068-対峙
アリア、メルティア、ロベルトの三人は、フランブルク商会の馬車に、縄で縛り上げたトーチを乗せ、ディランたちがいるという裏通りの倉庫に向かっていた。
捕縛した人間を運ぶなんて流石に悪い噂が立ちかねないため、馬車は幌付きで荷物は外からは見えなくなっている。
手綱を持つロベルトに、馬車の中からメルティアが声をかける。
「ロベルトさん。こんなハイスバルツの内輪の問題に巻き込んでしまって、本当にすいません」
「なんだ? 今更水臭えな」
「そもそも、私たちがフランブルク商会にお世話になってたから、こんな事になってしまって……」
「ああいいよ、そういうのはもう。事情を知った上でお前らを雇い入れたのは俺の判断だし、その瞬間からお前らは俺の家族なんだ。俺はこれから家族に手ェ出しやがった奴らに話をつけに行く。もうとっくに、お前らの家がどうじゃなくて、俺の問題なんだよ」
「ほんっと、貴方ってお人好しよねえ」
アリアが呆れたように笑う。
「家族だって? 笑わせてくれるね」
そう言い放ったのは、縄でぐるぐる巻きにされ馬車の床に横たわっているトーチだ。
「血縁関係でも婚姻関係でもない部外者がハイスバルツの人間と家族面だなんて、おこがましいと思わないのかね?」
あからさまに煽るような口調のトーチの言葉に、ロベルトは淡々と答える。
「あいにくお貴族様の価値観には疎くてな。そもそもこいつらは、今日までずっとハイスバルツじゃなくてフランブルクを姓として名乗ってたんだ。俺の妹としてな」
「妹? この二人が? 君の? はっはっはっ! そういえばそうだったな、対外的に彼女たちは君の腹違いの妹という事になっていたな。アルティア、君にとってはあながちフェイクとも言えない話なんじゃないか? 何せ君は、ハイスバルツのシンボルとも言える蒼炎の魔法が使えないのだから! もしかしたら本当に、メアリ様は当主様でなく彼の父親どぼぉっ!?」
トーチが長台詞を喋っている間に、馬車が裏通りのガタガタの道に入り大きく揺れ始め、その振動でトーチは自分の舌を勢いよく噛んだ。
トーチは激痛に顔を歪める。
「おお悪いなおっさん、言い忘れてたけど裏通りは馬車だと揺れんだ。これ以上舌を噛みたくなかったら、そのクセぇ口は閉じとけ」
ロベルトの口調は相変わらず淡々としていたが、その言葉には怒りが籠っているのが姉妹には分かった。
トーチの暴言にメルティアは杖を抜こうとしていたが、苦痛に歪むトーチの顔とロベルトの言葉で溜飲が下がった。
◆
ランビケが目を覚ますと、そこは見覚えのない薄暗い建物の中だった。
明かりが少ないためはっきりとは分からないが、広々としていて倉庫か何かのように思える。
辺りをもう少し見回そうとして、ランビケは自分が椅子に縛り付けられている事に気がついた。
両足は椅子の足に縄で縛り付けられ、両腕は背中側に回された上で椅子の背もたれに縛り付けられているようだ。
明らかに異常な状況に、これは夢なのではないかと疑った。
しかし、強引に縄を抜けようとして縄と擦れる両腕の痛みが、これは現実なのだと教えてくれた。
どうしてこんな状況になっているのか理解するため、ランビケは自分が意識を失う前までの記憶を思い出そうとした。
その時、背後から女の声が聞こえた。
「お目覚めになりましたか? ランビケさん」
「……グラファイトさん?」
椅子に縛り付けられたままでは十分に後ろに振り向けなかったが、ランビケの背後からはポリネーの声が聞こえた。
「ランビケさん。私、貴方に嘘をついていました。」
「え……?」
「グラファイトと言うのは、私の本当の姓ではありません。私の本当の姓は、ハイスバルツ。私はポリネー・ハイスバルツです」
その言葉を聞いてランビケは絶句するとともに、自分がこうして拘束されている理由に思い当たった。
ポリネーがハイスバルツの関係者である可能性は最初から考えてはいた。
