080-暗殺
「先ほど、ザイム殿に会った」
ハイスバルツ家の敷地を出て少し歩いてから、姉妹の前を歩くディランが後ろを向かずに話し始めた。
「そこで貴様らに良い店を教わったよ。ラテム商会の持つ店なら、きっとフラム様とメアリ様に相応しい品が見つかるはずだ」
そう話すディランの言い方は、どこか投げやりだった。
アルティアが鼻で笑ってから返事をする。
「なによ、一族の重鎮からの伝言なのにずいぶん投げやりじゃない。貴方らしくないわね」
ディランは大きくため息をついた。
「俺は他人の陰謀に加担する気はないのでな」
「……つまり、ザイム大叔父様が、何か企んでるって事ですよね?」
「ああ。あわよくば、アルティアを暗殺する気だろうな」
「えっ!?」
帰ってきた答えが想像以上に大事で、メルティアは思わず驚きの声を上げてしまった。
一方、当のアルティアはメルティアと対照的に飄々としている。
「帰ってきてまだ二十四時間も経っていないっていうのに。せっかちでいけないわねえ、あの老いぼれ」
「ね、姉さん、動じてなさすぎじゃない?」
「貴方は動じすぎよ」
「でも、暗殺なんて。そこまでは今までなかったよね!?」
「ええ。嫌がらせくらいはあってもね。ディラン、流石に暗殺は早とちりじゃないの?」
「早とちりならいいんだがな」
ディランがそう言って三人の間に沈黙が訪れる。
早とちりにせよそうでないにせよ、とにかくこの外出は確実に危険なものになるという覚悟を姉妹は決めた。
「でもこれ、貴方にとって悪い話じゃないでしょう? あたしが消えれば貴方の立場からしてもプラスじゃない?」
「仮にこれで貴様が死ぬような事があれば、俺からすれば面白くない」
「姉さん、ディラン兄様は多分私と同じなんだよ」
「同じ? どういうこと?」
「認められない方法で姉さんを排除しても納得できないってこと」
「あー、そういうことね。あれだけあたしに勝つのにムキになってたんだもの、暗殺なんかで次期当主の座に近づいても納得いかないわよね。ふふっ」
「黙れ。……ラテム商会は軍部で動向を把握しきれていない商会組織の一つだ。外部との交流が多く、スパイが潜り込んでいる可能性もあると警戒していたが……ザイム殿の手駒がいたとはな」
「まあ、何かあってもハイスバルツの兵士長様が護衛にいるんだし、大丈夫でしょ」
「貴様らより弱い護衛は不要なのだろう?」
「なに拗ねてるんですか」
「根に持ってんじゃないわよ」
◆
ディランの後についていき、姉妹はバルツの街の商業区を訪れていた。
商業区は大きく分けて二つのエリアに分かれており、三人が訪れたのは富裕層のための地区だ。
ここは服飾や書物、武器など高額の商品を取り扱う店が立ち並ぶ。
ちなみにもう一つのエリアは、主に庶民向けで、食材の店や金物の店、酒場などが多くなっている。
セルリの街と比べて落ち着いた雰囲気の商業区に、メルティアは家出をする前よりも興味が湧くのを感じた。
「他の街を見た後だから気付けたけど、こうして見ると武器や装飾品のお店が多いよね。鉱山資源が豊富っていうのを、実感として学んだ気がする。姉さんが家出するとか言い出さなかったら、姉さんへのプレゼントもここで探すはずだったんだよね」
「まあハイスバルツの人間は大体そうよね。ここで探すか、仕事で訪れた他の街で探すか。あたしは庶民向けのエリアで面白いものを探してたけどね。そういえば、家出の準備も庶民向けのエリアで品をそろえていたのよね」
「えっ、そうだったの?」
「富裕層エリアだと顔見知りに会いやすいもの。だからあっちでこっそりね」
「ちょっと待てアルティア。貴様、その口ぶりだと護衛をつけずに商業区に来ていたのか?」
「ええ、そうよ」
アルティアの返答に、ディランは何も答えずため息だけを返す。
ほんの数年前まで、街のレジスタンスの激しい抵抗にあっていたハイスバルツの人間は、街に来るときは必ず護衛をつけるのが普通だ。
レジスタンスの動きは沈静化したが、レジスタンスがもういない確証など無いからだ。
「メルティア、貴様はアルティアのこういうところを決して見習うなよ。ハイスバルツの人間が乱闘騒ぎに巻き込まれでもすれば、それは個人の問題ではない」
「分かってますって。次期当主ともなればなおさら、ですよね」
「なぁに、次期当主が襲われて怪我でもしたらハイスバルツの家の名に傷がつくって話?」
「ああ。ハイスバルツ家の威信にかかわる問題になる」
「おかしな話ね。民を恐怖で支配しようってのに、護衛をつけないと外も出歩けないなんて。実はハイスバルツの方がビクビクしてるんじゃない?」
「……アルティア。今の貴様は以前にも増してハイスバルツへの遠慮がなくなったな」
「でも兄様。姉さんの言う通りです。やっぱり、今のハイスバルツの支配は歪んでいます。より良い形へ変えていかないと」
三人はそうやって歩きながら話しているうちに、ある建物の前に着いた。
比較的新しい煉瓦造りのその建物こそが、ラテム商会の店に他ならなかった。
「わざわざ教えてやったというのに、本当にこの店に入るのか?」
「ええ、せっかく大叔父様が教えてくださったんだもの。善意を無駄にするわけにはいかないじゃない?」
「あえて罠にかかって、大叔父様の手下を捕えます。それで大叔父様に対抗する為の証拠を手に入れるんです」
「ザイム殿がそんな過失を犯すとは思えんがな」
ラテム商会の店で買い物をし、ザイムの手下を釣って捕える。
それがアルティアとメルティアで一致した意見だった。
アルティアもメルティアも、ザイムの事は嫌いだった。
