070-夢への壁
「やはりプロメテウスを習得していたか。それでのぼせあがっての大言壮語というわけか?」
アリアがランビケの胸で泣いている頃、ディランがメルティアの元にやってきた。
メルティアの「自分が次期当主になる」という宣言を聞いた直後よりはマシなものの、それでもディランの口調からは怒りがにじみ出ていた。
「……私はずっと、自分が当主になりたいと思っていました。そうすれば、姉さんとハイスバルツ家の問題はみんな解決します」
「それなら何故、貴様らがバルツを飛び出したあの日、俺にアルティアの家出の情報を流した? あんな事をしなければ、アルティアは準備していた通りに家出を決行し、我々は追跡を断念し新たな次期当主を決めていたかもしれない。そこで当主への名乗りを上げるのが筋というものだろう」
「違いますよ、兄様。筋を通すために、姉さんは家出をするべきじゃなかった。姉さんはハイスバルツの流儀に従って、誰かに負けて次期当主を降りるべきなんです」
「それなら今度は何故貴様は土壇場になって俺の邪魔をした? あれが決定打となり、アルティアはバルツの街からの脱出を成功させた」
「あれがなくても姉さんは家出を成功させてましたよ。姉さんと誰よりも決闘してきたディラン兄様なら分からないはずがありません。私は姉さんが追跡不能になるのが嫌で、ついていくことにしたんです」
「アルティアをハイスバルツに帰らせるためについていったとでも言うのか?」
「そういうつもりじゃ、なかったですけど」
「……はぁ。呆れたものだ。貴様の行動は中途半端で、言い分は滅茶苦茶だ。大義名分と私情が入り混じっているのだろうな」
ため息をつくディランに言い返したかったものの、ディランの指摘にはアルティア自身も思い当たりがあったため、良い反論が思い浮かばなかった。
「つまるところ、貴様の野望はかねてからのもので、熱に浮かされての妄言ではないということか」
「野望って……。まあ、はい」
「貴様ら姉妹は本当に不愉快だ……。片や力を持ちながら一族への誇りを持たず、片や自身の野望のために周囲を振り回す。ああ、不愉快極まりない……!! メルティアよ、アルティアは流儀に従い負けて当主を降りるべきだと、貴様は先ほど言ったな?」
話しているうちに、ディランの怒りはいつの間にかまた頂点へと近づきつつあった。
ディランが怒っているところは今まで見たことがあったものの、それが自身へと向けられるのはメルティアにとって初めての経験だった。
しかし、自分が当主になると覚悟を決めた瞬間から、メルティアはこの状況を想像していた。
怯むことなくメルティアはディランに返答する。
「はい。私は姉さんに勝ち、次期当主の座を勝ち取ります」
「それならば、貴様はまず俺と決闘するべきだ。よもや嫌だとは言うまいな」
「ええ。覚悟はしていました。兄様を納得させずに当主を名乗ることなどできません」
◆
アリア、メルティア、ロベルトの三人は、ランビケを家まで送り届けた後、フランブルク商会へと戻ってきた。
「結局、こうなっちまうのか……」
「何言ってるの。想定していた結果を得られたのだから上出来でしょ」
「確かにランビケさんは無事に解放できたけどよ。結局、お前らはバルツの街に帰らなきゃならねえ。っていうかアリア、お前本当にもう大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫。……流せる涙は全部流して、今はすっきりしてる」
アリアの目元は真っ赤に腫れていた。
しかしその表情にはいつもの快活さが戻っていた。
「ハイスバルツに私たちの親しい人たちまで調べ上げられた時点で、もう私たちが逃げ続けるのは無理だったんです。仕方ありません」
「……俺の判断は間違っていたかもな。偽名とはいえ、お前たちを堂々と表に出すべきじゃなかった。俺はお前たちを守れなかった」
「あら、そうかしら? 引きこもれって言われてたら、あたしはきっと指示を無視して勝手に抜け出してたわよ」
「アリア、お前な……」
「あたしが家出した理由の一つを覚えてる? あたしは外の世界を見たかったの。単にあの家から離れたかっただけじゃないわ。せっかくセルリの街に来ても引きこもってるなんて、家出した意味がないじゃない」