なにせバルツの街から来た、魔法石の護衛だ。
バルツの街の鉱石資源はハイスバルツ家が牛耳っており、その護衛なのだからハイスバルツ家の息がかかっていることは確実だった。
かつてのランビケだったら、そんな相手と距離を縮めようなどとは考えなかっただろう。
敬愛する伯母から両足の自由を奪った、ハイスバルツの人間と距離を縮めようなどとは。
だが、ランビケはアリアとメリアに出会った。
ハイスバルツの人間であると気付かずに出会ったその二人は、ハイスバルツの人間すべてが憎むべき存在というわけではないとランビケに教えてくれた。
そして、他にもそんな分かり合える人間がバルツの街にいればいいなと、ランビケは心の中で思っていた。
ハイスバルツの人間との距離が縮まると、心に巣食う晴らされることのないハイスバルツへの恨みを薄れさせることができると気付いたから。
だから、ポリネーが最初に友好的に接してきた時、アリアとメリアと同様に、彼女とも仲良くなれると期待した。
期待してしまったのだ。
ポリネーは、どんな罵詈雑言が飛んでくるのか、身構えていた。
自身の伯母がバルツの街でどんな目にあったか、ハイスバルツ家がどういう家なのか、ランビケが知らないはずがない。
こうして自分自身がハイスバルツの人間に騙されて拘束されて、恨み言の一つも出ないわけがない。
そう予想して、ポリネーはランビケが縛られた椅子の前まで歩いたが、ランビケの反応は違った。
ランビケは何も言わず、涙を流していた。
涙を流すランビケの顔を見て、ポリネーは胸が痛むのを感じた。
これだから外回りの仕事は嫌なのだと、ポリネーは再認識しながら、ランビケに要件を話す。
「貴方には、アルティアさんとメルティアさんに言う事を聞かせるための人質になってもらいます」
「……アルティア、メルティア。それが、あの二人の本当の名前なんですね」
「ご存知なかったんですか? アルティアさんとメルティアさんの事情は知ってると思っていましたが」
「事情は知ってました。でも、本名は聞いてませんでした。本名で呼ぶのをハイスバルツの人間に知られるような事があれば問題ですから」
「懸命な判断ですね」
「……貴方たちの目的は、お二人を連れ戻す事ですか?」
「その通りです。彼女たちは、当主の娘ですから。私たちは家出娘たちを連れ戻すためだけに、はるばるこの街までやってきたのです」
「家出娘たちを連れ戻すためだけに、わざわざ人質を?」
「ええ。彼女たちは優秀で、残念ながら私たちの中にアルティアさんより優れた魔法使いはいません。なので、実力行使するにしても正面からいくわけにはいかないんです」
「……ハイスバルツ家の噂は本当だったみたいですね。目的のためには手段を選ばない、狡猾で野蛮な――」
「ランビケさん。あまりそういう事を言うものじゃありませんよ? 貴方は人質なのですから」
ランビケの言葉を遮り、ポリネーはランビケの顔に杖を突きつけた。
ハイスバルツの人間に、拘束された状態で杖を突きつけられる。
その状況にランビケが息を詰まらせた瞬間、重い扉が押し開けられる音が建物の中に鳴り響いた。
「来たようだな」
ランビケの背後から男の声が聞こえた。
その声にランビケは聞き覚えがあった。
魔法大学でリセと決闘をした男、ディラン・ハイスバルツだ。
ポリネーの上司と言われていたこの男も、ポリネーと同じ目的でこの街に来たであろう事は明白だった。
あの決闘は、ポリネーがランビケを拉致するチャンスを作るためのものだったのだろう。
開かれた扉の先には、四つの人影が見えた。
そのうちの三つは、ランビケにとって馴染み深い人物だった。
「ラン!! 大丈夫!?」
「アリアさん!!」
◆
裏通りの一角にある、おそらくネペンテスが使っているのであろう倉庫。
そこがトーチに教えられた取引場所だった。
ロベルトが重い扉を押し開けると、陽の光が倉庫の中に差し込んだ。
