082-家族会議③
通常、ハイスバルツの血縁に連なる者は皆、蒼炎並びに炎の魔法に高い適性を持つ。
それゆえ、蒼炎の魔法はハイスバルツの象徴である。
しかし、当主の長女アルティアは、蒼炎の魔法が使えない。
それにもかかわらず、アルティアは次期当主の座を掴んだ。
最も強い者が当主になるというハイスバルツのしきたり通りの選出ではあるが、一族の中にはアルティアの事を良く思わない人間もいた。
蒼炎の魔法が使えない不良品が、当主を名乗るなど許せない、と。
そういった一族の人間たちに嫌気が差したのが、アルティアが家出を決断した理由の一つだ。
だが、アルティア本人も不思議に思っていたのだ。
なぜ自分は蒼炎の魔法を使えないのか、その理由を。
その理由を探す中、セルリの街でヘイルというとんでもない好色家と出会った事で、アルティアの中に一つの疑惑が芽生えてしまった。
自分の父親は、フラム・ハイスバルツではないのかもしれない。
父親がフラムではない、つまりハイスバルツの血が流れていないのであれば、蒼炎の魔法が使えない事に説明がつく。
そして、もし本当に、自分がフラムの子でないのだとしたら、母親もメアリではないという可能性も――メルティアとは血の繋がりが全くないという可能性もあるのではないか。
そう考えると、アルティアは真実を確かめずにはいられなかった。
最愛の妹との本当の関係を、不確かなままには出来なかった。
例え、その妹が真実なんて関係ないと言ってくれたとしても、アルティアは真実を知った上で改めて妹との関係に向き合いたかった。
そのために、アルティアはこうして両親との話し合いに臨んでいるのだ。
「ふむ。確かに良い香りだ。素敵な贈り物を感謝するよ、アルティア」
テーブルを挟んで姉妹の向かいに座った当主フラムは、カップを手に取りアルティアが買ってきた茶の香りを楽しんでいた。
だが、その声音や表情は普段とあまり変わらない。
アルティアはそんな父親が少し苦手だった。
決して嫌いというわけではない。
ハイスバルツという一族を忌み嫌い、その当主であるフラムにも嫌悪の感情を向けたことがないわけではないが、冷静に考えれば父は常にアルティアに甘かった。
一族に敬意を持たないアルティアの自分勝手な振舞いを、フラムは滅多に咎めることがなかった。
代わりに一族の他の人間がアルティアに嫌味を言うが、せいぜいその程度で、アルティアの言動自体になにか罰が与えられることはなかった。
嫌味から娘をかばうような事を言ってくれるわけでもないのだが。
良くも悪くも、アルティアにとってフラムは放任主義な父親だった。
だから、嫌いではない。
ただ、苦手なだけなのだ。
アルティアは基本的に、他人の事を視覚と魔力の様子でよく観察している。
そうすれば、相手が何を考えているのか、数秒後に何をするのか、大体分かるのだ。
例外的に、フラムは全然分からない。
表情の変化に乏しく、感情の起伏が極端に小さい。
さらに言うと、魔力の様子も感知しづらい。
持っている魔力があまりにも大きすぎて、その全貌を認識しきれないのだ。
何を考えているのか分からない、それでいて強大すぎる力を持つ父親との会話は、アルティアにとって神経の磨り減るものだった。
茶の香りを一通り楽しむと、フラムはカップを手元に置いた。
「さて。アルティア、メルティア。昨日は君たちの心のうちを話してくれてありがとう。おかげで、君たちが本当に求めているものが何なのか、知ることができた。今日は……そうだな。私たちが君たちに話すべき……いや、もっと早く話しておくべきだったことを話させてくれ」
「話しておくべきだった、ですか?」
メルティアがそう問うと、フラムが頷く。
「ああ。君たちが十六歳になり、成人したら話すつもりだったことだ。だが、昨日君たちの話を聞いて……アルティアが家出を決意する前に、こうして話す時間を作るべきだったと後悔したよ。しばらく、私が一方的に語る形になるが、静かに聞いてほしい」
「勿論です、お父様。……私が何故、蒼炎の魔法を使えないのか。教えてください。」
アルティアは言葉を選んで、父の頼みを承認した。
そうして言葉を選べた事実から、自分が昨日よりも冷静であることを確認する。
「ああ。……君の出生について、私の認識する限りを、君に話そう。ところで、メルティアにも聞かせて構わないのかな?」
「ええ。たとえどんな真実であろうと、メルに隠すつもりはありません。ここで一緒に聞いてもらいます」