「ロベルトさん、前に別の街でハイスバルツの斥候に会ったって言ってましたよね? それにこの街でも斥候と思われる人間が複数いたってマースさんから聞きました。海を渡るための旅費を持ち出せなかった時点で、私たちの家出は遅かれ早かれこうなっていたと思います。私も姉さんも、ロベルトさんの提案を良いことにどんどんこの街から離れづらくなる理由を増やしちゃってましたし……」
姉妹それぞれアプローチは違ったが、自分の事をフォローしてくれている二人にロベルトは笑みが漏れた。
そんな二人の頭を、ロベルトは両手で撫でた。
「わっ」
「ちょ、子ども扱いしないでよ」
「ありがとな、二人とも。……次はねえのに反省会なんてやっててもしょうがねえな。明日の事を考えるか」
アリアとメルティアの二人はバルツの街へ帰る。
それが、セルリの街の人たちに手を出さないことを条件に、ディランとの間に交わされた約束だった。
もっとも、姉妹二人とも、この点についてはディランと会う前から覚悟していた。
「急な話だが商会のみんなには明日の朝ちゃんと伝えねえとな。支部長には寝耳に水だし、なんならザガと親父は不在だが。まあ俺から伝えておくよ」
「ほんと、貴方には迷惑かけっぱなしね。いくら感謝してもし足りないわ」
「やめろ照れくさい。つーかよ、これを今生の別れにするんじゃねえぞ。ちゃんと家の連中と話付けて、堂々とまたこの街に来るんだろ。その時に改めて自分で説明しろ」
「……ふふっ、そうね」
「ちびっ子三人についてはまあ心配すんな。あいつらもだいぶ馴染んできたし、俺を含めた住み込み連中で面倒見れるからな。まあ、勉強を教える余裕は俺も支部長もねえが」
「ロベルトさん、ありがとうございます。あの三人、元はと言えば私が勝手に雇い入れたのに」
「まあ最初の頃はいても仕事を増やすくらいだったけどよ、最近は最低限の仕事は出来るようになったからな。それにウチの商会はああいうの慣れてんだよ。俺やザガも、あれくらいの頃から仕事を手伝わされて覚えていったんだ。あいつらはスリで食ってただけあって観察力があって覚えもいいから、そういう意味じゃむしろ良い人材を拾ってきたよ」
「ロベルトさん……」
本当にロベルトは人が良過ぎると、二人の姉妹は揃って思った。
そしてこの恩に報いるためにもまたこの街に戻らなければならないと、決意を固めた。
「商会の事はこんなもんか。お前らが心配することは何もねえよ。むしろ問題はお前だよ、メルティア」
「そうよ、メル。いつの間にディランと決闘の約束なんてして……!」
バルツの街へ出発する前、朝一番にメルティアとディランは決闘する事になった。
舞台は魔法大学の決闘場。
セルリの街で一番周りへの影響を気にせず戦える場所だ。
「あのディランって奴、何年か前の魔法大学主席なんだろ」
「ええ。それで今のハイスバルツの兵士長よ。早い話、バルツの街で三番目に強いのがあいつ。一番目が父上、二番目があたしね」
「大丈夫なのかよ、メルティア?」
アリアとロベルトが心配そうに尋ねるが、メルティアは怯んだ様子は微塵も見せない。
「ロベルトさん、これは私にとって超えなくちゃいけない壁なんです。大丈夫かどうかの問題じゃありません」
「そうは言ってもよ……」
「それに、私も無策ってわけじゃありません。勝算はあるんです」
「プロメテウスを使うの?」
「それもだけど、もう一つ。……本当は、姉さん対策に温存したい秘策が」
「えっ、何よそれ? 教えてよ」
「いやだよ……。姉さんに勝つために前からこっそり用意してたのに」
「え~、気になるじゃない、これはちゃんと決闘を見届けないとね」
「うう、出来れば使わずに勝ちたいな……」
ロベルトとしては結構深刻な話のつもりだったのだが、姉妹二人がおどけた様子だったので気が抜けてしまった。
「なんだ、意外とのんきなんだな、お前ら」
「私は真剣ですよ。姉さんが緩すぎるんです」
「ディランくらいこれくらいの空気で倒してくれないと、安心して当主なんて任せられないもの」
アリアの口調は軽かったが、その言葉は本音であるとメルティアは感じた。
姉は自分の夢自体は受け入れてくれたけれど、自分の実力はまだ認めてくれていないのだとメルティアは再認識した。