074-強欲の獣
魔法大学の円形決闘場では、プロメテウスを従えた二人の魔法使いが相対していた。
ディランはメルティアの一挙手一投足に警戒しながら、一歩ずつ距離を詰めていく。
プロメテウスの巨人で確実にメルティアを制圧できる距離まで近づこうとしているのだ。
対するメルティアは、ディランの狙いに気付きながらも、逃げようとはしなかった。
ここでディランから距離を取れば、少なくともすぐに巨人の攻撃を受けることはない。
しかし、鉄壁の防御をもってじわじわと相手を追い詰めるのはディランの基本戦法だ。
逃げるメルティアと追うディラン、我慢比べになれば、分があるのはディランの方だ。
それよりも、ディランの策に乗って距離を詰めさせた方が、ディランの隙をつける確率は上がるはずだ。
そう考え、メルティアは背後に自分のプロメテウスを控えさせたまま、迫りくるディランをその場で待ち構える事にした。
まだ見せていない『切り札』によって、ディランに勝利するために。
彼我の距離が十メートルもなくなった位置で、ディランは立ち止まる。
「逃げないのだな。貴様にとってもこの状況は望むところか?」
「結界石はもう割ってるんです。あと一歩で、私の勝ちですから」
「それはお互いそうだろう。もっとも、その一歩は平等ではないがな」
ディランはここまで、不意を突かれない限りは全ての攻撃を巨人によって防御してみせた。
一方、メルティアは、回避を狙うばかりで防御らしい防御は一度も出来ていない。
これほどまでに距離を詰めた今、もはや互いに相手の攻撃から逃げ切ることはできない。
そうなれば、鉄壁の防御を持つディランの方が有利なのは明らかだった。
だが、これはディランにとって簡単な状況という意味ではない。
結局、相手に先に攻撃を届かせた方が勝利するのだ。
鉄壁の防御も、相手の攻撃に反応できなければ無いに等しい。
だから、ディランは慎重に慎重に、いつでも防御に転じられる用意をしながら、メルティアを確実に仕留める機会を伺っていた。
「みちび――」
メルティアが口を動かした瞬間、ディランは自身の杖先から魔弾を放った。
真っ直ぐ自分に向かって飛んでくる魔弾を、メルティアは反射的に蒼炎の防壁を発生させて防いだ。
この瞬間、メルティアはハッとした。
防壁を作ったせいで、正面が見えない。
先ほど、自分がディランにそうさせたように。
上か、横か、方向は分からないが奇襲が来る。
そう考えたメルティアは、左に向かって蒼炎の火球を放つと共に、火球を追うように左へと飛び込んだ。
メルティアの想像通り、先ほどまでいたところに巨人の掌が振り落とされた。
衝撃で地面が揺れ、メルティアは一瞬よろめく。
その隙をディランは見逃さなかった。
メルティアが体勢を立て直す前に、巨人のもう片方の手が素早くメルティアを捕らえた。
「うっ……ぐあっ……!!」
全身が握りしめられるという未知の感覚に、骨が軋むのを感じた。
「これで詰みだ、メルティア」
握りしめられたメルティアの元に、ディランが近寄ってくる。
相手が降参するか、あるいは十秒以上行動不能となる事がこの決闘の勝利条件だ。
巨人の手に捕えられたメルティアは、あと十秒で敗北する。
「ぐっ……うご、け……!!」
「抜け出そうとしても無駄だ。プロメテウスの力に対抗できるのは、プロメテウスだけだ」
握られているメルティアとディランの目線が合う。
ディランの目からはもう警戒の色は消えていた。
メルティアがこの状況で出来る最後の抵抗は、プロメテウスによる行動だけだろう。
しかし、下手にディランを攻撃すれば、巨人がメルティアをディランの盾にするかもしれない。
ここまでの攻防で戦う能力を示したメルティアが、その可能性に気付かないはずはないと、ディランは確信していた。
実際、その確信の通り、メルティアはその可能性には気付いていた。
だが、だからと言ってプロメテウスに攻撃させないとは限らない。
「……っ、動いてよ!! 『プロメテウス』!!!」
メルティアが半身に叫ぶと、彼女の脳内にまた声が響いた。
「良くできました。貴方は見事、この景色を作り上げた。私も協力しないわけにはいきませんね」
その瞬間、メルティアのプロメテウスは突如変貌した。
それまで魔力の集合体に過ぎなかったメルティアのプロメテウスが、蒼炎に包まれる。
蒼炎の獣と化したプロメテウスは、雄叫びをあげ、その口から逆巻く蒼炎を吐き出した。
「血迷ったか、愚か者が!!!」
ディランの巨人が手に掴んだメルティアを盾にする。
これでメルティアは行動不能になるか、プロメテウスの能力で蒼炎を掻き消すはず。
そんなディランの予想とは裏腹に、蒼炎はぐにゃりとその軌道を変えメルティアを避け、巨人の土手っ腹へと直撃した。
そして蒼炎はさらに勢いを増し、ますます巨大になり、巨人の身体を貫いた。
「なっ、馬鹿なっ!!?」
