073-鉄壁の防御
メルティアとディランの決闘は、数度の衝突を経て互いにまだ結界石を消費していないという点だけを見れば、拮抗していると言える。
だが、メルティアもディランも、外から観戦してるアリアもポリネーも、この状況が拮抗しているとは考えていなかった。
メルティアはここまで奇襲も含めて何発もの魔法をディランに放ったが、その悉くを防御された為にディランの結界石を消費させられていない。
一方で、ディランはここまで、決闘開始の初弾と、メルティアが無数の雷矢を撃った後の一発で、まだ二回しか攻撃を行っていない。
つまり、メルティアの結界石が無事なのは単にディランがまだそこまで攻撃していないからで、逆にディランの結界石が無事なのはメルティアの攻撃が通用していないからだ。
「やっぱりディランの守りを崩せるのは、当主様か貴方くらいなのでしょうかね? アルティアさん」
客席に座るポリネーが、横にいるアリアに向けてつぶやく。
ポリネーのその淡々とした口調からはどちらかを応援するような雰囲気は感じられず、彼女は別にこの決闘の勝敗には興味がないのだとアリアは思った。
「あたしやお父様みたいにシンプルに出力の高さで守りを突破するタイプは、ディランにとって一番厳しいタイプでしょうね」
「守りの堅さこそが彼の一番の強みでしょうに、それを正面から突破するだなんて、理不尽な話ですね」
「だったら正面から戦わなきゃいいのに、あいつ馬鹿だから全部正面から受けるのよ。任務の時は人質取ったりちゃんと搦手も使えるのにね。おかげであたしはあいつとの決闘は全勝で、次期当主の座から降りれなかったわ」
「それならわざと負ければ良かったんじゃないです?」
「んー……それはそうなんだけど、彼我の戦力差がよく分かってなかった初めての決闘で本気出したら正面突破しちゃったもんだから、以後手加減が難しくなっちゃったのよね。シンプルに出力の差で勝っちゃったから、手加減するとすぐバレちゃうのよ。あいつ、手加減されてるって気付いたら絶対ブチギレるでしょ? しかも手加減された事に気付いたまま負かされたら、流石にディランが可哀想じゃない? だからあたしはいつだって手加減せずにあいつを負かしてたの」
「……本当に、理不尽な話ですね。ディランが可哀想です」
「ま、つまり、出力で勝てない相手に正面から勝負を挑むのは馬鹿のやる事よ。メルの友達にレインって子がいるんだけどね、その子は奇襲とかを交えて有利な状況を作るのが上手らしいの。多分メルは、その子に倣ってディランの守りを崩せるような状況を作ろうとしている」
「さっきの上空からの蒼炎の魔法みたいなのですよね?」
「ええ。まあディランも、あたし以外には大体勝つだけあって反応と勝負勘が良いわね。視界から敵が消えたら、すぐに視界の外からの攻撃に備えてる」
「アルティアさん、貴方だったらどうしますか? ディランの防壁を強引に突破する手段がなかったとしたら」
ポリネーのその問いに、アリアは即答出来なかった。
悩んだ事のない問題だったので、すぐには答えが思い浮かばなかったのだ。
だが少し考えて、一つのアイデアは思い浮かんだ。
「ディランが自分から防壁を解いて、かつすぐには防御に戻れないタイミングがひとつあるわ。そこを狙う」
◆
ディランのプロメテウスの巨人が立ち上がり、それまで巨人に覆われていたディランの視界が広がった。
ディランの想像していた通り、メルティアは巨人の後方に立っていた。
プロメテウスを従えた二人の視線が衝突する。
「やはり貴様では、たとえ蒼炎の魔法を使っても俺の守りを突破できないようだな。それでも俺に楯突き、時間を浪費するのか?」
「私は決めたんです。兄様にも姉さんにも私の力を認めさせるって。私は必ず、この決闘で貴方を倒します」
「……貴様が負けず嫌いという話を、メアリ様から伺った事がある。それを今初めて実感しているよ。……良いだろう、貴様の心を徹底的にへし折り、当主になるだなんて戯言を二度と言えなくしてやる」
実際、メルティアには今のところ諦めの感情は一欠片もなかった。
生まれてからずっとすぐそばに天才の姉がいて、それでいながらその姉に勝ちたいとメルティアは思っているのだ。
今更ディランに本気の攻撃を凌がれたくらいで折れるメルティアではない。
メルティアは小声で呪文の詠唱を開始する。
「導きの木よ。『光を』『集め』――」
そこまで唱えてから自分の視界の外に杖先を置き、続きを詠唱する。
「『解き放て』」
その瞬間、メルティアの杖先から強烈な閃光が放たれる。
直視すればしばらくは目が眩んでしまうような強い光だ。
そしてメルティアはディランの側面に向けて走り出した。
今のディランの守りの要はプロメテウスの巨人だ。
ギリギリまでディランに接近し、巨人の防御が追いつかないスピードで守りの隙間に攻撃を放つのがメルティアの狙いだ。
「甘いぞっ!!」
メルティアの進路に向けてディランの巨人の拳が振り下ろされる。
メルティアは思わず足を止めた。
そして拳が殴りつけた地面から、周囲に向かって地面の破片が飛び散る。
「やばっ……!」
無差別に飛び散った破片がメルティアに襲いかかる。
かわそうにも走ってる状態から急に止まった為体勢が悪く、いくつもの破片をかわしきる事は出来そうにない。
メルティアは急いで手元の結界石を起動させた。
メルティアを襲った無数の破片が結界に弾かれるが、みるみるうちにメルティアの結界石にヒビが入っていき、破片を防ぎ切ったタイミングでちょうど結界石は砕け散ってしまった。