アルティアはむしろ、メルティアにはこの場にいて欲しかった。
実は、テーブルの下で両親には見えないように、妹の手を握っていた。
どんな事実も受け止める勇気と冷静さをどうにか絞り出すために。
「君がそういうのなら、二人ともに話そう。話は、アルティアが生まれるよりもさらにずっと前――二十年以上前にまで遡る。ハイスバルツ家の当主となった私は、妻としてメアリを迎え入れた。政略結婚には違いないが、メアリとの結婚は私の望みそのものだった。私はメアリを一目見た時から、彼女に惚れ込んでいたんだ」
フラムのその言葉に、メアリは照れからか頬を赤くした。
当のフラム本人は少しも恥ずかしそうな様子はない。
「家柄としてもメアリに問題はなく、私たちの結婚は一族の皆に認められ、祝福された。しかし……何年か経つうちに、次第に一族の中に、メアリに強く当たるものが現れ始めた」
「一体、何があったんですか?」
アルティアのその問いには、メアリが答えた。
「何もなかったのです。……婚姻を結び数年が経ったというのに、私は身ごもる事が出来なかったのです。世継ぎの子を産むという、当主の妻としての役割を果たせない私が非難されたのは、妥当な成り行きです」
「……やがて、弟夫婦の間にディランが生まれた。私たちよりも結婚は後だったのにもかかわらず、ね。それからはますます一族のメアリへの当たりは強くなった。……私は、そんな状況を解決できずにいた。遠方から様々な医師を呼び、どうすれば子が生まれるのか、対策を講じたが、結果には結びつかなかった。そうして時間を無為にするうちに、メアリをより苦しませてしまった。……あの時ほど、自分の無力を悔いたことはない」
まさか父親から無力を悔いるなんて言葉が出るとは思わず、姉妹は内心驚いた。
この街で最高の武力も権力も持つ父とは、無力という言葉は無縁だと思っていたのだ。
「藁にもすがる思いで、怪しげな儀式のようなものまで調べはしたが、結局成果はなかったよ。そんな日々が何年か続いたある日……夢を見たんだ」
「夢?」
「……メルティアは、プロメテウスを習得していたね。それなら、夢の中で、君のプロメテウスと対話しただろう?」
「はい。……夢というには不思議で、現実味がありすぎましたけど。眠っている時の出来事という意味では、夢でした」
「そのプロメテウスの夢とほとんど同質のものと思ってくれて構わない。私はその夢で……何かに出会ったんだ。正体は今でも分からない。その何かは、私に問いかけたんだ。そんなに子供が欲しいのか、と。私は当然、その問いに頷いた。すると何かは、微笑んで私にこう言った。『了承したのはお前だ。お前の望みを叶えてやる。代償はいただくがな』」
「……代償、それって」
アルティアが漏らした言葉に、フラムは何も言わずに頷く。
それから続きを話した。
「この夢を見てもしばらくは変化はなかった。印象には残っていたが、特に意味はない普通の夢だと思った。だが、何か月かして……メアリが妊娠したんだ。そのことが分かった時には私は夢の事はほとんど忘れていたし、何よりついに子宝を授かったことが嬉しくてたまらなかった。だから、夢の何かが言った代償のことも忘れていた。その後、無事に赤ん坊――つまりアルティア、君が生まれたんだ。――アルティア。君は間違いなく、私とメアリの子供だ」
フラムの語気は淡々としていたが、彼の瞳が真っすぐアルティアを覗き込んだ。
そこには有無を言わせぬ圧があった。
父親の話は、あまりに根拠が弱いとアルティアは感じていた。
今の話だけでは、母親がメアリである事は確定しても、父親は確定できない。
蒼炎の魔法を全く使えない事実から考えれば、メアリがハイスバルツ外部の男と成した子である、その可能性の方が高い。
だから、アルティアの心のもやは完全には晴れなかった。
アルティアは母親の方に視線を向ける。
「……お母様。あたしは、間違いなく、お父様とお母様の子供なんですね?」
アルティアは質問に答えようとする母親をよく観察した。
少しの心の揺らぎも見逃すまいと。
「……はい。当主の言葉に偽りはありません。貴方は間違いなく、私とフラム様の子供です」
母親のその言葉と毅然とした表情を見て、アルティアは微笑んだ。
メアリとメルティアはよく似ている。
嘘や隠し事が極端に下手なのだ。
だから母親のことは、苦手ではない。
アルティアとメルティアは、血の繋がった姉妹だ。
アルティアはそう確信した。