと、誰にも知覚されずに、話し相手もいないまま、私の中にいたの?」
「ええ、その通りです。だから私、貴方が十五歳になるまでずっと寂しさに苛まれていましたし、貴方が無事に試練を乗り越え私を知覚出来るようになってくれたのが、本当に嬉しいんです」
「逆によく私が十五歳になるまで我慢できたね?」
「我慢するしかないんですよ。だって、そういう契約なんですから」
「私たちのご先祖様と、貴方のオリジナルが交わしたっていう契約?」
「ええ。私……いえ、私たちは物理的な身体を持つために、貴方たちの祖と十分に話し合った結果、このような契約を結んだのです」
「その言い方だと、まるでプロメテウス側から契約を持ちかけたみたいだけど」
「……まあ、そんなところです。オリジナルの私の夢を叶えるために必要な事だったんですよ。貴方がお姉さんと決闘をしなければならないのと同じように、ね」
プロメテウスが決闘という言葉を出した途端、メルティアは黙り込んでしまった。
しかし、その沈黙の理由はプロメテウスにとって少々意外なものだった。
「全然緊張とかしていないんですね?」
「うん。自分でも不思議なんだけど、明日のことを考えると高揚はするけど緊張みたいなものはないんだ。あの姉さんに勝たなくちゃいけないし、負けたら私たち家族のこれからをまた考え直さなくちゃいけないのにね」
「……貴方は、明日の決闘のためにずっと備えてきましたから。遥か格上のアルティアを超えようと日々努力して力をつけ、決闘に辿り着くために彼女の家出について行ったりやっぱり帰ってきたり。全ては明日のために、貴方は行動してきました。……そう思えば今更緊張なんてするわけありませんね。ここまで貴方が積み上げてきたものは、もはや崩れようがありません」
「それに、私には貴方もいるし」
メルティアのその言葉にプロメテウスからの返事はなかったが、顔の見えない彼女の半身が微笑んだのをメルティアは感じた。
◆
ついに訪れた、アルティアとメルティアの決闘の日。
バルツの街にある、古くから由緒正しき決闘の場として使われてきた、円形決闘場。
それをすり鉢場に囲む観客席には、ハイスバルツの人間たちを中心としたバルツの街の要人たちが勢揃いしていた。
その中でもこの街の頂点であるハイスバルツ家当主のフラムは、妻のメアリと共に、特別装飾が豪華な席で静かに始まりの時を待っていた。
この決闘の日が正式に決闘した時から、二人の夫婦はともに覚悟を固めていた。
たとえ決闘がどのような結果に終わろうとも、自分たちの子供を信じ、そして守り、共に戦おうと。
だが、それはそれとして。
「……やはり心配です。真剣勝負の決闘を姉妹でやるなんて。いくら結界石があるとはいえ、事故が起これば大怪我だって……」
母親のメアリは、姉妹の安全を気にせずにはいられなかった。
姉妹たちの能力を疑っているわけではない。
二人とも、かつて秀才と呼ばれたメアリ以上に優秀な魔法使いであると、メアリ本人も理解している。
それでも、姉妹を危険に晒すのは胃が痛くなる事だった。
「大丈夫だよ、メアリ。アルティアもメルティアも、強く育った。……それに、いざという時は私がなんとかする」
当主フラムの『なんとかする』という言葉はこの上なく頼りになるものだ。
それでも心の中に不安を覚えながら、メアリは夫の手を握る事でその気持ちを押さえ込んだ。