なにせ姉妹の嫌うハイスバルツの負の部分の象徴とも言えるのがザイムであった。
自身の権力のため、表と裏双方の力を使い、あらゆる手段で他者を蹴落とす。
それが明らかなのに、確たる証拠がないため失脚する事がない。
それ故ザイムは、恐怖で街を支配するハイスバルツ家の人間たちにすら恐れられていた。
姉妹がハイスバルツ家に持つ負のイメージ、その根源となっているのがザイムという男だ。
メルティアが当主になるかどうか、アルティアが追放されるかどうか、その如何にかかわらず、姉妹にとってザイムはいずれ倒すべき敵だ。
だから、今回の暗殺計画を逆に利用して、ザイムを追い詰める根拠を手にしたいのだ。
「兄様は外で待っててください。私と姉さんでなんとかします」
「もし取り逃しそうになったら捕まえてくれてもいいわよ?」
「俺は別に貴様らの味方ではない。だから協力する義理はない」
「あらそう。ま、その辺でお茶でも飲みながら適当に時間潰してて」
「ああ、そうさせてもらおう」
そうして姉妹とディランは分かれ、アルティアとメルティアの二人で店の方へと進んでいった。
「……プロメテウス」
店に入る瞬間、メルティアがぼそっとつぶやく。
その言葉に呼応して、メルティアの肩の上に、小さくてそして透けている魔力の小人が現れた。
小人はよく見ると角や長い爪を持っており、小人というよりは獣のようだった。
アルティアが小人を見つめていると小人と目が合い、小人は小さく手を振った。
「あら、可愛いじゃない。メル、貴方のプロメテウスってこんなに自由に姿を変えられるの?」
「うん。小さなままだと炎を消すくらいしか出来ないけど、ハイスバルツの人間から身を守るだけならこれで十分」
ラテム商会の店の中には、様々な小物やインテリアが展示されていた。
宝石があしらわれたギラギラと輝く壺、複雑な体勢をした男性の彫像、異国の絵師が描いたと思われる不思議な絵画。
色のついたガラスで作られた花瓶、蔦のような模様が彫られたランプ。
並んでいる品々は確かに物珍しく、魅力的で、それでいて店の様子自体は至って普通に感じられた。
二人が入り口付近で店を見回していると、一人の若い男性の店員が近寄ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、アルティア様、メルティア様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あら、あたしを知ってるの?」
「勿論でございます。アルティア様とメルティア様はつい昨日まで捜索されていましたから」
「あ、そういう事ね。今日はお父様とお母様にお詫びの品を買いに来たの。つまり当主様とその奥方ね。なんか良い小物はない?」
「左様でございますか。でしたらあちらの商品などいかがでしょうか?」
案内されるがまま、二人は店の奥へ進んでいく。
二人とも警戒を怠りはしないが、店内には特に不審なところは見受けられなかった。
◆
店の外で待たされたディランは、決して時間を無駄にする気はなかった。
軍部で十分に動向を把握できていないラテム商会。
アルティアとメルティアという重要人物が急に正面から訪れた今、内部の人間の注目は姉妹に注がれてるはずだ、とディランは考えた。
この機にラテム商会の内情を探るため、ディランは店の中に忍び込む事にした。
そのために、ディランはハイスバルツ家の息がかかった店から建物の屋根に登り、ラテム商会の建物の屋根上にまで来ていた。
窓が開いているのは事前に下から確認済みだった。
後は窓から中に入るだけだ。
そう考えていた折、ドン、ドンという何か爆発するような音が遠くから聞こえた。
音のした方を振り向くと、その方向はハイスバルツの敷地がある方角だった。
そしてディランの視界に高速で飛来する複数の黒い物体が視界に入る。
「……そういう事か」
ディランはザイムの意図を理解した。
黒い物体は砲弾だ。
そして、あの飛び方は、現在ディランが立っているラテム商会の建物付近に着弾する。
このままならこの周辺の建物は粉々に破壊される。
ラテム商会はおそらくザイムの手下が潜り込んでいるわけではない。
ザイムにとっても得体の知れない不確定要素なのだろう。
アルティア、メルティア、ラテム商会、そしてディラン。
ザイムは邪魔になりうる要素をまとめて排除するつもりらしかった。
いくらアルティアとメルティアといえど、認知の範囲外から突然建物ごと破壊されてはひとたまりもないだろう。
防御においては一族でもトップクラスのディランも、今のアルティアとメルティアと同じ状況なら、ともに瓦礫に埋もれていただろう。
「関与した兵士には然るべき罰を与えねばな。守るべき街に砲火を向けるなど、決して許される事ではない。……プロメテウス」
ディランがその名を呼んだ瞬間、商業区の建物の上に蒼炎の巨人が現れる。
だが、巨人の敵意が向けられていない建物には、巨人の体躯も蒼炎も害を与えない。
巨人の敵意は、今まさに商業区を襲おうとする砲弾のみに注がれていた。
「やれ」
ディランは普段、プロメテウスに指示する時にわざわざ言葉を口にしない。
思考するだけでプロメテウスへの指示となるからだ。
それでも言葉にしたのは、自身のプロメテウスの声を聴きたくなったからだ。
命じられたプロメテウスは、黙ったままディランの命令に従う。
高速で飛来する三つの砲弾、それを一つずつ握りつぶした。
砲弾は巨人の手の中で爆裂し、その破片は蒼炎に焼き尽くされ、街へと落ちる前に塵となった。