「結界が割れたようだな。これでもう、貴様に身を守る手段はない」
メルティアとディランの目が合う。
ディランの視線ははっきりとメルティアを捉えており、閃光で目が眩んでいるようには見えなかった。
「閃光による目眩しは、追い詰められた盗賊の類が逃げ出す時の常套手段だ。そういった不届者どもを捕らえるのが仕事である、ハイスバルツの兵士長たるこの俺にとって、貴様の付け焼き刃の閃光を読み切ってかわすなど容易な事だ。閃光の魔法を使うのなら、自分の目を閉じるリスクを背負ってでも、普通の魔法と同じ動作で使え」
メルティアは自分の視界が失われるのを嫌って、わざわざ視界の外に杖を向けて閃光の魔法を放った。
普段はやらないその動作が、ディランに閃光の魔法を予期させてしまったのだ。
結界石が砕けてしまったため、メルティアはもう回避する以外に攻撃から身を守る手段がない。
魔法大学の決闘ルールではこの時点でメルティアの敗北だが、ハイスバルツのルールでは、降参するか身体を動かせなくなるか、どちらかでなければ勝負はつかない。
無論、メルティアはこの程度で負けを認めるつもりはなかった。
「貴様のその目、まだ諦めるつもりはないようだな。仕方ない。動けなくなるまで痛めつけてやろう」
そう言ってディランは、巨人をメルティアに向けて前進させた。
身の丈十メートルはある魔力塊の巨人に迫られ、メルティアは流石に威圧される。
しかし、メルティアはこの時を待っていた。
ディランが攻勢に転じ、守りが薄くなる時を。
メルティアは再び、小声で呪文の詠唱を開始する。
「導きの木よ。『光を』『集め』――」
ディランはメルティアの口の動きをよく観察していた。
多くの魔法使いは、魔法を行使するのに呪文を詠唱する。
呪文は声に出して唱える必要があるが、大声を出す必要はない。
そのため、小声で唱える事でギリギリまで相手に何の魔法を使うか隠す事ができる。
だが、小声であっても唇の動きを観察できれば、何の呪文を唱えているのか察知する事が出来る。
だからディランは、メルティアが再び閃光の魔法の呪文を詠唱している事に気付いていた。
メルティアは横に走り出し、巨人に遮られずディランと対面する位置まで移動しようとする。
ディランはそれをしっかり目で追い、顔を向ける事で、メルティアの閃光の魔法を誘った。
そしてディランの狙い通り、メルティアはディランに杖を向け、呪文の続きを詠唱した。
「『解き放て』!!」
その直前に、ディランは目を瞑った。
閃光の魔法が放たれるのは一瞬だ。
ほんの数秒、適切なタイミングで目を瞑れば、閃光の魔法は無力化出来る。
自分のアドバイスに大人しく従い、普通に魔法を放つのと同じ動作で閃光の魔法を放ってきたメルティアに、ディランは内心ほくそ笑んだ。
今度は巨人の拳で直接メルティアを狙ってやる、そのつもりで瞼を開いたディランは、目の前の光景に驚くと共に、反射的に結界石に魔力を込めた。
――馬鹿な、早過ぎる……!!
直後、蒼炎の火球がディランを襲う。
直径一メートルはあるその火球は、結界に阻まれディランに届かなかったものの、ディランの結界石は代償として砕け散った。
それからすぐにディランは巨人に指示を出し、メルティアを攻撃させるが、防御に気を取られた分巨人への指示が遅れてしまい、メルティアはもう安全を確保できる距離まで下がっていた。
砕け散った結界石の塵を捨てながら、ディランは何が起きたのかを理解した。
閃光の魔法を放って数秒で、ディランが避けられない・巨人でガード出来ない位置に火球が飛んできているのは、あまりに早過ぎる。
つまりメルティアは、今回そもそも閃光の魔法を使っていない。
閃光の魔法の詠唱だけして、実際は閃光の魔法は使用せずに、無詠唱で蒼炎の魔法を使ったのだ。
そして、直前にディランがしたアドバイス通り、変わった動作はせず普通に魔法を放ってきた。
メルティアが閃光の魔法を使うのだとディランに誤解させ、数秒目を瞑らせて隙を作るために。
「驚いたぞ、メルティア。まさか貴様が咄嗟にこんな策を思いつくとはな」
「……驚いたのは私の方です。どうしてあれで結界石の防御が間に合うんですか?」
メルティアは今の一撃により、あわよくばディランを撃破できないかと目論んでいた。
それがディランの早過ぎる防御により、結界石を消費させるに留まってしまった。
「……俺は今、心から貴様に感心したぞ。どうやら貴様をみくびり過ぎていたらしい。……貴様相手に蒼炎も無しに巨人を前進させるのは、自ら負け筋を増やす行為に他ならないようだ」
ディランがそう言うと、巨人はメルティアの方を向いたまま後退し、いつでもディランを守れる位置に戻った。
これはメルティアにとって、あまりに都合が悪い事だった。
「……兄様って、意外と臆病なんですね。ふふ」
メルティアは鼻で笑って見せようとしたが、普段あまり人を煽るような事をしないので、少し不自然になってしまった。
挑発である事は見透かされており、ディランは淡々と返事をする。
「良いかメルティア。兵士のような何かを守る立場にある人間に、迂闊な行動は決して許されない。貴様は俺の結界石を砕き、貴様自身の危険性をある程度示した。貴様は慎重に対処せねばならない相手だと俺は判断したのだ」
そうしてディランは、巨人をそばに従えたまま、一歩ずつメルティアとの距離を縮めていった。
メルティアの仕掛ける攻撃のことごとくにディランは応戦し、結果として互いに結界石を失った。
次の攻防で勝敗が決する。
メルティアとディランの二人ともが、その事を予感していた。