そのまま蒼炎は曲線を描いてディランを追いかけ、最後はディランの胸へと命中した。
腹を貫かれた巨人がぼろぼろと崩れ、メルティアが解放される。
膝に手をつき、何度か深呼吸をしてから、メルティアはディランの方を見やった。
ディランの身体は燃えてはいない。
しかし、仰向けに倒れて動こうとしなかった。
十秒以上が、確実に経過していた。
おそるおそる、メルティアはディランに近づく。
……まさか殺してしまったのではないか。
その可能性に恐怖しながらディランの顔を覗き込んだが、空を見つめるディランの瞳は普通に動いていて、瞬きもしていた。
「……俺の負けか。メルティア、貴様何をした? 説明しろ」
ディランの声に、悔しさはあれど怒りや憎しみのような感情は感じられなかった。
その様子にメルティアは少し安心して、説明を始めた。
「私のプロメテウスの能力は、炎を消し去る能力じゃありません。炎を自在に操る能力なんです。兄様の炎は、消し去られたわけじゃなくて、私のプロメテウスが吸収して、自分の力にしていたんです」
「何だと? それではまさか、俺のプロメテウスの炎も……」
「はい。兄様がプロメテウスを召喚してからずっと、放出されるはずの蒼炎は私のプロメテウスが吸収し続けていたんです。だから最後、私のプロメテウスの炎は兄様のプロメテウスを貫けた」
「……他人の炎すら自分の力としてしまうか。なんと強欲なプロメテウスだ。あの獣のような姿も納得だな」
「そういうこと言うと、私の『プロメテウス』が怒りますよ。兄様がこうやって話せてるのも、多分『プロメテウス』が私の意を汲んで加減してくれたからですし」
「怒る……? 意を汲んだ……?」
何故か訝しむような顔をディランがしたが、メルティアはその理由が分からなかった。
ディランは上体を起こし、メルティアに問いかける。
「貴様、プロメテウスの声が聞こえているのだな?」
「えっ? ええ、聞こえてますけど……」
だってそういうものだと自身の『プロメテウス』から聞かされていたため、プロメテウスが使える者ならそれが当たり前だと、メルティアは考えていた。
「俺は聞こえない」
「えっ」
「俺のプロメテウスは強力で、そして従順だ。……従順が過ぎる。自分の意志というものを見せない。声を聞いたのは、試練を与えられた時が最後だ。……プロメテウスは宿主の影響を色濃く受けるという話は聞いてるな?」
「はい。それが術者によってプロメテウスの性質が違う理由だと聞きました」
「……俺はバルツの街を守る堅牢な盾であるハイスバルツを誇りに思っている。ハイスバルツに全てを捧げても構わない覚悟がある。一族の誰よりも固い忠誠を誓っているという自負もある」
ディランの自己評価は、メルティアの思い描くディラン像と一致していた。
そして、この話の流れだからこそ出てきた感想が一つある。
「兄様のプロメテウスは、兄様に似てる……」
「そうだ。プロメテウスとはまるで合わせ鏡だ。そして俺と貴様のプロメテウスの違いが、貴様にあって俺にないものを浮き彫りにした。……強欲さ、いや、意志の力か。かつて俺が次期当主になれると言われていた頃、俺は当主になる事が夢だったが、その先を考えていなかった。空っぽだったんだ。メルティア、貴様は当主になって何を為すつもりだ?」
ディランにそう問われ、メルティアは胸に熱いものを感じた。
この問いは、メルティアが当主になる事を前提としている。
今までは『戯言』と頭ごなしに否定されていたのに。
堂々とした態度で、メルティアは答える。
「ハイスバルツを変えます。兄様の言うとおり、ハイスバルツはバルツの街を守ってきました。でも、その過程で、一族は腐敗し、周りを顧みない身勝手なものとなりました。私が当主になって、ハイスバルツを、そしてバルツの街を、良くしていきたい……!!」
「腐敗か。言ってくれるな。……だが、立派な志だ。その志こそが、貴様のプロメテウスをあのような強力なものにしたのだろう。あの能力は、ハイスバルツの人間に勝利することに特化し過ぎな気もするがな」
「私の『プロメテウス』は言ってくれたんです。夢を叶える手伝いをしてくれるって。私が夢を叶えるためには、ハイスバルツの人間と争うことがきっとこれからもあります。だから『彼女』の能力はとても頼もしいです」
「……そうだな」
片膝を立て、立ち上がろうとするディランに、メルティアは手を差し伸べた。
ディランはその手を取る。
「貴様の覚悟と力、しかと見せてもらった。お前がアルティアから次期当主の座を勝ち取った時には、俺は貴様を支持しよう」
「っ! ……ありがとうございます!!」
「貴様はあいつと違って使命感と責任感がある。俺も忠誠を誓うなら貴様の方が良い」
「例え姉さんが使命感と責任感を持ってても、私は絶対当主になりますよ」
「……ふっ。やはり貴様は強欲だよ」
ディランがメルティアに微笑む。
メルティアもまた、曇りのない笑みをディランへと返すことができた。