光に照らされた先に、杖を持った人物が一人と、椅子に縛り付けられた人物が一人いた。
椅子に縛り付けられていたのは、アリアの、そしてメルティアの友人だった。
「ラン!! 大丈夫!?」
「アリアさん!!」
アリアが声をかけると、すぐにランビケの返事が返ってきた事に、姉妹はひとまず安堵した。
まずアリアとメルティアが、そしてその後から縄を持ったロベルトと、縛られたトーチが倉庫の中に入る。
椅子のそばに立っていた魔法使いはポリネーで、そして陽光が当たらず蝋燭で照らされた奥の方にはディランがいるのが確認できた。
マースの手紙の情報が正しければ、これでこの街に来ているハイスバルツが揃ったことになる。
「久しいな、アルティア。そしてメルティア。……おじ上、一体何があったのです?」
ディランがそう問うと、ロベルトが一歩前に出て答えた。
「このおっさんはウチの従業員に手を出した。だからボコってふんじばってやったんだよ」
「誰だ貴様は? ……その言動から察するに、フランブルク商会の人間か?」
「そうだ。俺はロベルト・フランブルク。力尽くで無理矢理要求を押し通そうとする馬鹿どもに話をつけに来た」
「商人風情がつけ上がるなよ。貴様らフランブルク商会は、暴力でも経済でもハイスバルツに敵わないのが理解できないのか? 貴様らが仕入れた魔法石の産地が何処なのか、よもや知らないとは言うまい」
「なんだ? 楯突いたらもう魔法石を卸さないとでも脅すつもりか?」
「ちょっと、ロベルトさん、落ち着いて……!」
ディランとの口論にロベルトが想像以上にヒートアップしたので、メルティアは咄嗟にロベルトを宥めようとした。
ハイスバルツと揉めれば本当にフランブルク商会にとって損失だろうし、そもそもこの場は人質の交換と姉妹が街に戻る事を伝える事で、丸く収まるはずだ。
だからロベルトがディランの怒りを買う必要はない。
だが、ロベルトは退かなかった。
「メルティア、安心しろ。俺は落ち着いている。キレてはいるが感情任せに行動しているわけじゃねえ。これは必要な事だ。……おい、アンタ。話の流れからするとアンタがディランだな? このトーチとか言うおっさんはウチの敷地に無断で侵入した挙句ガキンチョに火傷を負わせやがった。ハイスバルツなんて無関係の、罪のねえガキンチョにだ」
ロベルトの言葉を聞くと、ディランはトーチを睨んだ後ため息をついた。
「なに『やれやれやっぱりか』みたいなリアクションしてるのよ? トーチを寄越した時点でこうなるのは目に見えていたはずでしょう? 部下の不始末は上司の立場の貴方の不始末よ、ディラン」
「黙れアルティア、立場を投げ捨てた貴様が立場を語るな。……ロベルトと言ったか。何が望みだ? 謝罪か? 補償か?」
「……気に入らねえな。申し訳なさが感じられねえ。仕方なく尻拭いだけして手打ちにしてやろうって上から目線のヤツの顔だ。ハイスバルツってのがアンタみてえなヤツばかりなら、アリアが家出したくなった理由がよく分かるよ」
「成金の息子の分際で傲慢なヤツだ。貴族への敬意が感じられん」
「身分なんて関係ねえ。お前らは俺の家族を傷つけた。そんな相手に媚びへつらってちゃ、未来の会長として部下に示しがつかねぇんだよ!!」
「……ふっ、それが貴様の態度の理由か。……確かに、俺はおじ上を差し向ければ被害者が出る可能性は高いと思っていた。愚かなアルティアは言葉だけでは従わないだろうからな。だが、結果として貴様の部下に被害が出たのは事実。謝罪しよう、ロベルト・フランブルク」
先ほどまでとは打って変わり、謝意をあらわにしたディランにロベルトは面食らってしまった。
ロベルトが言葉に詰まっていると、後ろからメルティアが囁いてきた。
「ロベルトさん。ディラン兄様はロベルトさんを気に入ったみたいです」
「は? ……訳わかんねえな。だが想像してたよりは話が通じそうで良かったよ」